「――はっ!?」
目を覚ました時、私は見知らぬ寝室にいた。
「伍!?」
すぐ横に、目を赤く腫らしたミカが座っていた。
手を握られている。
「ちょっと、放して――」
「あぁ、良かった。目を覚ましてくれて、本当に良かった!」
手を振り払おうとしたが、ミカが泣きそうな顔をしていたので、振り払えなかった。
「……もうっ。私は大丈夫だから。この手を放して」
「もう少しだけ、このままで」ミカが言った。私の手に頬ずりして、「怖かったんだ。お前が二度と目を開いてくれないんじゃないかって、不安で」
「…………」私は、照れる。そう、こんなイケメンにそんな甘々発言をされてしまって、まんざらでもない気持ちになってしまっていた。「…………?」
あっ、ミカのヤツ、ニヤついてやがる!
「もう平気なんでしょっ。だったら手を――」
その時だった。
…………………………………………ぞわり。
とてつもない寒気が、部屋を満たした。
「え、な……に……何なのこれ!?」
体の震えが、止まらない。
数分して、部屋に見覚えのある男女が駆け込んできた。
彼らがミカに何事かを報告している。
そう、彼らはミカの護衛、というか部下たちだ。
ということは、ここはやはりミカの家――阿ノ九多羅邸だったのか。
彼らからの報告によると、西のほうでとてつもなく巨大で邪悪なアヤカシの気配が発生した、とのことだ。
「西……」
阿ノ九多羅邸から西のほうと言えば、実家がある方角だ。
何だか嫌な予感がする。
「ちょっと様子見てくる」
私がベッドから降りようとすると、
「ダメだ。病み上がりなんだから」
とミカに止められた。
「んな、大げさな」
「大げさなものか。今、部下に調べさせている。大丈夫、彼らもプロなんだから」
私とミカが押し問答をしている間にも、阿ノ九多羅家のプロ退魔師たちがテキパキと動いていく。
やがて、
――パラパラパラパラパラパラッ
と、庭のほうから激しい音が聴こえてきた。
「え、まさかヘリ!? そんなものまで持ってるの!?」
「そりゃ、天下の阿ノ九多羅家だぞ。ヘリくらいある」
そ、それもそうか。
それもそうなのか?
「上空から、探査の術式で相手の霊力量と脅威度を計測するんだ。政府が24時間365日飛ばしているAWACSに要請してもいいんだが――」
「えーわっ何?」
「AWACS。早期警戒管制機のE-767だ」
「???」
「まぁ、軍用航空機だよ。政府が空から、24時間休むことなく日本全土を見守っているんだ。だが国内に4機しかないから、ここまで飛んでくるのに時間がかかる。それなら、自前の簡易AWACSで対処したほうが早い」
「はえー……」
私はすっかり感心してしまった。
政府とか飛行機とか24時間体制とか自前のヘリとか。
改めて、阿ノ九多羅家とその当主であるミカが日本を守っているのだ、と思い知らされた。
などと話し込んでいると、ミカのスマホが鳴った。
「俺だ。――な、なんだと!? 霊力総量、測定不能!?」
部屋の隅で待機していたミカの部下たちが目を剥いた。
「分かった。ヘリはすぐに戻せ」ミカが通話を終えた。「おい、お前たち、大至急、第ゼロ師団へ救援要請を!」
「総理大臣と防衛大臣、それに霊害庁長官の顔を潰す形になりますが……」
恐る恐るな部下の言葉に、
「言ってる場合か!」とミカが一喝する。「泥は俺がかぶる。さぁ、行け!」
「はいっ」
おおっ、ミカって意外とちゃんと立派な上司やれてるんだね。
『責任は俺が取る』的なことが言えるなんて、ちょっと格好良いかも。
それはそうと、『第ゼロ師団』というのは確か、自衛隊の『存在しないはずのゼロ番目の師団』のこと。
対アヤカシ専門の戦闘集団だ。
この国はシビリアンコントロールが利いているので、当然ながら総理大臣や防衛大臣の指示無しに自衛隊は動けない。
だが、総理や防衛大臣、そして退魔界隈の警察庁と呼ばれる『霊害庁』に相談しているヒマはないということ。
……え、それってつまり、めちゃくちゃ緊迫した、超ヤバい状況なのでは?
「そうだよ、超ヤバい状況だ」
部下たちに矢継ぎ早に指示を飛ばし終わった後、ぐったりした様子のミカが私に言った。
「えっ、私、声に出してた?」
「出してない」
「もしかしてテレパシー的な術が使えるの?」
「使えないよ。お前の顔が分かりやすすぎるだけだ」
「失礼なっ」
「はははっ。お前とのこうした軽口もこれで最後になるかもしれないと思うと、ずっと続けたいくらいだな」
「…………最後?」
最後だって?
