彗星が落ちる夜に、世界から消えた君と

 教室を飛び出して、あてもなく歩き続ける。

 心愛とはいつも教室で会って、外で会う時も待ち合わせ場所を決めていたから、何もない状態で探すのは初めてのことだった。今更になって昴は心愛の連絡先を知らないことに気がついたし、自分から心愛に会う手段が何もないことに気がつく。

 どうしようかと考えた時、昴はふとあの旧天文台のことを思い出した。空が近く、星空が一番綺麗に見える場所。なんの根拠もないのに、心愛はそこにいるような気がした。

 昴は旧天文台に足を向ける。薄い可能性であっても、彼女に会うためならなんでもできると思った。会ってこの気持ちを伝えなければいけないと、使命感すら感じていた。

 心愛がいずれ消えてしまうことや、彼女の記憶すら残らないことに怯えて、逃げようとした昴だった。だけど、少し落ち着いた今なら、その迷いすら心愛を傷つけてしまったと理解できた。あの時、昴はこの先がどうなろうと、彼女に「それでも一緒にいよう」と伝えるべきだったのだ。記憶も約束も全部なくなってしまったとしても、それが心愛を余計に傷つける結果になってしまったとしても。心愛がこの先の未来でも、昴に出会えて良かったと思ってもらえるように、全力を尽くすべきだったのだ。


 全ては意気地なしの昴が招いた結果だった。


 だけど、まだ間に合うと昴は信じたかった。まだ、結末はかえられる、とそう信じたかった。

 本数の少ないバスに都合よく乗ることができた。誰も乗ってこないバスに揺られながら、旧天文台に向かっていく。

 まるで運命すら昴に味方をしているようだった。その背中を押して、心愛を引き止めろと言われているように。

 バスを降りて舗装された道を進んでいくと、見慣れた天文台が見えてくる。開けた場所にポツンと佇むそれは、昴を受け入れるように扉が開いていた。

 中に進み、巨大な望遠鏡のある部屋にたどり着くと、心愛が望遠鏡にもたれかかりながら空を見上げていた。太陽は一番高いところを通り過ぎていたが、まだ昼間といってもいい今の時間には空に輝く星々は見られない。だけど、心愛は見えないそれらが見えているのか、じっと空を見つめていた。

 静かに佇む彼女に昴は声をかけるかどうかで悩んだ。だけど、ここに来た目的を思い出して、勇気を出して口を開いた。

「九ノ瀬……」

 昴が震える声で声をかけると心愛はゆっくりと昴の方に顔を向けた。大きくクリッとした瞳には星の輝きが閉じ込められている。ずっとその瞳に昴は改めて彼女が人ではないという確信を得た。キラキラと輝いているのは心愛の瞳が特別光に反射しているからだと思っていたが、そうではないのだ。その瞳に閉じ込められた輝きこそ、彼女がハレー彗星の化身である証拠だったのだ。

「随分と早かったね。私、もっと時間がかかると思ったし、なんなら君はもう来ないと思ってたよ」

 ふわりと笑った彼女の顔にはどこか諦めも混じっていた。きっと心愛はこうやって出会いと別れを繰り返してきたのだろう。誰かと一緒に過ごす日々を慈しみながら、同時に別れに怯えて過ごしていたに違いない。

 彼女にとって別れは必然だ。

 必ず来る別れに彼女は必要以上に傷つかないために、先に諦めることにしたのかもしれない。

 人である昴と人ではない心愛。

 どれだけ昴が思っていても、この関係には終わりがある、と。

「俺は、九ノ瀬が思うほど薄情じゃない。それに、諦めだって悪いんだ。お前は俺との関係を、人との関わりを諦めているのかもしれないけど、俺はそれでも九ノ瀬と繋がっていたい。今を、明日を一緒に生きたい」
「でも、君は忘れる。今は他の人のように忘れていなくても。君も、彼らと同じように私のことを忘れていく」

 心愛は苦しげに目を伏せた後、鋭い目つきて昴を睨みつける。それ以上期待させるなと言っているようだった。

「私だけが覚えている。君のことも、過去に出会ったみんなのことも。君も、私に傷ついて欲しいの?」
「そうじゃない。そんなこと思うわけないだろ」

 昴は懸命に首を横に振る。そこでようやく、人との関わりを諦めていたのは昴も同じだと気がついた。母親を亡くしてから、月人とうまく話せなくなり、人間関係に期待をしなくなった。だけど、そんな昴に人と関わることの喜びや、楽しさをもう一度思い出させてくれたのは心愛だった。だから、どれだけ辛くても、心愛にはその心を失ってほしくなかった。いずれ来るとわかっている別れでも、迷わず昴に手を伸ばして欲しかった。


 ――でも、そうやって考えるのも、俺のエゴなのかもしれない。だけど、俺はここで九ノ瀬との関係を終わりにしたくない……!


