「教育実習生を紹介します」

「「「「「ほぅ……」」」」」

 教室は、生徒たちのうっとりした吐息に包まれた。
 私が通う県立■■高校は公立には珍しい女子高だから、ここにいる生徒は当然、全員女子だ。

「三日月エルさんです」

 教師の紹介に応える形で、教育実習生の青年がニコリと微笑んだ。

「三日月エルです。イギリス人の母と日本人の父のハーフです。みんな、よろしくね」

「「「「「きゃ~~~~!」」」」」

 女子高生たちの黄色い声。
 かく言う私も、周りの子たちと一緒になってきゃいきゃい騒いでいる。
 だって、その教育実習生が絶世の美青年だったんだもの!

 絵画から飛び出してきたかのような銀髪碧眼。
 ショートの髪はサラサラで、まつ毛がえぐいほどに長い。
 身長は180cmよりちょっと高いくらいか。
 すらりとした細マッチョな体に、教員らしい白のワイシャツと黒のスラックス。
 そしてアクセントとばかりに薄っすらと(あお)みがかったグレーのカーディガン。先生の目と同じ色だ。
 カーディガンはやや袖が長く、隠れがちな手からはほっそりとしなやかな指が伸びている。
 抜けるように白い肌、萌え袖気味な袖口からこぼれる手の甲の、血管。
 1本、2本……はっ、いかんいかん。
 思わず血管の数を数えてた。そのくらい。三日月エル先生のことを必死になって凝視してた。

 その日から、英語が私の大好きな科目になった。
 三日月先生が担当してくれるからである。
 先生の美貌といったらまさに殺人級で、先生がうっかりはにかみ笑いをした日には、卒倒者が相次ぐほどだった。

 美貌だけに飽き足らず、三日月先生は文武両道だった。

「せんせー、教えて~」
「私にも私にも。ここ分かんな~い」

休み時間になると、クラスの女子たちがハイエナのように三日月先生に群がる。
 英語に数学、現国、世界史――多岐に渡る教科を、

「はいはい、並んで並んで。
 ここの文法は~、
 三角比を思い出してごらん、tanθは何だったかな~、
 ここは作者の気持ちになって考えるんじゃなくて、出題者の気持ちになるといいですよ~、
 フランス近現代史は振り子をイメージするんです。右・絶対王政、左・ブルジョワ革命、右・ブルジョワの腐敗を嫌ったナポレオン勢力による軍事革命、左・ナポレオン帝国崩壊と第二共和政発足、といったふうに」

 三日月先生が、聖徳太子みたいに見事にさばく。
 数日も経つころにはウワサが全校に及び、休み時間は三日月先生のファンで教室がごった返すようになった。

 先生は文だけでなく、武も素晴らしい。
 例えばバスケコートの端から敵ゴールにボールを放り込んでみたり、
 剣道部主将を、目にも留まらぬ居合抜きで瞬殺してみたり、
 垂直飛びで100cm超えを果たし、バレー部に『入部してくれ』と泣きつかれてみたり。

 さらにさらに、三日月先生には、『某国家的重工業社の社長令息』とのウワサもあるのだ。
 あの、国産戦車とかジェット機とか原子力・火力発電機なんかを開発製造している、誰もが名前を聞いたことのある大・大・大企業だ。

 パーフェクトだ!
 この魚、何としてもつかまなければ!

 というわけで、私は『暴挙』に出ることにした。




   ◆   ◇   ◆   ◇




「おはようございます、先生。ちょっといいですか?」

 朝一。
 早めに登校してきた私は、職員室手前の曲がり角で三日月先生を待ち伏せしていた。

「え? はい。キミは確か、クラスの四季神(しきじん)さんでしたね」

 三日月先生が、ニコリと微笑む。嫌味のない、実に爽やかな笑顔だ。
 私もまた、できるだけ自然に微笑む。媚び過ぎず、と同時にしっかりと好意を伝える笑みを。

「どうかしましたか?」

「あのっ」

 上目遣い、と言えるかどうかの分水嶺。
 差し出したるは小型1段の弁当箱だ。

「作りすぎてしまって。先生、いつも菓子パンばかりでしたから。もしご迷惑でなければ、ですが……」

 ここが肝心だ。
 ここでミスれば、ハイエナ女子たちのお弁当攻撃の中に、私のお弁当は沈む。
 だからなんとしても、受け取らせなければならなかった。

『作りすぎてしまって』は見え透いたウソ。
 だが弁当を1段にして、あえて主食をおにぎり1つに絞ることで、『本当に作りすぎただけだったんですからね!?』という恥じらい、遠慮を演出する。
 三日月先生が少食らしきことも考慮している。
 日ごろ少食な人にがっつり弁当を渡しても、普通に迷惑だろうから。

 また、日ごろの信頼関係も重要だ。
 私はクラス委員長であり、優等生キャラで売っている。
 その甲斐あって、この数日、三日月先生に校内を案内したり、三日月先生のサポートをしたりという機会を仰せつかっている。
 その私が――先生を支える仕事の一環として――ささやかながら先生の健康を心配する、というのはこう、なんとも言えずいじらしいのではないだろうか?
 少なくとも、私が男ならグッとくる。はず。たぶん。きっと。

 果たして――

「わぁ、ありがとうございます!」

 三日月先生が、私のお弁当を受け取ってくれた!
 内心、ガッツポーズの私。

「嬉しいです!」

「食べた後、洗ってお返ししますね」

「あ、いえ」

 慌てた様子、遠慮がちな様子を演出する。

「放課後、お弁当箱を受け取りに伺いますので! 洗ったりなんてしなくていいですから。それだとかえって先生のご迷惑になってしまいます。あくまで私が好きでやっていることですから!」

 必要事項をぎゅっと圧縮して言い残し、私は足早に去る。
 他の生徒たちが近づいてくる気配を、常時全周囲に展開している(さかい)様直伝索敵巫術が感知したからだ。




   ◆   ◇   ◆   ◇




 1週間後の朝。

「はぁ、はぁ、はぁ……四季神さん、今日のお弁当は」

 私がいつものように職員室前に向かうと、三日月先生が待ち構えていた。目が血走っている。

「ごめんなさい、先生」

 私は頭を下げる。

「今日は作りすぎなかったものですから」

「そんな!」

 よほど衝撃的だったのか、三日月先生はへなへなと座り込んでしまった。
 よしよし、効いてる効いてる。
 先生はもはや、私の手料理無しでは生きられない体になりつつある。

「でも、もしよければ」

 ここで私は、この1週間温め続けてきた『とっておきの一言』を口にする。

「今日の放課後、お伺いして作って差し上げましょうか?」

 笑顔になった三日月先生が口を開きかけ、ぴたりと停止する。
『四季神(いつつ)の手料理が食べたい欲』と『女生徒を自宅に連れ込むのはいかがなものかという理性』がバチバチとやり合っている様子で、うんうんと悩むことしばし。

「た、頼めますか……?」

「喜んで」

 勝った。

「何が食べたいですか? お弁当を持ってこなかったお詫びに、ワガママ、何でも聞いて差し上げますよ」