しばらく腕の中で泣いていた心愛は、徐々に落ち着きを取り戻したのか気がつくといつもの元気を取り戻していた。
「それにしても、私が人じゃないってわかってもいいって……スバルはそんなに私のこと好きなんだ」
上目遣いで心愛に覗き込まれて、昴はむずかゆい気持ちになりながらそっぽを向く。これまでの人生で人に告白なんてしたことがなかったから余計に恥ずかしかった。
「あはは、君にも可愛いところあるんだね」
「……好きで悪いかよ。毎日楽しそうに笑って、楽しそうな姿を見てたら嫌でも惹かれるだろ」
からかって楽しんでいた心愛は昴の言葉に顔を赤面させて俯いた。恋愛に耐性があるのかないのかわからない反応をされて昴も困る。
何も言えなくなった心愛の手を握って遊びながら、彼女が復活してくるのを待つ。さらりと風に靡く髪が美しく、思わず手で触りたくなる。
恋は落ちるものだと聞いたことがあるが、本当にその通りだと思った。
――振り返ってみれば、一目惚れだったのかもしれない。
みんなが彼女を知っている中で、自分だけが知らなかった。最初は誰だこいつ、と思っていたのに、彼女が放つ月のような静かな輝きからは目が離せなかった。少し強引なところも、花が綻ぶように笑う姿も。星を見上げて宇宙を宿すその瞳も、初めから昴の頭の中は彼女でいっぱいだった。
「ス、スバル」
消え入りそうな声が意識の外から聞こえてくる。昴は考えるのをやめて心愛のことを見ると、彼女はまだ顔を赤くしたままじっと繋がれた手を見ていた。
「……手、いじるのやめてくれない?」
くすぐったいのか、それとも恥ずかしいのか。どちらかはわからなかったが、心愛は昴の手から自分の手を引き抜こうとしていた。
昴は少し考えてから、頬を緩めた。普段振り回されている仕返しに、「やだね」と返して好きなだけ心愛の手を触る。断られると思っていなかった心愛は目を丸くして固まる。意趣返しが成功したのを感じて昴は嬉しくなる。
滑らかな肌をゆっくりと撫でて、一本一本指を絡ませる。そうして、いわゆる恋人繋ぎをしてみたが、肝心の心愛はこの手の繋ぎ方を知らなかったようで不思議そうな顔をしている。だから、昴は親切心で教えてあげることにした。
「この手の繋ぎ方はな、恋人繋ぎって言うんだ」
「恋人……私たちって、恋人って言えるのかな」
「言えるだろ。俺がお前を、お前が俺を好きなんだから。それとも、俺の一世一代の告白を無かったことにするのか?」
「そ、そんなことはしないけど……でも、やっぱり私とスバルとでは生きる時間も、場所も違うから」
心愛の迷いを吹き飛ばすように、彼女の体を軽々と持ち上げる。突然足が宙に浮いた心愛は小さな悲鳴をあげる。
昴は自分より上にある心愛の顔をじっと見つめる。真剣な眼差しに心愛も何かを察したのか、言葉を詰まらせる。
「それでも、俺は九ノ瀬がいいんだ。全部わかった上で、俺はお前を選んだんだ」
「……君は、案外頑固者だったんだね」
何を言われても意思を曲げる様子のない昴を見て、ようやく心愛は仕方がなさそうに笑う。彼女にはやっぱり笑顔が似合う、と昴は心の中で思った。
「そうだよ、俺は頑固だ。人との付き合い方は全然わからないし、恋だってしたことがない。それでも、自分がやりたいことは何がなんでも最後までやり通すんだ」
「ほんとうに? 君って案外、周りに流されそうなタイプに見えるのに」
「俺が天体観測を選んで生きてきたことが何よりもの証拠だろ」
自信満々に言うと心愛は笑って「そうだね。たしかに、君の宇宙への気持ちは本物だったね」と言う。昴も「そうだろ」と返しながら心愛をゆっくりと下ろす。
地面に足をつけた心愛の身長は昴よりも少し低かった。心愛は覗き込むように昴の顔を見ると、花が綻ぶように笑う。その笑顔を間近で見た昴は心臓が大きく跳ねるのを感じた。
「きっと、別れは来ると思う。それでも、私に君を信じさせてくれてありがとう、スバル」
