禁煙都市宣言の議会承認が得られてホッとしたのも束の間、桜田の元に1通の封筒が届いた。差出人の名前はなかった。封を切って中から折りたたまれた紙を取り出すと、ワープロの文字が睨みつけるように迫ってきた。

『お前の関係者の醜態(しゅうたい)写真を持っている。ばらされたくなかったら即刻辞任しろ』

 同封された写真には裸同然の男性の尻を若い女性が(むち)打つ姿が写っていた。しかし、男の顔も女の顔も修正され、誰かわからないようになっていた。

 関係者の醜態? 
 誰のことだ? 

 桜田にはまったく理解できなかった。ただの悪戯と考えて破ろうとしたが、すんでのところで思い止まった。何かに止められた感じだった。

 3日後、また手紙が届いた。

『俺は本気だ。お前の関係者の生活をズタズタにしてやる』

 猿ぐつわをした男の上にまたがって、その尻を叩いている若い女の写真が添えられていた。今度も顔がわからないように修正されていた。

 ただの悪戯ではない。
 脅迫だ。
 それも、市長選挙に関する恨みに関係しているのは間違いない。

 ピンと来た桜田は市長室に選対本部長を呼んだ。彼は写真を見るなり、「なんだこれは」と嫌悪を露わにした。それほど醜悪なものだった。

「しかし、この男と女は一体誰なんだ?」

 本部長の問いに桜田は首を振った。まったく心当たりがなかった。

「まあ、わからないようにしているんだから、わからないよな。しかし、文面が気になる。単なる脅しではないだろう。選挙戦に関係するものだとしたら、仕返しの可能性が高い。とすると、枯田か、それとも、選挙参謀か、それとも、パソコンショップのオーナーか、だが、」

 本部長は腕を組んで考え込み、一切声を発しなくなった。 桜田はそれを見守るしかなかったが、それに付き合いきれなくなった。

「警察に届けた方が」

 言いかけたところで、本部長が手で制した。

「もう少し様子を見よう。次、どんな手紙と写真が送られてくるかを見た上で決めても遅くはない」

        *

 その3日後、また手紙が届いた。桜田は本部長の目の前で封を切った。

『最後通牒(つうちょう)! 3日以内に辞任しなければ醜態写真を町中にばら撒く!』

 その文言は強烈だったが、それ以上に写真のインパクトが強かった。桜田の横で本部長の顔は青ざめ、無修正の写真を持つ手が震えていた。

 彼の弟だった。そして、醜態そのものだった。そこには女の鞭打ちに身悶える恍惚の表情が写っていた。桜田は見てはいけないものを見た気がして思わず顔を背けた。それは本部長も同じだろうと思ったが、写真を置いた彼はすぐさま弟に電話をかけ、市役所に呼びつけた。仕事を早引きしてすぐに来いと。

        *

 何事だろうかという表情で市長専用応接室のドアを開けた弟は、ソファに座るなり渡された写真を見てがっくりと肩を落とした。そして、写っているのが自分であることを認めた。

「なんでこんなものが……」

 それ以上は言葉が続かず、写真を持ったままテーブルにうつ伏して、大きく肩を震わせた。

「なんでこんなことをしたんだ」

 本部長に肩を掴まれて引き起こされた弟はうな垂れたが、少しして、蚊の泣くような声で話し始めた。

 パソコンショップのオーナーを酔い潰し、問題の写真をスマホのカメラに収めたが、実は、SMの写真もスマホに写し取っていた。異常に興味を惹かれたからだ。自分にはその気が無いと思っていたが、鞭打つ若い女性のなまめかしい姿態と、恍惚に悶える男たちの表情から目が離せなくなったのだという。

「長時間労働のストレスが原因だと思う。中間管理職としての板挟みにも悩んでいたし。それに、家庭を犠牲にしていたので妻ともうまくいっていなかったから……」

 唇を噛んだ弟は、声を震わせながら話を続けた。

「非日常へ逃げ込みたかったんだ。何もかも忘れたかった」

 その店に一度行って病みつきになり、二度三度と通ううちにはまり込んでいった。そして、抜け出せなくなった。自分を虐め抜く女の命令には絶対の服従を示し、言われるままどんな格好でもやった。どんな仕打ちも喜んで受けた。SMプレイをカメラに撮られても恥ずかしいと思わなかった。それどころか、シャッター音がする度に却って快感を覚えた。いつしか彼女の奴隷のようになってしまっていた。

「取り返しのつかないことを……」

 真っ青になった顔を両手で覆った。その様子を見ていた本部長が引きつったように声を震わせた。

「これがばら撒かれたら大変なことになる」

 桜田は頷き、即座に警察へ届け出た。猶予(ゆうよ)は3日しかなかった。その間に捕まえなければならない。時間がない中で警察がどう動いてくれるのか、前回のこともあって不安を感じたが、今回は警察の動きが早かった。市長という肩書を持つ桜田への対応は前回とは明らかに違っていた。
 すぐさまSMクラブに立ち入り捜査が行われた。しかし、鞭打ち役の女は店から姿を消していた。次の居場所を告げずに突然辞めたという。住所も定かではなかったし、本名もわからなかった。それでも店内を捜索すると、所有物が従業員用化粧室に残っていた。歯ブラシとコップだった。そこから指紋を採取して、手紙と写真に付いた指紋と照合した。合致しなかった。彼女が差出人ではなかった。

 次に、枯田と選挙参謀とパソコンショップのオーナーに対して任意同行による取り調べが行われた。しかし、3人は揃って嫌疑(けんぎ)を否定した。指紋も合致しなかった。捜査は行き詰まった。一連の報告を受けた桜田は肩を落とした。