僕たちの“偽カップル垢”、バズっちゃって終われません!

 週末、僕たちは約束通り“デート”のために駅で待ち合わせた。……デート、なんて言葉を使うだけで、心臓がぎゅっとなって、なんだかお腹のあたりがふわふわする。もちろん、これはただの撮影だ。分かってる。分かっているのに。

 「よっ、トモ! お待たせ!」

 待ち合わせ時間ぴったりに、翔琉が走ってくる。休日の彼は、流行りのストリートブランドのオーバーサイズなTシャツを着ていて、僕とは縁遠い、おしゃれな雑誌から抜け出してきたみたいに、キラキラしていた。

 「まずはお揃いコーデの買い出しな! 俺、いい店見つけといたんだわ!」

 翔琉はそう言うと、僕の腕を掴んで、当たり前みたいに歩き出した。僕がいつも一人で通る道が、翔琉と二人で歩くだけで、全然違う景色に見える。

 連れてこられたのは、僕が一人じゃ絶対に入れないような、お洒落なセレクトショップだった。店員さんもお客さんも、みんな翔琉と同じ世界の住人みたいで、僕は居心地の悪さに、きゅるきゅると胃が縮こまるのを感じた。

 「うわ、やっぱこのTシャツ、エモくね? トモは黒で、俺が白な!」

 翔琉は、目を輝かせながら服を選んでいく。そして、僕の体にTシャツを当てては、「うん、完璧!」と一人で満足そうに頷いていた。その距離の近さに、僕の心臓はまた、どくどくと警報を鳴らし始める。

 「ほら、トモも試着してこいよ!」

 半ば強引に試着室に押し込まれる。鏡に映った自分の姿は、なんだか見慣れなくて、そわそわした。翔琉に選んでもらった服を着ている。ただそれだけで、僕じゃない誰かになったみたいだ。

 「お、トモ、いいじゃん! 超似合ってる!」

 試着室から出ると、翔琉がスマホを構えてパシャパシャと写真を撮り始めた。

 「これもアカウントに載せよ!『#お揃いコーデ選び中』って感じで!」

 ああ、そうか。
 これも、全部“ネタ”なんだ。
 一瞬でも、本物のデートみたいだって浮かれてしまった自分が、途端に馬鹿みたいに思えた。ずきん、と胸の奥が鈍く痛む。

 お揃いのTシャツを買い、その足で僕たちは新江ノ島水族館へ向かった。

 中に入ると、まず目の前に広がる「相模湾大水槽」の巨大な青に息を呑んだ。八千匹のマイワシの群れが、光を反射しながら巨大な竜巻みたいに渦を巻いている。その間を、大きなエイやサメが悠然と横切っていく。

 「トモ、やべえ! このイワシのトルネード、絶対“映え”るって!」

 翔琉は、僕の手を引いて水槽の前まで走る。周りのカップルたちが、僕たちを不思議そうな目で見ていた。

 「よし、撮るぞ! トモ、もっと恋人っぽく!」

 翔琉は、スマホを片手に完璧なプロデューサーになりきっていた。

 「もっとこう、俺のこと見つめる感じで!」
 「……こ、こう?」
 「そうそう! 水槽の光がトモのメガネに反射して、超エモい! 神じゃん、俺!」

 僕は、言われるがままにポーズをとる。でも、心はどんどん冷えていった。楽しいはずの水族館が、まるで仕事現場みたいだ。

 次に連れて行かれたのは、「クラゲファンタジーホール」。

 半円状のドーム空間全体が青い光に包まれていて、大小さまざまなクラゲたちが、ゆらり、ゆらりと舞っている。幻想的で、綺麗で……。

 「トモ、あの丸いクラゲの前立って! そう、もっと切ない感じで!」
 「切ない感じって……なんで?」
 「いいからいいから! “儚さ”がテーマなの! 俺の頭の中ではもう完成図が見えてんだよ!」

 翔琉の声だけが、僕のいない世界から響いてくるみたいだ。

 屋外エリアの「ウミガメの浜辺」では、相模湾で見られるカメを間近で観察できるみたいだ。そこでは大きなウミガメが、ゆったりと歩いていた。亀って思ったより大きいんだな、とか。ゆっくりしたイメージだったけど、動きも早いんだな。なんて思っていたら、翔の指示が飛んでくる。

 「トモ、あのウミガメみたいに、のっそり俺の方に歩いてきて!」
 「……それ、どういう設定なの」
 「千年の恋が、今、実る……みたいな?」
 「……壮大すぎるでしょ」

 呆れながらも言われた通りにすると、翔琉は「それそれ! いいよトモ!」と楽しそうにシャッターを切る。

 イルカショーの時間が近づくと、翔琉は僕を急かして「イルカショースタジアム」の観客席へと向かった。ショーが始まると、イルカたちが音楽に合わせて高くジャンプしたり、トレーナーの人と息の合ったパフォーマンスを繰り広げたりして、会場は大きな歓声に包まれた。 僕も思わず「うわっ」と声を上げてしまう。人間の僕だって、音楽に合わせて踊るなんて難しいのに。イルカってすごいんだなって思って、感心してしまった。

