何気なくつけたテレビでは最近のトレンドについて話していた。
その画面には、宇宙の闇を切り裂くように尾を引く彗星の映像が映し出されていた。
「今回のハレー彗星を見逃すと、次に肉眼で見られるのはおよそ七十六年後になる模様です……」
どうやら今のトレンドは夜空に浮かぶハレー彗星のようだった。ハレー彗星は太陽系で最も有名な彗星の一つだ。肉眼で見られる時期は地域差があるが、数週間から数ヶ月と言われている。
天文学部に所属する身としては、是非ともその彗星の観測を行いたいと思っていた。
「それにしても、七十六年後って、俺、何歳だよ」
星宮昴は、ダイニングテーブルに備え付けられた木製の椅子に座りながら小さくぼやく。朝ごはん用にと準備した傍らのマグカップからは、ホットミルクの湯気が細く立ちのぼっている。
ベランダの向こうに見える青空を見つめる。この澄んだ空の向こうに、今もその彗星が輝いているのかと思うと、なんだか不思議な気分だった。
――あの彗星は、七十六年ぶりに人と再会するのか。
そんなことを考えながら、テレビで流れるニュースを流し見する。
夜空を駆ける彗星の軌道を、この目で観察したいと思いながら。
*
教室に入ると中学から一緒の伊藤瑞稀が片手をあげて昴のことを迎える。
「よっ! 今日は遅刻しなかったじゃん」
「流石に、毎日遅刻したりしないって言ってるだろ。それに、別に遅刻したくてしてるわけじゃないんだからな」
肩を組んでくる瑞稀の脇を小突きながら昴は言い返す。
昴は時々夜遅くまで、下手したら朝方まで天体観測を行なっている関係で、学校に遅刻することが多々あった。昴としては、遅刻したいわけではないのだが、観測の止め時がわからずついやり過ぎてしまうのだ。そのことを瑞稀は昔馴染みのよしみでよくいじってきていた。
「そういえば、お前、あれ見たか? えーっと、なんだっけ? なんとか彗星、だっけ」
「ハレー彗星だ。有名な彗星の名前ぐらい覚えておけよ」
「その知識、将来絶対いらないだろ」
「これくらい常識なんだよ、バカ」
二人で小突きあっていると、教室の扉が勢いよく開いた。
「おはよー!」
明るくて快活な声が教室に響く。聞き覚えのない声に首を傾けるが、瑞稀を含めた他のクラスメイトの反応は思っていたのと違っていた。
「はよー。今日も元気だね、心愛は」
「もっちろんでしょ! せっかくの学校なんだから、楽しまなきゃ損でしょ?」
クラスメイトが話しかけるとその声の持ち主は教室の中に颯爽と入ってくる。さらりと流れる夜を溶かし込んだような黒いロングヘアに、端正な顔つきが印象的だった。キリッとした目元はキツくなさすぎず、薄く引き延ばされた唇に小さな鼻など顔のパーツの全てが整っていた。
――こんな美人、この学校にいただろうか? それも、このクラスに?
昴は教室に入ってきた女子生徒を穴が開くほどじっと見つめる。すると、それに気がついた瑞稀が呆然としている昴の頬を突く。
「そんなに見つめてどうしたんだ? まさか、今更あの子に惚れたなんて言わないよな」
ニヤニヤと面白おかしく笑う瑞稀の言葉に昴は思わず自分の耳を疑った。
――今更、ってどういうことだ?
「あの子は、誰だ……?」
「はぁー? 何言ってんだよ、お前。あの子はこのクラスの、ひいてはこの学校のマドンナである九ノ瀬心愛のほかにいないだろ」
「九ノ瀬、心愛……?」
瑞稀の言葉を聞いても昴にはその女子生徒についての記憶がなかった。この学校に入学してからそんな女子生徒の話は聞いたことなかった。ましてや、自分のクラスメイトにそんな有名な生徒がいたら、嫌でも覚えているはずなのに。
「どうした? なんか、様子おかしいぞ?」
自分だけが知らない世界に放り投げられたような疎外感を感じて、昴の顔色はサッと青くなる。
何が起きてる? どうして、俺だけが何もわからない?
