四季神(しきじん)(いつつ)、俺と結婚してくれ!」

「なっ、なっ、なっ…………」

 翌日の放課後。
 私の通う一般高校の門で出待ちしている仮面男を前にして、私は開いた口が塞がらない。
 阿ノ九多羅(あのくたら)ミカは、ご丁寧に巨大なバラの花束まで用意している。

「何考えてるんですか!? だいたい、私はまだ16です!」

「そ、そうだったな。では伍、俺と婚約してくれ!」

 あっという間に野次馬たちが集まってくる。

「なになに、何が起こってるの?」
「結婚とかって聞こえたぞ」
「うおっ、何だあのキツネのお面」
「四季神さんがあのキツネに求婚されたみたい」

 だぁあああもぅ!
 私は平穏無事に過ごしたいだけなのに、めちゃくちゃ目立ってしまってるじゃない!

「こらっ!」

 私はキツネのお面を思いっきり殴りつけてから、

「こっち来なさい!」

 阿ノ九多羅ミカを、ひと気のないところまで引っ張る。

「俺の求婚を受け入れる気になってくれたんだな!?」

「なんでそうなるのよ! いい? 私は悪目立ちしたくないの。高校には二度と来ないでちょうだい。次また同じようなことをしたら、燃やすわよ!」

「わ、分かったよ」




   ◆   ◇   ◆   ◇




 さらにその翌日、

「俺と結婚してくれ!」

 学校から帰宅すると、家にキツネ仮面がいた。

「なんでいるのよ!? アンタ、バカなの!?」

「学校ではないだろう?」

「なんてひどい屁理屈!」

 私は頭を抱える。

「な、な、な……伍、お前、ご当主様になんて口の利き方を!」

 応対していた父が真っ青になって、

「伍、謝りなさい!」

「いや、いい。伍からの罵倒はむしろご褒美だ」

「ひぃっ、気持ち悪い」

 心底気持ち悪いと感じる私と、首をひねる父。

「阿ノ九多羅様、恐れながら、やはりお勘違いなのでは? 伍はこのとおり礼儀知らずで無能な娘です。四季神家に生まれたのが不思議なくらいで」

「いいや、勘違いではない。俺は伍が良いんだ」

 にじり寄ってきて、私の手を握る阿ノ九多羅ミカ。

「気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い! 触らないで!」

「伍、阿ノ九多羅様に失礼だぞ! だいたい、なぜお前のような落ちこぼれが――」

 阿ノ九多羅ミカからどす黒い霊圧が漏れ出す。
 父が慌てて訂正する。

「じゃなかった! 愛する娘よ、阿ノ九多羅様にきちんとご挨拶なさい」

「イヤです」

「なっ!?」

(いつつ)。五女だから伍。名前ですらないナンバリング。このとおり人間扱いされていない私が、人間としての振舞いを知っているわけがないでしょう?」

「なぜだ」

 阿ノ九多羅ミカが必死に言う。

「お前の実力なら、この者たちを見返すことなど容易――」

 私はギロリと阿ノ九多羅ミカを睨みつける。

「何か仰いまして? 燃やされたいのですか?」

「な、何でもない」




   ●   ○   ●   ○




「なぜだ!? なぜだなぜだなぜだ!?」

 神戸六甲山系の中核を成す摩耶山。その麓にある広大な屋敷・阿ノ九多羅邸の書斎で、阿ノ九多羅ミカは頭を掻きむしる。

「なぜあの娘は乗ってこない!? この俺との婚姻だぞ? 女性退魔師にとって最上級の名誉のはずだ。退魔家の娘なら、もろ手を挙げて賛成するはずだ」

 少なくとも、ミカの常識ではそうだった。
 幼少期から縁談が絶えず、学校では毎日何人もの女子から求婚され、ひとたびパーティーに出席すれば四方八方を下は5歳、上は30歳の女性たちに囲まれ一歩も動けなくなる始末。
 あの四季神伍に言われたとおり、キツネの仮面で顔を隠しているにもかかわらず、だ。

(そう。女というのは、そういうものだ)

 ミカにとって女性とは、阿ノ九多羅家に取り入りたくて仕方がない醜い生き物だった。
 ミカ自身の顔も性格も努力も関係ない、『阿ノ九多羅家の長男である』というただその1点においてミカに100点満点を押しつけてくる存在。
 彼らはミカと結婚したいのではなく、阿ノ九多羅家が持つ権力や金と結婚したいのだ。
 それが、ミカにとっての女性だった。

(それが、どうして?)

