「五本指の1人を⋯⋯倒しに行くのか」
村長は少し驚いた顔で、俺を見た。
「そいつは、かつて魔王にすら背を向けた男だ。裏切り者として、魔族の中でも異質な存在。今はもう……どこにいるかすらわからん」

「探す。俺が、行くって決めたから」

はっきりと俺は言った。
旅の準備をして、村を出た。
山を越え、森を抜け、まだ地図にもはっきり載ってない荒野を越えて。
そのときだった。
「……久しぶり」

声がした。
少し高め。
振り返ると、そこにいたのは、あのとき門の前で会った魔王の子だった。

「お前……」
「お前があれと戦うっていうなら、僕も行くよ。放っとけない。……あいつを倒すのも、僕の役目だと思ってたから」

彼は俺を真っすぐ見て言った。
かつて都市を1つ、まるごと焼いた五本指の1人。
人間たちはまだ恐れていて、その街、カルナスは今も、炎に包まれていた。

俺たちは、その焼けた街へ向かった。
カルナス。高層ビルが立ち並ぶ、大きな都市だった。
だけど、今は。
建物は焼き焦げ、空は煙に染まっていた。
なのに、まだ消火作業は続いていて、火は消えず、街はまるで地獄みたいだった。
「この一番高いビルの、最上階に居る……あいつが」
魔王の子がそう言った。
その瞬間、風が吹いた。
熱風。何かを意味するような風だった。
俺たちは、崩れかけた非常階段を登った。
途中で何度も崩れた足場に足を取られながら、ようやく最上階へ。
そして、そこにいた。

マントの男。
赤と黒のマントをゆっくりとはためかせ、ガラスの向こうに立っていた。
ビルの最上階。地上100メートルを超えるその場所で、俺たちを待っていた。

「……来たか。魔王の器よ」

「お前……」

「覚えていないだろう。いや、覚えてるはずがない。でも、体は覚えてる。お前は……俺の主だった」
「なに……?」
その瞬間、マントの男が動いた。
速い。
見えないくらい速い。
「っ!!」

俺は体を横に滑らせた。ギリギリで、拳がガラスを砕いた。
衝撃で足が滑る。

次の瞬間、背中を蹴られた。

「ぐっ……!」

体ごと、割れた窓から、外へ、落下した。
地面が迫ってくる。
死ぬ⋯⋯。
でも、俺の中で何かがぶちっと音を立てた。
目の奥が熱い。
力が、俺の全身に走る。
「うおおおっ!!」

俺の背中から、黒いオーラが爆発した。
地面に激突する寸前、力が俺を包んだ。
そして、土煙の中から、俺は立っていた。

「……死んだと思ったかよ」

上を見上げる。まだあの男は、最上階に立ってる。
「まだ……終わってねぇぞ!!」

俺はビルの壁を駆け上がった。
信じられないほどの速さで。まるで、さっきまでの俺じゃないみたいに。
途中で何度も破片が飛び交い、空気が歪んだ。
でも、見える。読める。
あいつの動きが。

屋上に戻ると、マントの男がこちらを向いた。
「少しだけ、戻ってきたようだな。王の力が」

「王?そんなもん、知らねぇよ。ただの俺だよ」

「だがそれでいい。貴様には、そのまま目覚めてもらわねば困る。俺の主として」

「……その主を、殺しに来たんじゃなかったのか?」

「殺すさ。今のお前をな」
その瞬間、衝突した。
拳と刀。
衝撃が街全体に響いた。
ビルの屋上が割れ、空気が爆ぜる。
何十回も殴り合い、斬り、すれ違い、超スピードで動き回った。
だけど、途中で。
「止まって!!」
魔王の子の声が響いた。
その声に、不思議と相手もが動きを止めた。

「今は……まだ、時じゃない」
風が止まり、瓦礫が落ちる音だけが響く。
マントの男は、ふっと姿を消した。

深呼吸した俺が仔の方を向いた瞬間、背後に気配を感じた。
振り返る間もなく、鋭い衝撃が腹を貫いた。

「くっ……!」

思わず息を詰めたが、すぐに反撃に出る。
その魔族は腕が異様に長く、手のひらから鋭い刃のようなものを繰り出してくる。普通の奴らとは違った、巧妙で速い攻撃だ。
俺は両手でその腕を掴み、力いっぱい引きはがす。だが、奴はすぐに腕を引っ込めて姿を消そうとした。

