夏休みが目前に迫っても、僕と翔琉の間の分厚い氷は溶ける気配がなかった。
クラスが違うから、顔を合わせるのは部活の時間だけ。でも、翔琉は僕を避けるように先輩たちとばかり話している。僕たちの“カップル垢”は、あの日からぴたりと更新が止まったまま、放置されていた。
『#カケトモ破局か?』
『最近更新なくて寂しい』
『喧嘩したのかな…』
コメント欄は、フォロワーたちの心配や憶測で溢れている。その一つ一つが、ずきん、と僕の心を刺した。
「……はぁ」
終業式を明日に控えた放課後。写真部の部室で一人、ため息をつく。夏休み中も部室は自由に使えるけど、このまま翔琉と会えないなら、来ても意味がない。
「なーに、クソデカため息ついてるんですか、先輩」
がらり、とドアが開いて、台風みたいな後輩が顔を出す。
「……歩くん」
「うわ、マジで世界の終わりみたいな顔。ウケるんですけど」
歩くんはそう言うと、ずかずかと部室に入ってきて、僕の前の椅子にどかりと座った。
「こっちは深刻なんだけどな」
「で? 翔琉先輩とはどうなんすか? まさか、この状況でまだ何にもしてない、とか言わないですよね?」
「……うーんと、話す、きっかけがなくて」
「はぁ? きっかけ待ちとか、乙女かよ。夏休み前だってのに、ありえないんですけど」
歩くんはそう言うと、僕のスマホをひょいと取り上げて、翔琉とのトーク画面を開いた。僕が最後に送った「ごめん」という一言だけが、既読のまま寂しく浮かんでいる。
「あの人、どうせ意地張ってるだけでしょ。先輩から行かないと、このまま自然消滅コースですよ」
「……でも」
「でも、じゃないんです。いいですか? 今からあゆの言う通りにしてください」
有無を言わせない力強い瞳。僕は、こくりと頷くしかなかった。
歩くんはまず、僕のスマホで翔琉に『話があるから部室に来て』とだけメッセージを送った。そして、反応がないのを見ると、僕が戸惑っている間に、今度は僕のスマホから翔琉に電話をかけ始めた。
「あ、出た。もしもし、翔琉せんぱーい? 新入部員のあゆですぅ♡ 今、トモ先輩といるんですけどぉ、なんか先輩が、翔琉先輩に会いたいって、泣きそうなんですよぉ」
完璧なぶりっ子モード。そのあざとさに、僕の背筋がぞわっとする。電話の向こうで、翔琉が何かを言っているのが微かに聞こえる。
「えー、でもぉ、このままだと夏休み、みんなで遊べなくないすか? あゆ、先輩たちと海とか行きたいんですけどぉ。そんなギスギスした空気じゃ、エモい夏にならないじゃないですかぁ。ねっ?」
“みんなで遊びたいから”。その一言が、翔琉の心を動かしたんだろう。電話を切った歩くんは、「10分で来るってさ」と得意げに笑った。
宣言通り、10分後。翔琉が息を切らして部室に飛び込んできた。僕の顔を見ると、一瞬気まずそうに視線を逸らす。
「よ、よう」
「……うん」
ぎこちない挨拶。重たい沈黙。その間に、歩くんがわざとらしく大きな声を出した。
「あーあ、なんかこの空気、超気まずいんですけどぉ。あゆ、耐えられなーい」
歩くんはそう言うと、僕と翔琉の顔を交互に見て、にぃ、と笑った。
「というわけで、あゆ、ちょっと野暮用思い出しちゃったんで、お先に失礼しまーす♡ あ、鍵、閉めときますね!」
「え、ちょ、歩くん!?」
僕が止める間もなく、歩くんはウインクを残して部室から出て行ってしまった。そして、外からガチャリ、と鍵を閉める音が聞こえる。
「……は?」
「……マジかよ」
僕と翔琉は、顔を見合わせた。完全に、二人きり。歩くんの策略に、まんまとハマってしまった。
沈黙が、痛い。何か言わなくちゃ。でも、なんて言えばいい?