今度は心愛から昴の手が握られる。ひとつひとつ、昴という人間を確かめるようにゆっくりと繋がれていく手を昴はじっと見ていた。できることなら、ずっとこの手を握ったままでいたかった。だけど、それができないことも頭の片隅ではわかっている。
この関係は時限爆弾と同じだ。
その時が来たら、どれだけ運命に逆らおうと足掻いても、跡形もなくなくなってしまうのだろう。
昴は握り返した手に力を込める。その手から感じる彼女の温もりを、この先もずっと忘れないために。
「そういえば、九ノ瀬はどこに住んでいるんだ?」
ふと思いついた質問を心愛に尋ねる。
心愛はハレー彗星の化身だ。
彗星が地球で観測できる間だけこの星に降り立つことはわかったが、生活はどうしているのだろうかと疑問に思った。昴がじっと彼女を見ていると、心愛は困ったように視線を逸らした。
「親切な老夫婦の家に泊まらせてもらってるよ。幸い、私って関わる人の記憶を歪めることができるから……」
心愛が何十年に一度地球に来て、それでも問題なく過ごせるのは、超常的な力が働いているおかげだった。それを言葉で説明するには難しかったが、彼女と言う存在が違和感なく溶け込むにはその力が必須だ。
「気がつくと、当然のように家庭の中や集団の輪の中に溶け込んでるんだ。家族、学校、他のコミュニティ……みんな初めましてなのに、初めてじゃなくなってて。私の記憶の中にもその人たちがずっと知り合いだったかのようにいて、それでなんとかやってきたって感じ」
非科学的で、あり得るのかと疑いたくなる気持ちは、実際に彼女が昴の教室に現れた日のことを思えば納得できた。
あの日、みんなが当然のように心愛のことを知っていた。そして、おそらく心愛も。
その中で昴だけが彼女を知らなかった。
「――なんで、俺だけお前のことを知らなかったんだろう」
口をついて出た言葉に心愛がわずかに目を見開く。
心愛が違和感なく人に紛れるための力があるのだとしたら、なぜ昴にだけはそれが効かなかったのか。昴が特別なのか、それとも別の要因があるのか、その答えを昴は持ち合わせていなかった。
「もしかしたらだけど、スバルと私はどこかで会ったことがあるのかも?」
「俺とお前が……? でも、九ノ瀬はハレー彗星の周期で地球に来るんだろ。それだと、俺は生まれてないぞ」
「そうだよね……さすがに生まれる前の人の記憶まで弄ることはできないと思うし。それならなんでだろう?」
二人で頭を悩ませるが答えは一向に見つかる気がしなかった。
その時、耳の奥で誰かの声が聞こえた気がした。なんだろうと思い、耳を澄ますとその声はいつかの夢で聞いた声と同じだった。
『私、忘れないから! ずっと、この先も、貴方を待ってるわ!』
はっきりと聞こえたその声に昴はハッとする。突然固まった彼を心愛が心配そうに見ていたが、昴は声を出すことができない。
昴の視界には、心愛とその向こうに着物を着た少女が写っていた。鮮やかな赤色の着物が特徴的で、悲しげに笑う様子が胸を締め付ける。
――あの子は誰だ? どこかで、見たことがあるような……。
少女は人ではないようで、その体は透けている。見たことのないはずのその少女に強烈な既視感を覚えるが、どこで見たことあるのか思い出すことができなかった。
『――お願い』
儚く笑う彼女は小さくそう呟くと、空気に溶けるように姿を消した。「待って!」と伸ばした手は彼女に届くことはなかった。
「……スバル? どうしたの?」
突然の昴の行動に心愛は驚いたように目を見開いている。心愛にはあの少女が見えなかったようだ。
昴は今見たものをどう伝えればいいのかわからず、口ごもる。だけど、あの少女こそが、昴が心愛を覚えていなかった理由の一つだという確信をする。
根拠はなく、ただの直感だった。
「わからない。でも、手がかりは掴んだかもしれない」
少女が消えたところをじっと見つめながら昴ははっきりと言い切った。
昴の頭の中には、一冊の本が存在を示すように浮かんでいた。
彗星が落ちる夜に読むように言われた本。
