「スーバル!」
自分の席でうたた寝をしているといつの間にか授業は終わっていた。目の前には心愛が艶のある黒い髪を靡かせながら満面の笑みを浮かべていた。
昴は目の前に埋め尽くされた可愛い顔にドキッと心臓を高鳴らせながら、その気持ちを悟らせないためにムッとした表情をわざと作った。
「何だよ……」
「君って本当にいつも寝てるね。先生に起こされてもすぐに寝ちゃうし」
「そうなんだぜ、九ノ瀬さん。こいつってばいっつも寝てるから、後ろの席の俺は寝れないんだよ」
くすくす笑う心愛に便乗して昴の後ろの席の瑞稀が背中にのしかかってくる。昴は内心イラっとしながらも、非は自分にあることがわかっていたから何も言い返せなかった。
「どうせ、また天体観測をしてたんだろ? 本当に大好きだねぇ、昴は」
ニヤニヤと笑いながら頬を突き回す瑞稀の手を体ごと振り払う。瑞稀はそれでも楽しそうに笑いながら「昴が怒ったー!」などと言いながら指を向ける。
「仕方がないだろ、今はハレー彗星の観測時期なんだから。なるべく決まった時間に観測記録をつけたいんだよ」
囃し立てる瑞稀を睨みつけながら答える。すると心愛が昴の顔を覗き込んできた。
「へー、どんな風に記録つけてるの? 私にも見せてよ」
キラキラと輝く両目が興味津々に昴の目を見つめている。昴はうっと声を詰まらせてそっぽを向くが、その視線を追いかけるように心愛は顔を動かす。
「近い! わかったから、そんなにこっちを見てくるな」
「やった! どこに行けば見れる? 君の家?」
「お前、俺の家まで来るつもりかよ」
「ダメなの? 遊びに行くくらいいいじゃない」
キョトンとした顔で不思議そうにする彼女に、昴は浅くため息を吐いてから瑞稀の方を見た。瑞稀はどうやら彼女の言葉に違和感を感じなかったようで心愛の話に賛同している。
「いいじゃん。こいつ、女子と絡みなさすぎて寂しいやつだから、九ノ瀬が誘ってくれて俺としてはありがたいと思うけどな」
ふざけた口調で心愛に話しかけるのをやめて、少しだけ真剣な表情でそう語った。実際、昴は瑞稀を除いて仲のいい友人はいなかった。女子にも男子にもどちらにも。代わりに、昴は空を見上げるのが好きだったから。
そうなってしまった背景を知っている瑞稀は、昴の世界が少しでも広がることはいいことだと考えているようだった。
瑞稀の心配もわかってしまうからこそ、昴は彼に何も言い返すことができなかった。
「じゃあ、今日の授業後はスバルの家に行こうね!」
思い立ったら吉日という言葉を体現したかのような彼女の行動力に、昴は疲れたように肩を落とし、顔を伏せる。だけど、そっと二人から顔を隠した昴の口元は少しだけ笑顔が浮かんでいた。それは、本人にも気がついていなかった彼女と関わることで生まれた小さな変化だった。
「オラー、早く席につけー。ホームルーム始めるぞ」
ざわつく教室の中に勢いよく扉を開けて入ってきたのはオオグマ先生というあだ名がついている熊沢茂だった。オオグマ先生は昴たちのクラスの担任で、大きくて筋肉質な体に似合わず英語の教師をしている。初めて彼を見た生徒の大半はその屈強さから体育の先生だと間違えるのだが、二年生にもなった昴たちはオオグマ先生と親しみを込めて呼んでいる。
オオグマ先生は鋭い目つきとは裏腹に生徒思いで、曲がったことが嫌いな先生だった。校則絶対主義であり、生徒指導部の先生でもあるが、頭ごなしでルールを破る生徒に怒りにいったりはしない。きちんと理由を聞き、その上で指導を行う。
一部生徒にはそれでも目の上のたんこぶのような扱いを受けているが、オオグマ先生は生徒と向き合うことを止めない先生のため、大半の生徒からの印象は良いと言えるだろう。
昴にとっても、オオグマ先生は厳しくも優しい先生だと思えた。家庭環境が普通じゃない昴の家の事情を知っていてなお、気にかけてくれる良い先生だった。干渉しすぎず、だけど本当に困っていることには手を差し伸べてくれる。
「オオグマ先生来たからもう行くね」
