波の音が、船の底を静かに叩く。
アイたち4人は、港で手に入れた一艘の小型の帆船に乗り込み、謎の島を目指して出航していた。
島は地図にも記されていない、霧に包まれた見えない島。魔族であったという情報提供者の言葉を頼りに、彼らは闇の海を越えようとしていた。
夜が更け、風が静まると、船の上にはゆったりとした時間が流れはじめる。
「なあ、こうして船に揺られてると、なんか腹減らねぇ?」
馬鹿っぽい刀使い、レオが大きなあくびをしながら言った。
「お前、さっき干し肉5枚も食ってたろ」
マッチョのギンが呆れたように答える。裸の上半身が、月明かりに照らされて光っていた。
「いやぁ、あれは前菜よ。腹に力入れて戦うには、やっぱ本格的な飯が必要ってやつ」
「…船の上じゃ火も使えねえ。贅沢言うな」
その横で、長髪でサングラスの男、ザックが無言で剣を研いでいた。片膝を立て、夜風に髪をなびかせながら、刃に細かく油を塗っている。
アイが、そっと彼の隣に腰を下ろした。
「…思い出したの? あなた、彼と過去に話したことがあるって」
ザックはしばらく無言だったが、やがて静かに口を開いた。
「ああ。あいつは……俺の記憶の中で、確かに魔王だった。でも、血を好むような奴じゃなかった。ただ、不器用なだけでさ」
「……そう」
「ずっと一緒に戦ってた。人間の村を壊すことに、あいつだけは乗り気じゃなかった。俺たちは、もう一つの種族として、共存できるはずだって……。でも、結局俺たちは……その理想を壊した側だった」
ギンが近くで眠ったふりをしながら、それでもその会話に耳を傾けていた。
レオは遠くの波を見ながら、呟く。
「……変だよな、魔族だったはずのあいつを、今は助けたいって思ってる。こっちが混乱するっての」
「でも、そう思えるってことは、少なくともお前ら、まだ人間だってことよ」
アイの声が優しく響いた。
風が少しだけ吹き、船の帆が音を立てる。遠く、霧の中に、うっすらと黒い島の影が見えた。
「そろそろか……準備、しとこうぜ」
ザックが立ち上がり、剣を背中に背負う。
レオとギンもそれぞれ武器を手に取り、アイも鞘に収めたままの一本の剣を見つめた。
「ここから先は、本当に戻れないかもしれない。いいのか?」
「戻る気なんて、最初からねぇよ」
ギンが、ぐっと拳を握りしめる。
「まぁ、なんとかなるって。俺の刀は、運を引き寄せるんだ」
レオが軽く笑って、意味の分からない自信を見せる。
「……私は、アイだから。最後までやるわ」
「じゃあ、行こうか」
4人の影が、静かに霧の向こうへと消えていった。
謎の島に船が着岸した。足を踏み入れた瞬間、腐りきった空気が肌にまとわりつく。
「ここ……やっぱり普通じゃない」
アイが言う間もなく、壁のひび割れから、地面の亀裂から、空から、一度に無数の悪魔たちが姿を現した。
獣のような鳴き声があたりに響き渡り、牙を剥き出しにした魔物が四方八方から襲いかかる。
「準備しろ!数は多いが、俺たちで押さえ込む!」
サングラスのザックが剣を抜き放つ。レオも刀を構え、ギンはその筋肉を震わせて拳を握った。
だが、悪魔たちの数は尋常ではなかった。数十、数百と増え続け、4人は押され始める。
「耐えきれない……増援を呼ぼう!」
アイが魔法陣を描き、通信を飛ばす。やがて、島の外から数百名の味方が応援に駆けつけた。
仲間の叫び声が響く。増援たちも武器を構え、戦いは新たな局面へと動き出した。
増援の呼び声が届いたと同時に、闇の海の彼方から無数の小型船が霧の中を割り裂くように姿を現した。
黒い帆と、揺れる旗印が夜空にぼんやりと浮かび上がる。数百の仲間たちが次々に上陸し、息をのむほどの迫力で魔族の群れと衝突した。
波の音も戦の喧騒にかき消され、島の周囲は叫び声と金属の打ち合う音で満たされる。彼らの武器が夜闇を切り裂き、魔族たちの牙と爪が敵を求めて飛び交う。
「ここからだ!」
ザックが鋭く叫び、剣を抜く。彼の周囲には幾重にも刀身が輝き、闇を斬るような鋭さを帯びていた。レオも刀を振りかざし、怒涛の勢いで獣のような魔族を薙ぎ払う。ギンはその筋肉を最大限に使い、拳一撃で敵を吹き飛ばしていく。
アイは少し離れた位置から魔法陣を描き、魔力を解き放った。輝く光の矢が無数の魔物の間を飛び交い、闇を切り裂いていく。
だが、その混戦の中、黒い霧のような瘴気をまとった五本指の1人が静かに近づいてきた。彼の身体は暗闇のに揺らぎ、その瞳は冷たく光っていた。
「アイ、気をつけろ……!」
ザックが叫んだが、間に合わなかった。
その五本指の男が手を伸ばした瞬間、アイは眩い光とともに空間から消えた。まるで光の粒子に包まれ、霧の中に溶けていくように。
ザックは唇を噛みしめ、残された仲間たちのために剣をさらに強く握り直した。
「アイが……消えた。あいつのためにも、ここで食い止める!」
レオが刀を振り上げ、絶叫と共に突進する。ギンも咆哮を上げて前に出た。
仲間の数百人は統制を保ちながら、魔族の無限湧きに押されつつも、一歩も退かずに戦い続けた。血と瘴気が混ざり合う戦場の中、彼らの叫び声は絶えず、闇を照らす灯火となっていた。
ザックはその中心で、魔族の攻撃を冷静に捌き、仲間の盾となる。彼の剣は夜の闇に映え、静かな殺意を帯びて光った。
「まだ終わらせるわけにはいかない……アイの分まで!」
戦場は激しさを増し、命を賭けた闘いは続いていった。
アイは雪深い山脈の頂上に立っていた。吹きすさぶ冷たい風が顔を刺す。標高は約一キロメートル。ここで、かつての最悪な記憶が鮮明に蘇った。あの暗い日々の痛みが胸に重くのしかかる。
そのとき、五本指の男が現れた。全身を真っ黒な霧で包み、輪郭がぼやけている。彼の名前は。いや、名前はもう重要じゃない。ただ1つ、彼が強敵であることだけが確かだった。
「ここで終わらせる。」
言葉は風に消される。男は瞬間移動を繰り返し、攻撃をかわしつつ、圧倒的な力でアイに襲いかかる。物理攻撃はほとんど通じず、彼の霧は防御と攻撃の両方に使われていた。
アイは冷静に対処する。彼女の治った二刀流の剣は鋭く閃き、何度も男の霧に切り込むが、男は一瞬で姿を消す。瞬間移動を使いながら、背後や側面から猛攻を仕掛けてくる。
「油断は禁物……!」
アイは呼吸を整え、次の動きを狙う。男の動きは早すぎて目では追いきれない。しかし、山の冷気と彼女の心の熱さがぶつかり合い、激しい戦いは続いた。
雪が舞い散る中、2人の影が絶え間なく動く。凍てつく風に混じるのは、鋭い金属音と彼らの呼吸だけだった。
アイと全身を黒い霧で包んだ男は、雪山の頂上で静かに対峙していた。
風が冷たく頬を撫でる中、霧の男は輪郭が曖昧なまま、ゆっくりと動き出す。
「ここで終わらせる。」
その声は風に消されかけていたが、強い意志が感じられた。
アイは二刀を構え、静かに息を整える。彼女の目は揺るがない。
男は霧をまといながら、少しずつ距離を詰めてくる。霧がふわりと動き、まるで空気の一部のように攻撃を繰り出した。
アイは素早く剣を交差させ、霧の刃を受け止める。霧は刃に触れてもすぐに形を変え、再び彼女を包み込もうとする。
「油断しない……」
心の中で繰り返し、自分を奮い立たせるアイ。剣先が霧を切り裂く音だけが静寂を破った。
男は瞬間的に姿を消し、別の場所から現れる。動きは滑らかで、一瞬の隙も与えない。
しかし、アイは冷静に動きを読み、次の一手を狙っていた。
「これ以上、譲れない」
そう呟きながら、光を帯びた刃で霧の中へと斬り込む。
男の輪郭が一瞬鮮明になり、霧が揺れる。だが彼は笑みを浮かべ、再び霧に溶け込んだ。
男の声がまた消えた。
雪は止まなかった。
時折吹き下ろす突風が、2人の間に舞い上がる。
霧の男は依然としてその姿を曖昧に保ったまま、距離を詰めたり、消えたり、また現れたりする。
そのたびにアイの剣が鋭く振るわれるが、確かな手応えはなかなか得られない。
「……手応えがない。全部、空気を斬ってるみたい」
アイは息を整えながら距離を取った。深呼吸する。体温は下がり、指先が冷たい。
男の攻撃は鋭く、そして巧妙だった。霧が触れただけで、力が削がれるような感覚がある。
それでも、アイは何度も踏み込んだ。
「どうして……あなたはここまでして、戦うの?」
問いかけには答えず、男は再び姿をかき消す。
そして次の瞬間、背後から黒い霧が迫る。
だが。
「読めた」
アイはとっさに身を低くし、地面を滑るように反転。そのまま一刀を横に振り抜いた。
霧が裂け、風が巻き上がる。
男はすぐに距離を取り直したが、その動きにわずかな「遅れ」が生まれていた。
アイは気づいた。
(……霧の中に本体がある。完全に同化してるわけじゃない。確かに、一瞬だけ輪郭が濃くなる時がある)
手応えは確かにあった。それでも決定打には至らない。
男は何も言わず、再び動く。足音も、気配も消えて。
けれどアイの目は、既に1つの狙いを定めていた。
(霧は視覚をごまかす。でも、風や、温度、気配までは消しきれてない)
彼女はゆっくりと呼吸を整えた。他の余計な考えを排除し、ただ感覚に集中する。
風の流れ、空気の密度、雪の落ちる音。
アイはすぐさま構えを取り直し、静かに呟く。
「あなたの霧、全部が無敵なわけじゃない。見せてもらう……その本体の在処を」
吹雪がさらに強くなった。
だが、アイの心は不思議と静かだった。
霧の男は確かに傷を負った。しかし、そのわずかな傷すら、黒い霧がすぐに覆い隠す。
