「アナタがウワサの(いつつ)ちゃんね」

 銀髪碧眼の女が言った。
 ちょっとびっくりするレベルのハーフ美女だ。
 どことなくミカに似ている。
 セミロングの銀髪は、ふわっとウェーブがかっている。
 パンツスーツをすらりと着こなした、絶世の美女。
 スタイル抜群で、背も高く、む、胸がエグいほどでかい。

 背が低く、顔も平凡で、太ももくらいしか自慢がない私とは、異次元レベルの存在だ。
 月とスッポン。
 ピンとキリ。
 そんな雲の上の存在が、私に向かって実に友好的かつ親しげな笑みを浮かべてくれている。
 ニッコニコだ。

「ミカから聞いてるわよ。この子ったらアナタに夢中で、毎日のようにアナタのことばかり――」

「ちょっと、ヴェル姉さん!」ミカが慌てた。

 姉さん。
 姉。
 つまりこの人、ミカのお姉さんか。
 道理で顔が似ているわけだ。

「自己紹介が遅れてごめんなさいね」女性が言った。「私は阿ノ九多羅(あのくたら)ヴェロニカ。ミカの姉で、今はミカの秘書のような仕事をしているわ」

「は、はじめまして」差し出された手を、私は緊張しながら握り返す。「四季神(しきじん)(いつつ)です」

 ここは、ミカの家――阿ノ九多羅邸の応接間だ。
 家が崩壊してしまい、今日寝る所もままならなくなってしまったので、泊まらせてもらうことになったのだ。

「ささ、お茶飲んで。お茶請けもどうぞ。神戸風月堂の大人気クッキーよ」

「あ、ありがとうございます……っ、美味しい!」

「ふふっ。でしょう? 自分の家だと思ってくつろいでね。いや、自分の家だと思ったらくつろげないのかしら? とにかく、この家では伍ちゃんのことを悪く言うヤツなんてひとりもいないんだから。念のため言っておくけど、お世辞や社交辞令じゃなくて本心よ。私も、妹ができたみたいで嬉しいもの」

 常時展開している私の【千里眼】は、相手の発汗や表情筋の微細な動きから相手の本心を見抜く。
 どうやらヴェロニカさんは、本当に喜んでくれているらしい。
 私は安心した。

「この子ったら、伍ちゃんに迷惑ばかりかけていて、本当にごめんなさいね」

「ヴェル姉、いい加減『この子』はやめてくれよ。もうハタチなんだぜ?」

「私にとっては、いくつになっても『泣き虫ミカ』のままよ。アンタを育てたのは誰だと思ってるの? はいはい、あんよが上手」

「うっ……実質ヴェルお姉様です」

「分かっていればよろしい」

 姉弟仲が良いらしく、ミカとヴェロニカさんがじゃれ合っている。
 なんと言うか、美男美女が並ぶとエグいほど絵になるな。

「って、あれ?」私は首を傾げた。「アンタ、21歳じゃなかったっけ?」

「あぁ、それは三日月エルの設定だ。本当は20なんだよ」

「アンタって男は、本当に何から何までウソばっかり!」

「他人に【魅了】を使うような女にだけは言われたくないんだが。お前がいけしゃあしゃあと父親を突き出した時、俺は開いた口が塞がらなかったんだぜ」

「ちょっ、そのことはヒミツに――」

「大丈夫だよ」ミカが肩をすくめてみせた。「姉は知ってる」

「あ、そうなんだ」

 恐る恐るヴェロニカさんのほうを見てみると、彼女はニッコリと微笑んでいた。

「この子のことだったら、いくらでも魅了してくれていいからね。この子の顔も体も心も、全部ぜーんぶ好きにしていいわよ」

「好きに……ゴクリ」

 中身はアレだが、ミカは外見だけはバツグンに良いのだ。
 その顔や体を好きにできるというのは、こう……なんだか胸がざわざわするわね。

「ふふん」

 私の視線に気づいたミカが、得意げな顔をした。
 や、やっぱり嫌なヤツ!