先に口を開いたのは、諦めたように息を吐いた翔琉だった。
「……あー、その……悪かった、トモ。俺、焦ってて……」
「僕の方こそ、ごめん。……逃げたりして」
「無理やりあんなことさせようとして、マジで子供っぽかったよな。アカウントのことばっかで、トモの気持ち考えてなかった。お前が嫌がってるのに、全然気づかなくて……ほんと、ごめん」
「ううん、僕も、突き飛ばしたりしてごめん。ちゃんと話せばよかったのに、怖くて……」
やっと、言えた。僕は力が抜けてしまって、その場にへたり込む。
翔琉が、僕の前にしゃがみ込んで、僕の手をそっと握ってくれた。その温かさに、堪えていた涙が、ぽろり、と零れた。
「泣くなよ、トモ」
翔琉はそう言って、親指で僕の涙を優しく拭った。その手つきが、あまりにも優しくて、僕はまた、涙が止まらなくなった。
気まずい空気の中で、僕たちは少しずつ、止まっていた時間を動かし始めた。
ガチャリ。
不意に、ドアの鍵が開く音がした。
はっと顔を上げると、そこには腕を組んで仁王立ちする歩くんと、その後ろからひょっこり顔を出す大海先輩とちぃ先輩の姿があった。
「はいはーい♡ お二人とも、仲直り、できました?」
歩くんが、にんまりと意地悪く笑う。どうやら、僕たちが仲直りするまで、外でずっと待っていたらしい。
「おまっ、鍵かけやがって!」
翔琉が、照れ隠しみたいに声を荒らげる。その耳が真っ赤に染まっているのを、僕は見逃さなかった。
「あらら、二人とも目ぇ真っ赤じゃん。青春だねえ」
ちぃ先輩が、面白そうに僕たちの顔を覗き込む。そのからかうような視線に、僕の顔まで熱くなる。
「まあ、よかったじゃないか。二人とも」
大海先輩だけが、穏やかな笑顔でそう言ってくれた。その優しさに、なんだか救われた気がした。
「さて! 仲直りしたからには、停滞してるアカウントを立て直しますよ!」
歩くんはそう言うと、パン!と柏手を打って、部室の空気を一変させた。
「夏休みはすぐそこ! バズの稼ぎ時です! というわけで、あゆが先輩たちのために、最高の夏休みプランを練ってきました!」
歩くんがタブレットを取り出し、その画面を僕たちに見せる。
そこには、『#カケトモ 真夏のアオハル大作戦♡』というタイトルと共に、江の島での海水浴、鎌倉での食べ歩き、夏祭りでの浴衣デートまで、キラキラした予定がびっしりと書き込まれていた。
「うお、マジか! 仕事がはええ!」
翔琉が、すっかりいつもの調子を取り戻して、画面に食いつく。
「でしょー? 夏休みはイベントが盛り沢山なんですから、これを“ネタ”にしない手はないですよ♡」
「いいねえ、面白そうじゃん。俺たちも混ぜてよ」
ちぃ先輩が、ひょいと歩くんのタブレットを覗き込む。
「もちろんですよ! 先輩たちとのダブルデート企画も考えてますから!」
「マジか! それ、絶対バズるやつじゃん!」
先輩たちまで巻き込んで、部室は一気に夏休みの計画で盛り上がり始める。
その賑やかな声を聞きながら、僕は翔琉と繋いだままの手に、そっと力を込めた。
まだ、僕たちの関係は“偽物”のままだ。
でも、今はそれでいい。
この、どうしようもなく温かくて、少しだけ切ない夏休みが、今はただ、楽しみだった。
クラスが違うから、顔を合わせるのは部活の時間だけ。でも、翔琉は僕を避けるように先輩たちとばかり話している。僕たちの“カップル垢”は、あの日からぴたりと更新が止まったまま、放置されていた。
『#カケトモ破局か?』
『最近更新なくて寂しい』
『喧嘩したのかな…』
コメント欄は、フォロワーたちの心配や憶測で溢れている。その一つ一つが、ずきん、と僕の心を刺した。
「……はぁ」
終業式を明日に控えた放課後。写真部の部室で一人、ため息をつく。夏休み中も部室は自由に使えるけど、このまま翔琉と会えないなら、来ても意味がない。
「なーに、クソデカため息ついてるんですか、先輩」
がらり、とドアが開いて、台風みたいな後輩が顔を出す。
「……歩くん」
「うわ、マジで世界の終わりみたいな顔。ウケるんですけど」
歩くんはそう言うと、ずかずかと部室に入ってきて、僕の前の椅子にどかりと座った。
「こっちは深刻なんだけどな」
「で? 翔琉先輩とはどうなんすか? まさか、この状況でまだ何にもしてない、とか言わないですよね?」
「……うーんと、話す、きっかけがなくて」
「はぁ? きっかけ待ちとか、乙女かよ。夏休み前だってのに、ありえないんですけど」
歩くんはそう言うと、僕のスマホをひょいと取り上げて、翔琉とのトーク画面を開いた。僕が最後に送った「ごめん」という一言だけが、既読のまま寂しく浮かんでいる。
「あの人、どうせ意地張ってるだけでしょ。先輩から行かないと、このまま自然消滅コースですよ」
「……でも」
「でも、じゃないんです。いいですか? 今からあゆの言う通りにしてください」
有無を言わせない力強い瞳。僕は、こくりと頷くしかなかった。
歩くんはまず、僕のスマホで翔琉に『話があるから部室に来て』とだけメッセージを送った。そして、反応がないのを見ると、僕が戸惑っている間に、今度は僕のスマホから翔琉に電話をかけ始めた。
「あ、出た。もしもし、翔琉せんぱーい? 新入部員のあゆですぅ♡ 今、トモ先輩といるんですけどぉ、なんか先輩が、翔琉先輩に会いたいって、泣きそうなんですよぉ」
完璧なぶりっ子モード。そのあざとさに、僕の背筋がぞわっとする。電話の向こうで、翔琉が何かを言っているのが微かに聞こえる。
「えー、でもぉ、このままだと夏休み、みんなで遊べなくないすか? あゆ、先輩たちと海とか行きたいんですけどぉ。そんなギスギスした空気じゃ、エモい夏にならないじゃないですかぁ。ねっ?」
“みんなで遊びたいから”。その一言が、翔琉の心を動かしたんだろう。電話を切った歩くんは、「10分で来るってさ」と得意げに笑った。
宣言通り、10分後。翔琉が息を切らして部室に飛び込んできた。僕の顔を見ると、一瞬気まずそうに視線を逸らす。
「よ、よう」
「……うん」
ぎこちない挨拶。重たい沈黙。その間に、歩くんがわざとらしく大きな声を出した。
「あーあ、なんかこの空気、超気まずいんですけどぉ。あゆ、耐えられなーい」
歩くんはそう言うと、僕と翔琉の顔を交互に見て、にぃ、と笑った。
「というわけで、あゆ、ちょっと野暮用思い出しちゃったんで、お先に失礼しまーす♡ あ、鍵、閉めときますね!」
「え、ちょ、歩くん!?」
僕が止める間もなく、歩くんはウインクを残して部室から出て行ってしまった。そして、外からガチャリ、と鍵を閉める音が聞こえる。
「……は?」
「……マジかよ」
僕と翔琉は、顔を見合わせた。完全に、二人きり。歩くんの策略に、まんまとハマってしまった。
沈黙が、痛い。何か言わなくちゃ。でも、なんて言えばいい?
