《4話:揺れる心(どうすりゃいいんだ)》

◯4話冒頭:総合体育館・バスケ部の県大会予選【6月半ば・土曜・午後】
 
 凪智(なち)と初めて呼んだ日から二週間と少しが過ぎ、(みどり)(すみれ)(あお)(うみ)と一緒にバスケ部の応援に来ていた。総合体育館の二階に設置された観客席から見守る四人。周囲には同じ高校から応援に来ている生徒たちがちらほら。

 バスケコートでは凪智がシュートを決める。汗が飛ぶ。
 観客席から「潮田(しおた)くん、かっこいい~!」と、女子たちの黄色い声。
 チームメイトが「潮田、ナイスシュート!」と肩を叩く。
 凪智は爽やかに、にこっと笑う。そんな爽やか王子スマイルに、女子たちがさらに沸く。
 
 翠(……なんかムカつく。コート上で、笑顔振りまいちゃってよ)

 翠は少しだけ口を尖らす。

 翠(でも、あいつ、身長高いのに、動き俊敏だよな。ドリブルうめぇし、フォームは綺麗だし、滞空時間もなげぇし、シュートも精確。身長に胡坐かかずに、ちゃんと努力してんだろうな。中学でバスケ辞めた俺と違って、さ……)

 翠は凪智のプレーをじっと見つめる。
 しかし、試合は接戦の末、3回戦で敗退。頭にタオルをかけてベンチに座る凪智を見ながら、自分まで悔しくなって、翠はきゅっと握りこぶしを作る。
 
◯試合終了後、体育館の外【同日・夕方】

 翠は一人でとぼとぼ歩く、凪智の大きな背中を見つける。

 翠「凪智!」
 
 翠の呼び声に、凪智はぴくっと体を跳ねて後ろを向く。

 翠(名前で始めた最初の頃は、凪智は目きらきらさせるどころか、呆けてた。でも……)

 凪智「ミド先輩!」

 キラキラした目をする凪智。

 翠(それなのに、二週間近くたった今は、こんな感じ。ほんとかわいいよな)
 
 翠「お疲れ。3回戦までよく頑張ったな。……他のヤツは?」
 凪智「あ……もう、先に帰りました。俺は父から一緒に帰ろうって言われて……」

 翠は海から観客席で言われたことを思い出す。
 
◯回想:観客席【同日・数分前】

 海「翠くん、俺たちちょっと寄るところあるから、凪智のこと頼んでもいい?」
 翠「はぁ……いいですけど」
 海「ありがとう。これでよかったら、何か食べさせてやって」
 
 海は財布から五千円札を出して、翠に渡すと、菫と蒼を連れて颯爽とどこかへ消えていった。

◯現在:体育館の外【同日・夕方】

 翠(……あぁ、そういうこと? 最初から父さんたち、凪智を俺に預ける気満々だったんだな。俺はコイツの保護者かよ)

 凪智はきょとんとした顔で、翠を見る。

 翠「凪智、お前さ……この前、デート情報仕入れてさ、『次の父のデートは俺の県大会の試合らしいです』って言ってたろ」
 凪智「はい」
 翠「あれ……現在進行形だわ。お前、俺に預けられたんだよ」

 翠は凪智の肩にぽんっと手を乗せる。

 凪智「……ミド先輩に?」
 翠「そ。たぶん、今頃、父さんたちは蒼を連れて、どっかでデート中」
 凪智「じゃあ、どうすれば」

 翠は預かった五千円札をポケットから出して、にやっと笑ってみせる。

 翠「俺が責任もって、これでお前を飯に連れて行く。んで、連れ帰るよ」
 
 凪智は「ほぇ…」と声を漏らす。でもすぐに、何かを思い出したよう。

 凪智「……あの、GPSで父たち尾行できますけど、大丈夫ですか? 作戦、まだ実行に移せてませんよね?」

 翠はそうだった、ハッとする。自分の当初の目的を忘れそうになっていたことに気づき、凪智から手を離す。口元を手で覆う翠。

 翠(そうだ。……俺たちは、父さんたちを別れさせるために付き合ったんだった。情報収集だけして、まだ全く実行に移せてねぇ。……でも)

