「あたしは町一番の裕福な家庭で育ったの。だから小学校に上がるまではなんでも買ってくれた。あたしが欲しいと言ったものはすべて買ってくれたの。でもね」
遠い昔を思い出すような表情になった。
「小学校の入学式から帰った時、『自立しなさい』って言われたの。母親から」
えっ? 小学1年生に自立を促したの? まだ6歳だよ? どうやって自立するの?
「信じられないでしょう。あたしもびっくりしたわ。だって、それまではお金持ちのお嬢様として蝶よ花よと大事にされてきたのよ。あたし、母親が何を言っているのかわからなくてポカンとしてしまったの」
それは当然でしょう。僕だってそうなる。
「母親はね、『欲しいものは自分が稼いだお金で買いなさい』って言ったの」
働けっていうこと? でも、小学生を働かせたら労働基準法違反になっちゃうよ。
「あたし、またポカンとしちゃった。小学1年生がお金を稼げるはずないでしょう。母親が何を言っているのかまったくわからなくて……、でもね」
玉留が笑い出した。
「頭の中に『ピンポン♪』って音が鳴ったの」
えっ? ピンポン?
「アイドル歌手になってテレビに出たら稼げることに気がついたの」
彼女は両手の指を組んでその上に顎を乗せた。
「あたしって可愛かったから、オーディションに応募したら絶対合格すると思ったの。声も可愛いし、歌も踊りも上手だから絶対イケるって。だから『あたしアイドルになってお金を稼ぐ』って言ったの。そうしたらね」
何?
「母親があたしの目の高さに合わせるようにしゃがんで、『家のお手伝いをしなさい』って言ったの」
自分の部屋の掃除がいくら、トイレ掃除がいくら、バスルーム掃除がいくら、庭の掃除がいくら、台所の片づけがいくら、買い物のお手伝いがいくら、犬の散歩がいくら、肩叩きがいくら、そんなことが書いてある紙を渡されたのだという。
「頑張ってお手伝いをいっぱいすれば、それに応じてお金が増えていく仕組みになっていたの。あたしはその紙を食い入るように見たわ。自分ができそうなことを一生懸命探したの。でも、どれも楽しそうじゃないし、興味を持てなかったわ。だから『アイドルの方がいい』って拗たんだけど、母親は首を横に振るばかりで相手にしてくれなかったの」
まだ未練がありそうな顔で大きくため息をついたが、それでも話は続いた。
「そしてね、いろんな動物の形をした貯金箱を10個渡されて、これに貯めていきなさいって言われたの」
スマホの画面に保存してある貯金箱の写真を見せてくれた。
「今思えばね、母親の気持ちはよく理解できるの。家のことがなんでもできる子供に育てる仕組みを通じて金銭に対する感覚を育ませようとしていたってことが」
それで?
「学校から帰ったら必ず一つお手伝いをするって決めて始めたの。最初は自分の部屋の掃除や犬の散歩くらいだったけど、貯金箱にお金が貯まるのが楽しくなって、いろんなお手伝いを始めたの。そうしたら、どんどんお金が貯まって貯金箱がいっぱいになったの。だから、2つ目の貯金箱に貯め始めたの」
そして唐突に、「貯金箱にお金が貯まっていく快感ってわかる?」と問われた。
「そんなこと言われたって、わかるわけないですよ。だって一度もお金を貰ったことがないし……」
いじけた声になった。
「そうだったわね、変なこと訊いちゃってごめんなさい。あとでお詫びにシャトーブリアン生肉をご馳走するわね」
「ワン♪」
思わず尻尾を振ってしまったが、犬の性とは言え、情けなくなって目を伏せた。自尊心がズタズタになっていた。それでもここで終わりにするわけにはいかなかった。続きを訊き出さなければならないのだ。うな垂れながらも玉留にすり寄った。
「お金が貯まる快感って……」
上目づかいで見つめると、玉留はフランソワの頭を撫でながら再び話し始めた。
「貯金箱が重くなっていくのがなんにもまして楽しくなったの。貯金箱に頬ずりしたくなるくらいだったわ。だからお手伝いに精を出すようになって、あれもこれもってやっていったら、自分でもびっくりするくらい早く10個の貯金箱がいっぱいになったの。それでね、そのお金でお人形さんを買ってもいい? って訊いたの。母親がなんて言ったと思う?」
そんなこと、わかるわけないでしょう。
「株を買いなさい、だって」
株?
