翌日、月曜の放課後。
約束通り、俺は校舎の裏庭で美園さんを待っていた。
今日、彼女が俺を呼び出した目的は——?
昨夜美園さんととLINEのやり取りをして以降、俺の頭はそのことでいっぱいだった。
土曜に佐野が俺に打ち明けた苦しげな言葉が、繰り返し脳に戻ってくる。その苦しみを微塵も感じさせずに好きでもない相手と心から想い合っている演技を続けるのは、いくらスーパー一軍でも至難の業だろう。
美園さんの性格を思えば、いろいろなことにおおらかなアバウトタイプとは到底思えない。佐野の表情や言動の一つ一つを鋭く観察し、あれこれと考察を巡らせているに違いない。
考えれば考えるほど、不安で頭から血の気が引いていく。
灰色の雲を頭に渦巻かせつつ校舎の壁際で佇んでいると、さらりと艶やかな髪を靡かせて美園さんが校舎の角を曲がってくるのが視界に入った。
「ちょっと遅くなっちゃってごめんね!」
彼女はきゅるんと小さく首を傾げて微笑みながら駆け寄ってくる。うああ。可愛い。
「いっいや全然待ってないよ!」
デートの待ち合わせでもないのにクソのような返事をして強張った笑みを浮かべる。佐野、こんな子に心底好かれてブルーとかやっぱ贅沢じゃないのか……という心の声をぐっと押し殺す。
彼女は少し様子を伺うように周囲を見まわしてから、ととっと俺の間近まで歩み寄って小声で囁いた。
「うーんとね。LINE送ったあとでいろいろ考えたんだけど……こんなとこで立ち話っていう内容じゃないな、と思って。
葉山くん、このあと時間大丈夫だったら、ちょっと近くのカフェ行かない? 静かに話できるお店あるから、そこ行こ」
「……」
「立ち話っていう内容じゃない」。そのワンフレーズに、内心ざっと青ざめる。
それと同時に、何とも言えない甘い香りがふわりと俺の鼻をくすぐった。
これはシャンプーの香りだろうか、それとも制汗剤とか……? 底知れぬ恐怖と溶けるような甘さが一気に襲ってくる地獄。
「……ダメ?」
こんなふうに誘われたら、男は絶対にNoとは言えない。
「あっ、いや全然大丈夫!」
「よかった。案内するから、ついてきて」
彼女はニコッと微笑むと、髪を揺らして俺の前に立って歩き出した。
学校を出てしばらく歩き、大きな通りを一つ裏に入った小さな道に入ると、彼女はこぢんまりとしたカフェの扉を開ける。店内には数組の客がいるが、心地良いBGMを破って馬鹿騒ぎするような客はいない。
「いらっしゃいませ。お好きなお席へどうぞ」
カウンターのスタッフが笑顔で対応する。
壁際の静かなテーブルに向かい合わせで座った。
「カフェラテを、アイスで」
「あ、じゃあ俺も」
「かしこまりました」
スタッフにオーダーを済ますと、美園さんはふっと小さく一つ息をついてから俺を見つめた。
ええっと、やばい。いろんな意味で。
「葉山くん」
「はっはい」
「あのね……なんか、いろいろ不安でたまらないの。佐野くんとのこと」
「…………」
「毎週日曜はね、佐野くんのサッカー部の練習がないから、毎週会いたいね!♡って、お互い少しでも顔見る時間作ってるの。
なんだけど……もしかしたら佐野くん、私のことあんまり好きじゃないのかな……って、時々ものすごく不安になって……」
「えっ、そっそんなことないでしょ絶対!? ど、どうして不安になるの?」
思わず食い気味に聞いてしまった。俺をじっと見る美園さんの眼差しに、冷や汗がドッと脇を濡らす。
ああ、ここで変に動揺しちゃダメだ。俺は必死にクールダウンする。
「だって、美園さんはクラスの、というか学校の全男子の憧れ的な存在じゃん。佐野だって当然……」
「なんていうのかな」
届いたアイスカフェラテのストローをす、と静かに一口吸い、彼女はふっと俯く。
「視線が、あんまり合わない気がするの。佐野くんと。
すごくキラキラした笑顔を見せてくれてるのは間違いないんだけど……なんだか、私に向けて笑ってるのかな?っていう、不思議な笑顔なの。
話す言葉もLINEも、いつも丁寧で、優しく気遣ってくれるんだけど、これってほんとに私に向けてくれてる言葉なのかな?って……
それに、手を繋ぎたいとか、そういうアプローチも全然してくれないし。私からはそういう空気にしてるつもりでも、気付かないのか、それとも何となく避けてるのか……
そんなこと考えてたら、何だかどんどん悲しくなってきちゃって……」
「…………」
鋭い。
やっぱりめちゃくちゃ鋭い。
自分のカフェラテを引き寄せる手が微かに震えそうになる。
落ち着け。ストローから口に流れ込むひんやりとまろやかな美味に意識を必死に集中する。
考えろ。何と返せば最も自然か。
「……あ、そう言えばさ。
佐野、めちゃくちゃ照れ屋なんだって言ってたなあ……相手のことが好きな分、リアクションとかがぎこちなくなっちゃって困る、って。
視線が合わないとか、言葉や素振りの違和感とか、それってめちゃくちゃ美園さんを意識しちゃってる証拠なんじゃない?」
今の理由、不自然じゃなかったか?
