《6話:凪と翡翠の思い出(お前はずっと、覚えてた)》
◯翠の自宅・居間&台所【夏休みの始まり(土曜日)・夜】
この日は朝から雨というのもあって、朝市は中止。代わりに雨が上がった夜、海が手土産を持って、訪ねてくる。居間に入ってきた海を、蒼が嬉しそうに出迎える。
蒼「海さん、こんばんは!」
海「こんばんは」
蒼「あれ? なちくんは?」
台所で食事の準備をしていた翠は、手を止める。
海「あー、凪智は今日、来てないんだわ」
蒼「えぇー! なんでぇ?」
海「なんでだろうなぁ」
蒼「あっ、分かった! にいちゃんとケンカしたんでしょ!」
蒼がくるっと翠の方を向く。
翠「……別に、してねぇし」
翠は胸をざわつかせながら、皿に料理を盛っていく。
そんな翠の近くに海はやってくる。
海「翠くん、今日は夕飯呼んでくれてありがとなぁ。はい。これ。凪智から」
皿に乗った、アジの刺身を差し出してくる。
翠「え……」
海「アジの刺身、好物でしょ?」
翠(……俺がアジの刺身好きってことまで、凪智は知ってんのかよ)
翠「ありがとうございます」
そう言いながら受け取ると、翠はラップされたアジの刺身に、付箋が貼られているのに気づく。
凪智の『ミドくん、ごめんなさい』という文字。翠の頭の中に、何かが引っかかる。
翠(ミドくん……?)
海「ううん。こちらこそ、翠くん、昔も、今も……凪智と仲良くしてくれて、助かってるよ。ありがとう」
翠は海のその言葉で顔を上げる。
翠「……昔?」
海「あれ? その顔……もしかして、覚えてない感じか?」
翠「俺……凪智と会ったこと、あるんですか?」
翠はそう言って、はっと気づく。
翠(父さんと母さん、それから海さんは幼馴染なら……俺たちが昔、会っていてもおかしくねぇ)
海「いや……えっと……まぁ。ほら、凪智が『ミドくんがカワセミの話してくれた』って言ってたんだけど……」
海は誤魔化すように後ろ髪を掻く。
※海は凪智と会ったことを翠に思い出して欲しい感じで、あえてストレートには言わない。
翠(カワセミの話……。カワセミ……?)
翠はしばし、考える。そして、ふとぴんと思い当たって、翠はわずかに口を開ける。
翠(もしかして、あの町はここだった……? 風もない、あの静かな日。どこかの海岸で、俺が馬鹿みたいにカワセミを探してた──)
翠はひとつの古い記憶を思い出す。
◯回想:翠の昔の家【8年前・翠9歳の夏】
翠(8年前、9歳の夏。父さんが一人で海辺の町に住む、誰かに会いに行くって聞いて、俺は『海でカワセミが見たい!』って駄々をこねた)
翠が家の前でだだこねる描写。
菫は困り顔。藍は生まれたばかりの蒼を抱いている。
翠(ちょうどその頃、俺は父さんからギリシャ神話の『ケユクスとアルキュオネー(※)』の話を聞いたのもあって。海に行けばカワセミに出会えるって思って、必死だった)
※嵐で亡くなった夫を想って、海に身を投げた妻アルキュオネー。神々の哀れみで、二人はカワセミの姿に変えられたという神話。
◯回想:海辺の町・車の中【8年前・翠9歳の夏】
菫は後部座席に、翠を車に乗せて走らせる。
翠(だから、父さんは仕方なく、俺を車に乗せてくれて、一緒に海辺の町へと向かってくれた)
◯回想:海辺の町・誰かの家【8年前・翠9歳の夏・昼】
菫と二人で海辺の町へ遊びに来た翠。菫が家の居間で男の人(※海)と話している間、カワセミを探しに行きたくて翠はそわそわ。
でも、待てど暮らせど、菫の話が終わる気配はなし。
二人の目を盗んで、翠は一人でこそっと家を抜け出す。
翠(ヤンチャの極みだった俺は、一人でも大丈夫だって自信しかなくて、家を飛び出した)
◯回想:静かな海岸【翠9歳の夏・昼過ぎ】
家の近くにあったのは、静かな海岸。翠は一人とてとてと砂浜を歩きながら、一生懸命になってカワセミを探すように見回す。