不穏だ。あまりにも。
「どういうこと?」
「以前、俺が殺されかけたことがあっただろう」
「あぁあの、なんかでっかいやつ」
「な、『なんかでっかいやつ』……下級・中級・上級のさらに上、特級アヤカシを相手に『なんかでっかいやつ』とは恐れ入るよ。あの巨人で、霊力総量は1,000万単位だったんだ。そして、あのヘリに搭載されている探査術式では、最大9,999万単位までの霊力を測定できる」
「ほう。……って、え!?」
「気づいたか。そう、今、西に現れた超巨大アヤカシの霊力は、少なくとも1億単位超えなんだ」
「特級アヤカシの10倍以上……?」
「そう。放っておけば、日本が滅ぶ」
「そ、そんなっ。政府がなんとかしてくれるんじゃ!? そのための政府でしょ!? そのための第ゼロ師団なんじゃないの!?」
「応援要請はかけた。が、到着までの時間稼ぎが必要だ」ミカが微笑んだ。「俺は今日、死ぬんだろうな。最後にお前に会えて、良かった」
「……っ!? ばっ、バカ言わないでよ!」
私はひどく戸惑った。
二重の意味で、だ。
1つ目は、ミカが『死ぬ』と発言したことについてだ。
そう発言しながらも、怯えるでも泣き叫ぶでもなく、落ち着いた表情をしていることに、私は途方もない衝撃を受けたのだ。
つまりミカは、常日頃から死を覚悟しながら職務に励んでいたということだ。
私みたいに、境様の力に頼りきってゲーム感覚でアヤカシどもを蹴散らしていたのとは違い、彼はいつだって死を意識しながらも懸命に戦っていたんだ。
日本を、私たちの生活を守るために!
戸惑いの2つ目は、私がそんな彼に対して『死んでほしくない』と感じたことだ。
そう、私はそう感じた。
自分でもびっくりするくらいの、それは強烈な感情だった。
気に入らないヤツだと思っていたのに。
利用し、利用されるだけの間柄だと思っていたのに。
私、もしかして、コイツのこと――
「私が行くわ!」私はベッドから飛び降りた。「アンタが死にそうな目に遭う必要なんて、ない! 私が行って、ぱぱっと倒してくればいいだけなんだから」
「そんな、危険だ!」
「誰に向かって言ってるのよ? 私には、世界最強の境様による自動発動型対物対霊最強無敵結界があるんだからっ。そうでしょ、境様?」
……………………返事が、ない。
「あれ、境様?」
それでようやく、私は、境様の気配がないことに気づいた。
嫌な汗が、額に浮かぶ。
「お、おーい、境様。あれ?」
「俺もさっきから何度も呼びかけているんだが、返事がないんだ。気配も感じられない」
「そ、そ、そんなバカな話が。私、境様と出会ってから2年以上、毎日ずっと一緒だったのよ?」
私はいよいよ、怖くなってくる。
額には玉の汗が浮かび、頬を伝って顎から落ちていく。
境様がいなきゃ、私は無力だ。
境様に出会う前の、『出涸らし巫女』に戻ってしまう。
「境様、どこ!? 返事してよ、ねぇ! 意地悪しないでっ」
私は懇願する。
だが、返事はない。
「せ、【千里眼】っ!」
境様の居場所を探ろうと思い、定番の術を使った。
が、術は発動しなかった。
「そ、そんな……本当に?」
私は、絶望のどん底に突き落とされた。
私、こんなにも無力だったんだ。
私が今まで飄々としていられたのは、調子に乗っていられたのは、何もかも境様の加護があったからこそだった。
「やはり、俺が行くよ」
「待って、ちょっと待って! ちょっと散歩に行ってるだけかもしれない」
「これ以上放っておいたら、あの霊力1億単位超えのバケモノが人を喰らいはじめかねないんだ」
「――っ」
「なぁ伍」ミカが微笑んだ。「最後に、キス、させてくれないか」
「い、嫌よっ。そんな、今生の別れみたいなこと、言わないで」
「キス自体は嫌じゃないってことか?」
ミカがいたずらっぽく微笑む。
「私は、私は――うぅっ、なんでこんな時に、そんな意地悪なこと言うの!?」
頭がぐちゃぐちゃになってしまって、上手く言葉にできない。
「もう、時間がない。するぞ」
頬に触れられた。
ミカの大きな手に。
顔が近づいてくる。
「んっ」
私は、目を閉じてしまった。
怖いのか、そうでないのか。
拒否したいのか、受け入れたいのか。
分からない。
――ちゅっ
頬にだった。
ミカが、私の頬にキスしたのだ。
「前言撤回だ」ミカが言った。「生きて帰ってくる。続きは、その時にしよう」
ミカが微笑んだ。
その悲壮な笑顔に、私は胸が締め付けられるような思いになった。
目を覚ました時、私は見知らぬ寝室にいた。
「伍!?」
すぐ横に、目を赤く腫らしたミカが座っていた。
手を握られている。
「ちょっと、放して――」
「あぁ、良かった。目を覚ましてくれて、本当に良かった!」
手を振り払おうとしたが、ミカが泣きそうな顔をしていたので、振り払えなかった。
「……もうっ。私は大丈夫だから。この手を放して」
「もう少しだけ、このままで」ミカが言った。私の手に頬ずりして、「怖かったんだ。お前が二度と目を開いてくれないんじゃないかって、不安で」
「…………」私は、照れる。そう、こんなイケメンにそんな甘々発言をされてしまって、まんざらでもない気持ちになってしまっていた。「…………?」
あっ、ミカのヤツ、ニヤついてやがる!