大丈夫であってくれ。
「……」
黙ったまま静かにカフェラテを飲み、美園さんは額に落ちた髪を徐に耳にかけて顔を上げた。
「——あのね。私、思い出したの。
最初に私を振った時に、佐野くん、言ってたなあって。『俺、好きな子いるし』って」
その瞬間、俺は思わずカフェラテを気管に吸い込み盛大に咽せた。
「ぐっ、ゲホっゲホグホっ……!!」
「……」
手元にあったお手拭きで口元を必死に拭い、何とか酸素を吸い込む。
「はぁっ……ゲホ」
「葉山くん、大丈夫?」
「あっうんごめん……えっとほら佐野って、割と感情出やすいタイプじゃん? あの時はサッカーがスランプだったって、本人が言ってたんだろ? あいつさーサッカーバカみたいなとこあるし。不調でイラつきすぎて心にもない事言っちゃった、とか、そういうこともあるんじゃない?」
「……そうなのかな」
「そ、そうだって!!」
「——葉山くんの今の話、信じていい?」
「……っ、当たり前だろ?」
「そっか」
暗い光を揺らめかすような眼差しをふっと緩め、彼女は打って変わったキュートなスマイルできゅるんと微笑んだ。
「葉山くんに聞いてもらって、ちょっとスッキリしたー。
ありがとね!
ね、ここのカフェラテ、美味しいでしょ?」
暗い気配を消し去った笑みでカフェオレを飲む美園さんをちらりと見て、俺は逃げるように目を伏せる。
彼女へのいたたまれない思いと、内心の動揺を彼女に勘づかれはしなかったかという恐怖感とのないまぜになった感覚が、胸を激しく圧迫していた。
*
その週の土曜日、午後3時。
俺はいつものように佐野の部屋にデリバリーに来ていた。
今回は、部屋に入るなり真顔で佐野に詰め寄った。
「佐野——
今日は、ちょっと練習しないか」
「え、練習って何の」
佐野はきょとんとした顔で俺を見る。
「いや、だからその……美園さんとよりリアルにあれこれをする練習」
「——……は?」
「じ、実はさ。月曜にちょっと美園さんに呼び出されたんだ。佐野とのことが不安だ……って、相談されてさ。
佐野と視線があまり合わない気がする、笑顔や言葉もキラキラだけど、何だか本当に自分を好きだっていう感じが伝わってこない、っていうような話されて。やっぱ彼女、めちゃくちゃ鋭いよな」
「……で?」
佐野も、どことなく表情をこわばらせて話の続きを求める。
「で、佐野はすごい照れ屋で、好きな人の前だとついぎこちなくなっちゃうらしい、っていう話をしといた。アドリブで。
そういう不自然な空気が続くと、まずいだろ? 変に疑われるのも困るし。……だから、こう、そういう恋人モードのいろいろをリアルに演じる練習を一緒にできたらな、なんて……」
そこで、俺の声はゴニョゴニョと不明瞭にフェイドアウトしていく。
月曜に、もしかしたら美園さんの前でやらかしたかもしれない、というような恐ろしい事実はとても口にできそうにない。
すまん、佐野。こうなったらお前のラブラブスキルをとにかく一気に向上してもらって、美園さんに充分な満足を感じてもらう以外にこの難所を切り抜ける方法はない。
そんなことを頭に巡らせてからふと目を上げると、佐野がじっと俺を見つめている。
「——いいのか?」
「えっ……ち、ちょっと待て。
いろいろの練習っていってもそんなディープなやつは除外だからな?」
「ディープな……??」
「あ〜〜! な、なんか言い方ヘンになった!! だっだから、えっと濃厚な接触以前の、見つめ合うとか、手を繋ぐとか、そういう段階のいろいろだから!」
「ふうん……
とにかく、そういう練習に付き合ってくれるわけだな」
「ま、まあ……やむを得ず」
「……」
俺を見る眼差しに次第に熱が籠り、俺は思わずドギマギと俯く。
その途端、佐野のしなやかな腕が不意に伸び、綺麗な指がぐっと俺の顎を押し上げた。
「逸らすなよ」
「……っ……待っ……」
「待たない」
どうしよう。
滴りそうな熱を湛えた眼差しが、俺の自由を奪う。
逃げられない——。