 翠は眉根を寄せて、深刻な表情。
 
 翠(もし、別れさせたら……俺は凪智とはもう一緒にいる理由なくなるんだよな)
 翠(俺のこの気持ちも……なかったことにしなきゃなんねぇ)

 凪智を見て、翠の胸がきゅっと苦しくなる。少しだけ目を伏せる。
 でも、自分の頰を軽くパシッと叩く翠。すぐに凪智を見る。
 
 翠(だけど……俺が俺が父さんを止めないと……母さんに顔向けできねぇんだ)
 
 翠「父親のGPS把握してんのかよ」
 凪智「父のために入れてます。漁に出てる時、何かあったら、すぐに動けるように」
 翠「お前……天然ボケなのに、そういうとこはしっかりしてんな」
 凪智「天然……?」
 翠「自覚なしかよ。……で、父さんたちはどこに行ってるか分かるか?」

 凪智はすぐにスマホを取り出して、位置情報をチェックする。

 凪智「近くのファミレスですね」
 翠「……行くか」
 凪智「了解です。ファミレスデート」

 凪智は耳を赤くしながら、無表情で言う。
 
 翠「デートじゃねぇぞ」
 凪智「……デートじゃないんですか?」
 翠「ただ、飯を食いに行くだけだ。ほら、いくぞ」

 翠が歩き出すと、凪智もとてとてと大型犬が寄ってくるようにぴったり隣を離れずに歩き出す。

 
◯ファミレス【同日・夕方】

 海の車を確認してから、凪智と翠は店に入る。三人を発見。店員から「お好きな席にどうぞ」と言われて、凪智とすりガラスで仕切られた反対側の席に着席。

 翠「ここなら、声が聞こえるな」
 凪智「はい」
 
 二人してメニュー表を持ちながら、耳を澄ます。

 菫「海、まだ決まらない感じ?」
 蒼「おじちゃん、悩むねぇ」
 海「うーん……いや、腹回りが気になる年だから抑えようと思うんだけど、これとこれで悩んでて」
 菫「腹筋割れてなかったっけ? 高校生の時さぁ、僕と(あい)ちゃんがケーキ食べてる横で、いつも筋トレしてたよね」
 海「菫……俺たち、あの頃から二十年ちょっと経ってんだぞ」
 
 まるで昔からの知り合いとでも言いたげな言葉に、翠は眉間にしわを寄せる。

 翠(この空気……付き合ってるっていうより、昔からずっと一緒にいたみたいな)

 翠が考え込んでいると、凪智がつんつんと翠の手を指でつつく。

 凪智「ミド先輩、言い忘れてましたが……菫さんとミド先輩のお母さん、それから父さんは幼馴染です」
 翠「なっ──」

 大きな声を上げかけて、自分で自分の口をふさぐ翠。

 翠「幼馴染って、俺知らねぇんだけど……」
 
 翠は小声で凪智に話しかける。
 
 凪智「幼稚園から一緒だそうです」
 翠「はぁ? 何それ……。それで今更、恋に落ちるって意味わかんねぇんだけど」
 凪智「恋は唐突にやってきます」
 翠「なぁに、経験者は語る……みたいに言ってんだ」
 凪智「俺がそうなので」

 耳まで赤くする凪智。翠はうっ……と言葉を詰まらせる。

 翠(俺も、そうだけど……。そんな昔から一緒にいたのに、母さん亡くなってから、急に好きになるって……あるのか?)

 その後、凪智と自分たちのメニューを頼んだものの、翠の頭には疑問が残ったまま。料理の味も、よく分からないまま食事。翠の表情は泣きそうな曇った顔。

 
◯ファミレスの駐車場【同日・夜】

 海と菫、蒼が先に駐車場へ向かう。菫は蒼の手を引き、海は少し距離を取って歩く様子。

 翠(父さん、母さんといた頃はいつも手を繋いでた。今の姿は、なんか違う)

 その背中を見ながら、翠は決意する。

 翠(思い出させてやらなきゃ。母さんのこと)