まるで肉体という概念そのものが、彼には存在しないかのようだった。
(……やっぱり、普通の攻撃じゃ倒せない)
霧は刀を通さず、斬っても、何をしても、手応えがない。
霧の中心に何かがあるとしても、それが確実に弱点なのかもわからない。
「時間をかければ、こっちが削られて終わる……!」
アイの判断は早かった。
一歩踏み出したその足元が、がくりと崩れる。
氷に覆われた山の岩肌が剥がれ、雪が音を立てて滑り落ちる。
「ッ……!」
アイの体が斜面に引きずられる。
片手で剣を、もう一方で地面をつかみ、ギリギリのところで踏みとどまる。
その隙を、霧の男は見逃さなかった。
「……終わりだ」
霧が渦を巻いて迫る。まるで生き物のように形を変え、アイの体を丸ごと覆い潰そうとする。
だが。
「……まだ、終わってない」
アイの足元に、光のような模様が広がった。
円状の文様が雪の中に浮かび上がる。
「……冷たさの中で、私はずっと、これを育ててきた」
息を吐くたびに、空気が白く染まる。
瞳が鋭く細められる。
「氷葬。」
空気が一変した。
霧が一瞬、膨張するように震えた。
直後、アイの剣から淡く青白い輝きが迸る。冷気が吹き上がり、全方位へと拡散していく。
それはただの寒気ではなかった。
彼女の魔力と呼吸、そして怒りと祈りまでもが乗った、純粋な氷の力。
霧の男が距離を取ろうとする。だが遅い。
一度触れた霧が、みるみるうちに凍っていく。
空気の水分さえも凍結し、雪すら止まったように空中で固まった。
「……これが、通じるってこと⋯⋯よ!」
霧が、氷に変わる。
黒い影が、氷柱の中に飲まれていく。
その中心に、ようやく人の形をした本体が浮かび上がった。男の目が見開かれ、驚愕と恐怖が入り混じったその顔が、完全に凍った。
アイはゆっくりと歩を進める。
両手で剣を構え、風の止んだ山頂で、ただ一振りの答えを刻もうとする。
「さよなら」
剣が振り下ろされた。
刹那、氷柱に走る、鋭い音。
中心から真っ二つに割れ、凍った男の首が、音もなく落ちていく。
それはまるで、雪が静かに積もるように、何の抵抗もなく崩れた。
霧も、風も、もうそこにはなかった。
ただ、青白く凍りついた世界の中に、アイの息遣いだけが残っていた。
五本指、1人、撃破。
氷に覆われた山脈の頂上。
霧の男の首が転がり落ち、アイの剣先から冷気がすうっと引いていく。
「……はぁ、はぁ……やった……の?」
その瞬間だった。
空気が、止まった。
風が凍ったかのように、粉雪も、遠くの鳥の鳴き声も、何もかもが途絶える。
(……この、感覚……)
胸に走る、嫌な予感。
次の瞬間。
「パチンッ⋯⋯」
軽く、指を鳴らす音が響いた。
どこからともなく、ただ1つ、その音だけが。
アイの目の前に、空間の裂け目が現れる。
真っ黒な亀裂が、空に滲み、ゆっくりと広がっていく。
「……何、これ……?」
その時、別の場所にいたザック、ギン、レオ。
そして島にいた数百人の味方たちもまた、全員が同時にその音を聞いた。
「今の……指を鳴らす音か?」
「上……空間が、歪んでる……!」
だが気づいた時には遅かった。
足元が突然、崩れたのだ。
「なッ!? 重力が……違うッ!」
「う、嘘だろ!? 体が勝手に!まずい!」
全員が抗う間もなく、黒い闇に呑まれるようにして、一瞬でその場から消えた。
空間ごと吸い込まれたような感覚。
上下も左右もわからない、無重力の奈落へと。
次に彼らが意識を取り戻したのは、魔界の中枢にある歪んだ大地だった。
地面は割れ、空は燃え、赤黒い空気が重くのしかかる異常な空間。
火山地帯と氷原、大きな洞窟が同時に存在するような、不安定で異様な世界。
かつてない不快感と圧迫感が全身を包む。
「ッ……ここは……」
「……魔界……?俺たち、全員……?」
アイもまた、そこにいた。
倒れかけた体を支え、立ち上がる。
そして、彼女の目の前に現れたのは。
半魔王の姿をした主人公だった。
右半身からは黒い瘴気が溢れ、短い角。
左側には、まだ人間の面影を残した顔。
だが、その瞳はもはや、過去の彼ではなかった。
「……来たな」
たった一言。だが、それだけで場の空気が変わった。
数百人の兵士たちでさえ、その言葉1つで動けなくなるほどの、威圧。
ザックが前に出ようとするが、その場に膝をつく。
ギンもレオも、動けない。
「お前が……やったのか。俺たちをここへ……」
アイが唇をかみ、睨む。
「……ああ。ようやく揃ったからな」
そう言った彼の周囲には、すでに五本指のうち残りの4人が現れていた。
かつて遺跡で戦った、あの「金の爪」も、空から降り立つ「天使のような魔族」も。
そして最後に、中心で微笑む、黒い王冠をかぶった男。
彼らが、魔界の玉座の周囲を囲むように立つ。
「始めようか。本当の審判を」
魔界の中心、大地が歪み、玉座のような祭壇の前。
空に溶けるような黒霧が広がる中、半魔王の彼は、静かに一歩を踏み出した。
「……五本指の1体を、殺したか」
その言葉には、怒りも悔しさもなかった。
ただ、確かな称賛が滲んでいた。
「……やるな。アイ」
振り返りもせず、彼は前へ進む。
祭壇のさらに奥。そこには、異様な存在感を放つ門があった。
高さは軽く十数メートル、幅も同様。
全体は滑らかなメタリックな質感で覆われ、
中央には人間界と魔界を結ぶための古代語が、紫色で刻まれていた。
だが、何より異様なのはこの扉が、今も閉じていること。
あの謎の島へとつながるはずの道は、まだ開かれていなかった。
「……そうか、あそこだったな。最初に……俺が目覚めた場所」
主人公は、そっと扉に手を触れる。
金属のようで、冷たく、生きているような、妙な感触。
その瞬間、自分の姿が、扉の反射に映り込んだ。
角がある。片目が赤い。右半身から黒い瘴気が漏れている。
(これが……今の⋯⋯俺?)
言葉が、思考が止まる。
反射する自分の形を見て、主人公の目が徐々に開いていく。
そして。
脳内に、声が響いた。
『……おい。何の顔してんだ、それ』
『鏡でも見てんのか? 醜いな』
その声は、かつての自分だった。
人間だった頃の、純粋で、無力で、それでも誰かを守りたかった自分。
(……誰だ……俺か……?)
『そうだよ。お前だ。魔王ヅラして、でかい玉座に座って、何やってんだ?』
『本当に、それがやりたかったことか?』
そして
暗闇の中に、もう1人の自分が現れた。
黒い衣。鋭い瞳。角。
現在の、半魔王の自分。
『理想論は捨てた。そうするしかなかった。』
『仲間は裏切り、世界は拒んだ。だから俺は、選んだ。力を。孤独を。魔王を。』
『それが……お前の答え?』
2人の「自分」が、心の中で睨み合う。
『人を殺すなって、泣いてた奴はどこ行った?』
『力を持つのが怖くて、ずっと手を震わせてた俺は?』
『……弱かった。そんなもの、世界じゃ通用しない。理想なんて、踏みにじられるだけだった。』
そして、次の瞬間。
2人の「自分」が殴りかかる。
心の奥底、記憶と瘴気の渦巻く世界で、
拳と拳、理想と現実がぶつかる。
『俺はっ……まだ、終わってねえ!』
『終わってんだよ!もう戻れねえだろうが!!』
拳がぶつかり、互いに血を流し、
何度も、何度も、倒れては殴り合う。
これは、自分自身との戦い。
扉の前で、主人公は身動きを止めたまま、
しばらくの間、まるで時が止まったように、立ち尽くしていた。
外の誰にも、この「殴り合い」は見えない。
「……だが、俺はもう戻れない。」
彼は、静かに目を伏せて呟いた。
その言葉には、迷いも、悲しみも、怒りも、すべてが混ざっていた。
けれど、そのどれもが、もう過去の人間には届かない。
見上げた魔界の空は、紫黒く染まり、稲妻のような瘴気が走っていた。
彼はその空を眺めながら、口を開く。
「この魔界には……もう1体、魔王がいる。」
その声には、かすかに憎しみが滲んでいた。
「……奴は、俺と違って完全な化け物だ。理性も、形も、存在すら曖昧。すべてを模倣し、すべてを喰らう。」
「複数の頭を持ち、体を液体にも獣にも人間にも変えられる。姿も、声も、性格すら変えて、完全に成り代わることができる。」
「何にでもなれる。そして、何でもできる。」
主人公の声が低くなる。
「……あれだけは、俺が手を下さなきゃいけない。誰にも触れさせるわけにはいかない。」
重たい空気が張り詰める。
暗闇の底、魔界の裂け目に立つ主人公は、静かに目を見開いた。
白い瞳が闇を穿ち、その奥で何かが蠢く。
「構えろ。来るぞ!!」
その声は、雷のように場を裂いた。
彼は一歩、前に出る。
黒く染まった外套が揺れ、瘴気が地を這うように伸びていく。
主人公の気配が、変わった。
「……っ! これが……」
アイが息を飲んだ。
彼女も剣を抜き、身体を沈めて構える。
すぐ後ろで、ザックが剣を逆手に持ち、長髪をかき上げるように風を受けて立つ。
レオは刀を肩に担ぎながら笑い、ギンは黙って拳を握り直した。
4人は、全員が感じ取っていた。
ここからが本当の戦いだ。
そのときだった。
地面が震えた。
あちこちの裂け目から、雑魚鬼たちが這い出してくる。
獣のように咆哮しながら、何百という数が現れる。
だが、それだけではない。
火山の向こう。多くの殺気が走った。
ズゥゥンッ!!
空間が歪むようにして、次々に現れる強敵たち。
地面を切り裂いて跳び出す巨大な鬼。
鋭い爪と鎖を纏った魔族。
手が異様に長く、その腕全体には鋭い金属や針を持つ悪魔。
それでも、皆の視線は一箇所に集まった。
現れた。奴らが!