「——好きだ」
気づけば、そう囁く吐息が間近に感じられるほどに顔の距離が近づいている。
微かに、鼻先が触れ合った。
触れた肌から、熱がブワリと全身へ伝播する。
「——……っ」
拒めないまま、ぎゅっと目を瞑った。
ふと、触れそうになっていた気配が遠ざかる。
恐る恐る、目を開いた。
びっくりするほど残念そうな表情で、佐野が俺を見つめていた。
「——……もしかして……今の、してもよかったやつ?」
「…………だ……
ダメだっつってんだろおおお!!!」
俺は思わずそばにあったクッションを掴むと思い切り佐野の顔に投げつけた。
*
そんなこんなで、ぎゃあぎゃあと練習することおよそ3時間。
俺は完全に体力と気力を奪われ、ゼイゼイと死にそうになりながら目の前の麦茶を呷って独りごちた。
「全部、ちゃんとできんじゃんか……見つめ合いもスマイルも、恋人繋ぎもいい感じのLINEもパーフェクトに!!」
「葉山って、まじアホな」
佐野は頬杖をついて呆れたように浅く笑う。
「相手がお前なんだから、パーフェクトにやれるに決まってんだろ」
「……」
サラッとそういうことを言うな。
思わず赤面しそうになって下を向く。
佐野は、ふっと真面目な声で言った。
「ありがとな、葉山。
美園さんといるときも、今日の練習思い出すことにする。
目の前にお前がいると思って、頑張るわ」
「……うん。
俺こそ。……ありがとう」
真っ直ぐに向けられた佐野の笑顔に、胸の奥がぐりぐりと奇妙に苦しくなる。
「ってか今日の葉山成分超濃くて美味すぎ。マジやべえ」
「だから!! エロい言い方すんなって!!」
「うひゃひゃ」
もう一度ボスっと投げたクッションを受け止めて、佐野は楽しげに笑った。
約束通り、俺は校舎の裏庭で美園さんを待っていた。
今日、彼女が俺を呼び出した目的は——?
昨夜美園さんととLINEのやり取りをして以降、俺の頭はそのことでいっぱいだった。
土曜に佐野が俺に打ち明けた苦しげな言葉が、繰り返し脳に戻ってくる。その苦しみを微塵も感じさせずに好きでもない相手と心から想い合っている演技を続けるのは、いくらスーパー一軍でも至難の業だろう。
美園さんの性格を思えば、いろいろなことにおおらかなアバウトタイプとは到底思えない。佐野の表情や言動の一つ一つを鋭く観察し、あれこれと考察を巡らせているに違いない。
考えれば考えるほど、不安で頭から血の気が引いていく。
灰色の雲を頭に渦巻かせつつ校舎の壁際で佇んでいると、さらりと艶やかな髪を靡かせて美園さんが校舎の角を曲がってくるのが視界に入った。
「ちょっと遅くなっちゃってごめんね!」
彼女はきゅるんと小さく首を傾げて微笑みながら駆け寄ってくる。うああ。可愛い。
「いっいや全然待ってないよ!」
デートの待ち合わせでもないのにクソのような返事をして強張った笑みを浮かべる。佐野、こんな子に心底好かれてブルーとかやっぱ贅沢じゃないのか……という心の声をぐっと押し殺す。
彼女は少し様子を伺うように周囲を見まわしてから、ととっと俺の間近まで歩み寄って小声で囁いた。
「うーんとね。LINE送ったあとでいろいろ考えたんだけど……こんなとこで立ち話っていう内容じゃないな、と思って。
葉山くん、このあと時間大丈夫だったら、ちょっと近くのカフェ行かない? 静かに話できるお店あるから、そこ行こ」
「……」
「立ち話っていう内容じゃない」。そのワンフレーズに、内心ざっと青ざめる。
それと同時に、何とも言えない甘い香りがふわりと俺の鼻をくすぐった。
これはシャンプーの香りだろうか、それとも制汗剤とか……? 底知れぬ恐怖と溶けるような甘さが一気に襲ってくる地獄。
「……ダメ?」
こんなふうに誘われたら、男は絶対にNoとは言えない。
「あっ、いや全然大丈夫!」
「よかった。案内するから、ついてきて」
彼女はニコッと微笑むと、髪を揺らして俺の前に立って歩き出した。