翠(父さんが『カワセミって、翡翠って書くんだ。翠の名前の字が入ってるんだよ』なんて言ったから、俺は俄然、カワセミに興味が湧いて。海でカワセミに出会えるなんて、ほんと稀だってのに、探し回っていた)
※カワセミは淡水の水域に生息しがち。
翠「カワセミ……いない」
岩場近くの砂浜に、しゃがみ込む。しばらく顔を俯けてから、海の方を見て「のど、かわいた」と一言。
すると突然、一人の男の子が「……のど、かわいたの?」と、岩場からひょっこり顔を出す。
表情が乏しいその子の顔を見た翠は、突然のことに「うわぁっ」と、尻餅をつく。
翠「だれ……」
凪智「ボク……? ボクは、なち」
静かに首を傾げながら、言う小学2年生の頃の凪智。※今よりもずっと無表情。感情を出せない子。
翠「なち?」
凪智「うん。なち。……きみは? てんし?」
そう言いながら、岩場から降りてくる凪智。
翠「てんしって……あの天使? ちがうよ!」
凪智「てんしはきれいだってきいたから。てんしかとおもった」
真顔で言う凪智。
翠「……ボクは男だ」
翠はパンパンと砂を払って、立ち上がる。
凪智「おとこのこ……?」
翠「みどりって名前だけど、男。ミドくんってよばれてる」
凪智「ミドくん。……これ、のむ?」
凪智は肩から下げていた水筒を手にとって、翠の前に差し出す。
翠「のむっ!」
翠はきらきらした目で、凪智から「ありがとう」と水筒を受け取ってお茶を飲ませてもらう。
お茶を飲む翠があまりに可愛くて、見惚れる凪智。
ごくごく飲んだ翠から「ありがと!」っとにこって笑顔で水筒を返されて、ハッとする。
凪智「ボクはよくひとりで、ここくるんだ。ミドくんは、まいご?」
翠「ちがうっ! お父さんがカワセミは『なぎの日』がすきだって教えてもらったから、探しに来た! なぎの日っていうのは、風がない日なんだぞ!」
翠は自慢げな顔。※ ただし、ある意味迷子。
凪智「じゃあ、きょうだね」
翠「うん! でね、ボクの名前は、カワセミの字と同じだから、見てみたかったんだ!」
凪智「そうなんだ」
翠「うん! ……あっ、なちの名前も、にてるな!」
凪智「にてる?」
翠「なぎの日となち。『な』がいっしょ!」
凪智「ほんとだ。なちとなぎ、にてる」
翠「なちもさがす? カワセミ」
凪智「うん!」
翠が「じゃあ、行くぞ」と、手を差し出すと、凪智は少しだけためらってから、ぎゅっと握った。 凪智の耳は真っ赤。
二人して、手をつないで探し始める。
※その頃、海の家では、翠が家の中にいないことに気づいて、「藍ちゃんから翠は何しでかすか分からないって言われたのに……!」と慌てる菫。海も凪智がいないことを知って、「凪智もいねぇ!」と大慌て中。
◯回想:続・海岸【翠9歳・凪智8歳の夏・少し時間が経過】
海岸近くをいろいろ探し回る。岩場のところで探してもおらず、翠はもう疲れ果て、座り込む。凪智は水筒をきゅっと持って「飲む?」と差し出す。
翠「いらない」
凪智「……いらない?」
翠「うん。もう、いらない」
翠はただお茶を断っただけだが、凪智は蒼白な顔をする。
凪智「ごめんなさい」
謝りながら、凪智はぎゅっと水筒を抱える。
翠「なんで、ごめんなさい?」
凪智「ミドくんに……きらわれたくないから」
翠「なんで? きらうことないよ?」
凪智は「え?」とぽかんとした顔をする。
翠「なちのこと、すきだよ。いっしょに、カワセミさがしてくれるし、お茶わけてくれた」
凪智「ほんと?」
翠「うん」
凪智「……ママはボクとパパがきらいって、でていったよ。ボクはわるい子って」
翠はそんなことを凪智が親に言われているとは思わなくて、ショックを受ける。
少しだけ、固まる翠。でも、じわじわ涙を目に溜め始める。
翠「ボクはなち、すき!」
翠は涙を拭って、叫ぶ。
凪智はびっくり。戸惑う。そんな凪智を翠はぎゅっと抱きしめてあげる。
ぎゅっとされたまま、「…っ!」と、固まる凪智。
翠はさらにぎゅっと強く抱きしめて「なちは、いい子だよ!」と言ってあげる。翠の目からぼろぼろ涙が出る。
