夕方。
 さすがに歩き疲れたので、海の見える公園で一休みすることになった。

「ちょっと飲み物買ってくるね」

 私をベンチに座らせて、エルが去っていく。
 ベンチの上にハンカチまで敷いてくれるんだから、エルは本物の紳士だ。

 いやぁ、それにしても、今日は本当にすごかった。
 午前中の動物園はすっごく楽しかったし、お昼のフレンチもものすごく美味しかったし、何よりすごかったのは午後のお買い物だ。
 ベンチに山のように積み上げられている紙袋の中には、私のためにエルが買ってくれた服・服・服・服・服・服・靴・靴・アクセサリ・アクセサリ・アクセサリ、そして何より時計が入っている。
 どれもこれも、超一流ブランドの品ばかりだ。
 今日だけで、いったい何百万使ってくれたんだろう……。
 元の金銭感覚に戻れなくなりそうで、怖い。




「ねぇ、お姉さん。今、ひとり?」




 不意に、話しかけられた。
 顔を上げてみれば、ガラの悪そうな男が3人。

「暇なら俺らと遊ばない?」

 え、何コレ?

 私は右を見て左を見て、後ろを見る。
 が、周囲に私以外の女性はいない。

「アンタだよ、アンタ」

 男のひとりが、私の肩に触れてきた。
 あ、これ、ナンパってヤツ?

「私、友人と一緒に来てますので」

 私は臆することなく答えた。
 すると男が、私の肩をつかむ手に力を込めた。

「どう見てもひとりじゃん。ちょっとカラオケにでも行こうよ。おごったげるからさ」

「迷惑なので、やめていただけますか」

「ああん!?」

 男の手に、さらなる力が加わる。

「ひゅーっ。お姉さん、勇ましいねぇ」

「おい※※、やめてやれよ。ビビってるだろが」

 他のふたりがニヤニヤしながら見ている。

 ……へぇ。
 アンタら、自分が誰に話しかけてんのか、分かってんの?
 よほど命が惜しくないようね。

「をいをいをい」と(さかい)様。「落ち着け、(いつつ)! 巫術はナシだぞ!」

 風が起こる。
 木々がざわざわと騒ぎ出す。
 私の体内から漏れ出す怒りが、激情が霊圧となって周囲を揺らしているからだ。

「おい、何とか言ったらどうなんだよ」

 だが、目の前の男にはそんなこと分かろうはずもない。
 男は調子に乗り、ますます私の肩を締めつけてくる。
 こうやって暴力で押さえつければ、私が怯えて言うことを聞くとでも思っているのかしら?
 それでカラオケボックスに連れ込んで、何をするつもり?

「おい、こら」

 男がますます恫喝してくる。
 怖いかと言われれば、1ミリたりとて怖くない。
 だって私、コイツのことを殺そうと思ったら、1秒とかけずに殺せるもの。

 上級真言密教術【大天狗風】でコイツを空叩く舞い上がらせ、地面に叩きつけてやってもいいし、
 エルに対して思いっきり薄めて浸かっていた【魅了】の呪術を原液濃度で使って、コイツの脳を破壊してやってもいいし、
 境様直伝巫術【スギ花粉症の術】の重ねがけで、コイツを自分の鼻水で窒息死させてやってもいいし、
 もっとシンプルに、極大真言密教術【不動明王()()()(えん)】で骨も残さず蒸発させてやってもいい。

「だから落ち着けって、伍! こんなところで術をぶっ放しちまったら、事件になるだろうが!」

 私は至極冷静ですよ、境様。
【不動明王迦楼羅炎】なら灰も残らないから、証拠隠滅はバッチリ。

「殺しの時点でダメだろうが! あーもう。俺様、加護を与える相手を間違えちまったのかぁ?」

 境様の、そのご発言にはビビった。
 慌てて、周囲の木々を揺らしていた霊圧を引っ込める。

 や、やだなぁ境様。
 冗談に決まってるじゃないですか。
 アヤカシの存在も知らないような一般人相手に。
 良識あるこの私が、攻撃術なんて使うはずがないでしょ。

「どうだかなぁ」

 さ、さて、それはともかく、どうしたものか。
 とにかく、この場を何とか収めなければ。

 この男どもを撃退しようにも、私には武術の心得がまったく、全然、ない。
 身体強化術式【金剛力】で膂力を増せばコイツらの骨をへし折ることも容易いけれど、そんなことをしてしまうと、周囲に集まりつつある野次馬に怪しまれてしまう。
 どうしよう、どうすれば。
 焦りが、私の脳を支配していく。
 どうしよう……助けてっ、エル!




「人の彼女に何してるんだ?」




 その時、心細い思いをしていた私の耳に、ひどく冷え込んでいて、それでいて情熱的な声が染み込んできた。
 エルの――私の恋人の声だ。

「ああ? 何だ、オッサン――ぎゃっ!?」

 男のひとりがエルにつかみかかった瞬間、男が宙を舞い、叩きつけられた。
 お手本のような見事な一本背負い。
 背負投げをしたのは、エルだ。

「えっ、ええっ、えええっ!?」

 私は混乱する。
 エルが、ものの10秒足らずで男たち3人をのしてしまったからだ。
 まさかエルがここまで強いとは、思いもしていなかったからだ。

「大丈夫だったかい、伍!? ごめんっ、俺が目を離したばっかりに」

 3人を地面に叩きつけた先生が、私に駆け寄ってくれる。
 ……あ、あはは。
 エルってば一人称が『俺』になってる。
 それほど、慌ててくれたってことなんだ?

「だ、大丈夫で――すっ!?」

 エルにぎゅっと抱きしめられ、私は束の間、呼吸が止まった。

「もう、離さない。伍、キミ無しではもう、俺はいられないんだ。頼む、そばにいてくれ」

 ナンパ男たちが逃げ出していく。

 太陽が西の空に降りていく。
 空が赤く染まる。

「ねぇ、伍」エルが語りかけてくる。熱を帯びた声で、眼差しで。「初デートでこんなことを言うなんて、どうかしてると自分でも思う。でも、この期を逃せば、これほどの好機なんて二度と訪れないと――キミほどの相手となんて二度と逢えないと、そう思ったんだ」

 エルが私の前にひざまずいた。
 彼が懐から取り出したのは――指輪のケース!?
 彼が蓋を開くと、中にはなんと、ダイヤの指輪が入っていた。

「伍、私と結婚してくれないかい?」

「――――っ!?」

 私は感動と緊張で、言葉も出ない。
 すると、エルが恥ずかしそうに笑って、

「とは言っても、まずは婚約からなんだけどね。結婚は、最短でも伍が高校を卒業してからだよ」

 指輪を手にしたエルが、うやうやしく私の左手を取った。
 私の薬指に、指輪を近づける。

「エルっ、指輪はダメだから腕時計を――って、さっき言ってたじゃないですか」

「あれはウソだよ、ごめん。サプライズがしたかったからね」

 そうでしょうとも。
 エルの思惑どおり、私はめちゃくちゃにサプライズされた。

「受け取ってくれるかい?」

「はいっ、喜んで」

 海が見える公園で、夕日を背にして婚約指輪を贈ってもらう。
 まるでドラマや映画のワンシーンだ。
 自分がヒロインにでもなったかのような、万能感と浮遊感。
 私は、幸せだった。