《3話:まだ、好きじゃない(と思いたかった)》

◯3話冒頭:漁港・50軒を超える出店が軒を連ねた朝市【翌日(5月下旬、土曜日)・早朝】

 凪智(なち)(うみ)がせっせと出店を準備中。

 海「凪智、今日も裏で干物でもしておくか?」

 海がおつりを机の上に出しながら、凪智を見る。作業をしていた凪智、首を振る。
 
 凪智「今日は、接客やる」
 海「お? どうした? 珍しいな」
 凪智「……ちょっと」
 海「ふぅん……好きな子でも来るのか」

 凪智は「……!」と声にならない反応をして、ぷいっと顔を背ける。

 海「くくっ、かわいいやつめ」

 海は優しい顔をしながら、揶揄うように凪智の頭をなでる。
 

◯漁港・朝市【同日(土曜日)・数時間後の朝】

 普段は静かな漁港に出店が並び、朝市目当ての客で賑わう。父・(すみれ)と弟の(あお)と一緒に、歩き回る(みどり)
 しばらく歩いていると、毎週土曜は必ず菫が向かう、凪智の父・海の出店に行き着く。いつもとは違い、凪智もいる。

 翠(あれ……。アイツ、自分の父親の出店でバイトしてたのかよ)
 
 そんな視線の先にいる凪智は、学校で見せるようなキラキラ笑顔。

 翠(こうやって並んでるの見ると……似てるような気がする。てか、あそこだけ華がありすぎねぇ?)

 朝市目当てに観光客が訪れるのもあって、凪智や海の周りには若い女性たちがいる。特に凪智はきゃっきゃ囲まれ、出店で買ったであろう商品をいくつか手渡されていた。

 翠(じゃあ、これ……渡す必要ないか)

 凪智を見る翠の手には、ランチトートバッグ。

 翠(アイツでかいからすぐ腹すかせそうって思っただけで……。別にただのおにぎりだし。俺が食べればいいか)

 きゅっと手に力が入る、翠。
 
 菫「翠はどうする? 僕と蒼は潮田さんとこ行くけど」

 急に、菫に話しかけられる。翠はハッとする。一瞬だけ悩むも「行く」と返事して、ついていく。


◯鮮魚や干物まで並ぶ、潮田家の出店【同日・朝・続き】

 凪智が笑顔を振り撒きながら、他の客に接客中。海が菫に気づき、豪快に手を振る。

 海「おはよう。皆、いらっしゃい」
 菫「おはよう」
 蒼「おじちゃん、おはよぉ」

 蒼はすっかり海に懐いているようで、手を振る。
 翠はなかなか顔を上げられない。挨拶しないわけにはいかないので「おはようございます」とだけ言って、すぐにそっぽを向く。

 翠(き、きまずい……)
 
 親たちは少し肩をすくめるも、普通に話し始める。
 
 菫「今日は何がおすすめ?」
 海「そりゃもちろん、獲れたてのアジ。今朝、俺が獲ってきたからな!」

 ドヤ顔をする海。おっとりした菫は「じゃあ、それにしようかな」と、ふふっと笑う。和やかな雰囲気。
 凪智はチラチラ翠の方に視線を送り、気にしている。海はほほん……と、勘が働き、ちらっと翠の方を一瞥。
 
 海「それと──あとは……凪智が作った干物かな」

 翠は海の口から「凪智」の名前が出て、ピクッとする。
 顔を上げたら、接客を終えた凪智が翠の方を見る。近づいてくる。

 菫「凪智くんが作ったんだ?」
 凪智「はい」
 海「凪智は魚捌くの得意でな。時間があったら、せっせと俺の手伝いしてくれるんだよ」
 菫「凄いね。うちの翠も料理得意だけど、魚だけは捌くの苦手なんだよ」
 海「そうなん?」
 菫「そう。魚と目が合うのが怖いって。ホント可愛いでしょ」
 
 凪智も「かわいい」とポソっと呟く。
 
 翠「ちょっ、父さんなんて事言うんだよ!」
 菫「あ、これ秘密だった?」
 翠「秘密に決まってるだろ! 恥ずい!」

 ギャーギャー文句を言うと、凪智が目尻を緩める。
 
 凪智「じゃあ、ミド先輩が食べたい魚はこれから全部、俺に任せてください」
 
 まっすぐな目をした凪智の言葉に、翠の喉が鳴る。
 心臓もトクンと跳ねる。
 
 翠(なんだよそれ……! つーか、俺の心臓もすぐトクン言うな!)