凪智「……ボクも、ミドくんすき」
凪智は目にたっぷりの涙をためて、翠の背中に手を回す。堰を切ったように、二人してわんわん泣く。
その後、菫と海がようやく泣いてる二人を発見し、怒る描写。
翠(そうだった。そんな感じで、凪智と出会って……父さんたちがやって来て、すげぇ怒られた。誘拐されたんじゃないかって、心配かけて)
すぐに親たちは子供たちを抱っこ。菫も泣いている。
翠(けど、怒られながらも、凪智の家の食卓で、俺の好物のアジの刺身が並んでて、鼻水流しながらバクバク食べてたら、みんな笑って……)
家に移動して、食卓を囲む。
翠(バイバイって別れるときに、また凪智から『ミドくん、また会える?』『ボク、ミドくんといっしょにいたい』って泣かれた……)
凪智が泣きながら、翠の服を引っ張る。
◯現在:翠の自宅・居間&台所
翠はアジの刺身の乗った皿をきゅっと持つ。
翠(なんで……忘れてたんだろ。……あいつ、たぶん全部、覚えてたんだ。ずっと、ミド先輩って呼んでくれてたもんな……)
翠の目にじわりと涙が滲む。
翠(ずっと好きって……言ってくれてた。今も、昔も……どこにでもついて行くって。ちっさい頃から変わらず、ほんとにどこにでもついてきて)
※4話の港でのバスケ後の描写(凪智「ミド先輩が行きたいところは、どこだってついて行きます。今も、昔も」の時のシーン)も思い出す。
翠は顔を上げて、海を見る。
翠「海さん、凪智……今、家にいますか?」
海「あぁ、うん。いると思うけど」
翠「飯の準備は終わってるんで、ここ、任せてもいいですか? 凪智、連れてきます」
翠は皿を台所のテーブルに置く。
海は嬉しそうに目を細める。
海「ありがとう、翠くん。よろしく頼んだ」
翠「はい。……あ、あと、父さんとのこと最初反対してすみませんでした。父さんのこと、よろしくお願いします」
ぺこっと礼をする翠。
海「こっちこそ、ごめんな。それに、ありがとう」
翠「いえ、それじゃあ、行ってきます」
エプロンを取った翠は、すぐに玄関へと向かう。
入れ違いで、台所にくる菫。
菫「あれ? 翠は?」
海「青春しに行った」
けらけらと笑う海。蒼が「なちくん呼び行った~」と言うと、菫が「そっか。頑張れ、翠」と呟く。
◯ 海岸沿い【同日・夜】
翠(凪智の馬鹿。早く言えよ。……ほんとに俺のこと……あの頃から、好きでいてくれたんだろ)
雨上がりの道路で、自転車を漕ぐ翠。ペダルを踏み込むたびに、風が頬を撫でる。髪がなびく。
翠(なのに俺は、あんな言い方して……)
翠は泣きそうな顔をする。
翠(凪智は昔から……嫌われるって思ったら、すぐ謝っちゃうやつだったってのに)
きゅっと唇を噛む描写。
翠(俺が……あいつの手、掴みに行ってやらねぇと。もう絶対、手放したくない)
海の音が静かに聞こえる中、翠は凪智の家へと向かう。
◯凪智の家【同日・夜】
家の前に自転車を置いて、インターフォンを鳴らす。明かりはついているのに、物音ひとつなし。しばらく待つも、出てこない。
翠はガシガシと頭を掻いてから、ズボンのポケットに手を突っ込む翠。
翠「……スマホ、忘れた。あー、もう」
翠はもう一度、インターフォンを押す。それでも無音。
翠はしびれを切らして、どんどんとドアを叩く。
翠「凪智! 凪智いるんだろ! おい!」
何度も呼んだら、扉のすりガラスの向こうに人影が映る。でも、凪智は扉を開けようとはしない。
翠「……凪智。いるのわかってるからな? 出てこいよ」
凪智「……無理です」
翠「はぁ? なんで……って、俺が悪かったんだよな。凪智、ごめん。傷つけることして」
するとすぐに扉が開く。
凪智「ミド先輩は悪くない!」
飛び出してきて、必死な感じで言う凪智。
翠「いや、俺が悪いだろ。どう考えても。……凪智は小さい頃からずーっと俺のこと大好きだったってのに、その気持ちまで疑った」
翠の言葉で、凪智の顔が真っ赤になる。
凪智「え……お、おぼえ……」