ニコッと笑って心愛は離れていく。彼女が踵を返した拍子にふわっと広がった黒髪からいい匂いがした気がした。軽やかな足取りで自分の席に戻っていく心愛の背中を追いかけていると、背中に衝撃が走る。
「そーんなに熱烈に見つめて、お熱いことねぇ!」
昴の後ろの席に座った瑞稀がニヤニヤと笑っていた。昴はむかつくその額に向かって軽くデコピンをお見舞いする。
「うっせ。そんなんじゃねぇよ」
口を尖らせて不満気に呟く昴に対して瑞稀は納得していないのか「本当はどうんなんだよ」と肩を揺すってくる。そのタイミングでオオグマ先生が「プリント配るから後ろに回してけー」と教室中に声をかけた。
昴は前から回ってきたプリントを受け取るとその紙でしつこい瑞稀の頭を叩いた。それでも瑞稀は笑うだけで、堪えている様子は見られなかった。
「なぁなぁ、マジの話さ、俺は嬉しいんだよ」
ケラケラと笑っていた表情から真剣な表情に変わった瑞稀を視界の端で見つめる。瑞稀は昴から受け取ったプリントを後ろに回すと、机に肘をつきその手に顎を乗せる。そして、ふっと笑うと真っ直ぐに昴の目を見る。
「昴ってさ、あんまり人と関わろうとしないじゃん。そりゃ、色々あるのは知ってるし、お前がそれでもいいなら俺もいっかって思ってたんだよ」
瑞稀は一瞬視線を外して前の席の方を見る。その視線を追いかけると周りの生徒と話して笑ってる心愛が視界に入る。
「でも、やっぱりそれって寂しいじゃんか。だから、俺はお前が少しでも人と関わるきっかけになるんなら、九ノ瀬の強引さも悪くはないかなって」
中学の時からの付き合いである瑞稀には昴の心の変化はお見通しのようだった。
昴が知らないだけで、瑞稀に心配をかけていたのだと知り、昴は少しだけ戸惑った。
ある時を境に昴は人と深く関わることをずっとしてこなかった。いつかいなくなる、いつか壊れる関係なら初めから関係を築かなければいい、そう考えていた。
だけど、その気持ちが少しずつ変化していることに昴自身も気がついていた。
そのきっかけになったのは間違いなく九ノ瀬心愛にあることも、自分が認めていないだけでわかっていた。
「誰かが変えてくんねぇかなって思ってたからさ…………やっぱり人を変えるのは恋なんだな!」
「……は?」
途中までは静かに聞いていた昴も最後の一言に体が硬直する。そして、ブワッと顔を赤くしたと思ったらその場に立ち上がり、瑞稀の頭をぐちゃぐちゃに掻き回す。
「な、な、なっに言ってんだよ! 適当なこと言うな!」
「あはは、事実だろ! 照れ隠しかよ!」
「ちっがうわ!」
普段静かでおとなしい昴が突然奇行に走るのを見てオオグマ先生もクラスメイトも一瞬ぽかんとする。襲われている瑞稀はケラケラと笑っていたが、一足先に我に帰ったオオグマ先生が眉を吊り上げた。
「お前ら! ふざけるのはホームルーム終わってからにしろ!」
オオグマ先生の怒鳴る声に二人は一瞬体を硬直させた後、どちらがともなく吹き出して笑い出す。何がおかしいのかわからなかったが、二人で笑い続ける様子にクラスメイトも徐々に笑い出し、教室中に笑いの渦が巻き起こる。クラスの様子を見て、オオグマ先生は怒るのをやめて仕方がなさそうに苦笑を見せる。
――こんなに何も考えずに大声で笑ったのいつぶりだろうか。
家族がバラバラになったあの日から、昴はずっとうまく笑えなかった。薄い膜のようなものに覆われているような感覚が常に付き纏い、人を遠ざけて勝手に線を引いた。付き合いの長い瑞稀にすら、その線の内側には踏み込ませなかった。
だけど、彼女が――心愛がその線を消してくれた。
人と深く関わることを恐れないで、と態度で示してくれていた。
――こうやって笑うのも、悪くないかもしれない。
そう考えながら、昴は頭の中で月のように優美に笑う心愛を思い浮かべる。そして、ちらっと心愛を見ると、彼女は嬉しそうに、だけど少しだけ寂しそうに笑っていた。
どうして彼女がそんな表情を浮かべるのかわからず、一瞬昴は困惑する。だけど、心愛のその表情もすぐに変わり、今度は心から楽しそうに笑う。その変化には周りのクラスメイトは気が付いていないようだった。