五本指の残り、4人。
1人目。
赤と黒のマントを羽織った男が、拳を強く握るたび、周囲の重力が歪む。
「……何人殺れるかな。楽しみだなあ」
2人目。
金色の槍を持ち、白い翼を広げた天使のような魔族。
高い場所に立ち、俯瞰で全体を見下ろしている。
「さて……正しき者は誰か、選別といこう」
3人目。
四足で走る、獣のような魔族。
口からは熱気を吐き、目は赤くギラついている。
「……潰す……」
そして。
4人目。
その中心で静かに佇む、黒の王冠をかぶった赤い瞳の男。
黒のローブをまとい、表情1つ動かさず、仲間たちを見下ろしていた。
何かを語るわけでもなく、ただそこにいるだけで、空気が変わる。
「……マジかよ、あれが全員、敵……?」
レオが苦笑混じりに呟いた。
「上等だ……やるしかねぇ」
ギンが拳を鳴らす。
数百人の味方たちも次々に武器を構え、陣形を整える。
「生き残れ。必ず、次に繋げる」
ザックの声が、全軍に響いた。
その言葉に、アイも強く頷く。
彼女は刀を構えながら、主人公の背中を見る。
(あなたは……どうするの?)
その背で。
主人公は、静かに左手をかざす。
その指が、再び鳴らされようとしていた。
これは、命の選別だ。
真の戦いが、ここから始まる。
その瞬間。
誰が合図したわけでもなかった。
ただ、全軍が同時に動いた。
「行けええええええッ!!!」
先頭を走ったのは、レオ。
長刀を振るいながら、最前線に飛び出す。
刀身が煌めき、雑魚鬼の首を跳ね飛ばす。
「まとめて来いよ、クソどもッ!!」
そのすぐ横を、ギンが突進する。
全身に力を込め、拳で鬼の巨体をぶち抜く。
腕に絡みつく鎖をちぎり、飛びかかる魔族の群れを真正面から粉砕。
「止まるな!!抜けるぞ!!」
ザックが仲間たちに指示を飛ばしながら、剣を動かす。
鋭い動きで敵を斬り抜け、最小の動きで最大の効果を叩き出す。
まるで数手先を読んでいるかのように、群れの隙を突く。
そして、アイ。
「全員、援護する!前に出すぎないで!!」
剣と魔法を同時に使いこなし、仲間の背を守るように舞う。
水と氷の術を組み合わせ、敵の動きを封じてから、仲間に仕留めさせる。
戦場で、彼女は要だった。
魔界の地が、揺れる。
叫び、金属音、爆発音。
何百、何千という命が、交錯してぶつかり合う。
それでも。
空気が異常になる瞬間があった。
ドォンッ!!
「っ……!」
重圧。
前線の空間が歪み、そこに現れたのは。
五本指の1人。赤と黒のマントを纏った男。
拳を強く握るたびに、空気が爆ぜる。
「俺が潰してやる。何人でもいい」
そしてもう1人。
白い翼を持つ、金の槍の天使。
浮かぶように空中を舞いながら、十数メートル上空から突撃。
「人間よ。希望を持つな」
突き刺さる金の槍。
味方の陣形が崩れる。
「後退しろっ!囲まれるぞ!!」
ザックが叫ぶも、獣のような魔族が、地面を砕いて突進。
四足の化け物、第3の指だ。
「ガルル……狩りの時間⋯⋯ダァ!!!」
仲間が吹き飛ばされる。
「耐えろっ……!くそっ……数が多すぎる!」
ギンが喰らいつくように敵を殴り倒す。
その拳には傷が入り始めていた。
「レオ、下がれッ!!」
「いや、俺が行く!!」
レオは燃えるような目で、突撃し続ける。
1人でも多くの敵を倒すために。
そして、中心。
王冠をかぶった男。
五本指の中心人物が、動かないまま、周囲の戦況を見ている。
まるで神の視点。
彼の瞳が、次々と仲間たちを見下ろしていく。
怒りも、悲しみも、そこにはなかった。
ただ1つ、無感情な選別の目。
その視線が、主人公と交錯する。
「……!」
主人公は目を見開き一歩、踏み出す。
門の前。
黒く巨大で、生き物のように脈動するその扉の前に、2人の男が立っていた。
1人は、王冠の男。
「……お前を魔王に戻してやった。感謝くらいは、あって然るべきだろ?」
彼の言葉に、もう1人、半魔王の姿となった主人公は、何も答えなかった。
顔を上げ、ただ静かに、目の前の男を見据えている。
その黒い瞳の奥が、震えていた。
「……」
その時、胸の奥で何かが弾けた。
脳裏を、あの始まりの光景が強烈に駆け抜ける。
【回想・核心の真実】
瓦礫の道。
土と血にまみれた地面。
その上に、倒れていた自分。
(ああ……そうだ。思い出した)
あれは、魔王としての記憶をすべて失い、
魔界で裏切られた後。
「処分」として、捨てられた瞬間だった。
だが何故かその時は、体が人に生まれ変わっていた。記憶もないまま。力も忘れ。
王冠の男が言ったのだ。
「このまま、人間の世界に放ってみよう」
「彼の中の魔王の力が暴走すれば、それもまた一興」
「記憶を封じ、力を抑え、ただ壊れかけた器として」
その言葉通り。
彼は意図的に、人間界の地に投げ捨てられた。
だから、村人に拾われたときには何も覚えていなかった。
名前も、過去も、力も。
ただ、意味もわからず、生きていた。
その全てが、今、蘇る。
【現在・再び門の前】
「……お前が、俺を……」
主人公の声は低く、かすれていたが、確かに怒気を含んでいた。
「記憶を封じ、力を封じ、人間界に廃棄したのか……?」
王冠の男は、にやりと笑った。
「おかげで今のお前がある。感情も記憶も、力も取り戻し。こうして、俺の前に立っている。なにが不満なんだ?」
だが。
バッ。
一歩。
主人公が踏み出しただけで、地面が鳴った。
「お前のために戻ったんじゃない。ただ……全てを思い出した今、ようやく自分の意志でここに立てる。その意味が……わかるか?」
次の瞬間。
主人公の目が、これまでとは違う確信を宿した光を放つ。
「感謝?冗談じゃない。この力も、記憶も……お前を殺すために戻ってきたとしか思えない。」
バチィッ。
空気が引き裂かれる。
王冠の男の笑みが、初めてほんのわずかに歪む。
(――これは)
(もう、かつての魔王ではない)
(自分の意志を持った、完全な存在だ)
この瞬間、
門の脇にあった魔界の空間が揺れ、
五本指の残りの者たちも、ゆっくりと動き出す。
「なら⋯⋯もう一度やってやるよ。お前の記憶なんて、また封じてやればいい、初めから、やり直せ」
そう呟いた王冠の男は、無音のまま主人公の背後瞬間移動し、立つ。
たくさんの殺意があるまま、静かに腕を振り上げ、主人公の記憶をまた消そうとした。だが。
ズッ⋯⋯。
その腕が、空中で止まった。
いや、落ちた。切断されたのだ。
「……は?」
驚愕の声を出す男の視界に映る。
主人公の背後。
そこには、あの折れたはずの妖刀。
今、鞘から黒い炎と紫電をまとい、禍々しくも凛とした光を放っていた。
ギィィン!!
という甲高い音と共に、抜刀と斬撃はまるで一動作のように繰り出されていた。
何も見えなかった。
彼の動きは、すでに意識より速かった。
「お前に……俺を語る資格なんてない」
主人公は、振り返りもせず、低くそう言った。
次の瞬間。
主人公の手が、まだ呆然としている王冠の男の首元に伸びた。
そしてゆっくりとその体を持ち上げる。
地面から、ほんの少し。
つま先が、わずかに宙を浮いた。
「……これで終わりだ」
視線が合った。
その一瞬、男の顔に初めて、恐れの色が浮かぶ。
次の瞬間。
バシュッ!!
