境様が私の元まですっ飛んできて、ぶるぶるっと全身を震わせた。
境様の体にまとわりついていたどす黒い霊力が飛び散り、私の頬にかかった。
――ジュワッ
「ひえっ、皮膚を溶かすほどの呪い!? ……って、痛くない」
自動結界が復活している!
「心細い思いをさせちまって悪かったな」
境様が私の頭を撫でてくれた。
私はあまりの安心感で泣きそうになる。
「結界は復活させたが、油断は禁物だ。霊力をだいぶアイツに吸い取られちまった」
「どういうこと? 境様、あの大アヤカシの中に囚われてたの?」
「そういうこった。どうもあのウィジャ盤、お前さんをピンポイントで狙ったワナだったみてぇだ」
「ワナ? どういうこと?」
「あのウィジャ盤には、お前さんの髪の毛が入っていたんだ。それがウィジャ盤と俺様を繋いで、俺様をウィジャ盤の中へ引きずり込んだんだよ」
「境様を捕まえることができるなんて、そんな術師、この世にいるの?」
「いるところには、いる。もちろん一個人じゃ無理だが、国家レベルの組織が国中から超有能な術師をかき集めれば、あるいは」
「……国?」
「半島か、大陸か、その北か、それ以外の可能性だってありえる。日露戦争中は半島や満州を舞台に激しい呪術合戦が行われたって四季神たちが言っていたし、太平洋戦争当時もやっぱり、影では日米の呪術合戦があったそうだ。四神いわく、こんなのは日常茶飯事なんだと。ちょうど今、国会は衆院が野党優勢でねじれ状態だしな。そういうタイミングで、他国が付け入ろうとしてくるんだ。国家レベルの諜報機関なら、お前さんが力を隠していることを見抜いていてもおかしくはない」
「退魔業界、怖すぎでしょ……。で、でも、こうして出てこられたわけよね?」
「分っかんねーけど、なんか別の霊核が入ってきたんだ。んで、俺を引っつかんでるウィジャ盤の手が緩んだ。二兎を追おうとしたんだな。だが俺はその隙に逃げ出した。その、別の誰かさんには悪いと思ったが」
だから、ミカの渾身の一撃とともに、こうして出てくることができたというわけか。
何にしても、状況は一気に改善した。
「境様、あの大アヤカシ、倒せそう?」
眼下では、ミカがひどい劣勢を強いられている。
今や阿ノ九多羅家精鋭たちは全員倒れ、立っているのはミカだけ。
「楽勝だぜ」
だが、そんな絶望的な状況を、境様は笑い飛ばした。
笑い飛ばしてくれたのだ。
「さっすが境様! それじゃ、ちゃちゃっと――」
その時。
その時のことだった。
大アヤカシの攻撃で、四季家の母屋の壁と屋根が吹き飛ばされた。
中から出てきたのは、ふたり縮こまっていた、両親だった。
「…………ッ!」
私は、息が詰まった。
両親が、見ている。
あの、利己的で言葉の通じない毒親どもが、戦況を目の当たりにしている。
そんな状況下で、私があの霊力1億単位超えの大アヤカシをあっさり祓ってしまったら、どうなる?