「次はないぞ」

そう警告すると、魔族は諦めたように後退していった。
仔が慌てて駆け寄る。
「大丈夫?」

俺は顔をしかめながら答えた。
「まだ動ける。だけどマジで油断だけはできねぇな」


村に戻る道は、いつもよりずっと長く感じた。
腹の痛みはじわじわと広がっているけど、歩けないほどじゃない。俺は足を引きずりながら、なんとか村の入り口までたどり着いた。
「やっと帰ってきたか!」
村人の1人が声をかけてきて、みんなが心配そうに集まってくる。

「こいつ、やられちまったんだ」
仔が俺の腕を支えながら説明する。
すぐに村長が駆け寄り、治療の準備を始めた。村の薬師もやってきて、傷口を丁寧に洗い、薬を塗る。
俺は痛みに顔をしかめたけど、治療を受けるしかなかった。
「よく耐えたな」
村長が静かに言った。
俺はうなずいた。
「まだ終わってねぇ。あいつら、もっと強い奴もいる。俺たちは、もっと準備しないと」
仔も俺の言葉に頷いた。
「でも、まずはここで休むしかない。体が資本だからな」

村人たちが交代で見張りを立ててくれたおかげで、俺は安心して眠りについた。次に来る戦いに備えて、俺は力を蓄えなきゃいけない。


翌朝、俺は村の広場で体を伸ばしていた。まだ傷は痛むけど、昨日よりはだいぶ良くなってきてる。そんな時、青い二刀流の刀を背負った女の子がゆっくり近づいてきた。

「やあ、君は…?」
俺が声をかけると、彼女は少し照れたように笑った。

「はじめまして。私はアイ。元は魔族だったけど、今は人間に戻っている。」
俺は目を見開いた。

「元魔族で人間に戻った?そんなことできるのか?」
「うん。理由はまあ、あるけど、今は薬を作ったり、治療したりしてるの。」

彼女は軽く手を振って、青い刀を見せた。
「これが私の武器。二刀流で戦うよ。」

俺は自然と背筋が伸びた。
「頼もしいな。俺は…⋯」

自己紹介をして、俺たちは少しずつ話し始めた。彼女は再生能力が少しあるらしく、俺の傷の治療も手伝ってくれるらしい。

「この村にも、まだまだ危険があるみたいだ。君がいてくれたら心強いよ。」
アイは静かに頷いた。

「これからよろしくね。」
俺はそう答えた。



空気はまだ冷たい。だが俺とアイは村を出発した。アイは青い二刀流の刀を背負い、俺は傷を気にしながらも足を動かす。目指すのは、昔魔族に襲われたけど、今は平和を取り戻したという遺跡の町。

村を離れてしばらく歩くと、だんだん景色が変わってきた。緑の森は薄くなり、ところどころに古びた石の柱や壊れた壁がある。空には小さな鳥たちが飛び交っている。遺跡の気配は、ただの廃墟じゃなくて、かつてここに人が暮らし、そして戦いがあった証だった。

「ここがその遺跡の町か」
俺がそう言うと、アイが頷いた。
「うん。昔は魔族が攻めてきて、すごい戦争になったらしい。でも今は普通に過ごしてる。ほら、あそこに家がある。」
目を凝らすと、石造りの遺跡の間に新しい家や小さな市場が見えた。生活の音が遠くから聞こえてくる。笑い声や、誰かが子どもに話しかける声も。

「不思議だな…かつての戦場だった場所に、今は普通の町があるなんて。」

「そう。昔はここが人と魔族の最前線だった。でも今は、この場所で両者が手を取り合って暮らしている。奇跡みたいな話だけど、俺たちの世界はそんな風にも変わるんだよ。」

アイの声は落ち着いていて、でもどこか切なさも混ざっていた。
俺たちは遺跡の入り口に近づく。そこには大きな石の門があって、文字が刻まれているが、もう薄れて読みづらい。

「これは…古代文字かな?」
俺が指でなぞると、少しザラザラした感触が手に伝わった。

「うん。この文字は昔の王国のもの。ここはかつて、人と魔族が最後に戦った場所として知られてる。遺跡の底には、今も秘密が眠っているって話だ。」

アイが目を輝かせながら言う。

俺は門をくぐり、遺跡の中へ足を踏み入れた。そこは薄暗く、壁にはところどころ苔が生えている。天井は高く、遠くで水の滴る音が響いた。足元は石畳だが、いくつかはひび割れ、崩れかけていた。

「この場所の空気、なんだか昔に戻ったみたいだ。」

俺がそうつぶやくと、アイは頷いた。

「そうかもしれないね。ここで、過去の出来事が今も生きてるんだ。」

歩きながら俺は、ふと思った。俺がここに来た本当の理由。あの謎の島、魔界、魔王のこと。俺の記憶の奥に隠された、まだ知らない真実。
遺跡の奥へと進むと、壁には当時の戦いを描いた絵があった。人間の兵士と魔族が剣を交えて戦う姿。その中心には、大きな影が立っていた。まるで魔王のような威圧感を放っている。