 塩である。からっからの塩対応。
 それがミカにとっては妙に新鮮で、伍の罵倒が一周回って心地良かった。

(欲しくなってしまったな。あの力だけでなく、顔も、体も、心も)

 これは、何と名づけるべき感情なのだろうか。
 恋愛経験ゼロのミカにはよく分からなかった。
 ただ、胸の中がチリチリ、じんわりと熱を帯びている。

「秘書長、四季神伍の調査を強化してくれ。アイツの趣味趣向を丸裸にするんだ」

「ご当主様――いえ、ミカ。それは悪手だと思うわ」

「秘書長――いや、ヴェル姉さん。それはどういうこと?」

 ミカの背後に侍る長身の黒服女性が、ミカにたいしてタメ口を利いてきた。
 あり得ないはずの光景だが、この2人に限ってはよくある光景だ。

 銀髪碧眼のこの姉は、阿ノ九多羅家の三女ヴェロニカ。
 ミカの、2歳上の姉だ。
 阿ノ九多羅家の前当主だったが霊力が弱く、アヤカシとの戦闘に耐えられなかったため、ミカが当主の座を継ぐと同時に引退し、秘書(非戦闘員)になった。
 そのヴェル姉がタメ口になった。
 それはつまり、部下としてではなく姉として、そして前当主としてミカに助言があるということだ。

「ちょっと調べてみたのだけど……あの子、幼少期からかなり過酷な虐待を受けてるみたい。それも、肉親全員から」

「…………。まぁ、(いつつ)なんていう名前未満の名前を与えられているくらいだからな。犬猫と同等かそれ以下の扱いを受けていたとしても驚かないさ」

「あの子にも、肉親に振り向いてもらいたい、認めてもらいたい、という思いはあったのかもしれない。けれど今もそう思い続けているとしたら、力に目覚めたことを隠しとおしていることに説明がつかない」

「ふむ」

「あの子、きっともう、四季神家にも退魔業界にも、見切りを付けちゃったんじゃないかしら」

「と言うと?」

「ほら、アナタ自身が言ってたことじゃない。『最近の子ってそうなのか?』って。国民を守るのが義務であり名誉。立身出世こそが生きる目的。優秀な男児を生んでこそ退魔家の娘――そういう旧態依然とした価値観は、あの子には通用しないってこと。一般の高校に通っていることといい、あの言動といい、あの子にとって四季神家の生まれも阿ノ九多羅家当主からの求婚も重荷でしかないのよ」

「日本一の退魔家当主からの求婚が重荷、か」

「人の価値観はそれぞれってことね。で、どうする?」

「どうするって?」

「諦めて別の女の子を探すかって話」

「あり得ない!」

 ミカは姉の提案を一蹴する。

「あれほどの逸材、もう二度と見つけられないかもしれないんだ。俺はハタチで、親族たちからの『結婚はまだか』という圧力が限界に達しつつある」

 何しろ阿ノ九多羅家のジジババたちは、阿ノ九多羅家の全盛期を知っている。
 8年前の、ミカの姉・神童マリアと、世界最強退魔師である叔父がいた時代を。
 もっと言えば、明治大正期にかけての、アヤカシが跳梁跋扈していた時代をけん引し、日本の守護者とすら呼ばれていた時代を知っている。
 あの時代を知るジジババたちからすれば、アヤカシの存在が世間一般から秘匿され、大幅に弱体化した現代における阿ノ九多羅家の名声など、カスみたいなものに違いない。

 だからこそ、彼らは言う。
『孫はまだか』
『必ずや優秀な嫁を見つけて、最強の後継者を遺しておくれ』
 と。

「対して四季神伍は16。もう2年もすれば結婚できる年齢になってしまう。なんとしても、今のうちに婚約を決めてしまわなければ」

「随分と熱心ね。もしかして、霊力以外の部分も気に入っちゃったのかしら?」

「初めてだったんだ」

「何が?」

「女から罵倒されたのが」

「…………はぁ? 何アンタ、Mっ気に目覚めちゃったって言うの?」

「俺にとって女といえば、ニコニコベタベタしてくるやつらばかりだったんだ。何というか、意志のない、気持ち悪い人形みたいな」

「――――……」

「アイツはそうじゃなかった。護国十家の生まれでありながら、退魔師なら誰もが是とするはずの価値観を跳ねのけて、自分で人生のレールを敷こうとしていた。たったの16で。あんな小さな体で。面白いだろう?」

「そう、なるほど」

 姉が満足げに微笑んでいる。

「アンタ、その年にして初めて恋をしたのね」

「は? 恋? これが?」

 首を傾げるミカに反して、なんとも嬉しそうな笑みを浮かべる姉。

「いいでしょう。とっておきの作戦があるわ。お姉ちゃんに任せなさい!」