学校を出てしばらく歩き、大きな通りを一つ裏に入った小さな道に入ると、彼女はこぢんまりとしたカフェの扉を開ける。店内には数組の客がいるが、心地良いBGMを破って馬鹿騒ぎするような客はいない。
「いらっしゃいませ。お好きなお席へどうぞ」
カウンターのスタッフが笑顔で対応する。
壁際の静かなテーブルに向かい合わせで座った。
「カフェラテを、アイスで」
「あ、じゃあ俺も」
「かしこまりました」
スタッフにオーダーを済ますと、美園さんはふっと小さく一つ息をついてから俺を見つめた。
ええっと、やばい。いろんな意味で。
「葉山くん」
「はっはい」
「あのね……なんか、いろいろ不安でたまらないの。佐野くんとのこと」
「…………」
「毎週日曜はね、佐野くんのサッカー部の練習がないから、毎週会いたいね!♡って、お互い少しでも顔見る時間作ってるの。
なんだけど……もしかしたら佐野くん、私のことあんまり好きじゃないのかな……って、時々ものすごく不安になって……」
「えっ、そっそんなことないでしょ絶対!? ど、どうして不安になるの?」
思わず食い気味に聞いてしまった。俺をじっと見る美園さんの眼差しに、冷や汗がドッと脇を濡らす。
ああ、ここで変に動揺しちゃダメだ。俺は必死にクールダウンする。
「だって、美園さんはクラスの、というか学校の全男子の憧れ的な存在じゃん。佐野だって当然……」
「なんていうのかな」
届いたアイスカフェラテのストローをす、と静かに一口吸い、彼女はふっと俯く。
「視線が、あんまり合わない気がするの。佐野くんと。
すごくキラキラした笑顔を見せてくれてるのは間違いないんだけど……なんだか、私に向けて笑ってるのかな?っていう、不思議な笑顔なの。
話す言葉もLINEも、いつも丁寧で、優しく気遣ってくれるんだけど、これってほんとに私に向けてくれてる言葉なのかな?って……
それに、手を繋ぎたいとか、そういうアプローチも全然してくれないし。私からはそういう空気にしてるつもりでも、気付かないのか、それとも何となく避けてるのか……
そんなこと考えてたら、何だかどんどん悲しくなってきちゃって……」
「…………」
鋭い。
やっぱりめちゃくちゃ鋭い。
自分のカフェラテを引き寄せる手が微かに震えそうになる。
落ち着け。ストローから口に流れ込むひんやりとまろやかな美味に意識を必死に集中する。
考えろ。何と返せば最も自然か。
「……あ、そう言えばさ。
佐野、めちゃくちゃ照れ屋なんだって言ってたなあ……相手のことが好きな分、リアクションとかがぎこちなくなっちゃって困る、って。
視線が合わないとか、言葉や素振りの違和感とか、それってめちゃくちゃ美園さんを意識しちゃってる証拠なんじゃない?」
今の理由、不自然じゃなかったか?
大丈夫であってくれ。
「……」
黙ったまま静かにカフェラテを飲み、美園さんは額に落ちた髪を徐に耳にかけて顔を上げた。
「——あのね。私、思い出したの。
最初に私を振った時に、佐野くん、言ってたなあって。『俺、好きな子いるし』って」
その瞬間、俺は思わずカフェラテを気管に吸い込み盛大に咽せた。
「ぐっ、ゲホっゲホグホっ……!!」
「……」
手元にあったお手拭きで口元を必死に拭い、何とか酸素を吸い込む。
「はぁっ……ゲホ」
「葉山くん、大丈夫?」
「あっうんごめん……えっとほら佐野って、割と感情出やすいタイプじゃん? あの時はサッカーがスランプだったって、本人が言ってたんだろ? あいつさーサッカーバカみたいなとこあるし。不調でイラつきすぎて心にもない事言っちゃった、とか、そういうこともあるんじゃない?」
「……そうなのかな」
「そ、そうだって!!」
「——葉山くんの今の話、信じていい?」
「……っ、当たり前だろ?」
「そっか」
暗い光を揺らめかすような眼差しをふっと緩め、彼女は打って変わったキュートなスマイルできゅるんと微笑んだ。
「葉山くんに聞いてもらって、ちょっとスッキリしたー。
ありがとね!
