2年が過ぎた。
 力を隠しとおすことに成功した私は、希望どおり一般の高校に入学することができた。
 春神様・夏神様・秋神様・冬神様たちは私の希望を酌んでくれて、私の力のことを姉たちに伝えずにいてくれた。

 そんな私は現在、

「やばいやばい、配信始まっちゃう!」

 退魔家業とは距離を置いた、充実した一般人ライフを満喫している。

「あの担任、ホームルーム長いのよ!」

 学校からの帰り道、私はショートカットするために路地裏を突っ走る。
 すると、足に何かが当たったような感触。

『ギャッ』

 続いて何か聴こえたような。
 だが、足元を見下ろしても何もいない。

「何だったんだろう? まぁいいや」

「おい、お前!」

 すると、キツネの面を被った怪しげな男に話しかけられた。

「ひっ、私ですか!?」

「貴様、今、何をした!? 今のは俺でも手こずるような上位種――」

 男は鬼気迫る様子で近寄ってくる。
 すわ不審者か!?

「人違いじゃないですか!? さよーならー!」

 脚力全開。
 (さかい)様に足腰を霊力で強化してもらい、私は脱兎のごとく逃げ出した。




   ◆   ◇   ◆   ◇




「あーっ、怖かった。何だったんだろう、あの不審者」

「あんな薄暗い路地をたった1人で全力疾走してるお前さんの方がよっぽど不審者だぜ」

 境様が軽口を叩いてくるが、私は返事をしない。
 一般人にはもちろん、私の家族たちにすら、境様の姿は見えないからである。

 帰宅して手を洗う。
 顔を上げれば、2年前とは打って変わって生き生きとした私が鏡に映っていた。
 それはそうだろう。
 境様の霊力のお陰でお肌なツヤツヤ、髪もしっとり。
 そして何より、精神的なストレスから解放されたのが大きい。

四季神(しきじん)家のごくつぶし」
巫由(ふゆ)様から出た老廃物」

 などなど、相変わらず家族や女中たちから散々な陰口を叩かれている私だけれど、そういうことを言われるたびに、

「は? 私、アンタたちをひねりつぶそうと思えば簡単にできるんですけど~」

 と思うことであっという間にストレスフリー。
 そして事実私には、火の巫術で相手を丸焼きにすることも、風の巫術で細切れにすることもできる。
 もちろん実際にはしないけどね。
 あ、でもその代わり――

「あら(いつつ)様、おかえりなさいませ。クスクス」

 自室に向かうと、ちょうど年若い女中が部屋から出てくるところだった。
 無視して部屋に入ると、洗濯物が地べたにぐしゃっと落ちている。
 まぁ、ささやかなイジメだ。茶飯インシデントってやつだ。
 2年前の私なら、泣き寝入りしていただろう。
 だが、今の私は違う。

「秘奥義、【スギ花粉】の術!」

『季節の変わり目神』こと境様の固有巫術。
 女中の鼻の中に大量のスギ花粉が発生し、

「くしゅん! ふ、ふぇ、はーっくしゅん! えっ、なんで急に……はーっくしゅん!」

 とたん、鼻水まみれになる女中。
 んっふっふっ、どんなもんだい。

「さて、推し活推し活。素晴らしきかな一般人ライフ」




   ●   ○   ●   ○




 一文字(いちもんじ)二双(ふたまた)三ツ目(みつめ)四季神(しきじん)五里(ごり)六九六(むくろ)七宝(しっぽう)八岐(やつくび)阿ノ九多羅(あのくたら)十月(じゅうげつ)

 護国十家の一等一位。
 最強のアヤカシ『九尾狐(きゅうびこ)』を使役する阿ノ九多羅家。
 彼――阿ノ九多羅ミカが若干20歳で当主を務める家だ。

 平安時代から日本最強と呼ばれ続けてきた当家の名声も今は昔。
 阿ノ九多羅家は今や、没落寸前だ。
 8年前に、立て続けに不幸が起こったからである。
 とある退魔師同士の抗争で、ミカの父が死に、当時世界最強と謳われていた彼の叔父が死んでしまった。
 その直後、当時18歳で稀代の天才と言われていた長女・マリアが駆け落ちしてしまった。
 残されたのは、イギリス人の母アガタと、次女イザベル、三女ヴェロニカ、そして末子にして長男のミカエルことミカ。

 母は霊力こそ強かったが、父の言いなりで意志が弱く、とても家を切り盛りできるような人ではなかった。
 姉2人は霊力が弱く、退魔師には向いていなかった。
 それでも母と姉2人と親族たちで騙し騙し家を支えてきたのだが、もう限界だ、ということでミカにお鉢が回ってきたのだ。