翠「思い出したんだよ、さっき。凪智と俺、ずっと前に出会ってた。……もう、忘れない」
凪智は涙目になる。
翠も目を潤ませながら、凪智の方に一歩踏み出して、頬に手を伸ばす。
翠「凪智、お前ってば……昔から泣き虫だな。そこが可愛いとこだけど」
凪智は鼻をすする。
翠「……凪智、よく聞けよ。一度しか言わねぇから」
凪智「はい」
翠「好きだよ。俺と、本当の恋人になって」
凪智「……え」
呆ける凪智。
翠「あーもう、一生、お前のこと大事にするから。俺の恋人になれって言ってんの!」
凪智は大きく目を見開いて、翠をガバッと抱きしめる。大きな体でぎゅうぎゅうに。
翠の心臓は激しくドキドキし始める。
凪智「ミド先輩、好き。大好き。俺もずっと大事にします。大好きです」
翠「痛ぇ! おい、凪智、分かったから! 分かったから離せ! この馬鹿力! 骨折れる!」
翠は叫ぶも、凪智は離れようとはしない。
凪智「好きすぎて離れたくありません」
耳元で甘えた声が聞こえて、翠は「うっ」と声を上げて折れる。翠は顔を真っ赤にさせながら、ポンポンと背中を叩く。
翠「わかった、わかった。離れなくていいから、ちょーっとだけ力緩めろ」
凪智「……ミド先輩、好き」
甘い声で言いながら、少しだけ力を緩める凪智。でも、ぴったり翠から離れない。頬をすりすり寄せてくる。
凪智「好き、ほんと好き。大好き。ずっと一緒がいい」
翠(かっ……かわいすぎる……だめだ、大型犬……)
翠の癖に刺さりまくる凪智。翠は凪智の頭をなでなでしたい欲にかられる。
手をぷるぷるさせる翠。
翠「凪智、ちょっと一瞬だけ、離れろ」
凪智「え、ヤダ」
翠「やだって、お前……今まで素直だったくせに」
凪智「俺はもう、ミド先輩の本物の彼氏です」
少しだけ顔を離して、きりっとした表情をする凪智。
翠は「ぶはっ」と噴き出す。
翠「わかったから、ちょっといっぺんだけ、な? 俺にも彼氏を愛でさせろよ」
凪智「……っ!」
さっと離れる凪智。翠は「凪智、大好きだぞ」と目を細めて言いながら、頭をわしゃわしゃと撫でてやる。
すっかり無表情ではなくなり、めちゃくちゃ嬉しそうなにやけ顔の凪智。※感情大爆発中。
翠「よし、終わり」
撫で終わって満足した翠に、少し色っぽい目をして「もっと」と言う凪智。手にすりすりしてくる。
その仕草に余計にドキッとする翠。
翠「お前ほんとに犬かよ……」
凪智「わん」
いつにも増して威力増大の凪智の「わん」。翠は悶絶。
翠(あーもう、ほんと可愛いヤツ。……可愛いよ。大好きだ)
◯翠の自宅・居間【同日・夜】
凪智を引き連れて、帰宅する翠。とりあえず、手は放すも凪智は翠のすぐ後ろにぴったり張り付く。
翠「ただいま」
凪智「おじゃまします」
蒼が嬉しそうな顔で「なちくんだ~!」と飛び跳ねる。
菫「いらっしゃい」
海「遅かったな」
翠「ちょっと、俺が腹痛くなって」
咄嗟に嘘をつく翠。ちょっと後ろめたい気持ちで目を逸らす。
菫「大丈夫? ごはん食べれそう?」
海「翠くん、無理するなよ?」
翠「大丈夫、大丈夫。薬飲んだし」
翠の後ろで、凪智はひたすらそわそわ。
温かい家族の中に入っていく、二人。並んで腰を下ろす。※右側が翠、左に凪智。
テーブルの下で、凪智が手を伸ばして、翠の手を掴む。ドキッとするも、翠はすぐに口元を緩める。
翠(ほんと……俺の彼氏は可愛すぎる)
翠がほわんとした気持ちになっているところで、にやにやする、海。
海「よかったなぁ、凪智。16歳の誕生日、一人で過ごさなくてよくなって」
翠「……え?」
凪智「……あ」
固まる、翠。言い忘れた、というような顔をする凪智。
勢いよく、翠は凪智を見る。
凪智「忘れてました」
翠「はぁぁぁあぁ~⁉ お前! 誕生日くらい、おしえろよ──────っ!!!」
蒼「兄ちゃん、声でかい!」
翠「だって、ケーキ用意してねぇだろ!」
ギャーギャー騒ぐ翠。
海「あははっ」
菫「元気だなぁ」
親たちは温かい目をして見守る。