主人公の放った片脚の蹴りが、男の顔面を直撃した。
音すら遅れて届くほどの音速の一撃。
王冠の男の頭部が砕け散り、
その体は力を失い、闇の中へと崩れ落ちた。
静寂が戻った。
轟音が、魔界の大地を揺らす。
四方八方から湧き続ける魔物たち。
地を這うもの、空を舞うもの、炎を吐くもの。
仲間たちはそれぞれの位置で限界まで抗っていたが。
それでも、数と質の両方がまずかった。
「くそっ、キリがねぇ……ッ!」
ギンの拳が巨体の魔物を貫く。だがそのすぐ横から、別の牙が襲う。
レオも、汗と血を混ぜながら吠えるように叫んでいた。
「あと何体いるんだよ!数、盛りすぎじゃねぇか……!」
その叫びが空へ吸い込まれていく中。
アイの身体が、大地を滑るように吹き飛ばされた。
「アイッ!!」
ザックが一瞬叫ぶも、届かない。
彼女は地面を何度も転がり、ぶつかり、
やがて、巨大な門の前まで転がり着いた。
荒く、乱れた呼吸。
ぼろぼろの衣服。
剣は手から離れ、力が入らない。
それでも、目だけは閉じない。
アイが見上げる先に立っていたのは主人公だった。
そして、その背中に、落ちた王冠と黒い炎の残り香があった。
主人公は振り返らない。
だが、気づいていた。
風に混じって届く、アイの気配に。
彼女もまた、それを感じ取る。
「……来たのか……」
目の前には、メタリックな巨大な門。
主人公のすぐそば。
黒く染まった地面。
空に浮かぶ、禍々しい裂け目。
だが、それでも。
「立たなきゃ……まだ、終わってない」
アイは血を吐きながら、地を這い、剣を探す。
遠く、ギンも、レオも、ザックももう限界に近い。
そして空には、あの五本指の残りが、じわじわと動き始めていた。
だが。
ここに、再び灯った火がある。
あの背中が、目の前にある限り、まだ、戦える。アイはそう信じていた。
アイが剣を握りしめ、地を這うように立ち上がろうとしたその時だった。
「……まだ、立てるかよ。お前、強すぎんだろ……」
聞き慣れた、軽口。
地を蹴って、レオが転がるようにして現れた。
髪はボロボロ、腕からは血が流れている。
だが、笑っていた。いつもの、馬鹿みたいな笑顔で。
「ったく……勝手に先行くなよ。置いてかれるの、嫌いなんだよ、俺は」
そのすぐ後ろから、巨体の影が地を踏みしめる。
「はあ……ほんと……やってらんねえ」
ギンが肩を引きずりながら現れた。
右腕は完全に上がらず、呼吸も荒い。それでも彼は、立っていた。
「やっと……追いついた。アイ。無事で……よかった」
最後に静かに歩みを進める影。
「全員、まだ生きてる……それだけで、奇跡だ」
サングラスの奥の瞳が、すっと揺れる。
ザックが、剣を杖のように突き立て、膝をつきながらアイの横へと並ぶ。
「……立てるなら、共に立て。ここが、最後の土壇場だ」
アイは一瞬、言葉を失った。
仲間たちのボロボロな姿が、焼きつくように目に映る。
(……ここに、戻ってきてくれた)
剣を握る手に、力が宿る。
4人が並び、門を背にして立つ。
その前方には、空に浮かぶ五本指の影たち。
地にはなお溢れ続ける魔物。
空気は張り詰め、遠くで雷鳴が響いた。
その中心で、主人公はまだ静かに立っていた。
仲間たちの声が、彼にも確かに届いている。
思い出の中で、燃え尽きずに残っている絆が、
静かに胸を揺らしていた。
「……これで、全員か」
ザックが静かに呟く。
その言葉に、アイもレオもギンも頷いた。
魔界の門の前。
歪んだ空の下、4人の仲間が背を並べて立つ。
彼らを正面に、主人公は静かに立ち尽くしていた。
風が吹き抜ける。
燃え盛る瘴気の海の中で、世界が一瞬だけ、静かになった。
主人公は、初めてゆっくりと、後ろを振り返った。
そこには、かつての仲間。
共に戦い、命を懸けてぶつかってきた者たちの姿。
傷だらけで、血を流し、ボロボロになりながらも自分のためにここまで来てくれた者たち。
「……なんで、だよ……」
その声は、小さく震えていた。
言葉にできない想いが胸に溢れていく。
(俺は……お前たちを、突き放してきたのに。信じることも、背中を預けることもできなかったのに……)
ギンの無骨な拳が。
レオの軽口が。
ザックの静かな背中が。
そしてアイの、あたたかな眼差しが。
すべてが、胸の奥で重なり、音を立てて崩れていく。
立ちすくむ彼に、そっと近づく足音。
気づいた時にはアイが彼を、そっと抱きしめていた。
「……おかえり」
耳元で、たった一言。
その瞬間、主人公の肩から力が抜けた。
「……俺は……魔王になって、全部……失くして……もう、戻れないって……ずっと、思ってたのに……」
「違う。私たちは、ずっと……あなたを探してた。ここまで来たのは、あなたを信じてたから」
アイの声が震える。
気づけば、2人の目からは、たくさんの涙が流れていた。
主人公の心の奥から、大きな音がした。
それは、心の中で、もう1人の魔王の自分が、崩れ落ちる音。
暗闇の中、玉座に座ったもう1人の自分が、ゆっくりと立ち上がる。
そして、自分自身に向けて、静かに頭を下げた。
「……ありがとう。もう、いいんだな」
次の瞬間、心の中の魔王は笑って、消えた。
現実に戻ると。
主人公の身体を覆っていた黒い紋様、角や爪、闇の鎧が、溶けるようにして崩れていった。
紫の炎も、黒き瘴気も、
ただ静かに霧となって消えていく。
彼の姿は、あの日のままの人間の姿へと戻っていく。
アイはそのまま彼を抱きしめ続けていた。
主人公も、そっとその腕を返す。
「……ありがとう。お前が……お前たちが、俺を……救ってくれた」
ギンが、レオが、ザックがそれを見守りながら、少しだけ微笑む。
目の前にはまだ五本指が立ちはだかっている。
だが、もう彼らは迷わない。
なぜなら、もう一度、仲間として、ここに集えたのだから。
魔界の空に、たくさんの裂け目が開き、そこから次々に人間界の兵士たちが降り立った。
機関銃を構えたSWAT部隊、
重装甲をまとった軍隊の先鋒部隊、爆撃ドローン、魔導科学による新兵器、そして世界各地の冒険者・傭兵・騎士団たちがそれぞれの武器を携えて、魔界へと侵入してきた。
彼らの眼差しは、1つだった。
「人類を守るため」
「仲間のため」
「この世界を終わらせないため」
巨大な闇の地平線の上に、
銃声、剣戟、叫び声、魔法の閃光が交差する。
魔界の大地が揺れた。
四方から現れる無数の魔族、悪魔、妖怪たち。
その数は、無限。魔王を倒すまで。
戦っても戦っても終わらない。
1体を倒せば、さらに10体。
強敵を倒せば、さらにその上が湧いてくる。
ギンが叫ぶ。
「くそっ……いくらでも湧いてきやがる!!」
レオが刀を構えながらも、口元だけ笑って言う。
「本物の地獄ってやつじゃねぇか。……面白くなってきたな!」
ザックは静かに仲間たちを背に立ち、
両手の剣を逆手に握って、前を見据える。
「来いよ、魔族ども……。こっちには、魂の重さがある。」
皆がそうつぶやき、門の前に立つ。
世界中から集まった仲間たちが、次々と魔界へ入り込み、数千、数万の軍勢が黒い空の下で戦いを繰り広げる中。
門の前に立つ、主人公・アイ・ザック・レオ・ギン。かつての仲間たちはボロボロになりながらも、なお剣を握る。
主人公が、重く閉ざされた巨大な扉へ手を伸ばそうとしたそのとき。
「……待て。」
その声と同時に、闇を裂いて現れた3つの影。
残りの五本指。真なる強敵たち。
「貴様らは、ここで終わる。秩序を乱した、罪の軍。」
「オオォオオオ!!食らい尽くしてやる!」
「来るぞ!構えろ!!」
主人公の叫びと同時に、全員が動いた。
【激戦、開幕】
まず飛び出したのはレオ。獣の魔族へ真っ向から突っ込む。
「俺の刀はな、勢いで当てるんだよッ!」
だがその巨大な体と圧倒的な筋力は、レオの一撃を紙のように弾いた。逆に吹き飛ばされ、地面を転がる。
「チッ……硬ぇな!」
一方でザックは天使の魔族と空中戦を展開。高速で動くその槍に、ザックの剣が何とか応じる。
「……美しい顔して容赦ねえな」
彼の剣が軌道を追うたび、空気が爆ぜ、羽根のような斬撃が飛ぶ。
地上ではギンが、拳の魔族と一騎打ち。
「来いよ、ぶっ壊してやる!」
拳と拳がぶつかり合う。一撃で地面にクレーターが生まれるほどの激しさ。だが、相手は一切ブレない。まるで鉄塊のような拳に、ギンの腕が裂ける。
「ッ……クソが、まだだッ!!」
【主人公、動く】
「……もう十分だ。ここで終わらせる。」
主人公は、今や禍々しさを失った、人間の姿。
だがその瞳には、すべてを超えた静かな決意が宿っていた。
手には、かつて折れた妖刀。
いまや真っ黒な炎と紫電に包まれたその刀を握る。
一瞬、すべてが静かになる。
そして。
「うおおおおおあああ!!」
地を蹴り、獣の魔族へと飛び込む。
その突進を受けた獣は、鼻を鳴らす。
「遅いッ!」
爪を振り上げた瞬間、その腕が……斬れていた。
「……え?」
目にも見えない斬撃。主人公の振るう刃が、闇とともに空間を裂いたのだ。
「今の俺には、先が見えてるんだよ」
そのまま獣の喉元を斬り抜け、空中へと吹き飛ばす。
すかさず、天使の魔族が槍を投げてくる。その軌道を、主人公は妖刀で正確に弾くと、空へ跳躍。
「見た目だけじゃ、天使にはなれないな」
斬り下ろした一撃が、羽根を引き裂き、金の槍すらも砕く。
だが拳の魔族だけは違った。
「無駄だ。」
一言、低く呟くと、地面を蹴った。拳が突き上げる。
主人公は、今度はその拳を真っ向から受け止めた。
地面が裂ける。空気が震える。
「っぐ……!!」
だが、主人公の足は止まらない。
「これは、全部背負ってきた力だッ!!」
振り下ろした斬撃が、拳を砕いた。
一瞬の沈黙。そして、赤と黒のマントを羽織る男に囁く。
「俺は前と違う。全員、終わりだ。」
その言葉とともに、残された3体の五本指は、地に伏す。
倒れた獣の魔族が、最後に言った。
「魔王……貴様は、もう……」
主人公はその目を閉じた。
「魔王じゃない。俺は⋯⋯俺自身だ」
勝利の余韻など、一瞬でかき消された。
ズゥン……ズゥン……ッ!
地鳴りのような重低音が響き始めたかと思えば、背後。門とは逆方向の闇の奥から、何かが歩いてくる。
空気が変わる。重力が増すかのように、肩が自然と下がる。呼吸が、苦しい。
「……何だ? この、圧……」
ギンが顔をしかめる。誰よりも肉体に敏感な彼でさえ、膝を折りかけた。
「まさか……あれが……」
ザックの手の剣が微かに震えている。
アイも一歩、主人公の背に隠れるように立った。
「来るぞ……」
主人公の声が、静かに響いた。
そして。
【本物の魔王】
暗闇を切り裂いて、1体の存在が姿を現した。
全身は岩のように隆起した筋肉で覆われ、肌は燃え上がるような深紅。
黒の王冠を歪んだまま頭に載せ、燃えるような金のマントを引きずっている。
目は深い闇に沈み、瞳孔の奥から紫の光が燃えている。
手足は太く、動くたびに大地が揺れる。
それは、かつての魔王などではない。もはや神罰のような存在だった。
「……誰が、魔王を殺していいと許した?」
その声は、雷鳴のように響き渡り、全軍が一瞬動きを止めた。
主人公が、目を細める。
「……お前が、魔王か」
「違う」
マッチョの魔王は笑った。
「俺こそが、始まりの魔王だ。お前など、ただの模倣に過ぎん。」
次の瞬間。
その巨体が地を蹴った。
速い!!
