その時、神戸一円が『影』に覆われた。
 人とアヤカシが交わる時間、逢魔ヶ時(おうまがどき)
 神戸の街並みを赤く照らしていた夕日が、急に遮られたのだ。

「な、何よアレ!?」

 西のほうに、途方もなく巨大な巨人が立っている。
 どす黒い霊力を身にまとった、巨大すぎる人型。
 その巨人が、夕日を遮っているのだ。

 幸い、一般人には視えていないようだ。
 ということは、霊力を持たない一般人の目には、夕日が遮られている様子も映ってはいないのだろう。
 あんな巨人が視えてしまっては、神戸中が大パニックに陥ってしまう。

「な、何だあれは」ミカはほんの数秒ばかり呆然としていたが、すぐに立ち直った。「行くぞ。来てくれるか?」

「もちろん!」

 私はミカの手を引き、裏路地へ。

「飛んだほうが早いから」

 言ったとたん、私たちふたりの体が空へと舞い上がった。

「省略詠唱すら無しとは、恐れ入るよ」

「そういうの、今はいいから」

 私とミカは、飛ぶ。
 巨人の姿がみるみるうちに近づいてくる。
 やはりと言うべきか、巨人の発生地点は四季神家の敷地内だった。
 昨日の大アヤカシが封印されきっていなかったのだ。

 ものの数十秒で、着いた。
 敵は、あまりにも巨大だ。
 100メートルはあるんじゃないだろうか。
 こんなモノが暴れまわったら、神戸が壊滅してしまう!

(さかい)様、お願い!」

(おう)よ!」

 私と境様、ふたり揃って事前詠唱をする。
 私の体内から膨大な量の霊力が出てきて、灼熱の炎へと変わっていく。

「「【火球】ッ!!」」

 境様と一緒に、結びの句を詠唱した。
 と同時、太陽かと見まごうばかりの超巨大な火の玉が、巨人の頭上に生じた。
 巨人を焼き殺すべく、ジリジリと降下していく。

「「ぎゃぁぁあああぁああぁあああああああ~~~~ッ!?」」

 私と境様が同時に絶叫した。
 ふたり揃って火だるまになったからだ。

(いつつ)!?」ビビった様子のミカだったが、行動は早かった。彼は高速詠唱し、「【水球】ッ!」

 ミカが放った水の塊のおかげで、私の炎は鎮火した。
 が、

「伍、ふ、服っ」

「きゃあっ」

 肌や髪は境様が誇る全自動対物対霊結界が守ってくれていたものの、服は燃えて朽ちてしまった。
 つまり、ほぼ全裸である。
 大慌てで上着を脱いだミカが、私に着せてくれた。

 着せてくれつつも、チラチラと私の太ももを見てくる。
 くそぉっ、私全裸なのに、胸より先に視線が行くなんてどういうことっ!?
 私は悔しいやら悲しいやら。
 どうせ、私の胸は平坦よ、悪かったわね!

 ちなみに境様のほうは霊力を具現化させた服を着ているため、服の修復も容易。
 つまり、セクシーなことにはなっていない。

「大丈夫か、伍!?」

「う、うん」

 私は自身にペタペタと触れてみる。
 境様の結界のおかげで、私自身に火傷(やけど)その他の傷はない。
 だが問題は、巨人を狙った攻撃が私たちに返ってきたことについてだ。

「ねぇ境様、今のはどういうこと!?」

 興奮のあまり、私は境様への質問が声に出ている。
 だが当然ながら、境様からの返答がミカに聴こえるわけではない。

「…………」珍しく――本当に珍しく、境様は苦悩しているようだった。「伍、俺様の攻撃は、ヤツには通用しない」

「え、どういうこと?」

「とにかく、今は退け。阿ノ九多羅(あのくたら)家と合流するんだ」

「分かった」

「おい、伍、どうなっているんだ!?」

「境様の攻撃が効かない」私は時間を節約するため、できるだけ端的に伝える。「今は退けって、境様が」

「分かった」

 ミカはすぐに理解してくれた。
 さすがのミカだ。判断が早い。
 彼はスマホで部下たちに指示を飛ばしはじめる。

 今の情報が、速やかに阿ノ九多羅家や第ゼロ師団に共有されることだろう。
 ほら、言っている間にも、眼下では第ゼロ師団員たちによる結界の貼り直し作業が始められつつある。

「それで、境様、どういうこと?」

 阿ノ九多羅邸に向けて飛びながら、私は境様に尋ねる。

「あの超巨大アヤカシの中にいるのは、冬神だったんだ」

「え、どういうこと!?」

「昨日、言ったろう? 俺様はウィジャ盤に囚えられていたんだが、別の霊核がウィジャ盤の中に入ってきたんだ、と。ウィジャ盤がそいつを囚えようとしている隙を突いて、俺様は出てこられたんだ、と」

「う、うん」

「その霊核というのが、冬神だったんだ。四季神家を代々守り続けていた四季神の、冬を担当する神が、あの超巨大アヤカシの霊核として囚われているんだ」

「なんてこと……」

「俺たち5柱は、根っこの部分で霊体を共有している。アイツへの攻撃は、自分自身への攻撃でもあるんだ」

 なるほどだから、境様はさっき燃えていたのか。
 そして、境様とリンクしている私もついでに燃えた、と。

「え、それってマズくない? あの超巨大アヤカシが倒されたら、私たちまで死んじゃうってこと!?」

「いや、それは大丈夫だ。俺様からの攻撃は跳ね返ってくるが、他の術師の攻撃なら超巨大アヤカシにちゃんと通る。そのダメージが俺たちに飛んでくるようなこともない」

「つまり、最悪の事態ではない、と」

 でも、状況は限りなく悪い。
 だって、今、この世界で最強存在と言える境様の攻撃が、効かないのだ。
 境様と私を除けば、あんなバケモノを祓える術師なんてこの世にはいないんじゃないだろうか。
 それこそ、神とか天使とか悪魔とか仏とか伝説の大アヤカシとかでも連れてこない限り。

