5分ほど歩いて、くだんのフレンチレストランへ。
 もちろん、席は先生が予約を取ってくれていた。
 動線も完璧なデートプラン。
 先生の好意におんぶに抱っこなのは申し訳ないと思いつつも、こうしてエスコートしてもらえるのが本当に心地良い。
 ずーーーーっと家族に無視され続けてきた私にとって、『かまってもらえる』というのは無上の喜びなのだ。

 とはいえ、フランス料理である。
 ひとつ、重大な問題がある。
 犬猫のように飼育されてきた私は、当然ながらフランス料理のマナーなんて知らないのだ。
 大丈夫だろうか、先生の前で恥をかかないだろうか……などと内心ドキドキだったが、何も怖がることはなかった。
 ナイフとフォークで簡単に食べられるものばかりだったし、先生が手取り足取り教えてくれたので。

 ちょっと信じられないほど美味しかった。
 特に、ロブスターが絶品だった。
 あと神戸牛のステーキも。
 先生とお付き合いを始めてからというもの、生活水準が一気に上がってしまっていろいろと怖い私である。
 かつては誕生日にバラン(お寿司やお弁当を仕切るプラスチック製の葉っぱ)と残飯を食べさせられていたような私が、今や小洒落たフレンチレストランでお昼から最高級のステーキよ!?
 人生ジェットコースターか。

「すっごく美味しかったです!」

(いつつ)さんの手料理には敵わないけどね」

「あはは。愛情がたっぷり入ってますからね」

「【魅了】の呪術もたっぷり入っているがな」

 (さかい)様は黙ってて。

「へーいへい」

 っていうか境様、今後もずっと茶々入れるつもりなの?

「俺様だって、人様の逢瀬を邪魔する趣味は持ってねぇぜ」

 してるじゃない。

「コレは逢瀬じゃなくて茶番だろ」

 ち、違うもん!
 本物の愛だもん!

「もん、とか言うんじゃねぇよ」

「どうかしたのかい?」

 先生に話しかけられて、私は慌てて意識を目の前に戻した。

「い、いえ。幸せだなぁって思ったので」

「ふふっ。そう言ってもらえると、準備した甲斐があったというものだよ」

 そう言って、先生は『ふにゃり』と笑った。
 先生はときどき、子供みたいな表情をすることがある。
 はにかむような、笑い慣れていない様子の笑顔だ。
 私はそれに、かすかな『歪さ』を感じる。
 もしかすると彼は、親から十分な愛情を注がれずに育ってきたのではないだろうか。
 だとしたら、私と先生は似たもの同士だ。
 互いに補い合うことで、孤独を埋め合うことができればいいな、と思う。

 私が微笑むと、先生も微笑んでくれる。
 あぁ、幸せだ。
 幸福とは、きっとこういう時間のことを言うのだろう。
 視界の端では境様が何か言いたげな顔をしているが、今は無視だ。

「ところで先生、そろそろ私のことを呼び捨てにしていただけませんか?」

「そんなこと言って、キミだって私のことを『先生』って呼んでるじゃないか」

「そ、それはっ。学校でうっかり名前で呼ばないようにするためで」

「あ、あぁ……それは確かに」げっそりとした表情の先生。「うっかりじゃ済まされないような、大事故に繋がりかねないね」

「でしょう?」

 あの、肉食獣たちが阿鼻叫喚の大絶叫間違い無しだ。
 先生も先生で、自分の異常なモテっぷりに対して思うところがあるらしい。
 私という本命を手に入れた以上、他の生徒たちからのアプローチは迷惑でしかないのだろう。
 むふふふ、■■高校の女子たちよ。
 私にひれ伏すが良いぞ。

「でも、学校の外で先生呼びしていると、それはそれで悪目立ちしないかい?」

「禁断のカンケイ的な?」

「実際、そうだろう?」

「ふふっ、そうですね。じゃあ、先生が呼び捨てにしてくれたら、私も先生のこと名前で呼びます。ほら、呼んでください」

「~~~~っ。……い、いつつ」

「――っ!」

 これは、ヤバい。
 脳汁が溢れそうになる。
 口元が緩んで仕方がない。

「はいっ、エル」

 私も、三日月エル先生を名前で呼んだ。
 先生――エルが真っ赤になる。
 本当に、この人は可愛いなぁ。




   ◆   ◇   ◆   ◇




 食後は、歩きでJR三宮まで下りる。
 北野坂を下り、さらにトアロードを下る。
 結構な距離だが、散歩と思えば大したことはない。
 境様の加護を得ている私の体力は無尽蔵だし、エルも体力オバケだ。

