部室を飛び出した後、どうやって家に帰ったのか、よく覚えていない。
ただ、胸の奥がずきずきと痛くて、翔琉の怒った顔がまぶたの裏に焼き付いて離れなかった。
翌日、学校で顔を合わせても、僕たちの間には分厚い氷みたいな気まずい空気が流れるだけだった。翔琉はクラスの友達といつも通りバカみたいに騒いでいたけど、僕の方を見ようともしない。そのくせ、僕が他のクラスメイトと話していると、背中に突き刺すような視線を感じる。完全に、拗ねていた。
そして放課後。
写真部の部室は、昨日までの重たい沈黙が嘘みたいに、からっぽだった。僕の隣にあるはずの、太陽みたいな存在感はそこにはない。翔琉は、部活に来なかった。
「……あれ、今日、橘は?」
大海先輩の穏やかな声が、やけに静かな部室に響く。
「さあ……教室には、いたんですけど」
僕が俯きながら答えると、隣でスケッチブックに何かを描いていたちぃ先輩が、ふーん、と猫みたいに喉を鳴らした。
「喧嘩でもした? トモくん、今日ずーっとそんな感じだもんね。世界中の不幸を一人で背負ってます、みたいな顔」
「……そんなこと、ないです」
「はいはい、そーゆーことにしといてあげる」
ちぃ先輩には、何もかもお見通しみたいで、僕はますます小さくなるしかなかった。
翔琉がいないだけで、部室の空気は重たい。先輩たちがいても、いつもみたいに賑やかな声はない。
じいちゃんのカメラを構えても、ファインダーを覗いても、世界はただの灰色にしか見えない。
僕たちの“偽りの関係”は、もう終わりなのかもしれない。
そう思ったら、ずきん、と心臓が痛んだ。偽物のはずなのに、どうしてこんなに痛いんだろう。
その、重苦しい沈黙を嵐のように吹き飛ばしたのは、教室のドアが勢いよく開く音だった。
「あのーっ! 写真部、入部希望なんですけどっ! ここで合ってますか!?」
そこに立っていたのは、台風みたいなエネルギーを纏った、僕の知らない一年生だった。
ふわふわの明るいオレンジブラウンの髪。女子みたいにゆるいパーマのかかったヘアスタイル。制服を校則ギリギリまで着崩して、じゃらじゃらと音を立てるキーホルダーや、可愛らしいキャラクターのヘアピンで可愛くアレンジしている。その大きな瞳が、獲物を見つけたみたいに部室の中をきょろきょろと見渡した。
「ああ、新入部員か。歓迎するよ。俺が部長の朝比奈だ」
大海先輩が立ち上がって応対すると、一年生は「よろしくお願いしますっ!」と声を弾ませ、ぺこり、と元気よく頭を下げた。
「一年生の小鳥遊歩です! これ、入部届です!」
「ありがとう。ちゃんと書いてきてくれたんだな、偉いぞ」
先輩が差し出された入部届を受け取ると、歩くんと呼ばれた彼は、急に何かに気づいたように、大海先輩とちぃ先輩の顔を交互に見た。
「あ、もしかして、たいが先輩とちぃ先輩ですか!? SNS、いつも見てますーっ! まじ尊いです!」
それから、彼は僕の顔を認めると、ぱっと太陽が咲いたみたいに笑った。
「うわあ、#カケルとトモの恋ぐらむ の、トモ先輩ですか? 本物だ……! あゆ、感激ですぅ!」
あゆ、と名乗った彼は、僕の返事も待たずに、ててて、と駆け寄ってきた。その勢いに、僕は思わず後ずさる。なんだ、この生き物は。
「いつも見てます! 先輩たちの投稿、めっちゃエモくて、あゆ、キュン死にしそうです!」
「……あ、ありがとう」
「あれ、でも、カケル先輩、いないんですね?」
悪気のない、純粋な言葉が、ぐさぐさと僕の心を抉る。
僕が返事に困っていると、ちぃ先輩が「そのうち会えるよ」と助け舟を出してくれた。
「えー、そうなんですかぁ? ま、でも、いいです。あゆは写真部に入れて、マジ嬉しいです! これからビシバシ写真撮って、先輩たちみたいにエモい作品作りたいんで、よろしくお願いします!」
歩くんはそう言うと、やる気に満ち溢れた顔で、もう一度ぺこりとお辞儀をした。その太陽みたいな明るさに、部室の重たい空気が少しだけかき混ぜられた気がした。
「あーあ、それにしても、この部室、カップルばっかりで、あゆ、さみしー!青春したーい!」
そう言って、彼はわざとらしく頬を膨らせた。
その大きな瞳が、大海先輩とちぃ先輩を交互に見て、最後に僕と、僕の隣――誰もいないはずの空間を、意味ありげに見つめて、きらりと光った。