 ミカは幼いころから優秀で、マリアの再来だと持ち上げられていた。
 確かにミカは、退魔家の子供たちが秘密裏に通う退魔学校を首席で卒業した。
 が、当のミカは知っている。
 自分は天才なんかじゃない。中途半端な秀才に過ぎないのだ、と。
 退魔学校という烏合の衆の中でトップだったというだけ。
 退魔学校には日本中から優秀な子供たちが集められる。
 だが、そんな退魔学校でトップだったミカですら、あの伝説の姉マリアや父の足元にも及ばない。
 ましてや当時世界最強と謳われた叔父とは比較にもならない。

 なぜならミカは、未だに阿ノ九多羅家が封じている九尾狐の交霊術に成功したことがない。
 九尾狐を使役できるからこその阿ノ九多羅家なのに、その九尾狐を見ることすらできないのだ。
 霊力が弱すぎる所為で。

 退魔学校トップの人間ですら視ることもかなわない存在、九尾狐。
 それをその身に降ろし、屈服させることが阿ノ九多羅家当主の最低条件。
 ミカは、その最低条件を満たしていない。
 そして今現在、ミカよりも優れた術師は阿ノ九多羅家にいない。
 このままでは阿ノ九多羅家が衰退し、消滅してしまう。

 それではダメだ。
 後継者が必要だ。
 九尾狐を従えられるほどの強い後継者が。
 つまり、彼との間に強い子供を産んでくれる、とんでもなく強い嫁が必要なのだ!

 そんなわけで、退魔業に勤しむ傍ら、20歳にして過酷な婚活に励む毎日である。




   ●   ○   ●   ○




『ギャギャギャッ』

 その日遭遇したアヤカシは、とてつもなく強かった。
 ヤギのツノにコウモリの翼、サソリの尻尾。絵本やゲームの中から飛び出してきたような典型的な悪魔『マレブランケ』だ。
 あまりにも強大な霊力で、ほとんど受肉しかけていた。

 毎年、冬は西欧圏のアヤカシが活発化する。
 ハロウィンにクリスマスにバレンタインデーと、西洋の宗教的行事が立て続けに起こることにより、人々が無意識に垂れ流している微弱な霊力が西欧的なモノに集まりやすくなるからだ。
 西欧圏のアヤカシはそういうモノに集まった霊力を養分にして、成長する。

「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前!」

 人のいない路地裏で、阿ノ九多羅ミカは1人、マレブランケと戦う。
 ミカが放つ光の矢は、敵にあっさりと払いのけられてしまう。

(ぐっ、強い。コイツ、上級悪霊か)

 並の退魔師なら瞬殺されるほどの相手。
 秀才ミカだからこそ、こうして持ちこたえられているのだ。

『ギシャアアアッ!』

 敵が槍を振るうと、無数のかまいたちが発生した。
 ミカ自身は強力な結界をまとっているから平気だ。
 だが、問題なのはこの空間を覆っている結界の方。
 敵が暴れるたびに結界にひびが入る。
 この結界を破られてしまうと、街の人々に被害が出てしまう。

(どうする!? 全力を出すか!?)

 ミカは迷う。
 全力を出せば倒せる相手だ。
 だが、そうなれば彼は力を使い果たしてしまい、1週間は動けなくなってしまうだろう。
 ここのところ、毎日のように出動要請がかかっているというのに、だ。

(どうすれば――)

 彼の迷いが極致に達した、その時。

「やばいやばい、推しの配信始まっちゃう!」

 絶望的な空気を、場違いに陽気な声が切り裂いた。
 同時に、女子高生が路地裏に飛び込んできた。
 文字どおり、飛んで入ってきた。1メートルは飛び上がっている。
 そのバケモノじみた脚力を持つ女子高生がマレブランケを踏みつけた、その瞬間。

『ギャピッ!?』

 あれほど強かったはずのマレブランケが、一瞬で消滅した。

「あれ、何か踏んづけた? まぁいいや」

 そう言って、さっさと走り抜けようとする女子高生。

(……………………は?)

 ミカは理解が追いつかない。

(踏みつけただけで祓った? あれほどの強敵を!? 退魔学校を首席で卒業した俺が苦戦するほどの相手を!? アリでも踏みつぶすみたいに一瞬で!? 倒したことすら気づかずに!? えっ!? ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええっ!?!?!?)

「おい、お前!」

 絶好の嫁候補!
 何としてでも捕まえなければ!

 ミカは必死に女子高生を呼び止めようとした。
 が、女子高生は相変わらずのバケモノ脚力で、あっという間に去っていってしまった。

 ミカはそいつの霊力の残滓を追跡した。
 そうして着いた家というのが、

「四季神家、か」