約束の土曜。じっとりとした梅雨の雨が降る午後3時。俺は佐野とショッピングモール内のフードコートにいた。
 スポーツ用品売り場で佐野は真剣な眼差しでスパイクを選び、希望に叶うものを手に入れたようだ。その引き締まった背中や日焼けした腕の筋などを見ていると、本気でスポーツに向き合う男はやっぱかっこいいな、と一瞬思う。
 しかし、恋とか何かという感情でこのイケメンと向き合えるのか?という問いが脳内に閃く度に、「無理!」と即答する自分がいる。だってそうだろう。恋ってなったらその、手を繋ぐとかハグとかキ……っとか、そういう関係になるわけだろ。いや無理。絶対無理。
 そんなことをモワモワ思いつつ佐野の後をくっついて歩いているうちに、フードコートのマックで気づいたら佐野が俺の分も全部オーダーを済ませ、空いたテーブルに向き合って座っていた。目の前にはポテトとコーラとイケメン。イマココ。
「あっ、ごっごめん全部やらせちゃって。今お金払うから……」
「別にいーよ。今日は奢る」
「でも」
「いーんだって、うるせーな」
「……」
 困惑混じりに佐野を見た。その途端、真っ直ぐに俺を見つめる眼差しとバチっとぶつかり合う。
 反射的にカッと頬が熱くなり、俺は思わず俯いた。
 おい、なんだよこのリアクション!?……いや、普段クールなスカし顔のイケメンにそんな目で見つめられたら全員こうなるしかないだろ。その顔マジでずるいって!!
「……あのさ。
 とりあえず、あんま怖がんねえでほしいんだけど」
「……いや、怖がってるわけじゃ……」
「ビビってるだろ、明らかに」
 俺はもう一度佐野を見る。
 佐野はコーラをズッと啜ると、無愛想に頬杖をついて俺から少し視線を逸らした。
「——仕方ねえか。あんなふうにいきなり告られたら、誰だってビビるよな」
 気まずさと気恥ずかしさをごまかす小学生のようにボソボソと呟くその様子は、いつもの眩しい佐野のイメージからはだいぶ逸れている。
 こいつにも、こういうとこあんだな。
 強張っていた俺の口元から、気づけばふっと小さく笑いが漏れた。
 俺の表情の変化に少しホッとしたのか、佐野は再び俺に眼差しを向けると真剣な面持ちで言った。
「葉山の言うことは全部真面目に聞くって、あれマジだから」
「え」
「お前、なんか俺に話したいことあんだろ」
「……うん」

 俺もズッとコーラを啜り、一つ大きく息を吸い込んだ。
 どんな顔されるか、少し怖いが……思い切って口を開いた。
「美園さんのことなんだけど」
「……」

「彼女、あれから全然笑わないし、友達とお昼食べたり休み時間に明るく喋ったりとかも、一切しなくなっちゃったんだよ。いつも俯いて、昼も図書室で一人きりで過ごしてる。このままじゃ、彼女ちょっとまずいんじゃないかって……そんな気がして。
 佐野が少しでも優しく彼女に接してやったら、もう少し何かが変わるんじゃないかな、とか思って……」
「振った女に優しくすんのって、むしろそれどうなんだよ? 付き合ってはやんねえけど優しくしてやるから元気出せよ、みたいな半端なことすんのって、女子は嬉しいのかよ?」
「でも、全員がそうやってきっぱりした気持ちでいられるわけじゃないだろ。そういう子ばっかじゃないと、俺は思う。
 辛い時に優しさを向けてもらえるのは、誰にとっても嬉しいことなんじゃないのかな……」