レオが咄嗟に叫んだ。
「やべえ来る!!下がれッ!!」
だが、間に合わなかった。
拳が主人公の正面へと振り下ろされる。
それはただの拳ではない。空間ごと叩き潰す一撃。
主人公は咄嗟に妖刀を横に構え、受け止める。
「ぐっ……!!」
衝撃で地面が崩れ、岩が砕け、仲間たちが吹き飛ばされる。
ギンが身体を張ってアイをかばい、ザックがレオを後方へ引きずる。
「クソッ……なんて力だ……!」
主人公は拳を止めている。止めているが、両足がズズッと地を削って下がっていく。
「これが……本物……!」
魔王の目が燃えるように光る。
「貴様に、何が守れる?」
その言葉とともに、魔王の筋肉がさらに膨張する。
拳が、次の動きに備え、熱を帯びている。
(これは、ただの力じゃない……破壊そのもの……)
主人公は妖刀を握り直す。
「なら見せてみろ。お前が始まりなら、俺は終わりを見せてやる」
そして。最終決戦が始まる。
アイたち4人は、港で手に入れた一艘の小型の帆船に乗り込み、謎の島を目指して出航していた。
島は地図にも記されていない、霧に包まれた見えない島。魔族であったという情報提供者の言葉を頼りに、彼らは闇の海を越えようとしていた。
夜が更け、風が静まると、船の上にはゆったりとした時間が流れはじめる。
「なあ、こうして船に揺られてると、なんか腹減らねぇ?」
馬鹿っぽい刀使い、レオが大きなあくびをしながら言った。
「お前、さっき干し肉5枚も食ってたろ」
マッチョのギンが呆れたように答える。裸の上半身が、月明かりに照らされて光っていた。
「いやぁ、あれは前菜よ。腹に力入れて戦うには、やっぱ本格的な飯が必要ってやつ」
「…船の上じゃ火も使えねえ。贅沢言うな」
その横で、長髪でサングラスの男、ザックが無言で剣を研いでいた。片膝を立て、夜風に髪をなびかせながら、刃に細かく油を塗っている。
アイが、そっと彼の隣に腰を下ろした。
「…思い出したの? あなた、彼と過去に話したことがあるって」
ザックはしばらく無言だったが、やがて静かに口を開いた。
「ああ。あいつは……俺の記憶の中で、確かに魔王だった。でも、血を好むような奴じゃなかった。ただ、不器用なだけでさ」
「……そう」
「ずっと一緒に戦ってた。人間の村を壊すことに、あいつだけは乗り気じゃなかった。俺たちは、もう一つの種族として、共存できるはずだって……。でも、結局俺たちは……その理想を壊した側だった」
ギンが近くで眠ったふりをしながら、それでもその会話に耳を傾けていた。
レオは遠くの波を見ながら、呟く。
「……変だよな、魔族だったはずのあいつを、今は助けたいって思ってる。こっちが混乱するっての」
「でも、そう思えるってことは、少なくともお前ら、まだ人間だってことよ」
アイの声が優しく響いた。
風が少しだけ吹き、船の帆が音を立てる。遠く、霧の中に、うっすらと黒い島の影が見えた。
「そろそろか……準備、しとこうぜ」
ザックが立ち上がり、剣を背中に背負う。
レオとギンもそれぞれ武器を手に取り、アイも鞘に収めたままの一本の剣を見つめた。
「ここから先は、本当に戻れないかもしれない。いいのか?」
「戻る気なんて、最初からねぇよ」
ギンが、ぐっと拳を握りしめる。
「まぁ、なんとかなるって。俺の刀は、運を引き寄せるんだ」
レオが軽く笑って、意味の分からない自信を見せる。
「……私は、アイだから。最後までやるわ」
「じゃあ、行こうか」
4人の影が、静かに霧の向こうへと消えていった。
謎の島に船が着岸した。足を踏み入れた瞬間、腐りきった空気が肌にまとわりつく。
「ここ……やっぱり普通じゃない」
アイが言う間もなく、壁のひび割れから、地面の亀裂から、空から、一度に無数の悪魔たちが姿を現した。
獣のような鳴き声があたりに響き渡り、牙を剥き出しにした魔物が四方八方から襲いかかる。
「準備しろ!数は多いが、俺たちで押さえ込む!」
サングラスのザックが剣を抜き放つ。レオも刀を構え、ギンはその筋肉を震わせて拳を握った。
だが、悪魔たちの数は尋常ではなかった。数十、数百と増え続け、4人は押され始める。
「耐えきれない……増援を呼ぼう!」
アイが魔法陣を描き、通信を飛ばす。やがて、島の外から数百名の味方が応援に駆けつけた。
仲間の叫び声が響く。増援たちも武器を構え、戦いは新たな局面へと動き出した。
増援の呼び声が届いたと同時に、闇の海の彼方から無数の小型船が霧の中を割り裂くように姿を現した。
黒い帆と、揺れる旗印が夜空にぼんやりと浮かび上がる。数百の仲間たちが次々に上陸し、息をのむほどの迫力で魔族の群れと衝突した。
波の音も戦の喧騒にかき消され、島の周囲は叫び声と金属の打ち合う音で満たされる。彼らの武器が夜闇を切り裂き、魔族たちの牙と爪が敵を求めて飛び交う。
「ここからだ!」
ザックが鋭く叫び、剣を抜く。彼の周囲には幾重にも刀身が輝き、闇を斬るような鋭さを帯びていた。レオも刀を振りかざし、怒涛の勢いで獣のような魔族を薙ぎ払う。ギンはその筋肉を最大限に使い、拳一撃で敵を吹き飛ばしていく。
アイは少し離れた位置から魔法陣を描き、魔力を解き放った。輝く光の矢が無数の魔物の間を飛び交い、闇を切り裂いていく。
だが、その混戦の中、黒い霧のような瘴気をまとった五本指の1人が静かに近づいてきた。彼の身体は暗闇のに揺らぎ、その瞳は冷たく光っていた。
「アイ、気をつけろ……!」
ザックが叫んだが、間に合わなかった。
その五本指の男が手を伸ばした瞬間、アイは眩い光とともに空間から消えた。まるで光の粒子に包まれ、霧の中に溶けていくように。
ザックは唇を噛みしめ、残された仲間たちのために剣をさらに強く握り直した。
「アイが……消えた。あいつのためにも、ここで食い止める!」
レオが刀を振り上げ、絶叫と共に突進する。ギンも咆哮を上げて前に出た。
仲間の数百人は統制を保ちながら、魔族の無限湧きに押されつつも、一歩も退かずに戦い続けた。血と瘴気が混ざり合う戦場の中、彼らの叫び声は絶えず、闇を照らす灯火となっていた。
ザックはその中心で、魔族の攻撃を冷静に捌き、仲間の盾となる。彼の剣は夜の闇に映え、静かな殺意を帯びて光った。
「まだ終わらせるわけにはいかない……アイの分まで!」
戦場は激しさを増し、命を賭けた闘いは続いていった。
アイは雪深い山脈の頂上に立っていた。吹きすさぶ冷たい風が顔を刺す。標高は約一キロメートル。ここで、かつての最悪な記憶が鮮明に蘇った。あの暗い日々の痛みが胸に重くのしかかる。
そのとき、五本指の男が現れた。全身を真っ黒な霧で包み、輪郭がぼやけている。彼の名前は。いや、名前はもう重要じゃない。ただ1つ、彼が強敵であることだけが確かだった。
「ここで終わらせる。」
言葉は風に消される。男は瞬間移動を繰り返し、攻撃をかわしつつ、圧倒的な力でアイに襲いかかる。物理攻撃はほとんど通じず、彼の霧は防御と攻撃の両方に使われていた。
アイは冷静に対処する。彼女の治った二刀流の剣は鋭く閃き、何度も男の霧に切り込むが、男は一瞬で姿を消す。瞬間移動を使いながら、背後や側面から猛攻を仕掛けてくる。
「油断は禁物……!」
アイは呼吸を整え、次の動きを狙う。男の動きは早すぎて目では追いきれない。しかし、山の冷気と彼女の心の熱さがぶつかり合い、激しい戦いは続いた。
雪が舞い散る中、2人の影が絶え間なく動く。凍てつく風に混じるのは、鋭い金属音と彼らの呼吸だけだった。
アイと全身を黒い霧で包んだ男は、雪山の頂上で静かに対峙していた。
風が冷たく頬を撫でる中、霧の男は輪郭が曖昧なまま、ゆっくりと動き出す。
「ここで終わらせる。」
その声は風に消されかけていたが、強い意志が感じられた。
アイは二刀を構え、静かに息を整える。彼女の目は揺るがない。
男は霧をまといながら、少しずつ距離を詰めてくる。霧がふわりと動き、まるで空気の一部のように攻撃を繰り出した。
アイは素早く剣を交差させ、霧の刃を受け止める。霧は刃に触れてもすぐに形を変え、再び彼女を包み込もうとする。
「油断しない……」
心の中で繰り返し、自分を奮い立たせるアイ。剣先が霧を切り裂く音だけが静寂を破った。
男は瞬間的に姿を消し、別の場所から現れる。動きは滑らかで、一瞬の隙も与えない。
しかし、アイは冷静に動きを読み、次の一手を狙っていた。
「これ以上、譲れない」
そう呟きながら、光を帯びた刃で霧の中へと斬り込む。
男の輪郭が一瞬鮮明になり、霧が揺れる。だが彼は笑みを浮かべ、再び霧に溶け込んだ。
男の声がまた消えた。
雪は止まなかった。
時折吹き下ろす突風が、2人の間に舞い上がる。
霧の男は依然としてその姿を曖昧に保ったまま、距離を詰めたり、消えたり、また現れたりする。
そのたびにアイの剣が鋭く振るわれるが、確かな手応えはなかなか得られない。
「……手応えがない。全部、空気を斬ってるみたい」
アイは息を整えながら距離を取った。深呼吸する。体温は下がり、指先が冷たい。
男の攻撃は鋭く、そして巧妙だった。霧が触れただけで、力が削がれるような感覚がある。
それでも、アイは何度も踏み込んだ。
「どうして……あなたはここまでして、戦うの?」
問いかけには答えず、男は再び姿をかき消す。
そして次の瞬間、背後から黒い霧が迫る。
だが。
「読めた」
アイはとっさに身を低くし、地面を滑るように反転。そのまま一刀を横に振り抜いた。
霧が裂け、風が巻き上がる。
男はすぐに距離を取り直したが、その動きにわずかな「遅れ」が生まれていた。
アイは気づいた。
(……霧の中に本体がある。完全に同化してるわけじゃない。確かに、一瞬だけ輪郭が濃くなる時がある)
手応えは確かにあった。それでも決定打には至らない。
男は何も言わず、再び動く。足音も、気配も消えて。
けれどアイの目は、既に1つの狙いを定めていた。
(霧は視覚をごまかす。でも、風や、温度、気配までは消しきれてない)