自分の席でうたた寝をしているといつの間にか授業は終わっていた。目の前には心愛が艶のある黒い髪を靡かせながら満面の笑みを浮かべていた。
昴は目の前に埋め尽くされた可愛い顔にドキッと心臓を高鳴らせながら、その気持ちを悟らせないためにムッとした表情をわざと作った。
「何だよ……」
「君って本当にいつも寝てるね。先生に起こされてもすぐに寝ちゃうし」
「そうなんだぜ、九ノ瀬さん。こいつってばいっつも寝てるから、後ろの席の俺は寝れないんだよ」
くすくす笑う心愛に便乗して昴の後ろの席の瑞稀が背中にのしかかってくる。昴は内心イラっとしながらも、非は自分にあることがわかっていたから何も言い返せなかった。
「どうせ、また天体観測をしてたんだろ? 本当に大好きだねぇ、昴は」
ニヤニヤと笑いながら頬を突き回す瑞稀の手を体ごと振り払う。瑞稀はそれでも楽しそうに笑いながら「昴が怒ったー!」などと言いながら指を向ける。
「仕方がないだろ、今はハレー彗星の観測時期なんだから。なるべく決まった時間に観測記録をつけたいんだよ」
囃し立てる瑞稀を睨みつけながら答える。すると心愛が昴の顔を覗き込んできた。
「へー、どんな風に記録つけてるの? 私にも見せてよ」
キラキラと輝く両目が興味津々に昴の目を見つめている。昴はうっと声を詰まらせてそっぽを向くが、その視線を追いかけるように心愛は顔を動かす。
「近い! わかったから、そんなにこっちを見てくるな」
「やった! どこに行けば見れる? 君の家?」
「お前、俺の家まで来るつもりかよ」
「ダメなの? 遊びに行くくらいいいじゃない」
キョトンとした顔で不思議そうにする彼女に、昴は浅くため息を吐いてから瑞稀の方を見た。瑞稀はどうやら彼女の言葉に違和感を感じなかったようで心愛の話に賛同している。
「いいじゃん。こいつ、女子と絡みなさすぎて寂しいやつだから、九ノ瀬が誘ってくれて俺としてはありがたいと思うけどな」
ふざけた口調で心愛に話しかけるのをやめて、少しだけ真剣な表情でそう語った。実際、昴は瑞稀を除いて仲のいい友人はいなかった。女子にも男子にもどちらにも。代わりに、昴は空を見上げるのが好きだったから。
そうなってしまった背景を知っている瑞稀は、昴の世界が少しでも広がることはいいことだと考えているようだった。
瑞稀の心配もわかってしまうからこそ、昴は彼に何も言い返すことができなかった。
「じゃあ、今日の授業後はスバルの家に行こうね!」
思い立ったら吉日という言葉を体現したかのような彼女の行動力に、昴は疲れたように肩を落とし、顔を伏せる。だけど、そっと二人から顔を隠した昴の口元は少しだけ笑顔が浮かんでいた。それは、本人にも気がついていなかった彼女と関わることで生まれた小さな変化だった。
「オラー、早く席につけー。ホームルーム始めるぞ」
ざわつく教室の中に勢いよく扉を開けて入ってきたのはオオグマ先生というあだ名がついている熊沢茂だった。オオグマ先生は昴たちのクラスの担任で、大きくて筋肉質な体に似合わず英語の教師をしている。初めて彼を見た生徒の大半はその屈強さから体育の先生だと間違えるのだが、二年生にもなった昴たちはオオグマ先生と親しみを込めて呼んでいる。
オオグマ先生は鋭い目つきとは裏腹に生徒思いで、曲がったことが嫌いな先生だった。校則絶対主義であり、生徒指導部の先生でもあるが、頭ごなしでルールを破る生徒に怒りにいったりはしない。きちんと理由を聞き、その上で指導を行う。
一部生徒にはそれでも目の上のたんこぶのような扱いを受けているが、オオグマ先生は生徒と向き合うことを止めない先生のため、大半の生徒からの印象は良いと言えるだろう。
昴にとっても、オオグマ先生は厳しくも優しい先生だと思えた。家庭環境が普通じゃない昴の家の事情を知っていてなお、気にかけてくれる良い先生だった。干渉しすぎず、だけど本当に困っていることには手を差し伸べてくれる。
「オオグマ先生来たからもう行くね」