「とはいえ……」

 ミカとのじゃれ合いはそこそこに、私は四季神邸での出来事に思いを馳せる。
 あの後、いろいろなことがあった。

 まず、父は現行犯逮捕され、霊害庁へと連行されていった。

 使用人たちは長期休暇を言い渡され、去っていった。
 あー……家の者たちが『使用人』とか『女中』とかいう言葉を使っているので、私もついつい同じ言葉を使ってしまっていたのだが、彼ら彼女らは実際には、
『家政婦』
『お手伝いさん』
『ヘルパー』
『家事代行会社職員』
『出張料理人』
 といった職種の人々だ。
 住み込みの人はおらず、当然、彼ら彼女らには家がある。

 長女・(はるか)姉さん、次女・那月(なつき)姉さん、三女・千明(ちあき)姉さんはそれぞれ日本各地に出張中なのだが、山田先生が連絡をつけてくれるのだそうだ。

 母?
 あんなくそ女のことなんて知るもんか。
 人の心があるなら、逮捕された父に付き添っているんじゃない?
 お金はあるんだから、ホテルに泊まるなりなんなりできるだろう。

 あの大アヤカシはあまりにも残穢(ざんえ)が濃く、私の拳でも消滅させることができなかったため、今は四季神家の庭で第ゼロ師団員たちによる封印処理が施されている。

 そんなわけで、四季神家は一夜にして空中分解してしまったものの、一応の収束を見せていた。

 唯一気がかりなのは、双子の姉・巫由(ふゆ)のことだ。
 アレも両親に負けず劣らず嫌なヤツだが、それでも未成年かつ修行中の身なので、少しくらいは気にかけてやるべきだろう。
 その巫由が、行方不明なのだ。
 大アヤカシが現れる直前まで四季神家の母屋にいたらしいのだが、その後の足取りがつかめていない。

 死体はなかったので、生きてはいるはずだ。
 戦いのさなかに上手いこと逃げ出したのだろうか。
 でもそうだとしたら、こんな時間(夜)になっても戻ってこないのはなぜ?
 私の【千里眼】で辺り一円を調べてみても、巫由の反応は見つからなかった。
 今は霊害庁職員が捜索にあたってくださっている。

「ところで伍」ミカが尋ねてきた。「これから、どうするつもりだ?」

「えーと、ご迷惑でなければ数日は泊まらせてほしいなって思ってるんだけど」

「大歓迎よ」とヴェロニカさん。「いっそ、うちの子になっちゃいなさい」

「え、えーと、あはは」ヴェロニカさんに愛想笑いで応え、ミカのほうに向き直ってから、「幸い明日は土曜日だから、実家で荷物整理したり、なくなっちゃった物を買い揃えたりするつもり」

「あぁ、うん。衣食住と金のことなら、姉も言うようにうちは全然迷惑じゃないから、思う存分甘えてくれていいんだぞ。で、なんだが、俺が聞きたいのは、そういう目先の話じゃなくてだな」

「あー……うん。退魔師バレしちゃったってことね」

 私は気分が暗くなる。
 ミカを助けるために必要なことだったからとはいえ、後悔はしていないとはいえ、それはそれ、これはこれ。
 私の悠々自適な一般人ライフの夢が、大きく遠のいてしまった。

「そのぅ……できれば私、退魔家業とは距離を置いた一般人として暮らしたいなーって」

「うーん……まぁ、お前のその気持ちは分からないでもないし、尊重してやりたいのはやまやまなんだが」

 ミカの発言に、ウソはない。
 だって先ほど、ミカは身を挺してまで私のヒミツを守ろうとしてくれたのだ。
 私は、胸が熱くなる。
 コイツは嫌味なヤツだと思う。
 が、先ほどの行為に関してだけは、多分一生忘れられないだろう。
 それほどまでに、私はコイツに深く感謝していた。

「だが残念ながら、お前の願いが叶うことはないだろう。まず間違いなく、明日から世界中の退魔師たちによる伍の争奪戦が始まるからだ」

「え?」

 私の、争奪戦?
 私を奪い合うための争い!?
 しかも世界規模!?
 ワールドワイド!?

「血で血を洗う、壮絶な争いだ」

「ええ?」

「戦いは2つの意味で行われる。ひとつは、純粋に戦力としてのスカウト合戦。もうひとつは、退魔家の嫁としての娶り合戦」

「えええっ!?」

「考えてもみろ。世界一だぞ。世界で一番強い退魔師だぞ。第ゼロ師団、霊害庁、護国十家、その他多数の退魔家からすれば、『喉から手が出る』なんて安っぽい言葉じゃ語り尽くせないほど、何をしてでも手に入れたい力だ。日本だけじゃない。世界中の退魔師がお前を狙うだろう。国家レベルでの争奪戦になりかねない」