「だから、阿ノ九多羅家と合流するんだ」私の考えを読んだ境様が、話す。「今、この国で最も強い退魔家は阿ノ九多羅家だ。人間に頼るのは悔しいが、んなこと言ってる場合じゃねぇしな」

「でも、ミカじゃあの超巨大アヤカシは倒せないんじゃないの?」

「ん、何の話だ?」

「ええとね」

 私はミカに、ここまでの話を共有した。

「なるほど……昨日の時点ですら、俺の攻撃はアイツにほとんど効いていなかった。今、アイツの霊圧は昨日のものよりもずっとずっと強くなっている。残念ながら、俺の攻撃はまったく効かないだろう」

「って言ってるわよ、境様」

「だが、最強の阿ノ九多羅家以外に頼れる相手もいねぇ」

「それもそうね。――って言ってるわよ、ミカ」

「分かった。今の情報を家や第ゼロ師団に共有しても構わないか?」

「いいわよね?」

「弱点をさらすことになっちまうが、まぁ仕方ないやな」

 私はミカにうなずいてみせる。

「感謝申し上げます、境の神」

 すぐさま電話するミカ。

 数分して、私たちは阿ノ九多羅邸に着いた。

「事情は聞いているわ!」

 門の前にヴェロニカさんが立っていた。

「って、伍ちゃん、その格好は!? ミカっ、アナタ、未成年の子相手に何を――」

「違う違う違うっ、俺は何もやってない! だいたい、そんなこと話してる場合じゃないだろ」

「そうだった」ミカの姉らしく、切り替えが早いヴェロニカさん。「今、阿ノ九多羅家と第ゼロ師団が共同で超巨大アヤカシに結界を張っているわ。第ゼロ師団は今、精鋭をかき集めている。けど、アレを祓うのは難しいでしょうね。政府のAWACSで調べたところ、霊力は数十億単位とのことよ」

「昨日のアヤカシの、数十倍!?」ミカが目を剥く。「そ、そんな。敵いっこない」

「敵わないからって」私はミカに尋ねる。「じゃあ、どうするのよ?」

「特級霊害特別措置が施されることになるだろう」

「特級……何? それってどういう……」

「神戸一円を封印するんだ」

「そんなっ、住民たちは!?」

「大規模な自身と津波が発生した、ということにして避難を促す。かなり大規模な記憶改ざん術式が使われるだろう。そういう術が得意な、護国十家の十番目・十月家の出番だな。破壊術式が得意な術師を総動員して、偽装のための大規模火災や津波も発生させる。できうる限り人命は尊重されるが、相当数の方が亡くなることになるだろう」

「そんなことって……」

 この世界は、世界ぐるみでアヤカシの存在を秘匿している。
 アヤカシというのは、人間の恐怖心や信仰心から生じる微弱な霊力をエサに増殖する。
 アヤカシの存在がおおやけになってしまうと、アヤカシたちのエサが一気に増えてしまう。
 人々がアヤカシの存在を恐怖し、それをエサにしてアヤカシがまた増える。
 悪魔崇拝の儀式や『コックリさん』などに傾倒する人々の数が一気に増え(今までは『オカルト』『電波』だとされていたものが、実は実在していたと知られれば、そりゃ夢中になる人は爆増するだろう)、その信仰心をエサにしてアヤカシたちが力をつけていく。

 そうさせないために、世界はアヤカシの存在を秘匿しているのだ。
 たとえ、そのために街ひとつを潰してでも、だ。

「そっちの準備も進めざるを得ないのだけれど」とヴェロニカさん。「実は、誰も死なずに済む妙案があるのよ」

「それって!?」

九尾狐(きゅうびこ)様のお力をお借りするの」

 そう、そうだった。
 阿ノ九多羅家の『九』は数字の9。
 その名のとおり、九尾狐を封印し、その力を借りて魔を退けてきた家なのだ。

 九尾狐。
 中国は(いん)王朝の『妲己(だっき)』や、
 平安時代末期の『玉藻の前』に化けて時の権力者たちをもてあそんだという、
 伝説的、
 神話的、
 問答無用で世界トップクラスの大・大・大アヤカシである!

 九尾狐の力を借りられるのなら、霊力数十億の超巨大アヤカシが相手だって、きっと――

「駄目だ」ミカが真っ青な顔をしている。「俺は未だ一度も、九尾狐様の召喚に成功したことがないんだ。俺の霊力が少なすぎるから……」

「そ・こ・で」楽しそうなヴェロニカさん。「伍ちゃんの出番よ。九尾狐様はミカに憑いているのではなく、阿ノ九多羅家に憑いていらっしゃるの。もっと厳密に言えば、当主一家に憑いているわけ」

「それがどういう……あっ、まさか!?」

「何なのミカ? え、なんで顔を赤らめるの?」

「夫の霊力を妻が補えば」とヴェロニカさん。最っ高に楽しそうな笑顔で、「あるいは九尾狐様もご顕現あそばされるかもしれないって話よ」

「え?」

「伍ちゃん、ミカと結婚してちょうだい。お願いっ、このとーりっ。神戸と世界の平和のために!」

「えぇえええええええええええええええええええっ!?」