 JR線に至り、高架下の商店街を歩いて服飾店や小物屋さんを冷やかす。
 エルと握りあった手が、じんわりと温かい。
 商店街やセンター街を練り歩いた後、『OIOI』という大きな看板を掲げたファッションビル『神戸マルイ』に入る。

「これ絶対、伍に似合うな。あれも、これも」

「エル、いくらなんでも買い過ぎでは」

「いいや、そんなことはない。この程度の量では、キミの魅力を表現するには全然足りない。伍、キミは自分の可愛らしさについてもっと自覚したほうがいい」

「そ、そう……?」

 エルが際限なく物を買ってくれる。
 服に靴にアクセサリに。
 私は嬉しいやら、恐縮するやら。

 そうして最後に入ったお店というのが、

「時計屋さん?」

「一緒に選ぼう」

「と言いますと?」

「ほら、指輪はさすがに、学校で付けてると悪目立ちしてしまうだろう? でも時計なら、別におかしくないから」

「えっ。もしかして、ペアのものを身に付けてくださるんですか!?」

「ぱっと見で分かるものでもないしね。それに」エルが、ニヤッと笑う。「生徒たちに隠れてこっそりペアウォッチだなんて、背徳的でドキドキするだろう?」

 そう言って、エルが『しーっ』と人差し指を口の前に立てるジェスチャーをした。
 追加のウインクは、明らかにオーバーキルだ。
 私は、エルのいたずらっ子のような笑顔に心が持っていかれそうになった。
 いや、心なら、もうとっくの昔に持っていかれている。
 私はもう、エルに夢中だ。

「あら、美男美女のカップルさんですね」

 と店員に言われ、

「自慢の彼女です」

 と、エルが私の肩を抱きながら宣言する。
 私はもう、自分でも分かるくらい顔が真っ赤だ。

 というわけで、時計選びが始まった。

「実用性だけを考えるなら、セイコーかシチズンの電波時計一択なんだけど」エルが店内を歩く。「でも女性目線で考えるなら、シャネルとかグッチとかかな? あ、このブルガリの時計なんて可愛いね」

「え、えっと、男性だとロレックスとかオメガになるんでしょうか?」

 私はエルの後ろについて歩きながら、なけなしの知識で話を合わせる。
 ふと値札が目に入り、

「たっか!?」

 私は目を剥いた。
 万、どころの話ではない。
 ケタが1つ多い。
 いや、モノによっては2ケタ多い。
 5、6万円で服や化粧品を揃えるのにも心臓バクバクだった私が、ウン十万円とかウン百万円の時計なんて身につけられる気がしないんだけど……。

「お金のことは気にしなくていいから」

「で、ですが……」

「まぁ、伍の性格なら気になっちゃうかな。店員さん、コレとソレとアレと、あとソレを。値札は伏せた状態で、見せていただけませんか?」

 ルイ・ヴィトン、シャネル、エルメス、グッチ、バーバリー……私ですら知っているような超・超・超有名ブランドの時計が、私の目の前にずらりと並べられた。
 女性的なものから、中性的なものまで。
 私に気を遣ってくれているのか、ロレックスのような男性的なものは並んでいない。
 まぁ、ペアウォッチという以上はどんなに女性的なデザインの時計でも、男性用のほうはそこそこ男性が付けてもおかしくないデザインになるものみたいだけれど。

「値段とか、ペアで付ける私のことは気にせずに。伍の気に入ったデザインのものを選んでごらん。一応、さっき店内を一周した時に、伍が興味を持ちそうだったものを選んだつもりだよ」

 エルの言うとおりで、私が『いいな』と思った腕時計が全部揃っていた。
 三日月エル先生には名探偵の才能もあるのかもしれない。
 私なら鑑定・索敵系の万能術式【文殊慧眼】で対象者の視線・目視対象物情報をすべて拾うことも可能だけれど。

 たっぷり数十分ほども悩んだ後、私はエルが最初に『可愛い』と言っていたブルガリを選んだ。
 エルに気を遣ったわけじゃない。
 エルに言ってもらったとおり、値段やエルのことは気にせずに、私が身につけたいと思う一番可愛いやつを選んだ。
 そのうえで、エルが『可愛い』と言ったものと、私が『可愛い』と思ったものが合致したんだ。
 こんなに嬉しいことはない。

「一生大事にします」

 買ってもらった時計を抱きしめながら、私は言った。

「そんな大げさに捉えなくていいんだよ。こんなの、まだまだ序の口なんだから。ただ」

 先生が再び、いたずらっ子のような笑みを見せてくれた。

「明日登校する際、身に付けてきてくれると嬉しいな。私も付けてくるから。ふたりだけの、秘密のペアルックだよ」

 エルのその笑顔は、震えがくるほど格好良くて、可愛くて。
 私はもう、たまらない。