 「トモ、今の顔! もう一回!」
 「え、無理だよ、今のは不意打ちだったから……」
 「ちぇー。まあいいや、次な!」

 翔琉はショーそっちのけで、僕の“リアクション”を撮るのに必死だった。

 ショーのクライマックス、何頭ものイルカが一斉に大ジャンプをした。客席から、今日一番の歓声が上がる。
 僕も、その迫力にただただ圧倒されていた。その時だった。

 「うおっ、まじか! トモ、今の見た!?」

 隣を見ると、翔琉がスマホを構えるのも忘れて、目をキラキラさせながら僕を見ていた。それは、“偽物の恋人”を演じる顔じゃなくて、僕がずっと昔から知っている、ただの幼馴染の顔だった。その、作られていない笑顔に、どきん、と心臓が跳ね上がる。

 「……うん、すごかった」

 僕がそう答えると、翔琉はハッとしたように我に返り、「やべ! 最高のシャッターチャンス逃した!」と頭を抱えた。

 「OK! でもまあ、最高の撮れたわ!」

 ショーが終わった後、撮った写真を確認して、翔琉が満足そうに笑う。その笑顔は、僕じゃなくて、スマホの向こう側にいる何万人ものフォロワーに向けられている。

 でも、さっきの、一瞬だけ僕に向けられた本物の笑顔。
 それだけで、胸の奥の痛みが、少しだけ甘い疼きに変わった気がした。

 水族館の出口に向かう途中、翔琉がお土産コーナーに僕をぐいっと引き入れた。

 「やっぱ締めはお土産だろ! カップルっつったら、お揃いの何かが必要じゃん?」

 翔琉はそう言うと、キーホルダーの棚を漁り始めた。そして、二頭のイルカが寄り添うデザインのキーホルダーを二つ手に取った。

 「これにしよーぜ! 俺が青で、トモがピンクな!」

 翔琉は僕にピンクのイルカを押し付ける。その冷たい金属の感触が、僕の心にずしりとのしかかった。お揃いのキーホルダー。本物の恋人同士なら、きっとすごく嬉しいんだろう。でも、これは僕たちの“偽物”の関係を証明する、ただの小道具だ。このキーホルダーが、本物の思い出の品だったら、どんなに良かっただろう。

 レジで会計を済ませた翔琉は、さっそく自分のリュックに青いイルカをつけた。

 「うん、いい感じ! これも後でアップしよ!」

 その無邪気な笑顔が、少しだけ、痛かった。

 帰り道、江ノ電の車窓から見える海は、もうすっかり夜の色をしていた。ガタンゴトンと揺れる車内で、翔琉は今日の“成果”をスマホでチェックするのに夢中だ。

 「やっぱ水族館デートは鉄板だな! “いいね”の伸びがえげつない!」

 楽しそうな翔琉の声が、やけに遠くに聞こえる。僕は窓に映る自分の顔を見つめた。今日買ったばかりの、翔琉とお揃いの白いTシャツ。それはまるで、僕の“偽物”の恋心みたいで、なんだか息苦しかった。

 駅に着いて、いつもの帰り道を二人で歩く。翔琉はまだ興奮冷めやらぬ様子で、次の“デート”の計画を立てていた。

 「次はさー、やっぱお家デートじゃね? クッキーとか一緒に作っちゃう的な?」
 「……料理、できないよ」
 「そこは俺がなんとかするって! 大丈夫、大丈夫!」

 僕の返事なんて、きっと聞こえていない。翔琉の頭の中は、次のバズるネタでいっぱいなんだろう。

 家の前の分かれ道で、翔琉は「じゃあな、トモ! 今日はサンキュ!」と、太陽みたいな笑顔で手を振った。僕は、力なく手を振り返すことしかできなかった。

 家のドアを開けると、「おかえり、燈」とリビングから母さんの声がした。「ただいま」と靴を脱ぎながら返事をすると、「今日は楽しかった?」と追いかけるように聞かれる。楽しかった?――その言葉が、ずしりと重くのしかかる。楽しかった、のだろうか。翔琉の隣にいられた時間は、確かに特別だった。でも、それは全部偽物だ。「…うん、まあね」。上の空でそう答えると、「そう、ご飯できてるわよ」と母さんはそれ以上何も聞いてこなかった。きっと、僕の疲れた顔に気づいたんだろう。

 自分の部屋に戻り、ベッドに倒れ込む。どっと疲れが押し寄せてきた。楽しかったはずの一日が、今はもう遠い昔のことみたいだ。
 買ってきたばかりのTシャツを脱ぎ捨てて、いつものヨレたTシャツに着替える。こっちの方が、よっぽど僕らしい。

 目を閉じると、イルカショーの時の、翔琉の顔が浮かんでくる。
 “偽物の恋人”じゃない、僕だけが知っている、本当の翔琉の笑顔。
 あの笑顔を思い出せるなら、この“偽物”の関係も、もう少しだけ続けてもいいのかもしれない。
 そんなことを考えながら、僕はいつの間にか、浅い眠りに落ちていた。