食卓が笑いに包まれる描写。
◯翠の自宅・居間&台所【夏休みの始まり(土曜日)・夜】
この日は朝から雨というのもあって、朝市は中止。代わりに雨が上がった夜、海が手土産を持って、訪ねてくる。居間に入ってきた海を、蒼が嬉しそうに出迎える。
蒼「海さん、こんばんは!」
海「こんばんは」
蒼「あれ? なちくんは?」
台所で食事の準備をしていた翠は、手を止める。
海「あー、凪智は今日、来てないんだわ」
蒼「えぇー! なんでぇ?」
海「なんでだろうなぁ」
蒼「あっ、分かった! にいちゃんとケンカしたんでしょ!」
蒼がくるっと翠の方を向く。
翠「……別に、してねぇし」
翠は胸をざわつかせながら、皿に料理を盛っていく。
そんな翠の近くに海はやってくる。
海「翠くん、今日は夕飯呼んでくれてありがとなぁ。はい。これ。凪智から」
皿に乗った、アジの刺身を差し出してくる。
翠「え……」
海「アジの刺身、好物でしょ?」
翠(……俺がアジの刺身好きってことまで、凪智は知ってんのかよ)
翠「ありがとうございます」
そう言いながら受け取ると、翠はラップされたアジの刺身に、付箋が貼られているのに気づく。
凪智の『ミドくん、ごめんなさい』という文字。翠の頭の中に、何かが引っかかる。
翠(ミドくん……?)
海「ううん。こちらこそ、翠くん、昔も、今も……凪智と仲良くしてくれて、助かってるよ。ありがとう」
翠は海のその言葉で顔を上げる。
翠「……昔?」
海「あれ? その顔……もしかして、覚えてない感じか?」
翠「俺……凪智と会ったこと、あるんですか?」
翠はそう言って、はっと気づく。
翠(父さんと母さん、それから海さんは幼馴染なら……俺たちが昔、会っていてもおかしくねぇ)
海「いや……えっと……まぁ。ほら、凪智が『ミドくんがカワセミの話してくれた』って言ってたんだけど……」
海は誤魔化すように後ろ髪を掻く。
※海は凪智と会ったことを翠に思い出して欲しい感じで、あえてストレートには言わない。
翠(カワセミの話……。カワセミ……?)
翠はしばし、考える。そして、ふとぴんと思い当たって、翠はわずかに口を開ける。
翠(もしかして、あの町はここだった……? 風もない、あの静かな日。どこかの海岸で、俺が馬鹿みたいにカワセミを探してた──)
翠はひとつの古い記憶を思い出す。
◯回想:翠の昔の家【8年前・翠9歳の夏】
翠(8年前、9歳の夏。父さんが一人で海辺の町に住む、誰かに会いに行くって聞いて、俺は『海でカワセミが見たい!』って駄々をこねた)
翠が家の前でだだこねる描写。
菫は困り顔。藍は生まれたばかりの蒼を抱いている。
翠(ちょうどその頃、俺は父さんからギリシャ神話の『ケユクスとアルキュオネー(※)』の話を聞いたのもあって。海に行けばカワセミに出会えるって思って、必死だった)
※嵐で亡くなった夫を想って、海に身を投げた妻アルキュオネー。神々の哀れみで、二人はカワセミの姿に変えられたという神話。
◯回想:海辺の町・車の中【8年前・翠9歳の夏】
菫は後部座席に、翠を車に乗せて走らせる。
翠(だから、父さんは仕方なく、俺を車に乗せてくれて、一緒に海辺の町へと向かってくれた)
◯回想:海辺の町・誰かの家【8年前・翠9歳の夏・昼】
菫と二人で海辺の町へ遊びに来た翠。菫が家の居間で男の人(※海)と話している間、カワセミを探しに行きたくて翠はそわそわ。
でも、待てど暮らせど、菫の話が終わる気配はなし。
二人の目を盗んで、翠は一人でこそっと家を抜け出す。
翠(ヤンチャの極みだった俺は、一人でも大丈夫だって自信しかなくて、家を飛び出した)
◯回想:静かな海岸【翠9歳の夏・昼過ぎ】
家の近くにあったのは、静かな海岸。翠は一人とてとてと砂浜を歩きながら、一生懸命になってカワセミを探すように見回す。
翠(父さんが『カワセミって、翡翠って書くんだ。翠の名前の字が入ってるんだよ』なんて言ったから、俺は俄然、カワセミに興味が湧いて。海でカワセミに出会えるなんて、ほんと稀だってのに、探し回っていた)