 菫「凪智くんってば、プロポーズみたいなこと言うね」
 凪智「あ──」
 翠「父さん! 何言ってんだよ! 変なこと言うなって!」
 菫「えぇ、でも」
 翠「でもじゃねーから。潮田も困るだろ、んなこと言われたら。社交辞令に決まってるだろ」
 菫「そっかぁ、ごめんね」
 凪智「いえ、大丈夫です」
 
 凪智は少しだけ、寂しそうな感じの目をする。
 翠はそれに気づいて「うぐっ」となる。仕方なく「おまえ……いつ、休憩?」と聞く。
 
 凪智「休憩……ですか?」
 翠「こ、これやる。例の件、協力してくれて、ありがとな。……お前デケェからすぐ腹減りそうだし、休憩に食べろよ」

 翠は手に持っていたランチトートを突き出す。
 菫はあらま、という顔。海もおやおやという感じ。蒼だけ我関せず、「お魚~!」とキラキラ出店の魚を眺めてる(魚好き)

 凪智「……これ、俺のために?」
 翠「違ぇし。余ったから、礼がわりにやるだけだ」
 凪智「でも……嬉しいです」
 翠「俺、のど渇いたからもう行く。……父さん。俺、他のとこ行くから」

 翠は恥ずかしくて顔を赤くしながら、皆から背を向ける。歩き出す。
 親たちは顔を見合わせる。
 
 海「凪智、腹減ってんならどっかで食べてきてもいいぞ〜」
 凪智「……! わかった!」

 エプロンを取る凪智。
 菫は「いいねぇ、青春だ」、海は「俺たちも、あんな時代があったんだよな」と、しみじみ。


◯朝市から少し離れた場所にある、自販機前【同日・続き・朝】

 りんごジュースの紙パックを買って自販機から取り出したところで、翠はクラスの女子・佐倉と遭遇。佐倉はクラスでも中心的な存在。※ギャル
 
 佐倉「あっ、ミドじゃん~! おはよー。え、りんごジュース? かわい~」
 翠「……朝からうるせぇな」
 佐倉「ひどっ。……てかさ、ここで会ったのも運命じゃん?」

 佐倉がぐいっと翠に近づく。翠は面倒くさそうに、避けようとする。

 翠「運命?」
 佐倉「そ。だからさー、今付き合ってる人いないなら、私と付き合ってくんない?」
 翠「は? 何、急に。意味わかんね」
 佐倉「いいじゃん。私、おっぱいでかいよ?」

 佐倉は胸が強調されたピッチリしたTシャツと短パン姿。女性らしい体のラインがくっきり。だが、翠は佐倉を見てもすんとしたまま、態度は変わらない。
 
 翠「いや、胸とか別にどうでもいいんだけど」
 佐倉「はぁ? 何、おっぱいじゃないなら……お尻? ミドってお尻好きなんだ?」
 翠「尻も別に」
 佐倉「えぇ? じゃあ、何ならいいのよー! もしかしてさ、女に興味ないとか言わないよね? 枯れてる? 男が好きとか?」

 佐倉はまた翠に近づく。一瞬だけ、たじろぐ翠。

 翠「……なわけねぇだろ」
 佐倉「え、ウケる。何、いまの間。てかその顔、絶対なんかあるじゃん」
 翠「俺、喉渇いたからいくわ」

 翠はすぐにその場から逃げる。手には未開封のりんごジュースのパックを握りしめて。
 
 佐倉「うわ、逃げやがった。……ミドー! 私はいつでもオーケーだから、考えといてよねー!」
 
 ※ その現場を凪智は目撃。

◯漁港・波止場・人気のない場所【同日・続き・朝】

 翠は座り込んで、海を眺めながらりんごジュースにストローを刺す。

 翠「……俺、まだ枯れてねぇし」

 そう言いながらストローを咥えようとしたとき。

 凪智「何がですか?」

 背後から凪智に声を掛けられて、翠はびっくりする。
 振り向けば、凪智が渡したミニトートを持って立つ。

 翠「な……なんで」
 凪智「父さんが食べてきていいって言ったんで」
 翠「そうかよ」
 凪智「はい」

 しばし、沈黙。凪智は翠の隣に腰を下ろす。
 ストローでジュースを飲む翠。

 凪智「ミド先輩、女の人の胸もお尻も興味ないんですね」

 翠はりんごジュースをふき出す。
 
 翠「……なんでお前」
 凪智「聞くつもりはなかったんですけど」
 翠「忘れろ」
 凪智「忘れません。俺としては、有難いんで。俺も同じだから」

 翠は「……そうかよ」と言いながら、もう一度、りんごジュースを飲む。
 横目で見た凪智は、いつもは無表情なのに、嬉しそうに口元を緩めておにぎりを取り出す。
 包みをそっと開けて、こちらを見る。

 凪智「写真……撮ってもいいですか?」
 翠「写真?」
 凪智「……ミド先輩が作ってくれたから」

 凪智の声は甘く、優しい表情。

 翠(俺が作ったもんだからって……そんなに嬉しいもん……?)