彼女はゆっくりと呼吸を整えた。他の余計な考えを排除し、ただ感覚に集中する。
風の流れ、空気の密度、雪の落ちる音。
アイはすぐさま構えを取り直し、静かに呟く。
「あなたの霧、全部が無敵なわけじゃない。見せてもらう……その本体の在処を」
吹雪がさらに強くなった。
だが、アイの心は不思議と静かだった。
霧の男は確かに傷を負った。しかし、そのわずかな傷すら、黒い霧がすぐに覆い隠す。
まるで肉体という概念そのものが、彼には存在しないかのようだった。
(……やっぱり、普通の攻撃じゃ倒せない)
霧は刀を通さず、斬っても、何をしても、手応えがない。
霧の中心に何かがあるとしても、それが確実に弱点なのかもわからない。
「時間をかければ、こっちが削られて終わる……!」
アイの判断は早かった。
一歩踏み出したその足元が、がくりと崩れる。
氷に覆われた山の岩肌が剥がれ、雪が音を立てて滑り落ちる。
「ッ……!」
アイの体が斜面に引きずられる。
片手で剣を、もう一方で地面をつかみ、ギリギリのところで踏みとどまる。
その隙を、霧の男は見逃さなかった。
「……終わりだ」
霧が渦を巻いて迫る。まるで生き物のように形を変え、アイの体を丸ごと覆い潰そうとする。
だが。
「……まだ、終わってない」
アイの足元に、光のような模様が広がった。
円状の文様が雪の中に浮かび上がる。
「……冷たさの中で、私はずっと、これを育ててきた」
息を吐くたびに、空気が白く染まる。
瞳が鋭く細められる。
「氷葬。」
空気が一変した。
霧が一瞬、膨張するように震えた。
直後、アイの剣から淡く青白い輝きが迸る。冷気が吹き上がり、全方位へと拡散していく。
それはただの寒気ではなかった。
彼女の魔力と呼吸、そして怒りと祈りまでもが乗った、純粋な氷の力。
霧の男が距離を取ろうとする。だが遅い。
一度触れた霧が、みるみるうちに凍っていく。
空気の水分さえも凍結し、雪すら止まったように空中で固まった。
「……これが、通じるってこと⋯⋯よ!」
霧が、氷に変わる。
黒い影が、氷柱の中に飲まれていく。
その中心に、ようやく人の形をした本体が浮かび上がった。男の目が見開かれ、驚愕と恐怖が入り混じったその顔が、完全に凍った。
アイはゆっくりと歩を進める。
両手で剣を構え、風の止んだ山頂で、ただ一振りの答えを刻もうとする。
「さよなら」
剣が振り下ろされた。
刹那、氷柱に走る、鋭い音。
中心から真っ二つに割れ、凍った男の首が、音もなく落ちていく。
それはまるで、雪が静かに積もるように、何の抵抗もなく崩れた。
霧も、風も、もうそこにはなかった。
ただ、青白く凍りついた世界の中に、アイの息遣いだけが残っていた。
五本指、1人、撃破。
氷に覆われた山脈の頂上。
霧の男の首が転がり落ち、アイの剣先から冷気がすうっと引いていく。
「……はぁ、はぁ……やった……の?」
その瞬間だった。
空気が、止まった。
風が凍ったかのように、粉雪も、遠くの鳥の鳴き声も、何もかもが途絶える。
(……この、感覚……)
胸に走る、嫌な予感。
次の瞬間。
「パチンッ⋯⋯」
軽く、指を鳴らす音が響いた。
どこからともなく、ただ1つ、その音だけが。
アイの目の前に、空間の裂け目が現れる。
真っ黒な亀裂が、空に滲み、ゆっくりと広がっていく。
「……何、これ……?」
その時、別の場所にいたザック、ギン、レオ。
そして島にいた数百人の味方たちもまた、全員が同時にその音を聞いた。
「今の……指を鳴らす音か?」
「上……空間が、歪んでる……!」
だが気づいた時には遅かった。
足元が突然、崩れたのだ。
「なッ!? 重力が……違うッ!」
「う、嘘だろ!? 体が勝手に!まずい!」
全員が抗う間もなく、黒い闇に呑まれるようにして、一瞬でその場から消えた。
空間ごと吸い込まれたような感覚。
上下も左右もわからない、無重力の奈落へと。
次に彼らが意識を取り戻したのは、魔界の中枢にある歪んだ大地だった。
地面は割れ、空は燃え、赤黒い空気が重くのしかかる異常な空間。
火山地帯と氷原、大きな洞窟が同時に存在するような、不安定で異様な世界。
かつてない不快感と圧迫感が全身を包む。
「ッ……ここは……」
「……魔界……?俺たち、全員……?」
アイもまた、そこにいた。
倒れかけた体を支え、立ち上がる。
そして、彼女の目の前に現れたのは。
半魔王の姿をした主人公だった。
右半身からは黒い瘴気が溢れ、短い角。
左側には、まだ人間の面影を残した顔。
だが、その瞳はもはや、過去の彼ではなかった。
「……来たな」
たった一言。だが、それだけで場の空気が変わった。
数百人の兵士たちでさえ、その言葉1つで動けなくなるほどの、威圧。
ザックが前に出ようとするが、その場に膝をつく。
ギンもレオも、動けない。
「お前が……やったのか。俺たちをここへ……」
アイが唇をかみ、睨む。
「……ああ。ようやく揃ったからな」
そう言った彼の周囲には、すでに五本指のうち残りの4人が現れていた。
かつて遺跡で戦った、あの「金の爪」も、空から降り立つ「天使のような魔族」も。
そして最後に、中心で微笑む、黒い王冠をかぶった男。
彼らが、魔界の玉座の周囲を囲むように立つ。
「始めようか。本当の審判を」
魔界の中心、大地が歪み、玉座のような祭壇の前。
空に溶けるような黒霧が広がる中、半魔王の彼は、静かに一歩を踏み出した。
「……五本指の1体を、殺したか」
その言葉には、怒りも悔しさもなかった。
ただ、確かな称賛が滲んでいた。
「……やるな。アイ」
振り返りもせず、彼は前へ進む。
祭壇のさらに奥。そこには、異様な存在感を放つ門があった。
高さは軽く十数メートル、幅も同様。
全体は滑らかなメタリックな質感で覆われ、
中央には人間界と魔界を結ぶための古代語が、紫色で刻まれていた。
だが、何より異様なのはこの扉が、今も閉じていること。
あの謎の島へとつながるはずの道は、まだ開かれていなかった。
「……そうか、あそこだったな。最初に……俺が目覚めた場所」
主人公は、そっと扉に手を触れる。
金属のようで、冷たく、生きているような、妙な感触。
その瞬間、自分の姿が、扉の反射に映り込んだ。
角がある。片目が赤い。右半身から黒い瘴気が漏れている。
(これが……今の⋯⋯俺?)
言葉が、思考が止まる。
反射する自分の形を見て、主人公の目が徐々に開いていく。
そして。
脳内に、声が響いた。
『……おい。何の顔してんだ、それ』
『鏡でも見てんのか? 醜いな』
その声は、かつての自分だった。
人間だった頃の、純粋で、無力で、それでも誰かを守りたかった自分。
(……誰だ……俺か……?)
『そうだよ。お前だ。魔王ヅラして、でかい玉座に座って、何やってんだ?』
『本当に、それがやりたかったことか?』
そして
暗闇の中に、もう1人の自分が現れた。
黒い衣。鋭い瞳。角。
現在の、半魔王の自分。
『理想論は捨てた。そうするしかなかった。』
『仲間は裏切り、世界は拒んだ。だから俺は、選んだ。力を。孤独を。魔王を。』
『それが……お前の答え?』
2人の「自分」が、心の中で睨み合う。
『人を殺すなって、泣いてた奴はどこ行った?』
『力を持つのが怖くて、ずっと手を震わせてた俺は?』
『……弱かった。そんなもの、世界じゃ通用しない。理想なんて、踏みにじられるだけだった。』
そして、次の瞬間。
2人の「自分」が殴りかかる。
心の奥底、記憶と瘴気の渦巻く世界で、
拳と拳、理想と現実がぶつかる。
『俺はっ……まだ、終わってねえ!』
『終わってんだよ!もう戻れねえだろうが!!』
拳がぶつかり、互いに血を流し、
何度も、何度も、倒れては殴り合う。
これは、自分自身との戦い。
扉の前で、主人公は身動きを止めたまま、
しばらくの間、まるで時が止まったように、立ち尽くしていた。
外の誰にも、この「殴り合い」は見えない。
「……だが、俺はもう戻れない。」
彼は、静かに目を伏せて呟いた。
その言葉には、迷いも、悲しみも、怒りも、すべてが混ざっていた。
けれど、そのどれもが、もう過去の人間には届かない。
見上げた魔界の空は、紫黒く染まり、稲妻のような瘴気が走っていた。
彼はその空を眺めながら、口を開く。
「この魔界には……もう1体、魔王がいる。」
その声には、かすかに憎しみが滲んでいた。
「……奴は、俺と違って完全な化け物だ。理性も、形も、存在すら曖昧。すべてを模倣し、すべてを喰らう。」
「複数の頭を持ち、体を液体にも獣にも人間にも変えられる。姿も、声も、性格すら変えて、完全に成り代わることができる。」
「何にでもなれる。そして、何でもできる。」
主人公の声が低くなる。
「……あれだけは、俺が手を下さなきゃいけない。誰にも触れさせるわけにはいかない。」
重たい空気が張り詰める。
暗闇の底、魔界の裂け目に立つ主人公は、静かに目を見開いた。
白い瞳が闇を穿ち、その奥で何かが蠢く。
「構えろ。来るぞ!!」
その声は、雷のように場を裂いた。
彼は一歩、前に出る。
黒く染まった外套が揺れ、瘴気が地を這うように伸びていく。
主人公の気配が、変わった。
「……っ! これが……」
アイが息を飲んだ。
彼女も剣を抜き、身体を沈めて構える。
すぐ後ろで、ザックが剣を逆手に持ち、長髪をかき上げるように風を受けて立つ。
レオは刀を肩に担ぎながら笑い、ギンは黙って拳を握り直した。
4人は、全員が感じ取っていた。
ここからが本当の戦いだ。
そのときだった。
地面が震えた。
あちこちの裂け目から、雑魚鬼たちが這い出してくる。
獣のように咆哮しながら、何百という数が現れる。
だが、それだけではない。
火山の向こう。多くの殺気が走った。
ズゥゥンッ!!
空間が歪むようにして、次々に現れる強敵たち。
地面を切り裂いて跳び出す巨大な鬼。
鋭い爪と鎖を纏った魔族。
手が異様に長く、その腕全体には鋭い金属や針を持つ悪魔。
それでも、皆の視線は一箇所に集まった。
現れた。奴らが!