何だかすごい新入生が入ってきてしまった。
ただ、胸の奥がずきずきと痛くて、翔琉の怒った顔がまぶたの裏に焼き付いて離れなかった。
翌日、学校で顔を合わせても、僕たちの間には分厚い氷みたいな気まずい空気が流れるだけだった。翔琉はクラスの友達といつも通りバカみたいに騒いでいたけど、僕の方を見ようともしない。そのくせ、僕が他のクラスメイトと話していると、背中に突き刺すような視線を感じる。完全に、拗ねていた。
そして放課後。
写真部の部室は、昨日までの重たい沈黙が嘘みたいに、からっぽだった。僕の隣にあるはずの、太陽みたいな存在感はそこにはない。翔琉は、部活に来なかった。
「……あれ、今日、橘は?」
大海先輩の穏やかな声が、やけに静かな部室に響く。
「さあ……教室には、いたんですけど」
僕が俯きながら答えると、隣でスケッチブックに何かを描いていたちぃ先輩が、ふーん、と猫みたいに喉を鳴らした。
「喧嘩でもした? トモくん、今日ずーっとそんな感じだもんね。世界中の不幸を一人で背負ってます、みたいな顔」
「……そんなこと、ないです」
「はいはい、そーゆーことにしといてあげる」
ちぃ先輩には、何もかもお見通しみたいで、僕はますます小さくなるしかなかった。
翔琉がいないだけで、部室の空気は重たい。先輩たちがいても、いつもみたいに賑やかな声はない。
じいちゃんのカメラを構えても、ファインダーを覗いても、世界はただの灰色にしか見えない。
僕たちの“偽りの関係”は、もう終わりなのかもしれない。
そう思ったら、ずきん、と心臓が痛んだ。偽物のはずなのに、どうしてこんなに痛いんだろう。
その、重苦しい沈黙を嵐のように吹き飛ばしたのは、教室のドアが勢いよく開く音だった。
「あのーっ! 写真部、入部希望なんですけどっ! ここで合ってますか!?」
そこに立っていたのは、台風みたいなエネルギーを纏った、僕の知らない一年生だった。
ふわふわの明るいオレンジブラウンの髪。女子みたいにゆるいパーマのかかったヘアスタイル。制服を校則ギリギリまで着崩して、じゃらじゃらと音を立てるキーホルダーや、可愛らしいキャラクターのヘアピンで可愛くアレンジしている。その大きな瞳が、獲物を見つけたみたいに部室の中をきょろきょろと見渡した。
「ああ、新入部員か。歓迎するよ。俺が部長の朝比奈だ」
大海先輩が立ち上がって応対すると、一年生は「よろしくお願いしますっ!」と声を弾ませ、ぺこり、と元気よく頭を下げた。
「一年生の小鳥遊歩です! これ、入部届です!」
「ありがとう。ちゃんと書いてきてくれたんだな、偉いぞ」
先輩が差し出された入部届を受け取ると、歩くんと呼ばれた彼は、急に何かに気づいたように、大海先輩とちぃ先輩の顔を交互に見た。
「あ、もしかして、たいが先輩とちぃ先輩ですか!? SNS、いつも見てますーっ! まじ尊いです!」
それから、彼は僕の顔を認めると、ぱっと太陽が咲いたみたいに笑った。
「うわあ、#カケルとトモの恋ぐらむ の、トモ先輩ですか? 本物だ……! あゆ、感激ですぅ!」
あゆ、と名乗った彼は、僕の返事も待たずに、ててて、と駆け寄ってきた。その勢いに、僕は思わず後ずさる。なんだ、この生き物は。
「いつも見てます! 先輩たちの投稿、めっちゃエモくて、あゆ、キュン死にしそうです!」
「……あ、ありがとう」
「あれ、でも、カケル先輩、いないんですね?」
悪気のない、純粋な言葉が、ぐさぐさと僕の心を抉る。
僕が返事に困っていると、ちぃ先輩が「そのうち会えるよ」と助け舟を出してくれた。
「えー、そうなんですかぁ? ま、でも、いいです。あゆは写真部に入れて、マジ嬉しいです! これからビシバシ写真撮って、先輩たちみたいにエモい作品作りたいんで、よろしくお願いします!」
歩くんはそう言うと、やる気に満ち溢れた顔で、もう一度ぺこりとお辞儀をした。その太陽みたいな明るさに、部室の重たい空気が少しだけかき混ぜられた気がした。
「あーあ、それにしても、この部室、カップルばっかりで、あゆ、さみしー!青春したーい!」
そう言って、彼はわざとらしく頬を膨らせた。
その大きな瞳が、大海先輩とちぃ先輩を交互に見て、最後に僕と、僕の隣――誰もいないはずの空間を、意味ありげに見つめて、きらりと光った。
何だかすごい新入生が入ってきてしまった。