季節外れの転校生だという線も瑞稀の言葉とクラスメイトの態度が違うと物語っている。
昴の記憶にないはずの彼女の存在を、ここではあたかも初めからいたようにみんな受け入れている。
自分だけが彼女が覚えていない、そのことが気持ち悪かった。
「ねぇ、君!」
明るい声が昴の思考の渦を切り開くように真っ直ぐに届いた。昴はその声に導かれるように顔をあげる。キラキラと艶やかに輝く髪の毛が、夜空に浮かぶ星を連想させた。昴は小さく息を呑み、ふと、今朝テレビで見たハレー彗星の写真が頭を過ぎる。
美しい彼女はまるで彗星の一瞬の輝きを体現しているようだった。
「私は、九ノ瀬心愛! 君の名前を教えてもらってもいい?」
強烈な違和感についていけていなかった昴に彼女は優しく笑いかけた。瑞稀を含めた周囲の生徒たちは不思議そうに顔を見合わせていた。彼女の問いかけに「何言ってるんだよ」とか「今更自己紹介するの?」と冗談めかして囁いている。だけど、真っ直ぐに昴を見つめる彼女の瞳だけは真剣だった。
彼女の瞳に数多の星が煌めく。
昴はその瞳に心が惹かれていくのを感じた。
その画面には、宇宙の闇を切り裂くように尾を引く彗星の映像が映し出されていた。
「今回のハレー彗星を見逃すと、次に肉眼で見られるのはおよそ七十六年後になる模様です……」
どうやら今のトレンドは夜空に浮かぶハレー彗星のようだった。ハレー彗星は太陽系で最も有名な彗星の一つだ。肉眼で見られる時期は地域差があるが、数週間から数ヶ月と言われている。
天文学部に所属する身としては、是非ともその彗星の観測を行いたいと思っていた。
「それにしても、七十六年後って、俺、何歳だよ」
星宮昴は、ダイニングテーブルに備え付けられた木製の椅子に座りながら小さくぼやく。朝ごはん用にと準備した傍らのマグカップからは、ホットミルクの湯気が細く立ちのぼっている。
ベランダの向こうに見える青空を見つめる。この澄んだ空の向こうに、今もその彗星が輝いているのかと思うと、なんだか不思議な気分だった。
――あの彗星は、七十六年ぶりに人と再会するのか。
そんなことを考えながら、テレビで流れるニュースを流し見する。
夜空を駆ける彗星の軌道を、この目で観察したいと思いながら。
*
教室に入ると中学から一緒の伊藤瑞稀が片手をあげて昴のことを迎える。
「よっ! 今日は遅刻しなかったじゃん」
「流石に、毎日遅刻したりしないって言ってるだろ。それに、別に遅刻したくてしてるわけじゃないんだからな」
肩を組んでくる瑞稀の脇を小突きながら昴は言い返す。
昴は時々夜遅くまで、下手したら朝方まで天体観測を行なっている関係で、学校に遅刻することが多々あった。昴としては、遅刻したいわけではないのだが、観測の止め時がわからずついやり過ぎてしまうのだ。そのことを瑞稀は昔馴染みのよしみでよくいじってきていた。
「そういえば、お前、あれ見たか? えーっと、なんだっけ? なんとか彗星、だっけ」
「ハレー彗星だ。有名な彗星の名前ぐらい覚えておけよ」
「その知識、将来絶対いらないだろ」
「これくらい常識なんだよ、バカ」
二人で小突きあっていると、教室の扉が勢いよく開いた。
「おはよー!」
明るくて快活な声が教室に響く。聞き覚えのない声に首を傾けるが、瑞稀を含めた他のクラスメイトの反応は思っていたのと違っていた。
「はよー。今日も元気だね、心愛は」
「もっちろんでしょ! せっかくの学校なんだから、楽しまなきゃ損でしょ?」
クラスメイトが話しかけるとその声の持ち主は教室の中に颯爽と入ってくる。さらりと流れる夜を溶かし込んだような黒いロングヘアに、端正な顔つきが印象的だった。キリッとした目元はキツくなさすぎず、薄く引き延ばされた唇に小さな鼻など顔のパーツの全てが整っていた。
――こんな美人、この学校にいただろうか? それも、このクラスに?
昴は教室に入ってきた女子生徒を穴が開くほどじっと見つめる。すると、それに気がついた瑞稀が呆然としている昴の頬を突く。
「そんなに見つめてどうしたんだ? まさか、今更あの子に惚れたなんて言わないよな」
ニヤニヤと面白おかしく笑う瑞稀の言葉に昴は思わず自分の耳を疑った。
――今更、ってどういうことだ?
「あの子は、誰だ……?」
「はぁー? 何言ってんだよ、お前。あの子はこのクラスの、ひいてはこの学校のマドンナである九ノ瀬心愛のほかにいないだろ」
「九ノ瀬、心愛……?」
瑞稀の言葉を聞いても昴にはその女子生徒についての記憶がなかった。この学校に入学してからそんな女子生徒の話は聞いたことなかった。ましてや、自分のクラスメイトにそんな有名な生徒がいたら、嫌でも覚えているはずなのに。
「どうした? なんか、様子おかしいぞ?」
自分だけが知らない世界に放り投げられたような疎外感を感じて、昴の顔色はサッと青くなる。
何が起きてる? どうして、俺だけが何もわからない?
季節外れの転校生だという線も瑞稀の言葉とクラスメイトの態度が違うと物語っている。
昴の記憶にないはずの彼女の存在を、ここではあたかも初めからいたようにみんな受け入れている。
自分だけが彼女が覚えていない、そのことが気持ち悪かった。
「ねぇ、君!」
明るい声が昴の思考の渦を切り開くように真っ直ぐに届いた。昴はその声に導かれるように顔をあげる。キラキラと艶やかに輝く髪の毛が、夜空に浮かぶ星を連想させた。昴は小さく息を呑み、ふと、今朝テレビで見たハレー彗星の写真が頭を過ぎる。
美しい彼女はまるで彗星の一瞬の輝きを体現しているようだった。
「私は、九ノ瀬心愛! 君の名前を教えてもらってもいい?」
強烈な違和感についていけていなかった昴に彼女は優しく笑いかけた。瑞稀を含めた周囲の生徒たちは不思議そうに顔を見合わせていた。彼女の問いかけに「何言ってるんだよ」とか「今更自己紹介するの?」と冗談めかして囁いている。だけど、真っ直ぐに昴を見つめる彼女の瞳だけは真剣だった。
彼女の瞳に数多の星が煌めく。
昴はその瞳に心が惹かれていくのを感じた。