先に口を開いたのは、諦めたように息を吐いた翔琉だった。
「……あー、その……悪かった、トモ。俺、焦ってて……」
「僕の方こそ、ごめん。……逃げたりして」
「無理やりあんなことさせようとして、マジで子供っぽかったよな。アカウントのことばっかで、トモの気持ち考えてなかった。お前が嫌がってるのに、全然気づかなくて……ほんと、ごめん」
「ううん、僕も、突き飛ばしたりしてごめん。ちゃんと話せばよかったのに、怖くて……」
やっと、言えた。僕は力が抜けてしまって、その場にへたり込む。
翔琉が、僕の前にしゃがみ込んで、僕の手をそっと握ってくれた。その温かさに、堪えていた涙が、ぽろり、と零れた。
「泣くなよ、トモ」
翔琉はそう言って、親指で僕の涙を優しく拭った。その手つきが、あまりにも優しくて、僕はまた、涙が止まらなくなった。
気まずい空気の中で、僕たちは少しずつ、止まっていた時間を動かし始めた。
ガチャリ。
不意に、ドアの鍵が開く音がした。
はっと顔を上げると、そこには腕を組んで仁王立ちする歩くんと、その後ろからひょっこり顔を出す大海先輩とちぃ先輩の姿があった。
「はいはーい♡ お二人とも、仲直り、できました?」
歩くんが、にんまりと意地悪く笑う。どうやら、僕たちが仲直りするまで、外でずっと待っていたらしい。
「おまっ、鍵かけやがって!」
翔琉が、照れ隠しみたいに声を荒らげる。その耳が真っ赤に染まっているのを、僕は見逃さなかった。
「あらら、二人とも目ぇ真っ赤じゃん。青春だねえ」
ちぃ先輩が、面白そうに僕たちの顔を覗き込む。そのからかうような視線に、僕の顔まで熱くなる。
「まあ、よかったじゃないか。二人とも」
大海先輩だけが、穏やかな笑顔でそう言ってくれた。その優しさに、なんだか救われた気がした。
「さて! 仲直りしたからには、停滞してるアカウントを立て直しますよ!」
歩くんはそう言うと、パン!と柏手を打って、部室の空気を一変させた。
「夏休みはすぐそこ! バズの稼ぎ時です! というわけで、あゆが先輩たちのために、最高の夏休みプランを練ってきました!」
歩くんがタブレットを取り出し、その画面を僕たちに見せる。
そこには、『#カケトモ 真夏のアオハル大作戦♡』というタイトルと共に、江の島での海水浴、鎌倉での食べ歩き、夏祭りでの浴衣デートまで、キラキラした予定がびっしりと書き込まれていた。
「うお、マジか! 仕事がはええ!」
翔琉が、すっかりいつもの調子を取り戻して、画面に食いつく。
「でしょー? 夏休みはイベントが盛り沢山なんですから、これを“ネタ”にしない手はないですよ♡」
「いいねえ、面白そうじゃん。俺たちも混ぜてよ」
ちぃ先輩が、ひょいと歩くんのタブレットを覗き込む。
「もちろんですよ! 先輩たちとのダブルデート企画も考えてますから!」
「マジか! それ、絶対バズるやつじゃん!」
先輩たちまで巻き込んで、部室は一気に夏休みの計画で盛り上がり始める。
その賑やかな声を聞きながら、僕は翔琉と繋いだままの手に、そっと力を込めた。
まだ、僕たちの関係は“偽物”のままだ。
でも、今はそれでいい。
この、どうしようもなく温かくて、少しだけ切ない夏休みが、今はただ、楽しみだった。