「……そういうとこ」
「へ?」
 いきなりの言葉に、俺は間抜けな顔で佐野を見た。
「葉山のそういうとこ、すげえなって。ずっと思ってた」

「……」

「お前って、普段かなり天然だしアホだし、ほわーっとしてて大丈夫かよ?みたいな感じでいるけど、誰かがピンチだったりするとすげえ変わるよな。
 春に校外学習でオリエンテーリングやった時、俺ら一緒の班で回っただろ。あんとき、女子が林の中で転んで膝から結構流血したじゃんか。お前、持ってたペットボトルの水でケガ洗って、リュックから消毒用アルコールとか包帯とかのセット出してきて、必死に手当してたよな。……あれ、ちょっとビビった」
「あ……。えーとあれは、母親が看護師やってるから……まあ救急セット持ってけとかいろいろ毎回強制されるんだよ。そういう万一の時にできることをやる、ってのも、母親の影響というか」
「親がどうだって、やらねえやつはやらねえだろ。
 お前のそういうとこ、マジでかっこいいと思った。
 で、そんなの一切感じさせない普段のアホっぷりとのギャップに毎回やられまくってるし、もっとお前のことよく知りたいし、もっと……」
 そう言いかけて、佐野はぐっと口を噤むと不意に頬を染めた。
 …………甘酸っぱい。 
 俺もモジモジと下を向く以外にない。

 佐野はいきなりポテトをやたらに口に押し込み、コーラをムキになって吸い上げてから、表情を元の無愛想モードへ戻して言った。
「葉山の言いたいことってのは、つまりそれか」
 俺は黙って頷く。
「それって、そんなに叶えてやりたいことなのか。美園のために」
「うん」
 今度は、はっきりと声に出して同意した。

「…………」
 佐野は、長い脚と腕を徐に組みながら、何か思いを巡らすような顔になった。
 そして、だいぶ長い時間思案してから、ふと思いついたように俺を見た。
「じゃあ、こういうのはどうだ」
「え、なになに!」
 俺は思わず胸の前で両手の指を組み佐野を見つめる。俺のリアクションに一瞬何かを堪えるようにぐっと眉を寄せてから、佐野は話し始めた。

「俺が、美園と付き合うことにする。
 俺がやるのは、あくまで『彼氏の演技』だ。
 それでも、彼女にそのことがバレないように完璧な演技をすれば、彼女の中では正真正銘の恋が叶ったことになる。そうだろ?
 で、一年で別れる。やむを得ない事情を何かしら作って、彼女がなるべく苦しまないように」
「……彼女にバレないように、悲しませないように、一年間……」
「そう。
 で、美園が『幸せだった』と思える恋を最後まで完遂できたら——
 その時には、葉山。俺と付き合ってほしい」

「…………」

 今度は、俺が黙り込んだ。

 もしかしたら、これは名案なのかもしれない。
 美園さんにとっては、その一年は間違いなく幸せな時間になるだろう。佐野がボロを出さずに完璧な彼氏をやり遂げることができれば。
 問題なのは、最後のオチだ。
 佐野が、その恋を見事完遂した暁には、俺が佐野の告白を受け入れなければならない。

 俺は恐る恐る佐野に問う。
「……これ、もし俺が『無理』って言ったら……」
「もちろん俺が美園と付き合うのもなしだ。決まってんだろ」
「ってか、佐野は相手が女の子でも問題ないの?」
「中学までは付き合ってたのは女子ばっかだし」
 はあそうですか。何人も彼女がいた匂いがプンプンする答えだ。そりゃ昔からモテたでんしょうねと嫌味でも言ってやりたいがそんなことにこだわってる場合でもなく。

 美園さんの虚ろな眼差しと、やつれた頬が瞼に浮かぶ。
 このまま落ち込みが続いたら、多分彼女はどこかを病んでしまう。
 
 席替えをした日の、俺を振り向いたあの艶やかな微笑みを、もう一度見たい。
 友達と楽しそうに昼食を食べる姿を、また見せてほしい。
 生き生きと眩しい笑顔や明るい声を、もう一度取り戻してほしい。

