私は、ヘリから飛び降りる。
 何のために?
 決まってる。
 ミカを救いに行くためだ。

「がっはっはっ!」境様が笑う。「お前さん、ようやく素直になったな」

「うん」

「さぁ、行くぜ!」

「うん!」

 私は【飛翔】の巫術で大アヤカシの腹の前まで飛び、

「ミカを返せぇぇえええええええええええええええッ!」

 目もくらむほどの輝きをまとった右ストレートを、大アヤカシの腹にお見舞いした。

 ――ドパンッ!

 超高濃度の霊力が炸裂し、大アヤカシが仰向けに倒れた。
 私はさらに拳を振るう。
 ありったけの霊力を込めた拳を。

 ――ドパンッ!
   ――ドパンッ!
     ――ドパンッ!

 ――グォォオオオオオオオオオオオオオオッ!

 大アヤカシが苦悶の声をあげる。
 私はそれでも殴り続ける。
 ついに大アヤカシの腹が弾け、大穴が開いた。
 中から出てきたのは、

「ミカッ!」

 全身血まみれで、腕が変な方向に曲がり、脚が取れかかっているズタボロのミカだ。

「ミカ……」

「…………うぅっ」

 良かった、まだ息がある!
 私はミカを抱き上げ、空に舞い上がって後方へ下がった。
 庭の隅に、阿ノ九多羅(あのくたら)家の精鋭たちが集まっている。

 治癒術が使える人は――いや、ダメだ。
 みな満身創痍。
 探すより、自分でやったほうが早い。
 治癒術をやるのは初めてだが……。

「境様、お願いっ」

「任せとけ」

「【治癒】っ!」

 温かな光が、ミカを包みこんだ。
 みるみるうちに、ミカの傷が癒えていく。
 折れていた腕も、千切れかけていた脚も、腹に開いていた大穴も、動画の逆再生みたいに、あっという間に癒えていく。

「なんてことだ」
「奇跡だ」
「省略詠唱の初級治癒術で、部位欠損すら癒やす? まさしく神や天使の御業だ」

 阿ノ九多羅家の精鋭退魔師たちが驚いている。

「――はっ」ミカが目を覚ました。「状況は? あの大アヤカシはどうなった!? って、えええええっ!?」

 腹に大穴を開けた大アヤカシの姿に仰天したミカだったが、やがて、私に力いっぱい抱きしめられていることに気づいたらしく、

(いつつ)?」

 私の髪を、優しく梳いてくれた。

「あれはお前がやってくれたのか? それに、怪我が跡形もなく治っている」

「……気安く触らないで」

「こんなにも抱きしめてくれているのに?」

 私は、顔を上げることができない。
 ミカの胸に顔を埋めたまま、もごもごと言い訳を口にする。

「ちょっとびっくりしちゃっただけよ。だってアンタ、大間抜けにもあのアヤカシに食べられちゃうんだもの」

「心配かけたな、すまない」

「別に心配なんかっ……うぅぅっ」

 ミカが頭を撫でてくれるのが嬉しくて、
 ミカが生きてくれているのが嬉しくて、
 私はミカから体を離せずにいる。

 いや、そんなはずはない。
 こんなヤツの安否なんて、私はこれっぽっちも気にしていなかった。
 私は、コイツのことが嫌いだ。大嫌いだ。
 そのはずなんだ。
 あぁもう、感情がぐちゃぐちゃだ。

 にわかに、辺りが騒がしくなった。
 顔を上げると、ちょうど軍服姿の男たちが数十人、中庭へなだれ込んできたところだった。

「総員、構え! って、えええっ!?」

 先頭で指揮を執っていた若い感じの女性士官が、仰向けに倒れている大アヤカシを見て仰天した。

「ちょっとミカくん、これ、どういう状況!?」

「あっ、山田先生」ミカが答える。「えーと、これはですね……」

「もう、いつまで先生呼びしているのよ。ほんの1週間だけのことだったでしょう?」

「それでも、俺やS組のみんなは先生から多くを学びましたから」

 何やら馴れ馴れしい様子の女だ。
 私は、胸にもやりとしたものを感じる。
 この感情は何だろう?