「これが…昔の戦いの記録か。」

アイが静かに話す。
「俺は、なぜこんな場所に来たんだろう。何を探しているんだ?」
心の中で問いかける。答えはすぐには出ない。でも確かに、何か大切なものを探している気がする。
「君はどう思う?」

アイが俺の顔を見て言った。

「俺?正直、まだよくわからない。でも、この遺跡にはきっと、俺の過去と未来が繋がってる気がする。」
「その気持ち、大切にして。」

彼女の言葉に、俺は少し勇気をもらった。
遺跡の底には、さらに深い階段が続いている。そこに行けば、もっとたくさんの秘密が待っているのかもしれない。
俺は深呼吸して、ゆっくりと階段を降りていった。
降りていた足が止まる。
突如響いた悲鳴と、爆音。そして、空間が歪んだかと思えば、遺跡の中央広場に闇の門が開いた。

「……あれは……」

俺は息を呑んだ。
薄れた光の向こう側から、5つの影がゆっくりと姿を現す。
それぞれの気配が、明らかに只者じゃない。
1人目。
全身が真っ黒な霧に包まれたような男。輪郭が曖昧で、視界から時折消える。

2人目。
赤と黒のマントをまとった、あの男。拳を強く握っている。

3人目。
金色の長槍を軽々と片手で持ち、背には大きな白い羽根。魔族なのに格好は天使。どこか誇り高そうな目をしている。

4人目。
獣のような姿。鋭く伸びた爪、金のトゲが腕に走り、四足で唸る姿は、まるで狼そのもの。

そして5人目。
黒い王冠をかぶり、黒のローブを纏った、赤い瞳の男。中心に立ち、どこか冷静な顔でこちらを見下ろしている。

「やば……本物だ」
横で、アイが、小さく呟いた。
一瞬の沈黙のあと、真っ黒な男が、音もなく目の前に現れた。

「来るぞ!」

俺の叫びと同時に、黒い拳が振るわれる。かろうじて剣で受け止めた瞬間、足元の石畳が砕けた。

「っぐ……重い!」

アイが横から斬りかかるが、男は霧のようにすり抜ける。攻撃が通らない。

「物理が効かないのか……」

その隙に、マントの男が地面を殴り、衝撃で広場の塀が崩れる。跳んでかわすと、次は上空から金色の槍が迫った。

「空!アイ、上!」
アイが即座に退き、空中で刃をクロスに構えて槍を受ける。金色の男の翼が広がり、また高度を上げた。

「3人同時って……!」

さらに背後から、獣が駆ける音。ガァッ! と金のトゲが地面を割り、俺のすぐ横の地面にヒビを入れた。
「四つん這いのやつ、早すぎる!」
剣を抜き、反撃の一撃を叩き込もうとするも、狼の遠吠えが耳を貫く。
「……ッ!!」
耳がキィィンと鳴った。目には見えない衝撃。次の瞬間、周囲の闇から無数の小型の魔族たちが現れる。
「雑魚まで……!」
「そっちは私が!」
アイが二刀を振るい、雑魚を一掃していく。体術に優れた彼女は、無駄のない動きでどんどん倒していく。
俺は再び黒い霧の男に挑み、手応えのない体をかき分けながら、ほんのわずかな核心部を狙う。

「……どこか、実体があるはずだ……!」

ふと、槍の男が急降下してくる。アイが間に入り、刀で斬り返すも、その重さで吹き飛ばされた。

「アイ!」

すぐに飛び込むが、今度はマントの男が拳でこちらを狙う。寸前で回避したが、拳が遺跡の柱を粉砕し、上部が崩れ落ちてきた。

「くそっ、周りが……!」

崩れた石に潰されていく人々の悲鳴。
街の再建のためにこの遺跡に集っていた人たちだ。
俺は奥歯を噛みしめる。

「……守る。絶対に」

そのときだった。
中央にいた王冠の男が、ふと片手を上げた。まるで遊びは終わりだと告げるように。
黒い男が消え、槍の男が距離を取る。狼のような男が一歩退いた。
空気が張り詰めた。
そして。
王冠の男が、ゆっくりと歩き始めた。
その視線が、俺たちをまっすぐに貫いていた。