そこに、答えはあるのではないかと――。
「それにしても、私が人じゃないってわかってもいいって……スバルはそんなに私のこと好きなんだ」
上目遣いで心愛に覗き込まれて、昴はむずかゆい気持ちになりながらそっぽを向く。これまでの人生で人に告白なんてしたことがなかったから余計に恥ずかしかった。
「あはは、君にも可愛いところあるんだね」
「……好きで悪いかよ。毎日楽しそうに笑って、楽しそうな姿を見てたら嫌でも惹かれるだろ」
からかって楽しんでいた心愛は昴の言葉に顔を赤面させて俯いた。恋愛に耐性があるのかないのかわからない反応をされて昴も困る。
何も言えなくなった心愛の手を握って遊びながら、彼女が復活してくるのを待つ。さらりと風に靡く髪が美しく、思わず手で触りたくなる。
恋は落ちるものだと聞いたことがあるが、本当にその通りだと思った。
――振り返ってみれば、一目惚れだったのかもしれない。
みんなが彼女を知っている中で、自分だけが知らなかった。最初は誰だこいつ、と思っていたのに、彼女が放つ月のような静かな輝きからは目が離せなかった。少し強引なところも、花が綻ぶように笑う姿も。星を見上げて宇宙を宿すその瞳も、初めから昴の頭の中は彼女でいっぱいだった。
「ス、スバル」
消え入りそうな声が意識の外から聞こえてくる。昴は考えるのをやめて心愛のことを見ると、彼女はまだ顔を赤くしたままじっと繋がれた手を見ていた。
「……手、いじるのやめてくれない?」
くすぐったいのか、それとも恥ずかしいのか。どちらかはわからなかったが、心愛は昴の手から自分の手を引き抜こうとしていた。
昴は少し考えてから、頬を緩めた。普段振り回されている仕返しに、「やだね」と返して好きなだけ心愛の手を触る。断られると思っていなかった心愛は目を丸くして固まる。意趣返しが成功したのを感じて昴は嬉しくなる。
滑らかな肌をゆっくりと撫でて、一本一本指を絡ませる。そうして、いわゆる恋人繋ぎをしてみたが、肝心の心愛はこの手の繋ぎ方を知らなかったようで不思議そうな顔をしている。だから、昴は親切心で教えてあげることにした。
「この手の繋ぎ方はな、恋人繋ぎって言うんだ」
「恋人……私たちって、恋人って言えるのかな」
「言えるだろ。俺がお前を、お前が俺を好きなんだから。それとも、俺の一世一代の告白を無かったことにするのか?」
「そ、そんなことはしないけど……でも、やっぱり私とスバルとでは生きる時間も、場所も違うから」
心愛の迷いを吹き飛ばすように、彼女の体を軽々と持ち上げる。突然足が宙に浮いた心愛は小さな悲鳴をあげる。
昴は自分より上にある心愛の顔をじっと見つめる。真剣な眼差しに心愛も何かを察したのか、言葉を詰まらせる。
「それでも、俺は九ノ瀬がいいんだ。全部わかった上で、俺はお前を選んだんだ」
「……君は、案外頑固者だったんだね」
何を言われても意思を曲げる様子のない昴を見て、ようやく心愛は仕方がなさそうに笑う。彼女にはやっぱり笑顔が似合う、と昴は心の中で思った。
「そうだよ、俺は頑固だ。人との付き合い方は全然わからないし、恋だってしたことがない。それでも、自分がやりたいことは何がなんでも最後までやり通すんだ」
「ほんとうに? 君って案外、周りに流されそうなタイプに見えるのに」
「俺が天体観測を選んで生きてきたことが何よりもの証拠だろ」
自信満々に言うと心愛は笑って「そうだね。たしかに、君の宇宙への気持ちは本物だったね」と言う。昴も「そうだろ」と返しながら心愛をゆっくりと下ろす。
地面に足をつけた心愛の身長は昴よりも少し低かった。心愛は覗き込むように昴の顔を見ると、花が綻ぶように笑う。その笑顔を間近で見た昴は心臓が大きく跳ねるのを感じた。
「きっと、別れは来ると思う。それでも、私に君を信じさせてくれてありがとう、スバル」