※カワセミは淡水の水域に生息しがち。
翠「カワセミ……いない」
岩場近くの砂浜に、しゃがみ込む。しばらく顔を俯けてから、海の方を見て「のど、かわいた」と一言。
すると突然、一人の男の子が「……のど、かわいたの?」と、岩場からひょっこり顔を出す。
表情が乏しいその子の顔を見た翠は、突然のことに「うわぁっ」と、尻餅をつく。
翠「だれ……」
凪智「ボク……? ボクは、なち」
静かに首を傾げながら、言う小学2年生の頃の凪智。※今よりもずっと無表情。感情を出せない子。
翠「なち?」
凪智「うん。なち。……きみは? てんし?」
そう言いながら、岩場から降りてくる凪智。
翠「てんしって……あの天使? ちがうよ!」
凪智「てんしはきれいだってきいたから。てんしかとおもった」
真顔で言う凪智。
翠「……ボクは男だ」
翠はパンパンと砂を払って、立ち上がる。
凪智「おとこのこ……?」
翠「みどりって名前だけど、男。ミドくんってよばれてる」
凪智「ミドくん。……これ、のむ?」
凪智は肩から下げていた水筒を手にとって、翠の前に差し出す。
翠「のむっ!」
翠はきらきらした目で、凪智から「ありがとう」と水筒を受け取ってお茶を飲ませてもらう。
お茶を飲む翠があまりに可愛くて、見惚れる凪智。
ごくごく飲んだ翠から「ありがと!」っとにこって笑顔で水筒を返されて、ハッとする。
凪智「ボクはよくひとりで、ここくるんだ。ミドくんは、まいご?」
翠「ちがうっ! お父さんがカワセミは『なぎの日』がすきだって教えてもらったから、探しに来た! なぎの日っていうのは、風がない日なんだぞ!」
翠は自慢げな顔。※ ただし、ある意味迷子。
凪智「じゃあ、きょうだね」
翠「うん! でね、ボクの名前は、カワセミの字と同じだから、見てみたかったんだ!」
凪智「そうなんだ」
翠「うん! ……あっ、なちの名前も、にてるな!」
凪智「にてる?」
翠「なぎの日となち。『な』がいっしょ!」
凪智「ほんとだ。なちとなぎ、にてる」
翠「なちもさがす? カワセミ」
凪智「うん!」
翠が「じゃあ、行くぞ」と、手を差し出すと、凪智は少しだけためらってから、ぎゅっと握った。 凪智の耳は真っ赤。
二人して、手をつないで探し始める。
※その頃、海の家では、翠が家の中にいないことに気づいて、「藍ちゃんから翠は何しでかすか分からないって言われたのに……!」と慌てる菫。海も凪智がいないことを知って、「凪智もいねぇ!」と大慌て中。
◯回想:続・海岸【翠9歳・凪智8歳の夏・少し時間が経過】
海岸近くをいろいろ探し回る。岩場のところで探してもおらず、翠はもう疲れ果て、座り込む。凪智は水筒をきゅっと持って「飲む?」と差し出す。
翠「いらない」
凪智「……いらない?」
翠「うん。もう、いらない」
翠はただお茶を断っただけだが、凪智は蒼白な顔をする。
凪智「ごめんなさい」
謝りながら、凪智はぎゅっと水筒を抱える。
翠「なんで、ごめんなさい?」
凪智「ミドくんに……きらわれたくないから」
翠「なんで? きらうことないよ?」
凪智は「え?」とぽかんとした顔をする。
翠「なちのこと、すきだよ。いっしょに、カワセミさがしてくれるし、お茶わけてくれた」
凪智「ほんと?」
翠「うん」
凪智「……ママはボクとパパがきらいって、でていったよ。ボクはわるい子って」
翠はそんなことを凪智が親に言われているとは思わなくて、ショックを受ける。
少しだけ、固まる翠。でも、じわじわ涙を目に溜め始める。
翠「ボクはなち、すき!」
翠は涙を拭って、叫ぶ。
凪智はびっくり。戸惑う。そんな凪智を翠はぎゅっと抱きしめてあげる。
ぎゅっとされたまま、「…っ!」と、固まる凪智。
翠はさらにぎゅっと強く抱きしめて「なちは、いい子だよ!」と言ってあげる。翠の目からぼろぼろ涙が出る。
凪智「……ボクも、ミドくんすき」
