四季神(しきじん)巫由(ふゆ)は、どうしようもないほどイライラしていた。
 理由は明白だ。
 双子の妹・(いつつ)が原因である。
 伍は仕えるべき神を持たない、生まれながらの落第生、余り物、出涸らし、老廃物だ。

 巫由は、忙しい。
 学校に塾にピアノにダンスに花道に合気道に空手に柔道に……。
 そして何より、冬神の巫女としての修行に。
 毎日毎日、分刻みでスケジュールが管理されていて、叫び出したいほどの忙しさなのだ。
 そんな巫由が今までかろうじて自我を保ててこれたのは、伍がいてくれたからだった。

 伍は巫由の癒やしだ。
 毎日が多忙でストレスフルな巫由にとって、伍だけが癒やしなのだ。
 伍の、冷や汗を浮かべた真っ青な顔。
 涙を浮かべた惨めな顔。
 今にも吐きそうになっている、情けない顔。
 目の下に浮かんだ色濃いクマ。
 ガサガサ肌。
 骨と皮みたいなやつれきった頬。
 そういう伍を見ていると、巫由の心は得も言われぬほどの快感で満たされるのだ。

 自分よりも『下』の存在がいる。
 それが、他ならない双子の妹。
 自分と同じ遺伝子を持って生まれたはずなのに、自分よりも決定的に劣っている存在。
 伍。
 だから巫由は、伍のことが大好きなのだった。
 …………なのに。

 2年ほど前からだろうか。
 伍が、あまり暗い表情をしないようになりはじめた。
 巫由はそんな伍の変化が少し不愉快だったが、依然として伍は惨めなままだったので大して気にしていなかった。
 だが最近になって、伍に決定的な変化が現れた。
 伍に、彼氏ができたのだ。
 それも、アイドル顔負けのとんでもない美形な彼氏が。
 しかもその彼は、目玉が飛び出るほど金持ちなのだという。

 彼氏ができてからというもの、伍は目に見えてキレイになった。
 彼から贈ってもらったのだというブランド物の服で着飾り、
 高級コスメでメイクして、
 200万円はするブルガリのペアウォッチを身につけ、
 指には5カラットのダイヤモンドの婚約指輪を嵌めて!

 インターネットで調べたら、『5カラットのダイヤは1,500万円はする』と出た。
 とんでもない話だ。
 超絶イケメン彼氏に1,500万円の婚約指輪を贈ってもらった――これを幸せと呼ばずして、なんと言えばよいのだろう?
 そう、伍は幸せになってしまったのだ。
 誰よりも惨めでかわいそうでなければならない、あの伍が。
 巫由よりも圧倒的に『下』で、巫由の嗜虐心を満たすためだけに存在すべきな、あの伍が!

「ムカつくムカつくムカつく!」

 巫由は荒れに荒れていた。
 両親の言いつけはきちんと守ってきた巫由だったのだが、その日は塾をサボってゲーセンのパンチングマシーンを殴りつけるほどに荒れていた。

 ――バシーン!

 軽く霊力すらまとわせた拳はしかし、

「痛っ!? 何なのよ、もうっ」

 パンチングマシーンにあっけなく負けてしまった。
 巫由は八つ当たりとばかりに、怒りに任せてパンチングマシーンを蹴りつけた。
 退魔家業はアヤカシ相手に立ち回る機会も多いので、近接アタッカーでなくとも武術の心得は必須。
 毎日受けている武術の稽古が、巫由の華麗な回し蹴りを実現させているわけだ。
 パンチングマシーンを蹴りつけることに対する罪悪感などというものは、ない。
 そんなモラルを生まれ持っているのなら、伍を下げることで快感を得るような歪んだ性格にはなっていない。

「ふーっ」

 ひとしきりゲーセンを荒らしまわり、悪態をつきまくった後、巫由は鼻息荒く外に出た。

「※※※※、※※※※※※※」

 後頭部のあたりで、ふわふわとした声がする。
 冬神の声だ。
 具体的な言葉は聞き取れないが、

『遊んでないで、今からでもいいから塾へ行け。先制と親に謝れ』

 というような、説教のニュアンスを感じる。

 そう、巫由は冬神の巫女であるにもかかわらず、未だ冬神との意思疎通ができずにいるのだ。
 それは巫由の修行不足に起因しているのだが、自分勝手な巫由は、『冬神様のイジワルのせいだ』と勝手に決めつけている。