「もう平気なんでしょっ。だったら手を――」
その時だった。
…………………………………………ぞわり。
とてつもない寒気が、部屋を満たした。
「え、な……に……何なのこれ!?」
体の震えが、止まらない。
数分して、部屋に見覚えのある男女が駆け込んできた。
彼らがミカに何事かを報告している。
そう、彼らはミカの護衛、というか部下たちだ。
ということは、ここはやはりミカの家――阿ノ九多羅邸だったのか。
彼らからの報告によると、西のほうでとてつもなく巨大で邪悪なアヤカシの気配が発生した、とのことだ。
「西……」
阿ノ九多羅邸から西のほうと言えば、実家がある方角だ。
何だか嫌な予感がする。
「ちょっと様子見てくる」
私がベッドから降りようとすると、
「ダメだ。病み上がりなんだから」
とミカに止められた。
「んな、大げさな」
「大げさなものか。今、部下に調べさせている。大丈夫、彼らもプロなんだから」
私とミカが押し問答をしている間にも、阿ノ九多羅家のプロ退魔師たちがテキパキと動いていく。
やがて、
――パラパラパラパラパラパラッ
と、庭のほうから激しい音が聴こえてきた。
「え、まさかヘリ!? そんなものまで持ってるの!?」
「そりゃ、天下の阿ノ九多羅家だぞ。ヘリくらいある」
そ、それもそうか。
それもそうなのか?
「上空から、探査の術式で相手の霊力量と脅威度を計測するんだ。政府が24時間365日飛ばしているAWACSに要請してもいいんだが――」
「えーわっ何?」
「AWACS。早期警戒管制機のE-767だ」
「???」
「まぁ、軍用航空機だよ。政府が空から、24時間休むことなく日本全土を見守っているんだ。だが国内に4機しかないから、ここまで飛んでくるのに時間がかかる。それなら、自前の簡易AWACSで対処したほうが早い」
「はえー……」
私はすっかり感心してしまった。
政府とか飛行機とか24時間体制とか自前のヘリとか。
改めて、阿ノ九多羅家とその当主であるミカが日本を守っているのだ、と思い知らされた。
などと話し込んでいると、ミカのスマホが鳴った。
「俺だ。――な、なんだと!? 霊力総量、測定不能!?」
部屋の隅で待機していたミカの部下たちが目を剥いた。
「分かった。ヘリはすぐに戻せ」ミカが通話を終えた。「おい、お前たち、大至急、第ゼロ師団へ救援要請を!」
「総理大臣と防衛大臣、それに霊害庁長官の顔を潰す形になりますが……」
恐る恐るな部下の言葉に、
「言ってる場合か!」とミカが一喝する。「泥は俺がかぶる。さぁ、行け!」
「はいっ」
おおっ、ミカって意外とちゃんと立派な上司やれてるんだね。
『責任は俺が取る』的なことが言えるなんて、ちょっと格好良いかも。
それはそうと、『第ゼロ師団』というのは確か、自衛隊の『存在しないはずのゼロ番目の師団』のこと。
対アヤカシ専門の戦闘集団だ。
この国はシビリアンコントロールが利いているので、当然ながら総理大臣や防衛大臣の指示無しに自衛隊は動けない。
だが、総理や防衛大臣、そして退魔界隈の警察庁と呼ばれる『霊害庁』に相談しているヒマはないということ。
……え、それってつまり、めちゃくちゃ緊迫した、超ヤバい状況なのでは?
「そうだよ、超ヤバい状況だ」
部下たちに矢継ぎ早に指示を飛ばし終わった後、ぐったりした様子のミカが私に言った。
「えっ、私、声に出してた?」
「出してない」
「もしかしてテレパシー的な術が使えるの?」
「使えないよ。お前の顔が分かりやすすぎるだけだ」
「失礼なっ」
「はははっ。お前とのこうした軽口もこれで最後になるかもしれないと思うと、ずっと続けたいくらいだな」
「…………最後?」
最後だって?