五本指の残り、4人。
1人目。
赤と黒のマントを羽織った男が、拳を強く握るたび、周囲の重力が歪む。
「……何人殺れるかな。楽しみだなあ」
2人目。
金色の槍を持ち、白い翼を広げた天使のような魔族。
高い場所に立ち、俯瞰で全体を見下ろしている。
「さて……正しき者は誰か、選別といこう」
3人目。
四足で走る、獣のような魔族。
口からは熱気を吐き、目は赤くギラついている。
「……潰す……」
そして。
4人目。
その中心で静かに佇む、黒の王冠をかぶった赤い瞳の男。
黒のローブをまとい、表情1つ動かさず、仲間たちを見下ろしていた。
何かを語るわけでもなく、ただそこにいるだけで、空気が変わる。
「……マジかよ、あれが全員、敵……?」
レオが苦笑混じりに呟いた。
「上等だ……やるしかねぇ」
ギンが拳を鳴らす。
数百人の味方たちも次々に武器を構え、陣形を整える。
「生き残れ。必ず、次に繋げる」
ザックの声が、全軍に響いた。
その言葉に、アイも強く頷く。
彼女は刀を構えながら、主人公の背中を見る。
(あなたは……どうするの?)
その背で。
主人公は、静かに左手をかざす。
その指が、再び鳴らされようとしていた。
これは、命の選別だ。
真の戦いが、ここから始まる。
その瞬間。
誰が合図したわけでもなかった。
ただ、全軍が同時に動いた。
「行けええええええッ!!!」
先頭を走ったのは、レオ。
長刀を振るいながら、最前線に飛び出す。
刀身が煌めき、雑魚鬼の首を跳ね飛ばす。
「まとめて来いよ、クソどもッ!!」
そのすぐ横を、ギンが突進する。
全身に力を込め、拳で鬼の巨体をぶち抜く。
腕に絡みつく鎖をちぎり、飛びかかる魔族の群れを真正面から粉砕。
「止まるな!!抜けるぞ!!」
ザックが仲間たちに指示を飛ばしながら、剣を動かす。
鋭い動きで敵を斬り抜け、最小の動きで最大の効果を叩き出す。
まるで数手先を読んでいるかのように、群れの隙を突く。
そして、アイ。
「全員、援護する!前に出すぎないで!!」
剣と魔法を同時に使いこなし、仲間の背を守るように舞う。
水と氷の術を組み合わせ、敵の動きを封じてから、仲間に仕留めさせる。
戦場で、彼女は要だった。
魔界の地が、揺れる。
叫び、金属音、爆発音。
何百、何千という命が、交錯してぶつかり合う。
それでも。
空気が異常になる瞬間があった。
ドォンッ!!
「っ……!」
重圧。
前線の空間が歪み、そこに現れたのは。
五本指の1人。赤と黒のマントを纏った男。
拳を強く握るたびに、空気が爆ぜる。
「俺が潰してやる。何人でもいい」
そしてもう1人。
白い翼を持つ、金の槍の天使。
浮かぶように空中を舞いながら、十数メートル上空から突撃。
「人間よ。希望を持つな」
突き刺さる金の槍。
味方の陣形が崩れる。
「後退しろっ!囲まれるぞ!!」
ザックが叫ぶも、獣のような魔族が、地面を砕いて突進。
四足の化け物、第3の指だ。
「ガルル……狩りの時間⋯⋯ダァ!!!」
仲間が吹き飛ばされる。
「耐えろっ……!くそっ……数が多すぎる!」
ギンが喰らいつくように敵を殴り倒す。
その拳には傷が入り始めていた。
「レオ、下がれッ!!」
「いや、俺が行く!!」
レオは燃えるような目で、突撃し続ける。
1人でも多くの敵を倒すために。
そして、中心。
王冠をかぶった男。
五本指の中心人物が、動かないまま、周囲の戦況を見ている。
まるで神の視点。
彼の瞳が、次々と仲間たちを見下ろしていく。
怒りも、悲しみも、そこにはなかった。
ただ1つ、無感情な選別の目。
その視線が、主人公と交錯する。
「……!」
主人公は目を見開き一歩、踏み出す。
門の前。
黒く巨大で、生き物のように脈動するその扉の前に、2人の男が立っていた。
1人は、王冠の男。
「……お前を魔王に戻してやった。感謝くらいは、あって然るべきだろ?」
彼の言葉に、もう1人、半魔王の姿となった主人公は、何も答えなかった。
顔を上げ、ただ静かに、目の前の男を見据えている。
その黒い瞳の奥が、震えていた。
「……」
その時、胸の奥で何かが弾けた。
脳裏を、あの始まりの光景が強烈に駆け抜ける。
【回想・核心の真実】
瓦礫の道。
土と血にまみれた地面。
その上に、倒れていた自分。
(ああ……そうだ。思い出した)
あれは、魔王としての記憶をすべて失い、
魔界で裏切られた後。
「処分」として、捨てられた瞬間だった。
だが何故かその時は、体が人に生まれ変わっていた。記憶もないまま。力も忘れ。
王冠の男が言ったのだ。
「このまま、人間の世界に放ってみよう」
「彼の中の魔王の力が暴走すれば、それもまた一興」
「記憶を封じ、力を抑え、ただ壊れかけた器として」
その言葉通り。
彼は意図的に、人間界の地に投げ捨てられた。
だから、村人に拾われたときには何も覚えていなかった。
名前も、過去も、力も。
ただ、意味もわからず、生きていた。
その全てが、今、蘇る。
【現在・再び門の前】
「……お前が、俺を……」
主人公の声は低く、かすれていたが、確かに怒気を含んでいた。
「記憶を封じ、力を封じ、人間界に廃棄したのか……?」
王冠の男は、にやりと笑った。
「おかげで今のお前がある。感情も記憶も、力も取り戻し。こうして、俺の前に立っている。なにが不満なんだ?」
だが。
バッ。
一歩。
主人公が踏み出しただけで、地面が鳴った。
「お前のために戻ったんじゃない。ただ……全てを思い出した今、ようやく自分の意志でここに立てる。その意味が……わかるか?」
次の瞬間。
主人公の目が、これまでとは違う確信を宿した光を放つ。
「感謝?冗談じゃない。この力も、記憶も……お前を殺すために戻ってきたとしか思えない。」
バチィッ。
空気が引き裂かれる。
王冠の男の笑みが、初めてほんのわずかに歪む。
(――これは)
(もう、かつての魔王ではない)
(自分の意志を持った、完全な存在だ)
この瞬間、
門の脇にあった魔界の空間が揺れ、
五本指の残りの者たちも、ゆっくりと動き出す。
「なら⋯⋯もう一度やってやるよ。お前の記憶なんて、また封じてやればいい、初めから、やり直せ」
そう呟いた王冠の男は、無音のまま主人公の背後瞬間移動し、立つ。
たくさんの殺意があるまま、静かに腕を振り上げ、主人公の記憶をまた消そうとした。だが。
ズッ⋯⋯。
その腕が、空中で止まった。
いや、落ちた。切断されたのだ。
「……は?」
驚愕の声を出す男の視界に映る。
主人公の背後。
そこには、あの折れたはずの妖刀。
今、鞘から黒い炎と紫電をまとい、禍々しくも凛とした光を放っていた。
ギィィン!!
という甲高い音と共に、抜刀と斬撃はまるで一動作のように繰り出されていた。
何も見えなかった。
彼の動きは、すでに意識より速かった。
「お前に……俺を語る資格なんてない」
主人公は、振り返りもせず、低くそう言った。
次の瞬間。
主人公の手が、まだ呆然としている王冠の男の首元に伸びた。
そしてゆっくりとその体を持ち上げる。
地面から、ほんの少し。
つま先が、わずかに宙を浮いた。
「……これで終わりだ」
視線が合った。
その一瞬、男の顔に初めて、恐れの色が浮かぶ。
次の瞬間。
バシュッ!!