「そこまで!?」

「まぁ実際は、外国からの干渉は日本政府が全力でガードしてくれるはずだ。山田先生は優秀な方だから、すでに話は国防省と霊害庁の双方を通じて総理に挙がっているはず」

「省、庁、総理大臣……」

 私は頭がクラクラしてくる。
 話が国家レベルすぎる。

「だが、国内からの攻勢はガードが難しい。特に、『嫁』争奪戦のほうは。今日(こんにち)の日本は、自由恋愛による結婚が普通だからな。お前が恋愛の末に結婚相手に選んだ者がたまたま退魔師だったとしても、政府は何も言えない」

「それってつまり、私に選ばれようとして、日本中の退魔師たちが私に猛アタックしにくるってこと!?」

「そういうことだ」

「ひぃっ。とんでもねーホラーだ!」

「だな。けれど、そんなホラー展開を避けるための冴えた方法が、ひとつだけある」

「えっ、なになに!?」

 私は食いついた。
 ミカとヴェロニカさんがニンマリと微笑んだ。

「俺と婚約することだ」

 ――ずざざざざざざっ

 私はソファから飛び上がり、全力で部屋の隅まで後ずさった。

「日本一の退魔家・阿ノ九多羅の現当主と婚約したとなれば、他の有象無象どもはもはや何も言えなくなる。お前の身は安泰、というわけだ」

「それって、私がアンタと結婚しなきゃならなくなるってことじゃない!」

「嫌か?」

「嫌よ!」

「はぁ……そうか。そこまで全力で嫌がられるとは、さすがに傷つくな」

「人を騙して乙女心に付け入るようなクズ男と、結婚なんてできるもんですかっ」

「ヴェル姉さんのせいだぞ」ヴェロニカさんを睨みつけるミカと、

「何の話かしら?」そっぽを向くヴェロニカさん。

 このふたり、何かあったのだろうか?

「まぁ、そう言うだろうとは思っていたよ。だから、結婚じゃなくて婚約だ。婚約は取り消しが効くからな。ほとぼりが冷めるまで俺と婚約しておき、お前が本当に結婚したい相手ができたその時には、婚約を取り消せばいい。お前は俺を、体の良い防波堤として使ってくれればいいさ」

「……えらく気前が良いっていうか、一方的に私に有利な話ね。どういう裏があるのかしら?」

「裏なんてないさ。いや、最大級の裏がある、と言うべきか?」

「どういうこと?」

「伍」

 ミカが立ち上がり、ゆっくりと歩いてきた。

「俺は、お前が好きだ」

 ミカが、私の前に立つ。

「心の底から好きだ。大好きだ。愛してしまった」

 ゆっくりと壁ドンされた。

「多分この先、お前に対するものよりも大きな感情を、他の異性に抱けるとはとても思えない。お前が欲しい。お前しか要らない」

「なっ、なっ、なっ……」

 私は、顔が熱い。
 ミカのイケメン顔に攻められて、息も絶え絶えになってしまう。

「そんなわけで」私の動揺を知ってか知らずか、ミカが私から離れ、肩をすくめてみせた。「俺はお前に振り向いてもらいたいんだ。お前に気に入られたい。お前と相思相愛になりたい。だから、お前にとって都合の良いことをしてやるのさ。好きな相手の気を引くために、お弁当を作るようなものだ。安心しろ、【魅了】は混入していないよ」

「うぐっ」

 最後にチクリとやられて、私はもう、言葉もない。
 チクリと刺しつつも、ミカの笑顔が慈愛に満ちているからだ。
 その笑顔の裏にある誠意が本物であると、先ほどの彼の行為が証明しているからだ。

「阿ノ九多羅家は多数の上場企業を擁する巨大財閥でもあるから、俺と婚約している間は日本中のあらゆる男どもをガードすることができるぞ。退魔家も一般人も」

「それは頼もしい! ……ってぇ、それって私がアンタ以外のすべての男から避けられるってことじゃないの。そんなんじゃ婚活できないわよっ」

「ありゃ、気づかれたか」

「ひどい策略だぁ!」

「だが、ホラー展開を避けるためには、これ以上の妙案もない。そうだろう?」

「うぅ」

 ミカの言うとおりだった。

 そういうわけで、私はその夜のうちに阿ノ九多羅ミカと婚約した。
 その事実は阿ノ九多羅家のホームページでさっそくプレスリリースされた。
 その夜、退魔界隈御用達の裏SNSは私とミカの婚約話でもちきりだった。