不穏だ。あまりにも。
「どういうこと?」
「以前、俺が殺されかけたことがあっただろう」
「あぁあの、なんかでっかいやつ」
「な、『なんかでっかいやつ』……下級・中級・上級のさらに上、特級アヤカシを相手に『なんかでっかいやつ』とは恐れ入るよ。あの巨人で、霊力総量は1,000万単位だったんだ。そして、あのヘリに搭載されている探査術式では、最大9,999万単位までの霊力を測定できる」
「ほう。……って、え!?」
「気づいたか。そう、今、西に現れた超巨大アヤカシの霊力は、少なくとも1億単位超えなんだ」
「特級アヤカシの10倍以上……?」
「そう。放っておけば、日本が滅ぶ」
「そ、そんなっ。政府がなんとかしてくれるんじゃ!? そのための政府でしょ!? そのための第ゼロ師団なんじゃないの!?」
「応援要請はかけた。が、到着までの時間稼ぎが必要だ」ミカが微笑んだ。「俺は今日、死ぬんだろうな。最後にお前に会えて、良かった」
「……っ!? ばっ、バカ言わないでよ!」
私はひどく戸惑った。
二重の意味で、だ。
1つ目は、ミカが『死ぬ』と発言したことについてだ。
そう発言しながらも、怯えるでも泣き叫ぶでもなく、落ち着いた表情をしていることに、私は途方もない衝撃を受けたのだ。
つまりミカは、常日頃から死を覚悟しながら職務に励んでいたということだ。
私みたいに、境様の力に頼りきってゲーム感覚でアヤカシどもを蹴散らしていたのとは違い、彼はいつだって死を意識しながらも懸命に戦っていたんだ。
日本を、私たちの生活を守るために!
戸惑いの2つ目は、私がそんな彼に対して『死んでほしくない』と感じたことだ。
そう、私はそう感じた。
自分でもびっくりするくらいの、それは強烈な感情だった。
気に入らないヤツだと思っていたのに。
利用し、利用されるだけの間柄だと思っていたのに。
私、もしかして、コイツのこと――
「私が行くわ!」私はベッドから飛び降りた。「アンタが死にそうな目に遭う必要なんて、ない! 私が行って、ぱぱっと倒してくればいいだけなんだから」
「そんな、危険だ!」
「誰に向かって言ってるのよ? 私には、世界最強の境様による自動発動型対物対霊最強無敵結界があるんだからっ。そうでしょ、境様?」
……………………返事が、ない。
「あれ、境様?」
それでようやく、私は、境様の気配がないことに気づいた。
嫌な汗が、額に浮かぶ。
「お、おーい、境様。あれ?」
「俺もさっきから何度も呼びかけているんだが、返事がないんだ。気配も感じられない」
「そ、そ、そんなバカな話が。私、境様と出会ってから2年以上、毎日ずっと一緒だったのよ?」
私はいよいよ、怖くなってくる。
額には玉の汗が浮かび、頬を伝って顎から落ちていく。
境様がいなきゃ、私は無力だ。
境様に出会う前の、『出涸らし巫女』に戻ってしまう。
「境様、どこ!? 返事してよ、ねぇ! 意地悪しないでっ」
私は懇願する。
だが、返事はない。
「せ、【千里眼】っ!」
境様の居場所を探ろうと思い、定番の術を使った。
が、術は発動しなかった。
「そ、そんな……本当に?」
私は、絶望のどん底に突き落とされた。
私、こんなにも無力だったんだ。
私が今まで飄々としていられたのは、調子に乗っていられたのは、何もかも境様の加護があったからこそだった。
「やはり、俺が行くよ」
「待って、ちょっと待って! ちょっと散歩に行ってるだけかもしれない」
「これ以上放っておいたら、あの霊力1億単位超えのバケモノが人を喰らいはじめかねないんだ」
「――っ」
「なぁ伍」ミカが微笑んだ。「最後に、キス、させてくれないか」
「い、嫌よっ。そんな、今生の別れみたいなこと、言わないで」
「キス自体は嫌じゃないってことか?」
ミカがいたずらっぽく微笑む。
「私は、私は――うぅっ、なんでこんな時に、そんな意地悪なこと言うの!?」
頭がぐちゃぐちゃになってしまって、上手く言葉にできない。
「もう、時間がない。するぞ」
頬に触れられた。
ミカの大きな手に。
顔が近づいてくる。
「んっ」
私は、目を閉じてしまった。
怖いのか、そうでないのか。
拒否したいのか、受け入れたいのか。
分からない。
――ちゅっ
頬にだった。
ミカが、私の頬にキスしたのだ。
「前言撤回だ」ミカが言った。「生きて帰ってくる。続きは、その時にしよう」
ミカが微笑んだ。
その悲壮な笑顔に、私は胸が締め付けられるような思いになった。



