雪代宮にたどりつき、後殿に向かう廊下で、月鈴は「う~」と唸った。

 その唸り声にびっくりした雪梅が、振り返ると、ポロポロと大粒の涙を流す月鈴の姿が視界に入り、雪梅はそっと彼女を抱きしめた。

「泣かないで、月鈴。……でも、ありがとう」

 自分のことを思って泣いている月鈴に感謝の気持ちが溢れ、雪梅は目を閉じる。

 雪梅は月鈴が泣き止むまで、彼女の背中をぽんぽんと撫でた。

 ようやく泣き止んだ頃には、月鈴の目はパンパンに腫れてしまい、「お見苦しくてすみません……」と謝る。

「いいのよ。でも、そのままだと明日がつらそうね。目を冷やしておいで」
「はぁい……」

 雪梅は抱きしめていた腕を緩め、彼女の背中を押した。ぐすっと鼻水をすすりながら、月鈴は目を冷やしに雪代宮の井戸に向かう。

 月鈴の背中を見届け、雪梅は寝室まで歩いていく。

 自分の部屋は、一番安心できる。

 ここには自分を責める母がいないから。

 それだけで、この場所は雪梅にとって大切な場所になった。

「……白賢妃……」

 あの日、手を差し伸べてくれたのは、彼女の気まぐれだったのだろうかと、雪梅は自身の目元を覆う。

 月鈴しか味方がいなかった。そんな後宮生活に彩(いろど)りを与えてくれた万姫のことを、信じたい気持ちは強かった。

 だが、どうしても天翊が嘘を言っているようには思えない。

(私は……どうしたらいいの?)

 万姫は皇后の座につくことを夢見ていた。

 しかし、鳳凰が選んだのは雪梅だ。

 雪梅は視線を落として手のひらを見つめ、小さく息を吐く。

 寝台に移動してごろんと寝転ぶと、そのまま目を閉じた。

 ◆◆◆

 なにか、温かいものに包まれているような気がして、雪梅はぱちりと目を開けた。

「起きたか?」

 蝋燭の灯りに照らされた天翊が、雪梅を抱きしめながら顔を覗き込む。

 もう少しで唇が触れ合うような近さだ。ドキッと鼓動が跳ねた雪梅は、慌てて起き上がろうとした。

「まぁ、そう()くな。今日は一日、どのように過ごしていた?」

 天翊に問われ、雪梅は今日のことを話した。そして、香辛料の入ったお茶をいただいたと話すと、彼の目の色が変わった。

「それは今、雪代宮にあるということだな」
「え、ええ。どうしました?」
「茶葉を見せてもらえるか?」
「構いませんが……」

 茶葉は小厨房に置いてあるはずだから、と雪梅と天翊は足を運ぶ。

 天翊が(とう)(ろう)を持ち、雪梅は彼と並ん小厨房まで歩き、目的の茶葉を取り出した。

「こちらです」

 茶葉の入った包みを解き、天翊は茶葉の匂いを確かめる。

「この甘い香りは……(けい)()か。身体に異変はないか?」
「は、はい。身体が温まっただけです」
「ならば、これから気をつけなさい。桂皮は取りすぎると毒になる」

 え、と目を大きく見開く雪梅。まさか、万姫が勧めたものが毒になるとは想像できず、おろおろと茶葉を凝視した。

「桂皮は過剰摂取すると強い作用が出る。もしもそなたが妊娠していたら……」

「子を、亡くしていた可能性が……?」

 雪梅はぞくりと背筋が凍り、ぎゅっと自分を抱きしめるように二の腕を掴む。

 まだ二回だけだ。天翊と交わったのは。だが、その二回でも子が宿る可能性はある。

 万姫はその可能性を察し、このお茶を自分に勧めたのだろうかと、雪梅の肌が粟立った。