 膝に握った拳が、ぎりぎりと硬くなる。
 意を決して、俺は顔を上げた。

「——……わかった」

「よし。
 じゃ、契約成立な」
 佐野は、今度こそぱあっと音がするほどに眩しい笑みを浮かべた。
 近くのテーブルの女子が破壊力満点な王子スマイルをチラチラ見ながら小さくはしゃいでいる。だが俺の内心はそれを僻む余裕すらない。

 受けてしまった。
 もう、後悔も何も手遅れだ。
 いや。それでいいと思ったんだから、これでいいんだ。もう何も考えるな。
 俺はすっかり冷えたポテトを鷲掴みにすると、ぐいぐいと口に押し込んだ。







 翌週、月曜日。
 学校から帰宅し、自室の机に鞄を置くと同時にLINE着信音が鳴った。
 スマホの画面を見ると、美園さんからだ。
慌てて画面を開く。
『葉山くん、ありがとう!! 佐野くんに話してくれたんだね。
 さっき、佐野くんが私に謝ってくれたんだよ! あの時はサッカーが不調でイライラしてて、酷い振り方してごめん、って。葉山くんに言われてめちゃくちゃ反省したって。
 で、「この前の告白の返事、やり直してもいい?」って……告白OKしてくれたの!! きゃーー嬉しすぎる! 信じられないよ〜!♡♡』

 良かった。本当に。
 幸せに輝く美園さんの笑みが目に浮かぶ。

 俺はなるべく第三者の気配を装って返信を打つ。
『そっか。俺が言った効果あってよかったー』
『うん! もう感謝しかないよ! 
 葉山くん、佐野くんとめちゃくちゃ仲いいんだねー。タイプ正反対だし、普段あんまり接点ないみたいに見えるけど、佐野くんが素直に話聞くなんてすごいなーってちょっと思っちゃった』
『あー、ね。佐野も内心悪かったって反省してたんじゃないかな。きっかけ作っただけっていうかさ』
『ほんとにほんとに、ありがとね!!
 もしもまた佐野くんとのことで何かあった時は、葉山くんに相談していい?』
『うん、もちろん。何でも言って』
『きゃー、嬉しい♡ これからもよろしくね♪』
 可愛い子猫が目をキラキラさせたスタンプがシュポっと届いた。

 ふーっと大きく息を吐き、俺はベッドへどさりと身体を投げ出す。
 佐野は、きっとうまくやるだろう。あの容姿と身体能力と頭の良さだ。あいつを苦しめる困難などそうそうないんじゃないか。美園さんが満足する恋を完遂すべく情熱を傾ければ、恐らく一年後に目標は達成される。上々の出来で。

 ……ってことは……
 来年の夏は、佐野とデートする運命か俺……

 ぐあーー嘘だろ!?と叫びそうになった瞬間、傍らのスマホが着信を知らせる。
 佐野からのLINEだ。
『今日、予定通り美園にOKの返事した』
『うん。さっき美園さんからもその連絡きた。めちゃくちゃ嬉しそうだったよ』
『とりあえず彼女と付き合う。
 だから、彼女との予定がない週末は俺に付き合え』
『……は??』
『は、じゃねーよ! 気のない相手と付き合うのがどんだけ消耗するか想像しろ!
 彼女とデート等の予定がない週末は葉山成分チャージさせてもらうから』

 ええーー……
 せ、成分のチャージって……何?? めっちゃ怖いんだけど……
『あの……チャージとはどういう……』
『ヤバいことはしないし、お前の嫌がることもしねーから安心しろって。
 とりあえずちょっとお前に会う時間がほしいってだけだから』

「…………」

 な……
 な、なんだよそれ……
 うっかりキュンとしちゃうじゃんか!!?

『葉山も、裏で俺らがこういう計画すすめてるって美園にうっかり気付かれないようにしろよ』
『わかってる』
『じゃ、また明日な』

 また明日。

 恋人に送るような言葉を、次々と送ってきやがる。

 俺はもう一度困惑気味の息をひとつつき、ベッドの上でガシガシと頭を掻き乱した。