凪智は目にたっぷりの涙をためて、翠の背中に手を回す。堰を切ったように、二人してわんわん泣く。
その後、菫と海がようやく泣いてる二人を発見し、怒る描写。
翠(そうだった。そんな感じで、凪智と出会って……父さんたちがやって来て、すげぇ怒られた。誘拐されたんじゃないかって、心配かけて)
すぐに親たちは子供たちを抱っこ。菫も泣いている。
翠(けど、怒られながらも、凪智の家の食卓で、俺の好物のアジの刺身が並んでて、鼻水流しながらバクバク食べてたら、みんな笑って……)
家に移動して、食卓を囲む。
翠(バイバイって別れるときに、また凪智から『ミドくん、また会える?』『ボク、ミドくんといっしょにいたい』って泣かれた……)
凪智が泣きながら、翠の服を引っ張る。
◯現在:翠の自宅・居間&台所
翠はアジの刺身の乗った皿をきゅっと持つ。
翠(なんで……忘れてたんだろ。……あいつ、たぶん全部、覚えてたんだ。ずっと、ミド先輩って呼んでくれてたもんな……)
翠の目にじわりと涙が滲む。
翠(ずっと好きって……言ってくれてた。今も、昔も……どこにでもついて行くって。ちっさい頃から変わらず、ほんとにどこにでもついてきて)
※4話の港でのバスケ後の描写(凪智「ミド先輩が行きたいところは、どこだってついて行きます。今も、昔も」の時のシーン)も思い出す。
翠は顔を上げて、海を見る。
翠「海さん、凪智……今、家にいますか?」
海「あぁ、うん。いると思うけど」
翠「飯の準備は終わってるんで、ここ、任せてもいいですか? 凪智、連れてきます」
翠は皿を台所のテーブルに置く。
海は嬉しそうに目を細める。
海「ありがとう、翠くん。よろしく頼んだ」
翠「はい。……あ、あと、父さんとのこと最初反対してすみませんでした。父さんのこと、よろしくお願いします」
ぺこっと礼をする翠。
海「こっちこそ、ごめんな。それに、ありがとう」
翠「いえ、それじゃあ、行ってきます」
エプロンを取った翠は、すぐに玄関へと向かう。
入れ違いで、台所にくる菫。
菫「あれ? 翠は?」
海「青春しに行った」
けらけらと笑う海。蒼が「なちくん呼び行った~」と言うと、菫が「そっか。頑張れ、翠」と呟く。
◯ 海岸沿い【同日・夜】
翠(凪智の馬鹿。早く言えよ。……ほんとに俺のこと……あの頃から、好きでいてくれたんだろ)
雨上がりの道路で、自転車を漕ぐ翠。ペダルを踏み込むたびに、風が頬を撫でる。髪がなびく。
翠(なのに俺は、あんな言い方して……)
翠は泣きそうな顔をする。
翠(凪智は昔から……嫌われるって思ったら、すぐ謝っちゃうやつだったってのに)
きゅっと唇を噛む描写。
翠(俺が……あいつの手、掴みに行ってやらねぇと。もう絶対、手放したくない)
海の音が静かに聞こえる中、翠は凪智の家へと向かう。
◯凪智の家【同日・夜】
家の前に自転車を置いて、インターフォンを鳴らす。明かりはついているのに、物音ひとつなし。しばらく待つも、出てこない。
翠はガシガシと頭を掻いてから、ズボンのポケットに手を突っ込む翠。
翠「……スマホ、忘れた。あー、もう」
翠はもう一度、インターフォンを押す。それでも無音。
翠はしびれを切らして、どんどんとドアを叩く。
翠「凪智! 凪智いるんだろ! おい!」
何度も呼んだら、扉のすりガラスの向こうに人影が映る。でも、凪智は扉を開けようとはしない。
翠「……凪智。いるのわかってるからな? 出てこいよ」
凪智「……無理です」
翠「はぁ? なんで……って、俺が悪かったんだよな。凪智、ごめん。傷つけることして」
するとすぐに扉が開く。
凪智「ミド先輩は悪くない!」
飛び出してきて、必死な感じで言う凪智。
翠「いや、俺が悪いだろ。どう考えても。……凪智は小さい頃からずーっと俺のこと大好きだったってのに、その気持ちまで疑った」
翠の言葉で、凪智の顔が真っ赤になる。
凪智「え……お、おぼえ……」
翠「思い出したんだよ、さっき。凪智と俺、ずっと前に出会ってた。……もう、忘れない」