主人公の放った片脚の蹴りが、男の顔面を直撃した。
音すら遅れて届くほどの音速の一撃。
王冠の男の頭部が砕け散り、
その体は力を失い、闇の中へと崩れ落ちた。
静寂が戻った。
轟音が、魔界の大地を揺らす。
四方八方から湧き続ける魔物たち。
地を這うもの、空を舞うもの、炎を吐くもの。
仲間たちはそれぞれの位置で限界まで抗っていたが。
それでも、数と質の両方がまずかった。
「くそっ、キリがねぇ……ッ!」
ギンの拳が巨体の魔物を貫く。だがそのすぐ横から、別の牙が襲う。
レオも、汗と血を混ぜながら吠えるように叫んでいた。
「あと何体いるんだよ!数、盛りすぎじゃねぇか……!」
その叫びが空へ吸い込まれていく中。
アイの身体が、大地を滑るように吹き飛ばされた。
「アイッ!!」
ザックが一瞬叫ぶも、届かない。
彼女は地面を何度も転がり、ぶつかり、
やがて、巨大な門の前まで転がり着いた。
荒く、乱れた呼吸。
ぼろぼろの衣服。
剣は手から離れ、力が入らない。
それでも、目だけは閉じない。
アイが見上げる先に立っていたのは主人公だった。
そして、その背中に、落ちた王冠と黒い炎の残り香があった。
主人公は振り返らない。
だが、気づいていた。
風に混じって届く、アイの気配に。
彼女もまた、それを感じ取る。
「……来たのか……」
目の前には、メタリックな巨大な門。
主人公のすぐそば。
黒く染まった地面。
空に浮かぶ、禍々しい裂け目。
だが、それでも。
「立たなきゃ……まだ、終わってない」
アイは血を吐きながら、地を這い、剣を探す。
遠く、ギンも、レオも、ザックももう限界に近い。
そして空には、あの五本指の残りが、じわじわと動き始めていた。
だが。
ここに、再び灯った火がある。
あの背中が、目の前にある限り、まだ、戦える。アイはそう信じていた。
アイが剣を握りしめ、地を這うように立ち上がろうとしたその時だった。
「……まだ、立てるかよ。お前、強すぎんだろ……」
聞き慣れた、軽口。
地を蹴って、レオが転がるようにして現れた。
髪はボロボロ、腕からは血が流れている。
だが、笑っていた。いつもの、馬鹿みたいな笑顔で。
「ったく……勝手に先行くなよ。置いてかれるの、嫌いなんだよ、俺は」
そのすぐ後ろから、巨体の影が地を踏みしめる。
「はあ……ほんと……やってらんねえ」
ギンが肩を引きずりながら現れた。
右腕は完全に上がらず、呼吸も荒い。それでも彼は、立っていた。
「やっと……追いついた。アイ。無事で……よかった」
最後に静かに歩みを進める影。
「全員、まだ生きてる……それだけで、奇跡だ」
サングラスの奥の瞳が、すっと揺れる。
ザックが、剣を杖のように突き立て、膝をつきながらアイの横へと並ぶ。
「……立てるなら、共に立て。ここが、最後の土壇場だ」
アイは一瞬、言葉を失った。
仲間たちのボロボロな姿が、焼きつくように目に映る。
(……ここに、戻ってきてくれた)
剣を握る手に、力が宿る。
4人が並び、門を背にして立つ。
その前方には、空に浮かぶ五本指の影たち。
地にはなお溢れ続ける魔物。
空気は張り詰め、遠くで雷鳴が響いた。
その中心で、主人公はまだ静かに立っていた。
仲間たちの声が、彼にも確かに届いている。
思い出の中で、燃え尽きずに残っている絆が、
静かに胸を揺らしていた。
「……これで、全員か」
ザックが静かに呟く。
その言葉に、アイもレオもギンも頷いた。
魔界の門の前。
歪んだ空の下、4人の仲間が背を並べて立つ。
彼らを正面に、主人公は静かに立ち尽くしていた。
風が吹き抜ける。
燃え盛る瘴気の海の中で、世界が一瞬だけ、静かになった。
主人公は、初めてゆっくりと、後ろを振り返った。
そこには、かつての仲間。
共に戦い、命を懸けてぶつかってきた者たちの姿。
傷だらけで、血を流し、ボロボロになりながらも自分のためにここまで来てくれた者たち。
「……なんで、だよ……」
その声は、小さく震えていた。
言葉にできない想いが胸に溢れていく。
(俺は……お前たちを、突き放してきたのに。信じることも、背中を預けることもできなかったのに……)
ギンの無骨な拳が。
レオの軽口が。
ザックの静かな背中が。
そしてアイの、あたたかな眼差しが。
すべてが、胸の奥で重なり、音を立てて崩れていく。
立ちすくむ彼に、そっと近づく足音。
気づいた時にはアイが彼を、そっと抱きしめていた。
「……おかえり」
耳元で、たった一言。
その瞬間、主人公の肩から力が抜けた。
「……俺は……魔王になって、全部……失くして……もう、戻れないって……ずっと、思ってたのに……」
「違う。私たちは、ずっと……あなたを探してた。ここまで来たのは、あなたを信じてたから」
アイの声が震える。
気づけば、2人の目からは、たくさんの涙が流れていた。
主人公の心の奥から、大きな音がした。
それは、心の中で、もう1人の魔王の自分が、崩れ落ちる音。
暗闇の中、玉座に座ったもう1人の自分が、ゆっくりと立ち上がる。
そして、自分自身に向けて、静かに頭を下げた。
「……ありがとう。もう、いいんだな」
次の瞬間、心の中の魔王は笑って、消えた。
現実に戻ると。
主人公の身体を覆っていた黒い紋様、角や爪、闇の鎧が、溶けるようにして崩れていった。
紫の炎も、黒き瘴気も、
ただ静かに霧となって消えていく。
彼の姿は、あの日のままの人間の姿へと戻っていく。
アイはそのまま彼を抱きしめ続けていた。
主人公も、そっとその腕を返す。
「……ありがとう。お前が……お前たちが、俺を……救ってくれた」
ギンが、レオが、ザックがそれを見守りながら、少しだけ微笑む。
目の前にはまだ五本指が立ちはだかっている。
だが、もう彼らは迷わない。
なぜなら、もう一度、仲間として、ここに集えたのだから。
魔界の空に、たくさんの裂け目が開き、そこから次々に人間界の兵士たちが降り立った。
機関銃を構えたSWAT部隊、
重装甲をまとった軍隊の先鋒部隊、爆撃ドローン、魔導科学による新兵器、そして世界各地の冒険者・傭兵・騎士団たちがそれぞれの武器を携えて、魔界へと侵入してきた。
彼らの眼差しは、1つだった。
「人類を守るため」
「仲間のため」
「この世界を終わらせないため」
巨大な闇の地平線の上に、
銃声、剣戟、叫び声、魔法の閃光が交差する。
魔界の大地が揺れた。
四方から現れる無数の魔族、悪魔、妖怪たち。
その数は、無限。魔王を倒すまで。
戦っても戦っても終わらない。
1体を倒せば、さらに10体。
強敵を倒せば、さらにその上が湧いてくる。
ギンが叫ぶ。
「くそっ……いくらでも湧いてきやがる!!」
レオが刀を構えながらも、口元だけ笑って言う。
「本物の地獄ってやつじゃねぇか。……面白くなってきたな!」
ザックは静かに仲間たちを背に立ち、
両手の剣を逆手に握って、前を見据える。
「来いよ、魔族ども……。こっちには、魂の重さがある。」
皆がそうつぶやき、門の前に立つ。
世界中から集まった仲間たちが、次々と魔界へ入り込み、数千、数万の軍勢が黒い空の下で戦いを繰り広げる中。
門の前に立つ、主人公・アイ・ザック・レオ・ギン。かつての仲間たちはボロボロになりながらも、なお剣を握る。
主人公が、重く閉ざされた巨大な扉へ手を伸ばそうとしたそのとき。
「……待て。」
その声と同時に、闇を裂いて現れた3つの影。
残りの五本指。真なる強敵たち。
「貴様らは、ここで終わる。秩序を乱した、罪の軍。」
「オオォオオオ!!食らい尽くしてやる!」
「来るぞ!構えろ!!」
主人公の叫びと同時に、全員が動いた。
【激戦、開幕】
まず飛び出したのはレオ。獣の魔族へ真っ向から突っ込む。
「俺の刀はな、勢いで当てるんだよッ!」
だがその巨大な体と圧倒的な筋力は、レオの一撃を紙のように弾いた。逆に吹き飛ばされ、地面を転がる。
「チッ……硬ぇな!」
一方でザックは天使の魔族と空中戦を展開。高速で動くその槍に、ザックの剣が何とか応じる。
「……美しい顔して容赦ねえな」
彼の剣が軌道を追うたび、空気が爆ぜ、羽根のような斬撃が飛ぶ。
地上ではギンが、拳の魔族と一騎打ち。
「来いよ、ぶっ壊してやる!」
拳と拳がぶつかり合う。一撃で地面にクレーターが生まれるほどの激しさ。だが、相手は一切ブレない。まるで鉄塊のような拳に、ギンの腕が裂ける。
「ッ……クソが、まだだッ!!」
【主人公、動く】
「……もう十分だ。ここで終わらせる。」
主人公は、今や禍々しさを失った、人間の姿。
だがその瞳には、すべてを超えた静かな決意が宿っていた。
手には、かつて折れた妖刀。
いまや真っ黒な炎と紫電に包まれたその刀を握る。
一瞬、すべてが静かになる。
そして。
「うおおおおおあああ!!」
地を蹴り、獣の魔族へと飛び込む。
その突進を受けた獣は、鼻を鳴らす。
「遅いッ!」
爪を振り上げた瞬間、その腕が……斬れていた。
「……え?」
目にも見えない斬撃。主人公の振るう刃が、闇とともに空間を裂いたのだ。
「今の俺には、先が見えてるんだよ」
そのまま獣の喉元を斬り抜け、空中へと吹き飛ばす。
すかさず、天使の魔族が槍を投げてくる。その軌道を、主人公は妖刀で正確に弾くと、空へ跳躍。
「見た目だけじゃ、天使にはなれないな」
斬り下ろした一撃が、羽根を引き裂き、金の槍すらも砕く。
だが拳の魔族だけは違った。
「無駄だ。」
一言、低く呟くと、地面を蹴った。拳が突き上げる。
主人公は、今度はその拳を真っ向から受け止めた。
地面が裂ける。空気が震える。
「っぐ……!!」
だが、主人公の足は止まらない。
「これは、全部背負ってきた力だッ!!」
振り下ろした斬撃が、拳を砕いた。
一瞬の沈黙。そして、赤と黒のマントを羽織る男に囁く。
「俺は前と違う。全員、終わりだ。」
その言葉とともに、残された3体の五本指は、地に伏す。
倒れた獣の魔族が、最後に言った。
「魔王……貴様は、もう……」
主人公はその目を閉じた。
「魔王じゃない。俺は⋯⋯俺自身だ」
勝利の余韻など、一瞬でかき消された。
ズゥン……ズゥン……ッ!
地鳴りのような重低音が響き始めたかと思えば、背後。門とは逆方向の闇の奥から、何かが歩いてくる。
空気が変わる。重力が増すかのように、肩が自然と下がる。呼吸が、苦しい。
「……何だ? この、圧……」
ギンが顔をしかめる。誰よりも肉体に敏感な彼でさえ、膝を折りかけた。
「まさか……あれが……」
ザックの手の剣が微かに震えている。
アイも一歩、主人公の背に隠れるように立った。
「来るぞ……」
主人公の声が、静かに響いた。
そして。
【本物の魔王】
暗闇を切り裂いて、1体の存在が姿を現した。
全身は岩のように隆起した筋肉で覆われ、肌は燃え上がるような深紅。
黒の王冠を歪んだまま頭に載せ、燃えるような金のマントを引きずっている。
目は深い闇に沈み、瞳孔の奥から紫の光が燃えている。
手足は太く、動くたびに大地が揺れる。
それは、かつての魔王などではない。もはや神罰のような存在だった。
「……誰が、魔王を殺していいと許した?」
その声は、雷鳴のように響き渡り、全軍が一瞬動きを止めた。
主人公が、目を細める。
「……お前が、魔王か」
「違う」
マッチョの魔王は笑った。
「俺こそが、始まりの魔王だ。お前など、ただの模倣に過ぎん。」
次の瞬間。
その巨体が地を蹴った。
速い!!
レオが咄嗟に叫んだ。
「やべえ来る!!下がれッ!!」
だが、間に合わなかった。
拳が主人公の正面へと振り下ろされる。
それはただの拳ではない。空間ごと叩き潰す一撃。
主人公は咄嗟に妖刀を横に構え、受け止める。
「ぐっ……!!」
衝撃で地面が崩れ、岩が砕け、仲間たちが吹き飛ばされる。
ギンが身体を張ってアイをかばい、ザックがレオを後方へ引きずる。
「クソッ……なんて力だ……!」
主人公は拳を止めている。止めているが、両足がズズッと地を削って下がっていく。
「これが……本物……!」
魔王の目が燃えるように光る。
「貴様に、何が守れる?」
その言葉とともに、魔王の筋肉がさらに膨張する。
拳が、次の動きに備え、熱を帯びている。
(これは、ただの力じゃない……破壊そのもの……)
主人公は妖刀を握り直す。
「なら見せてみろ。お前が始まりなら、俺は終わりを見せてやる」
そして。最終決戦が始まる。