 私が頬を膨らませていたのがまずかったのか、

「おっ? もしかして伍、俺のためにヤキモチを焼いてくれたのか?」

 と、ミカがいい加減なことを言ってきた。

「なっ!? 誰がアンタなんか」

「ふぅん?」『山田先生』と呼ばれた女がニヤついた。「もしかしてこの子、ミカくんの『いい人』?」

「はい」

「はい、じゃないわよ!」

 うんうんとうなずく山田先生。

「そっかー。ミカくんにもついに春が来たのね。――と、それはそれとして」

 山田先生が、ギラリと瞳を輝かせた。
 私の目をのぞき込んでくる。

「事情をお聞かせいただけますか、『謎のスーパー退魔師』さん?」

 ……げっ、バレてる。

「い、いや~、私はご覧のとおり、仕えるべき神を持たない出涸らし巫女でして」

「【オン・アラハシャ・ノウ――文殊慧眼】」

 詠唱とともに、山田先生の瞳が輝いた。
 鑑定・索敵系の術式【文殊慧眼】だ。

「私の目はごまかせませんよ。これでもプロなので。あの大アヤカシをぶちのめしたと思しき、巨大な霊力の残滓。その波長は、アナタの霊力の波長と同一のものです」

「はぁ……」私はため息をついた。「これが年貢の納め時、かぁ」

 さすがにもう、言い逃れはできないのだろう。
 この場には山田先生がいて、
 多数の自衛隊員たちがいて、
 阿ノ九多羅家の人々がいて、
 四季神家の使用人たちがいて、
 おまけに両親までいる。
 彼ら全員に口止めするのはもう、不可能だ。

 一瞬、【洗脳】呪術でここにいる人たち全員の記憶を改ざんする手も考えた。
 が、恐らく目の前にいるプロ退魔師たちには通用しないだろう。
 霊力は私ほどではないものの、全員、所作の端々から強者感がにじみ出ている。
 何しろ彼らはプロ、専門家、職業軍人なのだ。
 私のような素人退魔師とは次元が違う。

 というわけで、アウトだ。
 終了。
 逃げ場無し。

 やっちゃったなー、とは思う。
 けれど、不思議と後悔はなかった。
 だって、あと数秒でも遅かったら、ミカが死んでいたかもしれないのだから。

 ミカが生きてて良かった――。
 認めよう、これは私の本心だ。

 私はきっと、3Kな退魔業界から離れることはできなくなるのだろう。
 けれどもまぁ、それも仕方がない。
 もしミカを見殺しにしていたら、たとえ3Kから離れられたとしても、私は一生、居心地の悪さを抱えながら生きることになっていただろうから。

 それに私は、ミカが食われる寸前に言ってくれた言葉が嬉しかったのだ。
 自分は死ぬかもしれないのに、命を賭して告げてくれたのだ。

『伍、お前は自由に生きろ』

 だから、私は自由に生きた。
 私は、私自身の自由意志のもと、ミカを助けたいと思い、そのように行動したのだ。
 あの一瞬の決断は、間違いなく本心だった。
 だから、悔いはない。

「伍」

 そのミカが、私に触れてきた。

「ちょっ、肩に触れるな。抱きしめようとするなっ」

「どうして?」

 私が手を払い落とすと、ミカが微笑んでみせた。
 その、憎らしいほどイケメンな顔で。

「俺たち付き合っているんだから、これくらいは構わないだろう? それに、力を明かしてまで俺を助けてくれたってことは、つまり――」

「調子に乗んな!」

「あらあら」と山田先生。「本当に仲良しなのね。ところで、この大アヤカシ討伐に関する話を聞かせてもらえるかしら? 私は自衛隊・第ゼロ師団・第七旅団所属一尉の山田よ。アナタのお名前は?」

 手を差し出された。
 握り返しながら、私は少し、もじもじする。
 この人、やっぱりプロ軍人だった。
 自衛隊における『存在しないはずの師団』こと第ゼロ師団。
 政府直轄の退魔機関だ。

「私は四季神(しきじん)(いつつ)。にんべんに漢数字の五と書いて、いつつです。四季神家の五女で、姉たちと違って仕えるべき四季の神様を持っていませんでした。けれど数年前に、『季節の変わり目の神』こと『(さかい)様』に出会いまして、こうして加護を頂いているんです。視えますか?」

 私は私の隣、ふわふわと浮いている境様を指差す。

「人を指差すんじゃねぇよ」

 ごめんて。

「うーん」山田先生が首を傾げた。「残念ながら視えないわね。私も霊力は高いほうじゃないから」

 姿見せてあげなさいよ、境様。

「やなこった。これでも俺様は気位が高いんだぜ。気に入ったヤツにしか姿を見せる気はねぇよ」

「山田先生、すごいんですよ、伍は。初級術【火球】でも上級術【不動明王迦楼羅炎】を超えるほどの火力が出せるほどで」

「なんでアンタが自慢するのよ」

 多少腹立たしいものの、穏やかな空気が流れはじめていた。
 だが――

「伍、何なんだ、その力は!?」

 そんな良い雰囲気をぶち壊す、陰鬱な声が場を切り裂いた。
 ……父だ。