凪智は涙目になる。
翠も目を潤ませながら、凪智の方に一歩踏み出して、頬に手を伸ばす。
翠「凪智、お前ってば……昔から泣き虫だな。そこが可愛いとこだけど」
凪智は鼻をすする。
翠「……凪智、よく聞けよ。一度しか言わねぇから」
凪智「はい」
翠「好きだよ。俺と、本当の恋人になって」
凪智「……え」
呆ける凪智。
翠「あーもう、一生、お前のこと大事にするから。俺の恋人になれって言ってんの!」
凪智は大きく目を見開いて、翠をガバッと抱きしめる。大きな体でぎゅうぎゅうに。
翠の心臓は激しくドキドキし始める。
凪智「ミド先輩、好き。大好き。俺もずっと大事にします。大好きです」
翠「痛ぇ! おい、凪智、分かったから! 分かったから離せ! この馬鹿力! 骨折れる!」
翠は叫ぶも、凪智は離れようとはしない。
凪智「好きすぎて離れたくありません」
耳元で甘えた声が聞こえて、翠は「うっ」と声を上げて折れる。翠は顔を真っ赤にさせながら、ポンポンと背中を叩く。
翠「わかった、わかった。離れなくていいから、ちょーっとだけ力緩めろ」
凪智「……ミド先輩、好き」
甘い声で言いながら、少しだけ力を緩める凪智。でも、ぴったり翠から離れない。頬をすりすり寄せてくる。
凪智「好き、ほんと好き。大好き。ずっと一緒がいい」
翠(かっ……かわいすぎる……だめだ、大型犬……)
翠の癖に刺さりまくる凪智。翠は凪智の頭をなでなでしたい欲にかられる。
手をぷるぷるさせる翠。
翠「凪智、ちょっと一瞬だけ、離れろ」
凪智「え、ヤダ」
翠「やだって、お前……今まで素直だったくせに」
凪智「俺はもう、ミド先輩の本物の彼氏です」
少しだけ顔を離して、きりっとした表情をする凪智。
翠は「ぶはっ」と噴き出す。
翠「わかったから、ちょっといっぺんだけ、な? 俺にも彼氏を愛でさせろよ」
凪智「……っ!」
さっと離れる凪智。翠は「凪智、大好きだぞ」と目を細めて言いながら、頭をわしゃわしゃと撫でてやる。
すっかり無表情ではなくなり、めちゃくちゃ嬉しそうなにやけ顔の凪智。※感情大爆発中。
翠「よし、終わり」
撫で終わって満足した翠に、少し色っぽい目をして「もっと」と言う凪智。手にすりすりしてくる。
その仕草に余計にドキッとする翠。
翠「お前ほんとに犬かよ……」
凪智「わん」
いつにも増して威力増大の凪智の「わん」。翠は悶絶。
翠(あーもう、ほんと可愛いヤツ。……可愛いよ。大好きだ)
◯翠の自宅・居間【同日・夜】
凪智を引き連れて、帰宅する翠。とりあえず、手は放すも凪智は翠のすぐ後ろにぴったり張り付く。
翠「ただいま」
凪智「おじゃまします」
蒼が嬉しそうな顔で「なちくんだ~!」と飛び跳ねる。
菫「いらっしゃい」
海「遅かったな」
翠「ちょっと、俺が腹痛くなって」
咄嗟に嘘をつく翠。ちょっと後ろめたい気持ちで目を逸らす。
菫「大丈夫? ごはん食べれそう?」
海「翠くん、無理するなよ?」
翠「大丈夫、大丈夫。薬飲んだし」
翠の後ろで、凪智はひたすらそわそわ。
温かい家族の中に入っていく、二人。並んで腰を下ろす。※右側が翠、左に凪智。
テーブルの下で、凪智が手を伸ばして、翠の手を掴む。ドキッとするも、翠はすぐに口元を緩める。
翠(ほんと……俺の彼氏は可愛すぎる)
翠がほわんとした気持ちになっているところで、にやにやする、海。
海「よかったなぁ、凪智。16歳の誕生日、一人で過ごさなくてよくなって」
翠「……え?」
凪智「……あ」
固まる、翠。言い忘れた、というような顔をする凪智。
勢いよく、翠は凪智を見る。
凪智「忘れてました」
翠「はぁぁぁあぁ~⁉ お前! 誕生日くらい、おしえろよ──────っ!!!」
蒼「兄ちゃん、声でかい!」
翠「だって、ケーキ用意してねぇだろ!」
ギャーギャー騒ぐ翠。
海「あははっ」
菫「元気だなぁ」
親たちは温かい目をして見守る。
食卓が笑いに包まれる描写。