今度は心愛から昴の手が握られる。ひとつひとつ、昴という人間を確かめるようにゆっくりと繋がれていく手を昴はじっと見ていた。できることなら、ずっとこの手を握ったままでいたかった。だけど、それができないことも頭の片隅ではわかっている。
この関係は時限爆弾と同じだ。
その時が来たら、どれだけ運命に逆らおうと足掻いても、跡形もなくなくなってしまうのだろう。
昴は握り返した手に力を込める。その手から感じる彼女の温もりを、この先もずっと忘れないために。
「そういえば、九ノ瀬はどこに住んでいるんだ?」
ふと思いついた質問を心愛に尋ねる。
心愛はハレー彗星の化身だ。
彗星が地球で観測できる間だけこの星に降り立つことはわかったが、生活はどうしているのだろうかと疑問に思った。昴がじっと彼女を見ていると、心愛は困ったように視線を逸らした。
「親切な老夫婦の家に泊まらせてもらってるよ。幸い、私って関わる人の記憶を歪めることができるから……」
心愛が何十年に一度地球に来て、それでも問題なく過ごせるのは、超常的な力が働いているおかげだった。それを言葉で説明するには難しかったが、彼女と言う存在が違和感なく溶け込むにはその力が必須だ。
「気がつくと、当然のように家庭の中や集団の輪の中に溶け込んでるんだ。家族、学校、他のコミュニティ……みんな初めましてなのに、初めてじゃなくなってて。私の記憶の中にもその人たちがずっと知り合いだったかのようにいて、それでなんとかやってきたって感じ」
非科学的で、あり得るのかと疑いたくなる気持ちは、実際に彼女が昴の教室に現れた日のことを思えば納得できた。
あの日、みんなが当然のように心愛のことを知っていた。そして、おそらく心愛も。
その中で昴だけが彼女を知らなかった。
「――なんで、俺だけお前のことを知らなかったんだろう」
口をついて出た言葉に心愛がわずかに目を見開く。
心愛が違和感なく人に紛れるための力があるのだとしたら、なぜ昴にだけはそれが効かなかったのか。昴が特別なのか、それとも別の要因があるのか、その答えを昴は持ち合わせていなかった。
「もしかしたらだけど、スバルと私はどこかで会ったことがあるのかも?」
「俺とお前が……? でも、九ノ瀬はハレー彗星の周期で地球に来るんだろ。それだと、俺は生まれてないぞ」
「そうだよね……さすがに生まれる前の人の記憶まで弄ることはできないと思うし。それならなんでだろう?」
二人で頭を悩ませるが答えは一向に見つかる気がしなかった。
その時、耳の奥で誰かの声が聞こえた気がした。なんだろうと思い、耳を澄ますとその声はいつかの夢で聞いた声と同じだった。
『私、忘れないから! ずっと、この先も、貴方を待ってるわ!』
はっきりと聞こえたその声に昴はハッとする。突然固まった彼を心愛が心配そうに見ていたが、昴は声を出すことができない。
昴の視界には、心愛とその向こうに着物を着た少女が写っていた。鮮やかな赤色の着物が特徴的で、悲しげに笑う様子が胸を締め付ける。
――あの子は誰だ? どこかで、見たことがあるような……。
少女は人ではないようで、その体は透けている。見たことのないはずのその少女に強烈な既視感を覚えるが、どこで見たことあるのか思い出すことができなかった。
『――お願い』
儚く笑う彼女は小さくそう呟くと、空気に溶けるように姿を消した。「待って!」と伸ばした手は彼女に届くことはなかった。
「……スバル? どうしたの?」
突然の昴の行動に心愛は驚いたように目を見開いている。心愛にはあの少女が見えなかったようだ。
昴は今見たものをどう伝えればいいのかわからず、口ごもる。だけど、あの少女こそが、昴が心愛を覚えていなかった理由の一つだという確信をする。
根拠はなく、ただの直感だった。
「わからない。でも、手がかりは掴んだかもしれない」
少女が消えたところをじっと見つめながら昴ははっきりと言い切った。
昴の頭の中には、一冊の本が存在を示すように浮かんでいた。
彗星が落ちる夜に読むように言われた本。
そこに、答えはあるのではないかと――。