ね、ここのカフェラテ、美味しいでしょ?」
暗い気配を消し去った笑みでカフェオレを飲む美園さんをちらりと見て、俺は逃げるように目を伏せる。
彼女へのいたたまれない思いと、内心の動揺を彼女に勘づかれはしなかったかという恐怖感とのないまぜになった感覚が、胸を激しく圧迫していた。
*
その週の土曜日、午後3時。
俺はいつものように佐野の部屋にデリバリーに来ていた。
今回は、部屋に入るなり真顔で佐野に詰め寄った。
「佐野——
今日は、ちょっと練習しないか」
「え、練習って何の」
佐野はきょとんとした顔で俺を見る。
「いや、だからその……美園さんとよりリアルにあれこれをする練習」
「——……は?」
「じ、実はさ。月曜にちょっと美園さんに呼び出されたんだ。佐野とのことが不安だ……って、相談されてさ。
佐野と視線があまり合わない気がする、笑顔や言葉もキラキラだけど、何だか本当に自分を好きだっていう感じが伝わってこない、っていうような話されて。やっぱ彼女、めちゃくちゃ鋭いよな」
「……で?」
佐野も、どことなく表情をこわばらせて話の続きを求める。
「で、佐野はすごい照れ屋で、好きな人の前だとついぎこちなくなっちゃうらしい、っていう話をしといた。アドリブで。
そういう不自然な空気が続くと、まずいだろ? 変に疑われるのも困るし。……だから、こう、そういう恋人モードのいろいろをリアルに演じる練習を一緒にできたらな、なんて……」
そこで、俺の声はゴニョゴニョと不明瞭にフェイドアウトしていく。
月曜に、もしかしたら美園さんの前でやらかしたかもしれない、というような恐ろしい事実はとても口にできそうにない。
すまん、佐野。こうなったらお前のラブラブスキルをとにかく一気に向上してもらって、美園さんに充分な満足を感じてもらう以外にこの難所を切り抜ける方法はない。
そんなことを頭に巡らせてからふと目を上げると、佐野がじっと俺を見つめている。
「——いいのか?」
「えっ……ち、ちょっと待て。
いろいろの練習っていってもそんなディープなやつは除外だからな?」
「ディープな……??」
「あ〜〜! な、なんか言い方ヘンになった!! だっだから、えっと濃厚な接触以前の、見つめ合うとか、手を繋ぐとか、そういう段階のいろいろだから!」
「ふうん……
とにかく、そういう練習に付き合ってくれるわけだな」
「ま、まあ……やむを得ず」
「……」
俺を見る眼差しに次第に熱が籠り、俺は思わずドギマギと俯く。
その途端、佐野のしなやかな腕が不意に伸び、綺麗な指がぐっと俺の顎を押し上げた。
「逸らすなよ」
「……っ……待っ……」
「待たない」
どうしよう。
滴りそうな熱を湛えた眼差しが、俺の自由を奪う。
逃げられない——。
「——好きだ」
気づけば、そう囁く吐息が間近に感じられるほどに顔の距離が近づいている。
微かに、鼻先が触れ合った。
触れた肌から、熱がブワリと全身へ伝播する。
「——……っ」
拒めないまま、ぎゅっと目を瞑った。
ふと、触れそうになっていた気配が遠ざかる。
恐る恐る、目を開いた。
びっくりするほど残念そうな表情で、佐野が俺を見つめていた。
「——……もしかして……今の、してもよかったやつ?」
「…………だ……
ダメだっつってんだろおおお!!!」
俺は思わずそばにあったクッションを掴むと思い切り佐野の顔に投げつけた。
*
そんなこんなで、ぎゃあぎゃあと練習することおよそ3時間。
俺は完全に体力と気力を奪われ、ゼイゼイと死にそうになりながら目の前の麦茶を呷って独りごちた。
「全部、ちゃんとできんじゃんか……見つめ合いもスマイルも、恋人繋ぎもいい感じのLINEもパーフェクトに!!」
「葉山って、まじアホな」
佐野は頬杖をついて呆れたように浅く笑う。
「相手がお前なんだから、パーフェクトにやれるに決まってんだろ」
「……」
サラッとそういうことを言うな。
思わず赤面しそうになって下を向く。
佐野は、ふっと真面目な声で言った。
「ありがとな、葉山。
美園さんといるときも、今日の練習思い出すことにする。
目の前にお前がいると思って、頑張るわ」
「……うん。
俺こそ。……ありがとう」
真っ直ぐに向けられた佐野の笑顔に、胸の奥がぐりぐりと奇妙に苦しくなる。
「ってか今日の葉山成分超濃くて美味すぎ。マジやべえ」
「だから!! エロい言い方すんなって!!」
「うひゃひゃ」
もう一度ボスっと投げたクッションを受け止めて、佐野は楽しげに笑った。