「俺は……お前のことが好きだ。たとえ、明日お前のことを忘れてしまったとしても、何度でも九ノ瀬のことを好きになる。九ノ瀬に恋をする」

 昴はゆっくりと心愛に近づいていく。心愛は身構えながら逃げるように後ろに足を引いた。そして昴と同じように、俯きながら何度も首を横に振る。ポタポタと幾つもの水滴がコンクリートにシミを作る。

「俺もきっと、みんなと同じだ。九ノ瀬をこの先一人にするんだと思う。それでも、俺は九ノ瀬のことを忘れない。記憶がなくなっても、九ノ瀬のことがわからなくなっても、お前が諦めないでいてくれたなら、俺は何度だってお前を――九ノ瀬を思い出すよ」
「……嘘だよ。そんなの信じられるわけない」

 昴はそっと心愛の両手を自分の手で包み込む。心愛は肩を震わせながら、必死に嗚咽を堪えている。流れる涙が、いくつも床に落ちていく。

「嘘じゃない。この言葉だけは、絶対に本当だ。だから、九ノ瀬も俺を信じてほしい。俺を……人と関わることを恐れないでほしい」

 置いていくのは昴の方で、何を言っても彼女の慰めにはならないのかもしれない。だけど、それでも、と願うのは昴の傲慢なのだろうか。

「スバルは私を忘れちゃう。私を一人ぼっちにするんだ」
「うん」
「それでも諦めるなって、どれだけ酷いこと言ってるかわかってる?」
「うん」
「どうせ約束のことも忘れちゃうのに。そんなの、私ばっかり縋ってバカみたいじゃん」
「うん」
「なんで……どうして…………」
「うん」


「――どうして、それでも君の言葉を信じたいって思っちゃうんだろう……!」



 ようやく顔を上げた心愛はたくさんの涙で顔をぐちゃぐちゃに歪めて、それでもその瞳の奥では「助けて」と叫んでいた。

 昴は心愛のことを抱きしめた。いつか消えてしまう彼女を繋ぎ止めるように。

 昴と同じ温もりが伝わってくる。女の子らしい柔らかい感触に、ふわっと広がる優しい香り。

 人らしいのに、人とは違う心愛。

「信じていい――信じていいんだ」

 心愛の耳元で力強く頷くと、彼女は耐えきれなくなったのか声をあげて泣き出す。

「一人になんて、なりたくないっ! 私だって、みんなと同じように生きて――スバルに恋をして、明日を生きたいのに!」

 二人の関係にはきっと未来はないのだろう。そのことをきっと心愛の方がよく理解している。だからこそ、彼女はこの先の結末を想って涙を流すのだろう。

「どうしてっ……どうして、私は普通じゃないのっ……どうして、私はスバルの横を歩いていけないの……こんなにも、君のことが好きなのに!」

 決められた運命に苦しむ心愛に昴の胸も苦しくなる。彼女の気持ちを少しでも楽にしてあげたいと思うのに、それができない自分が情けなく感じる。


「それなら、一緒にいよう。たくさん思い出を作って、たくさん笑って。九ノ瀬が明日を迎えても怖くないように」

 一人になる未来で、彼女が前を向いて歩けるように。

 昴はそう願いながら心愛の手を握る。改めて見る心愛の顔は涙でひどい顔だったが、やっぱり可愛くて、好きだと感じた。

「俺と一緒に、恋をしよう。たくさんの愛を君に伝える。それで、九ノ瀬は愛を持って未来に進むんだ」

 力強く見つめる昴を見て心愛は涙を流して弱々しく笑う。

「はは……本当に、君はひどいなぁ」


 繋いでいた手が握り返される。

それが心愛の答えだった。