 一歩踏み出そうとする。だが、凪智が「ミド先輩」と手首を掴む。

 翠「何?」
 凪智「……大丈夫ですか?」
 翠「何が?」
 凪智「ご飯の時から、ミド先輩ずっと泣きそうな顔してます」

 「へ?」と声を漏らした翠の目尻から、ぽろっと涙が零れる。

 翠「え……なんだよ、これ」
 凪智「すみません、ミド先輩。少し失礼します」
 
 凪智は翠をぎゅっと抱きしめる。ぽんぽんと背中を叩く。

 翠「なんだよ、離せ」
 凪智「離しません。ミド先輩、無理してるから」
 翠「無理なんかしてねぇ」
 凪智「してます。……別れさせる気持ち、もう薄れてるんじゃないですか?」

 凪智の腕の中で、ピクッと身体を跳ねる翠。

 翠(そんなわけ……あるか)

 翠「俺は今、父さんたちに母さんのことを言おうと──」
 凪智「でも、それを言うの迷ってますよね」

 凪智の声が降ってきて、翠は言葉を切る。
 しばし、反応できない。

 翠「……なんで、そんなこと」
 凪智「ミド先輩は、優しくて、周りを放っておけない人です。だから、相手が傷つくようなことはしない」

 凪智の言葉に言い返せず、黙る翠。

 凪智「本当に別れさせたいなら、もっと過激に動いてたはずですから」

 翠(……バレてたのかよ)

 凪智「俺はミド先輩のどんなとこも、受け止めたいです」

 真剣な表情の凪智。その凪智の優しさが胸に沁み渡って、翠の涙腺はますます緩む。翠はおずおずと凪智の背に手を回して、Tシャツをきゅっと掴む。

 翠(……俺、動けなかったんじゃなくて、動きたくなかった。父さんが元気になったの、やっぱり嬉しかったから。でも──)

 翠「……父さんには、母さんのこと忘れてほしくない。母さん、最期まで父さんのこと心配してたのに」

 ぐすっと鼻を鳴らす翠。

 凪智「それなら、伝えるべきです。菫さんに」
 翠「伝えたって……父さん、お前の父親とできてる」

 翠は凪智に抱きついたまま、顔を上げる。凪智は腕の中の翠に向けて、柔らかくふっと笑う。

 凪智「手も繋げないって言ってましたよ、うちの父さん」
 翠「……え? それ、付き合ってるって言えんの? 大人って……もっと……」
 凪智「キスとか、それ以上のことしてるって思ってました?」
 翠「なっ……お前、爽やか王子のくせに……! 何を」
 凪智「俺も男ですから」

 照れて赤らんだ凪智の表情が、少しだけ大人びて見える。
 その言葉に、翠は喉が鳴る。

 翠(こいつの口から聞くと、なんか……妙にリアルで、変な汗が出る)

 凪智「……言うなら、まだ間に合いますよ」
 翠「言っても……いいのかよ。母さんのこと、思い出せって。お前の父さんと、別れるかもしれねぇんだぞ……?」

 翠(そしたら、俺たちも終わるのに……?)

 凪智「ミド先輩が幸せなら、それでいいです」
 翠「……そっか」

 翠(なんで、そんな簡単に受け入れられるんだよ)

 翠「……伝えるだけ、伝えてみる」

 すんなり受け入れる凪智にちょっとだけ、モヤっとする翠。そのため、つんとそっぽを向く。
 その時、凪智のスマホが鳴る。凪智がスマホを取り出して、画面を見ると海からの着信。

 凪智「父さんからです」
 翠「出ろよ」
 凪智「はい」

 凪智がスマホを耳にあてて話す。「ちょっと寄り道してる」「うん」「分かった、ファミレス前」と言う。話している間も、凪智は翠を離そうとはせず、翠は腕の中。
 話し終えた凪智は「ミド先輩、もう少ししたら、今来た風を装って、父さんたちの前に行きましょう」と提案してくる。
 翠はこくっと頷く。

 凪智「車の中で、言いますか?」
 翠「……無理。まだ、ちょっと心の準備ができてねぇし……蒼もいる」
 凪智「じゃあ、また今度にしましょう」

 凪智がまたふっと笑って、翠の頭を撫でてくる。

 翠「凪智……俺の方が年上」
 凪智「でも、今のミド先輩は可愛いですから。少しは俺に甘えてください」
 
 翠(……俺が俺じゃなくなるみたいで、ちょっと恥ずかしい。でも……こいつになら、甘えてもいい気がする)