当然ながら、私が強大な力を隠していたことが、両親にバレる。
そうなったが最後、私はあの最低最悪な両親に捕まり、馬車馬のように働かされることだろう。
私は未来永劫、3Kな退魔家業から抜け出せなくなってしまう……。
さらには、【千里眼】の力が戻ってきたから気づいたのだが、周囲からものすごい人数の退魔師たちが駆けつけつつある。
政府直轄退魔機関『第ゼロ師団』だろう。
日本が誇る、最強の退魔師集団だ。
…………私は、迷う。
阿ノ九多羅家と両親だけなら、まだ口止めも可能かもしれない。
だが、こうもたくさんの国家的機関に囲まれてしまっていては、あの大アヤカシの討伐後に、その功績をなかったことにしたりミカに押し付けたりするのは難しいかもしれない。
つまり、私の力のことが日本にバレてしまうのだ。
3Kな仕事から逃れて、オフィスで悠々自適に働くという、私の人生プランが……。
――オォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン……
退魔師たちの気配を察知したのか、大アヤカシが本気を出しはじめたらしい。
雄叫びとともに、体がメキメキと巨大化しはじめた。
子供くらいのサイズだったのが、みるみるうちに身の丈数十メートルの巨人へと変貌する。
あ変わらずどす黒い霊力をまとっていて、その顔貌は分からない。
ミカが、押される。
第ゼロ師団の応援部隊は、最も近い集団でもまだ1キロは先だ。
私は、ミカに加勢すべきかもしれない。
だがそんなことをすれば、私の力がバレてしまう。
みるみるうちに、ミカの傷が増えていく。
巨人に殴られた右腕が、不自然な方向に曲がっている。
腹を殴られ、壮絶な量の血を吐いた。
このままでは、ミカが死んでしまう。
けれども、私は動けない。
動いたが最後、私が思い描いていた人生プランがめちゃくちゃになってしまうからだ。
――その時、ミカが、私のほうを見上げた。
目が、合った。
ミカが、私に助けを求めてきたのだろうか?
そんなことをされても、私は……。
いや、違った。
ミカは、ただ、笑った。
笑ったのだ。
「伍」
ミカの唇が、動いた。
声は、ヘリの上までは届かない。
けれど、唇の形は分かった。
「お前は、自由に、生きろ」
次の瞬間、ミカが大アヤカシに丸呑みにされた。
「――ひゅっ」
息が詰まった。
関係ない関係ない関係ない関係ない私には関係ない。
そもそもあんなヤツ、全然好きじゃなかった。
付きまとわれて迷惑してた。
死んだら、せいせいするくらいだ。
「いやぁぁああああああぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!」
誰かが、耳元で叫んでいる。
あぁ、うるさいな。
私の耳元で叫ぶのは、迷惑だからやめてほしい。
「ミカっ、ミカぁあああああああッ!!」
……あぁ、なんだ。
これ、私の声だ。
それを自覚した時、私はすでに、ヘリから飛び降りていた。
境様の体にまとわりついていたどす黒い霊力が飛び散り、私の頬にかかった。
――ジュワッ
「ひえっ、皮膚を溶かすほどの呪い!? ……って、痛くない」
自動結界が復活している!
「心細い思いをさせちまって悪かったな」
境様が私の頭を撫でてくれた。
私はあまりの安心感で泣きそうになる。
「結界は復活させたが、油断は禁物だ。霊力をだいぶアイツに吸い取られちまった」
「どういうこと? 境様、あの大アヤカシの中に囚われてたの?」
「そういうこった。どうもあのウィジャ盤、お前さんをピンポイントで狙ったワナだったみてぇだ」
「ワナ? どういうこと?」
「あのウィジャ盤には、お前さんの髪の毛が入っていたんだ。それがウィジャ盤と俺様を繋いで、俺様をウィジャ盤の中へ引きずり込んだんだよ」
「境様を捕まえることができるなんて、そんな術師、この世にいるの?」
「いるところには、いる。もちろん一個人じゃ無理だが、国家レベルの組織が国中から超有能な術師をかき集めれば、あるいは」
「……国?」
「半島か、大陸か、その北か、それ以外の可能性だってありえる。日露戦争中は半島や満州を舞台に激しい呪術合戦が行われたって四季神たちが言っていたし、太平洋戦争当時もやっぱり、影では日米の呪術合戦があったそうだ。四神いわく、こんなのは日常茶飯事なんだと。ちょうど今、国会は衆院が野党優勢でねじれ状態だしな。そういうタイミングで、他国が付け入ろうとしてくるんだ。国家レベルの諜報機関なら、お前さんが力を隠していることを見抜いていてもおかしくはない」
「退魔業界、怖すぎでしょ……。で、でも、こうして出てこられたわけよね?」
「分っかんねーけど、なんか別の霊核が入ってきたんだ。んで、俺を引っつかんでるウィジャ盤の手が緩んだ。二兎を追おうとしたんだな。だが俺はその隙に逃げ出した。その、別の誰かさんには悪いと思ったが」
だから、ミカの渾身の一撃とともに、こうして出てくることができたというわけか。
何にしても、状況は一気に改善した。
「境様、あの大アヤカシ、倒せそう?」
眼下では、ミカがひどい劣勢を強いられている。
今や阿ノ九多羅家精鋭たちは全員倒れ、立っているのはミカだけ。
「楽勝だぜ」
だが、そんな絶望的な状況を、境様は笑い飛ばした。
笑い飛ばしてくれたのだ。
「さっすが境様! それじゃ、ちゃちゃっと――」
その時。
その時のことだった。
大アヤカシの攻撃で、四季家の母屋の壁と屋根が吹き飛ばされた。
中から出てきたのは、ふたり縮こまっていた、両親だった。
「…………ッ!」
私は、息が詰まった。
両親が、見ている。
あの、利己的で言葉の通じない毒親どもが、戦況を目の当たりにしている。
そんな状況下で、私があの霊力1億単位超えの大アヤカシをあっさり祓ってしまったら、どうなる?