「来る……!」

次の瞬間、広場全体に黒い稲妻が走った。

「これは……!」

意識が一瞬、遠のいた。
地面が大きく揺れ、建物の一部が崩壊し始める。
「……これじゃ、持たない……!」
アイも息を切らしていた。二刀の片方は欠け、服には焼けた痕が残っていた。

「退くしか……ないよ、今は」
「でも……ここを渡したら……」
「違う。生きて戻らなきゃ、何も守れない!」

アイのその一言で、俺はふっと正気を取り戻した。
「……分かった。次は、俺たちがあいつらに一矢報いる番だ」

2人で後方に飛び退き、仲間たちと共に撤退を始める。
王冠の男は追わなかった。ただ、こちらを見ていた。
まるで。
「まだ、戦いは始まったばかりだって言ってるみたいだな……」
そう呟いた俺の胸の奥に、熱いものが湧き上がっていた。


作戦会議。
空気は重かった。
さっきまでの戦闘で多くの人が倒れ、遺跡は崩れかけている。
だが、まだ奴らはそこにいる。あの5人組。しかも、門は完全に開ききっていない。つまり、完全に来てしまったわけじゃない。

「今、戻ればまだ……!」
アイが、青い刀を背負いながら言った。声が強かった。

「アイ、お前……本当に行く気か」
「行くよ。だって、あれが完全に広がったら、この世界終わるんだよ」

……そうだ。
今止めなきゃ、もう止まらない。誰かが行かなきゃ。
「よし、俺も行く。すぐに戻るぞ!」

仲間たちも次々と立ち上がる。決意が全員の顔に浮かんでいた。
そして再び、遺跡へ。


戻ったとき、遺跡はもはや瓦礫の山だった。
柱は崩れ、足場も不安定で、地面のあちこちから煙が立ちのぼっている。

「……こんな……」

アイが小さく呟いたそのときだった。
ぐらりと視界が揺れた。

「っ……ああ……!」

俺の頭に、強烈な痛みが走る。
額を押さえ、蹲った瞬間、意識の奥底から何かが浮かび上がってきた。

……玉座。
高くそびえる黒の城。その上に座る、自分。
眼下の球体には、この遺跡がはっきりと写っている。
何の躊躇いもなく、俺は命令を下していた。
『――焼き尽くせ』
……あれは俺か?
記憶の断片が現実と重なる。
この遺跡を、俺はかつて滅ぼした。今、もう一度、その痕跡を、目の前で見ている。

「……思い出したんだね」

アイが言った。驚いた様子はない。
俺の中の何かに、最初から気づいていたかのように。

「でも、それでも、行こう。私たちが今、あいつらを止めるしかないんだから」

アイの言葉が胸に刺さった。
俺は深く息を吸い、剣を握り直す。

「うぉぉぉ!!」

俺が先陣を切り、叫びながら崩れかけた遺跡を駆ける。
その後ろに、アイと仲間たちが続く。

バチッ!

空間が破裂するかのような音とともに、黒い稲妻が走る。
そして目の前に、現れた。
王冠の男。
黒いローブの端がふわりと揺れ、冷たい赤い目が俺を射抜いた。
その瞬間。
ドンッ!!
「がっ……!」
自分の首が締められる感覚。
気づけば、目の前にいて、音すらない速さで、俺の首をその手で掴んでいた。

「っぐ……は……!」
「下がれっ!!!」
アイの叫びも、もう遠くに聞こえる。
俺の身体は地面から浮いていた。呼吸ができない。視界がぶれ、頭の中が真っ白になっていく。

ガシャァン!!

次の瞬間、俺の身体は石壁に向かって叩きつけられた。
衝撃で息が漏れ、手足の感覚が一瞬消える。
「やめろぉぉ!!」
アイが突っ込もうとするが、黒い魔力の壁が彼女を弾く。

王冠の男の手が、淡く光る。
すると、俺の身体もその光に包まれ。

「っ……!?」

ズ―――ン。
周囲が暗くなる。
黒い光とともに、俺と奴の姿は、そこから消えた。
……残されたのは、崩壊寸前の遺跡、そして茫然と立ち尽くす仲間たち、そして残り4人になった、五本指の姿だけだった。



空が広い。
夜空一面に、星が輝いていた。
どこか懐かしくも、寒気もするような場所。
俺は、巨大な谷の中に立っていた。両端には山がそびえ、崖から崖までが闇に覆われている。
谷の中心には、黒く輝く玉座。
そこにいた。

玉座に座る俺。
だけど、あれはもう、俺じゃない。
同じ顔、同じ体格。でも目は濁りきった赤。
全身から漆黒の炎が立ち上がり、左手に握られていたのは、俺の持っている妖刀と同じ形の刀。
だが、あれは真っ黒な炎と紫電を纏っていた。

