犯人逮捕の連絡を受けた桜田は胸を撫でおろした。傍にいる選対本部長と弟の顔には安堵の表情が浮かんでいた。事件は無事解決したのだ。しかし、桜田はこれで終わりにするつもりはなかった。犯人の人生を無茶苦茶にしてはならないと考えていた。

「私が引き受けます」

 桜田は、本部長の反対を押し切って被害届を取り下げた。そして、犯人を市役所の臨時職員として雇った。

「彼のしたことは許されないことです。でも、未遂で終わりました。強く反省もしています。だから、今後の長い人生を考えると再起へのチャンスを与えるべきだと思うのです。ご理解ください」

 しかし、本部長は憮然(ぶぜん)としたような表情で桜田を睨みつけた。

「罪を憎んで人を憎まず、なんて甘っちょろいことを考えているんじゃないだろうな」

 ドスの利いた声が桜田に襲いかかった。

「親が親なら子も子なんだ。犯罪者の息子は、しょせん犯罪者でしかない。何度も同じ間違いを繰り返すんだ。そんな奴は徹底的に懲らしめなければならない。徹底的にな!」

 自分の弟を貶めようとした奴を絶対許さないと声を強めた。

「そうでしょうか。親の犯罪に加担したというなら話は別ですが、彼はそうではありません。というよりも、ある意味、彼は被害者なのです。第一志望のIT企業に内定していたにもかかわらず、親が逮捕されたことで取り消しになって、人生設計が根本から崩れたのです。逆恨みを許すわけではありませんが、追い詰められた彼の心情を考えると、このままずるずると不幸への道を進んでいくのを良しとするわけにはいきません」

「じゃあ聞くが、俺の弟はどうなる。世間の(さら)し者になるところだったんだぞ」

 目をひん剥いて、怒りを露わにした。

「お気持ちは十分わかります。でも、未遂で終わりました。弟さんの醜態写真がばら撒かれることはありませんでした。奥さんにも会社にも知られることはありませんし、弟さんの人生と家庭は守られたのです。しかし、」

 桜田は声に力を込めた。

「彼を罪人扱いにしたらどうなりますか。私たちを恨む気持ちが強くなるだけではないですか。そうなったら、また仕返しを考えるのではないですか。今回よりもっと卑劣なことをやらかすのではないですか。暴力やそれ以上のことが起こり得るのではないですか」

 本部長の目を強く見つめた。

「目には目を、歯には歯を、という考えは復讐の応酬を生むだけです。どんどん悲惨になっていくだけです。誰にとっても良いことはありません。だから、どこかで断ち切らなければならないのです」

 更に強く見つめると、本部長に睨み返された。納得していないのは疑う余地がなかった。 それでも、返ってきた言葉に険はなかった。

「好きにしろ」

 ぶっきらぼうに言い捨てて、背を向けた。

        *
         
 その男の配属先はセキュリティ対策室だった。それには理由があった。市役所には市民の個人情報が集積しているだけでなく、契約や資産などに関する機密の情報も数多くある。それは庁内のネットワーク上で管理されていたが、個人情報の漏洩(ろうえい)やシステム障害の危険性を常に抱えていた。内部による犯罪はもとより、悪意ある外部からのハッキングの危険性が高まっていたのだ。対して、情報防衛のためのスキルを持つ人材は明らかに不足していた。ハッカーに狙われたらひとたまりもない状態だった。

 そういう背景があったことから、男が持つスキルを活かせるのではないかと桜田は考えていた。親がパソコンショップを営む環境で育った彼は幼い頃から情報機器に親しみ、ハードもソフトも自在に操ることができた。高度なプログラミングを身につけ、ゲームソフトの自作は朝飯前だった。大学では情報管理学を専攻し、ビッグデータの分析やサイバーセキュリティ対策のスキルも身につけた。それが評価され、一流のIT企業から内定を貰ったのだ。これを活かさない手はない。市民情報や機密情報をハッカーから守る守護神という立場を与えてやれば彼は必ず再起できる、そう考えて実行した。

 読みは当たった。彼は配属後、短期間でシステムの脆弱性(ぜいじゃくせい)を見抜き、次々に手を打っていった。セキュリティ対策が十分でないOSやソフトウェアのアップデートや最新版への切り替えを迅速に行った。
 それだけでなく、自らがハッカーとなってシステムへの侵入を試みるということまで踏み込んだ。そこで見つかった脆弱性を外部の専門企業の手を借りて修復していった。その結果、夢開市のセキュリティ対策レベルは全国の自治体の中でも上位に入るまでになった。

 庁内の誰もが彼の実力を認めるのに時間はかからなかった。それを確認した桜田はすぐさま彼を正規雇用とすることを決めた。それだけでなく、将来の人事を描いた。彼を次のセキュリティ対策室長候補としたのだ。
 桜田は犯罪者の息子が再び罪を犯すことを防いだだけでなく、周りの人から尊敬を集める存在になるよう導いた。それは、政治家としての立場ではなく、教育者としての視点を大事にする姿勢から生まれたものだった。