当然ながら、私が強大な力を隠していたことが、両親にバレる。
そうなったが最後、私はあの最低最悪な両親に捕まり、馬車馬のように働かされることだろう。
私は未来永劫、3Kな退魔家業から抜け出せなくなってしまう……。
さらには、【千里眼】の力が戻ってきたから気づいたのだが、周囲からものすごい人数の退魔師たちが駆けつけつつある。
政府直轄退魔機関『第ゼロ師団』だろう。
日本が誇る、最強の退魔師集団だ。
…………私は、迷う。
阿ノ九多羅家と両親だけなら、まだ口止めも可能かもしれない。
だが、こうもたくさんの国家的機関に囲まれてしまっていては、あの大アヤカシの討伐後に、その功績をなかったことにしたりミカに押し付けたりするのは難しいかもしれない。
つまり、私の力のことが日本にバレてしまうのだ。
3Kな仕事から逃れて、オフィスで悠々自適に働くという、私の人生プランが……。
――オォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン……
退魔師たちの気配を察知したのか、大アヤカシが本気を出しはじめたらしい。
雄叫びとともに、体がメキメキと巨大化しはじめた。
子供くらいのサイズだったのが、みるみるうちに身の丈数十メートルの巨人へと変貌する。
あ変わらずどす黒い霊力をまとっていて、その顔貌は分からない。
ミカが、押される。
第ゼロ師団の応援部隊は、最も近い集団でもまだ1キロは先だ。
私は、ミカに加勢すべきかもしれない。
だがそんなことをすれば、私の力がバレてしまう。
みるみるうちに、ミカの傷が増えていく。
巨人に殴られた右腕が、不自然な方向に曲がっている。
腹を殴られ、壮絶な量の血を吐いた。
このままでは、ミカが死んでしまう。
けれども、私は動けない。
動いたが最後、私が思い描いていた人生プランがめちゃくちゃになってしまうからだ。
――その時、ミカが、私のほうを見上げた。
目が、合った。
ミカが、私に助けを求めてきたのだろうか?
そんなことをされても、私は……。
いや、違った。
ミカは、ただ、笑った。
笑ったのだ。
「伍」
ミカの唇が、動いた。
声は、ヘリの上までは届かない。
けれど、唇の形は分かった。
「お前は、自由に、生きろ」
次の瞬間、ミカが大アヤカシに丸呑みにされた。
「――ひゅっ」
息が詰まった。
関係ない関係ない関係ない関係ない私には関係ない。
そもそもあんなヤツ、全然好きじゃなかった。
付きまとわれて迷惑してた。
死んだら、せいせいするくらいだ。
「いやぁぁああああああぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!」
誰かが、耳元で叫んでいる。
あぁ、うるさいな。
私の耳元で叫ぶのは、迷惑だからやめてほしい。
「ミカっ、ミカぁあああああああッ!!」
……あぁ、なんだ。
これ、私の声だ。
それを自覚した時、私はすでに、ヘリから飛び降りていた。