「……お前は……」

俺が声をかけた瞬間、玉座の俺が、すっと立ち上がった。
マントを揺らしながら、ゆっくりと階段を降りてくる。
「お前?違うな。俺は本当のお前だよ」

静かな声だった。けど、その声の中に、底のない深さがあった。

「思い出せ、ここでお前は命令した。この谷を燃やし尽くした。人間も、魔族も、すべてを灰に変えたんだ」

……違う。そんなはず、ない。
でも、心の奥のどこかが、それを知ってると言っている。

「なに怯えてる。来いよ。俺。お前の剣、もう腐りかけてんぞ?」

ギィン!!

言い終わると同時に、真っ黒な妖刀が振り下ろされてきた。
本能で飛びのいた俺の足元、地面が一瞬で抉られる。

「……はぁっ!」

俺も構える。自分の妖刀を抜き、勢いのまま斬りかかる。
ガァァン!!

剣と剣がぶつかった瞬間、風が爆発した。
衝撃で崖の岩肌が砕け、星空が揺れるように見えた。
その俺漆黒の姿は、まったくブレず、むしろ笑っていた。

「それで本気か?」

次の瞬間、奴の動きが消えた。
完全に見えなかった。
直後、背後から突風が。

「ッ!!」

横跳びでかわすと同時に、真横の岩壁が抉られる。
まるで雷と炎の竜巻が突っ込んだみたいに、辺りが焼け焦げる。

「ほら、もっとこいよ?」

奴は余裕そのものだった。

「ふざけんなあああ!!」

俺は気合いとともに、前へ跳び込む。斬りつけ、突き、すべての力をぶつける。
だが。
カン!カン!カン!
全てが受けられる。
しかも、たまに小さくカウンターで刺すように撃たれる。重く鋭い攻撃。
そして。

「終わりだよ」
もう1人の俺が、そう言って刀を構えた。

ブワァアア!!

黒炎が爆発する。
その一撃は避けられなかった。

ドオォォォォン!!

俺の身体は吹き飛ばされ、ガラスのような結晶でできた壁面に叩きつけられる。
その瞬間、一帯のガラスが一気に砕け、まるで空間が壊れたかのような音が響く。

バキィィン!!
……痛みは、感じなかった。
ただ、手が震えて、足が動かない。

視界の向こう、立っているのは俺じゃない俺。
……そして、俺は、ふと自分の手を見た。
指先が黒い。
皮膚はヒビ割れ、魔族の紋章のような模様が浮かび上がっていた。
腕を伝って、肩、そして胸まで、俺の身体はゆっくりと、魔王のそれに戻りつつあった。

「……ああ……っ」

鏡に映る自分が、もう自分に見えなかった。

「お前は、戻るしかないんだよ」

俺が、玉座のほうへゆっくりと歩き出す。

「さあ……こっちへ来い。本当のお前」
俺の中で、何かが、揺れた。
空気は熱を帯び、目の前のもう1人の俺が、玉座に腰を下ろしたまま立ち上がる。

真っ黒な妖刀が、光を裂くように火花を散らした。

俺は息を荒げながら、足を前に出す。膝が震えてる。全身、もう限界なのは分かってる。
けど、負けられねぇ。
このまま、全部を奪われてたまるか。

「はああああッ!!」

俺は声を張り上げ、残った全ての力を込めて、斬りかかった。
空間が歪む。星が揺れる。
もう1人の俺が、口元をわずかに緩め、剣を横に払った。

ガキィィィン!!!!

衝撃で身体が空中に浮いた。
次の瞬間、俺の手にあった妖刀が悲鳴のような音を立てて、折れた。

「っ!?!?」

刃が砕け、光の粒になって散っていく。
その破片が頬を切った。痛みよりも、心が凍った。

「終わりだ」

もう1人の俺が、低く冷たい声で言った。
俺はその声に、力を奪われるように膝をついた。
地面が揺れた。
そいつの手が、まっすぐ俺の胸に向かって伸びてきた。
黒い光と雷のようなエネルギーが渦を巻いて、吸い込むように包み込んできた。

「う、ああ……っ!!」
身体が、引き裂かれるような苦しみに襲われる。

魂ごと、飲み込まれていく。
いや、同化されていく。

視界が、ぼやける。
遠くで誰かが叫んでいる気がした。

(……誰だ? ……アイ? いや……わかんねぇ)

すべての感覚が、遠ざかっていく。
心の中で、自分の声が消えていった。

「これが、本当の……俺なのか……?」
その瞬間俺は、完全に、吸収された。