「妹さんが憎いですカ?」




 不意に、巫由に話しかけてくる人物がいた。
 見知らぬ男性だ。
 どこにでもいそうなサラリーマン。
 メガネを掛けた、父と同じくらいの年齢の男。
 人混みに紛れたら秒で忘れてしまいそうなほど、特徴のない顔をしている。

「ありますヨ。妹さんを不幸にさせる、とっておきの方法ガ」

 怪しいことこのうえなかった。
 だいたい、こんな夜道でいきなり話しかけてくるなど、いったいどういうつもりなのか。
 それに、なぜ巫由に妹がいることを知っているのか。
 巫由が人並みの慎重さを身に付けていたならば、言葉選びやイントネーションの端々に、日本人らしからぬ違和感にも気づけたことだろう。
 だが、巫由は気づかなかった。

 四季神家は、没落気味とはいえ『護国十家』の四番目として平安時代から日本を守り続けてきた名家中の名家だ。
 そして、貴重な巫術使い――霊能力者の家系でもある。
 こういう家は、狙われやすい。
 何から狙われるのかというと、アヤカシの存在を知る『裏の裏組織』だったり、日本の混乱や転覆を目論む他国のエージェントだったり、だ。

 護国十家の一角が力を落とせば、その分、アヤカシが国内を跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)するようになる。
 そうなれば、国内が混乱し、国民の心身が乱れ、怪しげな宗教や商法が流行りやすくなったり、国民の不満が為政者に向けられたりする。
 そういう混乱を近隣諸国で引き起こさせ、混乱に乗じて侵攻しようとするのは特定の国の常套手段である。

 巫由は親から教育されているので、そういう組織に狙われる可能性について、知識としては知っていた。
 だから、巫由が理性的な性格だったならば、すぐにこの場を去り、怪しい男に話しかけられたことを親に報告したことだろう。
 だが、巫由はそうしなかった。
『妹を不幸にさせる方法』という、甘美な言葉に興味をいだいてしまったからだ。

 男に誘われるがまま、巫由は喫茶店へと入った。
 ひどく短絡的な性格をしている巫由は、それがどれほど愚かしい行為なのか、まるで分かっていなかった。

「※※※※※※、※※※※※※! ※※※※※※※※※※※※※※!」

 後頭部のあたりで、冬神がしきりに何かを訴えかけている。
 だが、巫由はそんな神に向かって冷たく言い放った。

「冬神様は黙ってて。これは姉妹の問題なの」




   ■   □   ■   □




 男が教えてくれた『伍を不幸にさせる方法』とは、『伍の高校で呪いの儀式を流行らせる』というものだった。
 具体的には、最もポピュラーな降霊術『コックリさん』だ。

 伍には、巫由には遠く及ばないまでも霊力があり、とはいえ悪霊をはねのけられるほどの力はない。
 つまり、悪しきアヤカシにとっては絶好のエサなのだ。
『コックリさん』の流行によって学内のそこかしこで稚拙な降霊術が行われれば、有象無象の動物霊たちが集まりはじめることだろう。
 動物霊たちは、絶好のエサであるところの伍に取り憑き、伍の心身を蝕むはずだ。

 実のところ、巫由は男に言われるまでもなく、その策を実行していた。
 伍が通う県立■■高校の女子と偶然を装って知り合いになり、『気に入らないヤツを不幸にさせるおまじない』として『コックリさん』を教えたのだ。
 その際、相手の脳みそを少しだけいじくる呪術も使った。
 洗脳呪術は父が得意とする術で、いつも身近で見ていたため、巫由も多少なら使うことができるのだ。

 アヤカシの存在も知らない民間人に大して洗脳呪術を使うことに対して、罪悪感というものはない。
 むしろ、『巫術の練習にもなって一石二鳥』とすら考えていた。

 ここまででは、男の話に真新しさはなかった。
 だが、そこから先が違った。

「これを使ってくださイ。すごく効きますヨ」

 と男が言った。
 差し出されたのは、

「何これ?」

「ウィジャ盤、と言いまス。海外版の『コックリさん』に使うボードですネ」

『Yes』と『No』、そしてアルファベットと数字が並んだボードだ。
 なるほど、確かにこれは『海外版コックリさん』だ、と巫由は思った。

「このボードの中に妹さんの髪の毛を入れた状態で、『コックリさん』をやってくださイ。『コックリさん』に、妹さんを呪うようにお願いしてくださイ。すごく効きますヨ」

「そんなに?」

「すごく、すごく効きますヨ」

「へぇ!」

 巫由はすっかり嬉しくなってしまった。

(さっそく、■■高校のあの子にこれを渡さなきゃ。あ、その前に、伍の部屋から髪の毛を回収しなきゃね)