「家族や知り合いがみんな驚いて、私の周りで話題沸騰ですよ」
パソコンショップを再訪した弟が大げさに報告した。するとオーナーは、そうでしょう、というような顔で満足げに頷いた。
「いや~、本当に素晴らしい。この技術は半端ないですね」
一気におだて上げると、オーナーは照れることもなくニヤついた。
「これだけの技術があれば、どんな依頼にも応えられますよね」
「まあ、そうですね」
満更でもないような表情で顎に手をやった。
「一度、いろんな話を聞かせていただけませんか?」
弟は盃を傾ける仕草をした。すると、オーナーは、んっ? というような顔になったが、それが綻ぶのに時間はかからなかった。無類の酒好きというのが顔に出ていた。
それを見た弟は胸の内でほくそ笑んだ。オーナーが罠に掛かろうとしていたからだ。しかし、顔には出さず、オーナーの言葉を待った。急いては事を仕損じる、と自分に言い聞かせて。
予想通り、間を置かず顔を綻ばせたオーナーが舌なめずりをするような表情になった。
「いいですね、詳しいことは話せませんが、ちょっとだけなら」
まんまと術中にはまった。でも、こんな簡単に物事が進んでいいのだろうか、という思いもあり、ちょっと焦らすように時間を置いた。すると、「いつにしますか?」とせっついてきた。待ちきれないというのが顔に出ていた。
「では、明日にでもいかがですか」
そして、店の名前を告げた。予約が取りにくいことで有名な小料理店だった。
「そこは……」
オーナーの口が開きっぱなしになった。驚きを通り越しているようだった。それが余りにも狙い通りだったのでおかしくなったが、「では、決まりですね」と念を押してその場を切り上げた。
*
兄の親友が経営する小料理屋での会合が功を奏したのか、オーナーとの関係は急速に近しくなり、飲む度にオーナーは饒舌になっていった。それでも弟は焦らず、取り止めのない話を続けた。完全に心を許してくれる時を待っていたのだ。
*
それは、二つ目の餌を仕掛けた時だった。彼は食いつき、強烈な引きを示した。
「旨いね。最高だね。言うことないね」
夢開市唯一の板前割烹の個室でオーナーはご機嫌になっていた。滅多に手に入らない希少な日本酒、日本一に輝いた大吟醸に酔いしれていたのだ。
「オーナーほどのお人には、これくらいの酒をお出ししないと」
「いや~、ハッ、ハッ、ハッ」
お上手とも気づかず、天にも昇るような笑い声を発した。それを弟は見逃さなかった。チャンスとみて店の人を呼び、耳打ちをした。
しばらくして、芸術的なデザインが施されたボトルが運ばれてきた。
「これは‼」
テーブルに置かれた途端、オーナーが大きく目を開いた。幻の酒と呼ばれている極上の大吟醸だった。
「まさか、これを……」
恐る恐るという感じで手に取って愛おし気に撫でた。滅多なことでは手に入らない高嶺の花を前に感激しているようだった。一口飲んでは褒め、一口飲んでは礼を言うということが続いた。呂律が回らなくなるのに時間はかからなかった。
幻の酒を飲み干して店を出たのは11時前だった。オーナーは真っ赤な顔をして足元がおぼつかない様子だった。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫!」
これくらいの酒でつぶれるほど軟じゃないと豪語した。
「それは恐れ入りました」
感心したように頭を下げて敬意を表すと、「飲もうと思えばあと一升は飲める」と調子に乗った。すかさず弟は紙袋を差し出した。この時を待っていたのだ。中には最高の餌を入れていた。必ず食いつくはずだ。オーナーはなんだろうという感じで受け取ったが、中を覗き込んだ瞬間、「えっ! まさか……」と口を押えて、大きく目を見開いた。幻の酒を見て仰天しているようだった。思惑通りだった。そこで芝居を打った。
「ご自宅でごゆっくりお召し上がりください」
帰る仕草をして一歩、二歩と歩き始めた。すると、「店で一杯どう?」と背後から声がかかった。パソコンショップで飲み直そうというのだ。それは正に針がかかった瞬間だった。