 翠「甘えるとか……したことねぇけど。ちょっとだけな」

 上目遣いで見上げる翠。凪智は「はい。少しだけ」と目元を緩める。


◯翠の自宅前、SUVから下車【同日・夜】※車の描写はセリフとキャラの動きで補完。車体は画面外。

 蒼が「凪智くん、またねぇ。おじちゃん、ばいばい」と無邪気に手を振る。
 
 翠「お世話になりました」
 菫「またね」
 海「おう。またな。おやすみ──」
 凪智「父さん、待って」
 海「なんだ?」
 凪智「ミド先輩とちょっとだけ……出てきてもいい?」

 凪智が急に言うものだから、海も、翠も、菫もぽかんとする。
 
 海「出てくるって……もう時間遅いぞ?」
 凪智「漁港のバスケコート行く」
 海「……お前、昼もバスケして夜もか。分かった。連れてってやる」
 凪智「ということなので、ミド先輩お借りします」

 凪智が翠の腕を掴む。翠は「え? 漁港のコート?」と戸惑う。

◯漁港近くのバスケコート【同日・夜】
 
 3人制のバスケコートがある。ライトはあるも、辺りは少し薄暗い。潮の匂いが風に混じり、小さな波音が響く。※フェンスやゴールポールに軽く錆。描写は簡略。空気感重視。
 凪智は車の中に積んでいたバスケットボールを持っている。
 
 翠「こんなとこあったんだな……」
 凪智「ここは昔からよく、父さんと来てました」
 翠「へぇ……」
 凪智「ミド先輩、ワンオンワン……はちょっと無理そうなんで、フリースロー対決します?」

 凪智がちらっと翠を見る。
 
 翠「凪智……お前さ、いま俺の身長見て言ったな?」
 凪智「すみません。でも……余裕で勝てそうなんで」

 ※凪智→185センチ、1年生でベンチ入りする、期待のセンター。
 ※翠→172センチ、久しくバスケしてない、運動不足。
 二人の背後に文字で。

 翠「うわっ、性格悪っ」
 凪智「性格悪くていいので、俺が勝ったら、手、つないでください」
 翠「……俺の手つなぎはそれ以上の価値があるんだけど」
 凪智「ご褒美にちょうどいいです」
 翠「おい」
 凪智「ふふっ」
 翠「お前……最近、よく俺の前で笑ってくれるようになったな」
 凪智「ミド先輩がかわいくて」
 翠「やめろ、そういうの」

 そんな風に言いながら、バスケを始める。

 
◯バスケコート・勝負終わり【同日・夜】

 二人してコートで座って、近くの自販機で買ってきた飲み物(缶)で水分補給。

 翠「母さん死んでから、蒼の面倒見なきゃいけなくなって……バスケもう出来ないかと思ってたから、楽しかった」
 凪智「よかったです。これから、たまに来ましょう」
 翠「……来てくれんの? 俺と」
 凪智「ミド先輩が行きたいところは、どこだってついて行きます。今も、昔も」

 凪智が缶を傾けながら、翠を見る。目が合って、翠は顔を赤くしながらそっぽを向く。

 翠(昔もってなんだよ……意味分かんねぇ。けど……)

 翠「……お前が行きたいところも、ついて行ってやる。時間があれば」
 凪智「はい」
 
 凪智は缶を持ったまま、翠の隣に肩を寄せる。
 
 翠(……今はまだ言えねぇけど、いつか……伝えられっかな。凪智が好きだって)

 翠はその気持ちを抱きしめながら、凪智にもたれかかった。そして、ドキドキしながら、凪智の手に触れる。
 凪智は翠を見る。

 翠「俺は約束を守る男だからな」
 凪智「嬉しいです」

 凪智も、力強く手を握り返す。夜の潮風で、翠の長い髪がふわりと舞う。

 翠(……凪智の隣に、ずっといてぇな。……こいつのそば、離れたくねぇ)