ニコッと笑って心愛は離れていく。彼女が踵を返した拍子にふわっと広がった黒髪からいい匂いがした気がした。軽やかな足取りで自分の席に戻っていく心愛の背中を追いかけていると、背中に衝撃が走る。
「そーんなに熱烈に見つめて、お熱いことねぇ!」
昴の後ろの席に座った瑞稀がニヤニヤと笑っていた。昴はむかつくその額に向かって軽くデコピンをお見舞いする。
「うっせ。そんなんじゃねぇよ」
口を尖らせて不満気に呟く昴に対して瑞稀は納得していないのか「本当はどうんなんだよ」と肩を揺すってくる。そのタイミングでオオグマ先生が「プリント配るから後ろに回してけー」と教室中に声をかけた。
昴は前から回ってきたプリントを受け取るとその紙でしつこい瑞稀の頭を叩いた。それでも瑞稀は笑うだけで、堪えている様子は見られなかった。
「なぁなぁ、マジの話さ、俺は嬉しいんだよ」
ケラケラと笑っていた表情から真剣な表情に変わった瑞稀を視界の端で見つめる。瑞稀は昴から受け取ったプリントを後ろに回すと、机に肘をつきその手に顎を乗せる。そして、ふっと笑うと真っ直ぐに昴の目を見る。
「昴ってさ、あんまり人と関わろうとしないじゃん。そりゃ、色々あるのは知ってるし、お前がそれでもいいなら俺もいっかって思ってたんだよ」
瑞稀は一瞬視線を外して前の席の方を見る。その視線を追いかけると周りの生徒と話して笑ってる心愛が視界に入る。
「でも、やっぱりそれって寂しいじゃんか。だから、俺はお前が少しでも人と関わるきっかけになるんなら、九ノ瀬の強引さも悪くはないかなって」
中学の時からの付き合いである瑞稀には昴の心の変化はお見通しのようだった。
昴が知らないだけで、瑞稀に心配をかけていたのだと知り、昴は少しだけ戸惑った。
ある時を境に昴は人と深く関わることをずっとしてこなかった。いつかいなくなる、いつか壊れる関係なら初めから関係を築かなければいい、そう考えていた。
だけど、その気持ちが少しずつ変化していることに昴自身も気がついていた。
そのきっかけになったのは間違いなく九ノ瀬心愛にあることも、自分が認めていないだけでわかっていた。
「誰かが変えてくんねぇかなって思ってたからさ…………やっぱり人を変えるのは恋なんだな!」
「……は?」
途中までは静かに聞いていた昴も最後の一言に体が硬直する。そして、ブワッと顔を赤くしたと思ったらその場に立ち上がり、瑞稀の頭をぐちゃぐちゃに掻き回す。
「な、な、なっに言ってんだよ! 適当なこと言うな!」
「あはは、事実だろ! 照れ隠しかよ!」
「ちっがうわ!」
普段静かでおとなしい昴が突然奇行に走るのを見てオオグマ先生もクラスメイトも一瞬ぽかんとする。襲われている瑞稀はケラケラと笑っていたが、一足先に我に帰ったオオグマ先生が眉を吊り上げた。
「お前ら! ふざけるのはホームルーム終わってからにしろ!」
オオグマ先生の怒鳴る声に二人は一瞬体を硬直させた後、どちらがともなく吹き出して笑い出す。何がおかしいのかわからなかったが、二人で笑い続ける様子にクラスメイトも徐々に笑い出し、教室中に笑いの渦が巻き起こる。クラスの様子を見て、オオグマ先生は怒るのをやめて仕方がなさそうに苦笑を見せる。
――こんなに何も考えずに大声で笑ったのいつぶりだろうか。
家族がバラバラになったあの日から、昴はずっとうまく笑えなかった。薄い膜のようなものに覆われているような感覚が常に付き纏い、人を遠ざけて勝手に線を引いた。付き合いの長い瑞稀にすら、その線の内側には踏み込ませなかった。
だけど、彼女が――心愛がその線を消してくれた。
人と深く関わることを恐れないで、と態度で示してくれていた。
――こうやって笑うのも、悪くないかもしれない。
そう考えながら、昴は頭の中で月のように優美に笑う心愛を思い浮かべる。そして、ちらっと心愛を見ると、彼女は嬉しそうに、だけど少しだけ寂しそうに笑っていた。
どうして彼女がそんな表情を浮かべるのかわからず、一瞬昴は困惑する。だけど、心愛のその表情もすぐに変わり、今度は心から楽しそうに笑う。その変化には周りのクラスメイトは気が付いていないようだった。