でも、すぐにはリールを巻かなかった。「今からですか?」ととぼけたのだ。オーナーはそれに答えず、弟の腕を取って、「今までの仕事を見てもらいたいんだ」と酒臭い息を吐きかけてきた。そして、自ら釣りあげられるのを促すように店の方へ弟を引っ張った。
*
店に入ってパソコンに電源を入れたオーナーは、立ち上がる時間を利用して店の奥に続く台所から切子グラスを2つ持ってきて、それぞれに幻の酒を注いだ。
「ツマミはないけど、これさえあればね」
グラスを掲げてから弟のに軽く当て、待ち切れないというように口に運んだ。
「旨いね。たまらんね」
もうどうしていいかわからない、というような嬉しそうな顔になった。
パソコンの初期画面が立ち上がると、『合成写真』というアイコンが見えた。それをクリックすると、色々なタイトルと写真の一覧が出てきた。
その一つをダブルクリックした。『ケンタウルス』と名づけられた写真だった。半人半馬の写真がいくつか並んでいた。そのうちの一つをクリックすると、馬の上に筋肉隆々の男の上半身が合成された写真が大写しされた。ボディービルダーに依頼されて作ったものだという。
「凄いですね」
感心してみせると、「いいだろう」と自慢げな声を出して別の写真をクリックした。上半身裸の女性が馬の体と合成されていた。ヌードモデルからの依頼だという。
「めっちゃセクシーですね」
唇を舐めてみせると、同じように唇を舐めながら別のタイトルをクリックした。『ペガサス』と名づけられていた。全裸の女性の背中に翼が生えて、空を飛んでいるようなポーズをしていた。これは、ストリッパーからの依頼だという。
でも、俄かには信じがたかった。どうみても無断で借用したような感じだった。それでも、それを表に出すわけにはいかない。「凄い!」と歓喜の表情を返すと、「まだまだあるよ」とニヤリと笑ってから酒を煽り、『合成写真』とは別のアイコンをクリックした。
『内緒』
SMとエログロのオンパレードだった。一瞬目を背けそうになったが、滅茶苦茶関心があるように装った。それが嬉しかったのか、一つ一つの説明に熱が入り、彼は一人陶酔の世界に入り込んでいった。
ひとしきり熱弁を振るったオーナーは残り少なくなったボトルを掲げて、どうしようかな、というような表情を浮かべたが、これで止めるという選択肢は選ばなかった。
「飲み切るぞ!」
残り少ない幻の酒を2つのグラスに注いで、「乾杯!」と声を上げた。弟も掲げ返したが、口は付けず、オーナーが飲むのをただ見ていた。
「これもどうぞ」
飲み干したオーナーに自分のグラスを差し出した。
「えっ、いいのか?」
驚いた表情になったが、弟が頷くと、漫画のような目尻になって受け取り、一気に飲み干した。
そこで様子を見た。そろそろオネムの時間になってもらわないと困るからだ。しかし、目がトロンとして体は少し揺れているが、すぐに寝そうな感じではなかった。困ったな~と思ったが、もう打つ手は残っていなかった。それに、酒もなくなったのでここに残る理由もなくなった。
万事休すか、と思った時、オーナーの口が開いた。大きなあくびだった。それが立て続けに出ると、体の揺れが大きくなった。目はほとんど開いていなかった。何やらブツブツ言ったと思ったら、そのままゆっくりと机にうつ伏した。そして、寝息を立て始めた。
息をひそめて見つめた。完全に眠るまで音を立てずに見つめ続けた。それでも念のためにもうしばらく待って彼の背中に手を置き、小さな声でオーナーの名前を呼んだ。
反応はなかった。それでも焦らなかった。心の中で百数えて、今度は背中を揺すった。しかし、びくともしなかった。そのうちイビキが聞こえてきた。間違いなく熟睡状態に入っていた。
弟はパソコンのディスプレーに目を移した。そこにはさっきから気になっていたアイコンがあった。
『秘密』
もう一度オーナーの状態を確認してから、そのアイコンをクリックした。
あった。
あの写真があった。
探していた写真があった。
弟は声が出そうになるのを必死に抑えて、すべてをスマホに収めた。