「『お人形さんを買ったらお金が減るけど、株を買ったらお金が増えるのよ』って言われたの。それでね、『お金が増えるんだったらいいわよ』って貯金箱を母親に渡したの」
次の日、空になった貯金箱を返されて、また貯金に勤しんだという。
それから数か月経ったある日、母親から銀行の通帳を渡されたそうだ。
「『これ何?』って訊いたら、『配当が入ったから、あなた専用の銀行口座を作って、そこにお金を入れておいたのよ』って言われたの。『配当って何?』って訊いたら、『株を買った人へのご褒美よ』って教えてくれたの」
へえ~、
「株を買ったらご褒美を貰えるって知ったから、もっと買いたくなって、お手伝いを更に頑張ってやるようになったの。そしてね、1円でも多く1秒でも早くお金を貯めるためにはどうしたらいいか、一生懸命考えるようになったの」
1円の収入増、1秒のスピードアップ……、
「今で言う生産性よね。どうしたら短時間で効率的に稼げるかってこと」
小学生の時に? それって凄くない?
「例えばね、バスルームの掃除があるでしょう。それまでは、床を掃除して、それから壁を掃除していたの。そうするとね、せっかく掃除した床の上に壁の汚れが落ちてきて、また床の掃除をしないといけなくなるの。もうウンザリして嫌になってブラシを放り上げたの。そしたら落ちてきたブラシの柄が頭に当たって……ふと気がついたの。最初に壁の掃除をして最後に床の掃除をしたらいいんじゃないかって。そうすれば二度手間が省けるでしょう。それをやり始めたら掃除をする時間が半分になったの。凄いでしょう」
彼女は小学生のような口調で自慢した。
「工夫を始めたら止まらなくなって、考えれば考えるほどいろんなアイディアが出てきて、いろんなお手伝いが短時間にできるようになったの。だから、貯金箱がいっぱいになる時間も短くなって、株がどんどん増えていったの」
配当によって通帳の残高が増えていき、それを見て、あることに気づいたという。
「お手伝いで貯めたお金が配当というお金を生んでいることに気がついたの」
彼女はメモ帳に2つ目の言葉を書いた。
『お金がお金を生む』
なるほど。
「これって凄いことだと思わない? だって、学校へ行っている時も、遊んでいる時も、ご飯を食べている時も、お風呂に入っている時も、眠っている時も、つまり、お手伝いしていない時にお金が増えているのよ。お金が勝手に増えているの。これに気づいた時は本当に興奮しちゃったの」
ワクワクしているような顔になった。
フランソワはその先が聞きたくてウズウズしながら次の言葉を待ったが、何を思ったのか、いきなり秘書に向かって指を鳴らした。
すると音楽が流れてきた。知らない曲だった。しかし思わず体が動いてしまうようなウキウキするような演奏だった。
「『Shake It Up』よ。サックスとトランペットの第一人者が共演しているの。ボニー・ジェイムスとリック・ブラウンって知ってる?」
フランソワは首を横に振った。
「この曲を聞くと脳や細胞が刺激を受けて覚醒するのよね」
そうなんだ。シェイク、シェイク! 振って揺られて刺激を受けろ!
「あなたも覚えておいてね。コンテンポラリー・ジャズの世界では知らない人がいないくらい有名なミュージシャンよ。お金持ちになりたいのなら音楽の素晴らしさも知っておいてね」
お金と音楽? なんの関係があるんだ?
「メロディー、リズム、ハーモニーって、ジャズに限らず音楽の重要な三要素よね。株式投資も同じなの」
どこが?
「よく考えてみて」
玉留はフランソワの鼻をチョンと触った。



