――チュン、チュンチュン

「うわあああっ!?」

 翌朝、私は飛び起きた。
 すぐ隣では、ミカがすやすやと眠っている。

 ……なんてこと。
 マジで同衾(どうきん)してしまった。

 私は立ち上がり、着衣の乱れがないか確認する。
 それから、恐る恐る股間に触れた。
 だ、大丈夫だ。
 大丈夫、だと思う。
 何かやった記憶もないし。

「……ううん」ミカが身動ぎした。

「ひえっ」

「おー……おお?」目があったとたん、ミカがにへらと微笑んだ。「おはよう、(いつつ)

 ズキューンッ――ミカの無防備な笑顔が、私の心を貫く。

「お、おはよう」

「昨日は可愛かったよ」

「何が!?」

「寝顔が」

「あぁ、そう」

 見てんじゃないわよ。

「それに、すごかった」

「ねぇ、何が!?」

「寝相が」

「……あぁ、そう」

「さて」ミカが颯爽と立ち上がった。戦闘モードの顔だ。「時間がない。第ゼロ師団が結界によって全力で超巨大アヤカシを足止めしてくれているが、結界は15時間しか持たない」

 時刻は5時。もうあと3時間で結界が解け、あの巨人が神戸の街を闊歩しはじめてしまう。

「寝すぎた?」

「いや、気にしなくていい。万全のコンディションで挑むべきだし、陽が高いほうがアヤカシは弱体化するからな」

「体調はどう?」

「ばっちりだ。伍を抱きしめながら眠ったおかげかな。明日からも頼めるか?」

「調子に乗んな!」

 私はミカの足をゲシゲシと蹴りつける。

「痛い痛い本当に痛いなっ!? ……さて、顔を洗って朝食を摂り、着替えよう」




   ◆   ◇   ◆   ◇




 ミカに言われたとおり、顔を洗って朝食を頂き、着替えた。
 巫女服に。

「なぜに巫女服?」

「着せたかったから、かな」

「てめぇ騙しやがったな!?」

「くくくっ。伍は時々、めちゃくちゃ口が悪くなるよな。なんでだ?」

「誰のせいよ!」

「だが、普段着よりも神聖な気持ちになれるだろう?」

「うーん、言われてみれば?」

「さぁ、九尾狐(きゅうびこ)様にご挨拶に行こう」

 昨日、結婚式を挙げた中庭は、すっかり片付けられていた。
 私とミカは、殺生石の前に立つ。
 庭のあちらこちらから、阿ノ九多羅(あのくたら)家の面々や第ゼロ師団幹部や霊害庁職員が心配そうにこちらを見ている。

 ミカが殺生石に触れた。
 ふわり、とミカの体内から霊力が巻き起こる。

「【いと気高きアヤカシの王】――」詠唱だ。「【悠久の時を生きし尊き獣・阿ノ九多羅の守り神よ・我が呼びかけに応え給う・オン・ダキニ・ギャチ・ギャカニエイ・ソワカ】!」

 ピカッと、強烈な光が辺りを満たした。
 光が収まると、そこには――

「HAHAHAHAHA!」

 ぬいぐるみサイズのキツネが、いた。
 半透明のキツネが、殺生石の上に佇んでいた。
 9本のモフモフな尻尾を背負っている。
 そのキツネが、まるでハリウッド映画の道化役のような、安っぽい笑い声を上げたのだ。

「こうして呼び出されたのは、大正時代以来かな。ええと、今は西暦何年? 世界大戦はどうなった? 日本は存続してる?」

 質問しているような、はたまた独り言のような。
 そう言った後、九尾狐の体内から膨大な量の霊力が放出された。

「【万里眼】」

 とたん、九尾狐の霊力が世界中に拡散し、瞬く間に地球を一周して戻ってきた。
 いや、実際に地球一周したのかどうかまでは、私の【千里眼】では分からなかった。
 が、そう確信するに足るほどの術式精度と霊力量が、その術にはあった。

「昭和、平成と続いて令和、ほう。二度の世界大戦に、国際連合、ほうほう。今はあの、小国アメリカが覇権を握ってるだって? 世界の覇者だったはずのイギリスが、EUを離脱して孤立主義に? はーん。100年前とはまた、随分と情勢が変わっているねぇ」

 なんてことだ。
 このお狐様は、半世紀だか1世紀だかのハンディキャップを、ものの数秒で克服してしまった。
 バケモノだ。
 正真正銘の。
 境様なんて比較にならないくらいの。

「で」その究極霊物が、私の目の前へフヨフヨと漂ってきた。「キミが、当代の阿ノ九多羅家当主?」

「い、いえ。当主はこっちの、ミカ――阿ノ九多羅ミカエルです」

「ふぅん。随分と弱っちいようだけど。あー、嫁ブースト使ったんだね」

 ブーストって。
 世界中から現代知識を吸収した九尾狐様は、言葉遣いまで現代風になっていらっしゃる。

「おや、キミは四季の余り物?」

「げぇっ」境様が九尾狐様に反応した。「てめぇ、玉藻の前か!? あんときゃよくも日本中を引っかき回してくれたな」

「それから千年近くに渡って日本を守り続けてきたんだから、イーブンどころかお釣りがくるよ。そうして今も、日本を守るために呼び出されたわけだ」

 九尾狐様が西の空を見上げた。

「あれをぶっ殺せばいいわけだね? んじゃ、さっさと済ませますか。【渡り】」

 九尾狐様が詠唱した。
 次の瞬間、私たちは超巨大アヤカシの目の前にいた。
 文字どおりの目の前。
 空を飛んでいるのだ。

 こうして、私たちの最後の戦いが始まった。
 始まってしまったのだ、唐突に。