 翠「……それはお前にあげたんだし、好きにしろよ」
 凪智「ありがとうございます」

 凪智はスマホを取り出して、一枚撮る。じっと見つめる凪智を見ても、翠は面映くなる。
 満足して、ようやくおにぎりを口に運ぶ凪智。

 翠(図体でけぇし、俺よりイケメンだってのにな。女子より可愛く見えるのってなんだよ……頭バグってんのかな)

 翠は「あーあ」と言いながら、空を見上げた。

 翠(また作ってやりてぇなって思うとか、たぶん、重症だ)


◯体育の授業のために着替えてグラウンドに向かう途中・校舎外【翌週・月曜日】

 翠と桐野が体操服で中庭を歩く。体操服を着た佐倉が翠を見つけて、駆け寄ってくる。

 佐倉「ミド! ねぇ、考えてくれた?」

 腕を組んできて、胸をぐいぐい押し付けてくる。桐野は「うわ、狙ってんな」と呟く。

 翠「お前、離れろよ。てか、あれ本気だったん……?」
 佐倉「ひどっ! 本気だし!」

 むすっとする佐倉。

 翠「えぇ……」
 佐倉「うわ、その反応普通に傷つくんですけどー!」
 翠「あー、悪い」
 佐倉「……ミドって、押しに弱そうだから、いけるかなって思ってたのになー」
 翠「は?」
 佐倉「世話焼きおかんだから、ぐいぐい行ったら、可哀そうに……って同情でも付き合ってくれないかなーって思ってたんだけどなー」

 ちらっと佐倉は見てくる。上目遣い。だが、翠は全く興味がない。むしろ面倒。

 翠(……俺、実はチョロくはないのか?)
 翠(押しに弱いんかなって思ってたけど、佐倉には何にも感じねぇわ。でも、じゃあ……なんで、潮田には)

 翠が黙りこくっていると、佐倉が「うわ、白けたぁ。なんか他のこと考えてるしぃ」と言う。

 翠「ん?」

 ようやく佐倉を見る翠。佐倉はため息をひとつする。

 佐倉「もういいわ。ミドってつまんなーい」

 佐倉は本気じゃなかったかのように、変わり身の早さを見せ、他の男子の群れの方へ行く。

 桐野「ミド、お前すげぇな」
 翠「……何が」
 桐野「胸押し付けられて、顔色一つ変わんねぇとか」
 翠「だって、アレって脂肪の塊だろ?」
 桐野「お前……もしや、もう大人の階段上ってたんか」

 その時、ガシャーンとガラスか何かの割れる音がする。音がした方を向けば、すぐ近くに理科室。
 姿は見えないが、そこから「あ……ご、ごめん」という動揺したような凪智の声と、女子たちの「潮田くん、大丈夫?」「怪我してない?」という声がはっきり聞こえる。
 ※凪智には桐野が言った「大人の階段」が耳に届いていた。ショックで物を落とすという失態中。

 翠(……潮田、理科室で何してんだよ)

 凪智「痛っ」

 その瞬間、翠は窓に向かっていた。


◯理科室の外・グラウンド側の窓【同日・体育の授業前】

 開けられた窓から中を覗くと、凪智が割れたビーカーを拾おうとして、指を怪我している。※ まだ理科室にいる人数は多くない

 翠「おい、凪智! 何してんだよ、馬鹿!」

 思わず、名前を呼んでしまう。

 翠(……あれ、いま、俺)

 凪智が「え……」と顔を上げ、翠の方を見る。
 怪我しているはずなのに、その目は『名前呼び…』と希望に満ちる。耳と尻尾登場。

 翠「あ、いまのは……父さんと蒼が凪智くんって呼ぶからで……じゃねぇ! 怪我したなら、早く保健室行け!」

 凪智に向けてピシッと言い放つ翠。そして、すぐ近くに居た子の方を向く。
 
 翠「ねぇ、そこの君、ここ開けてくれるか?」
 後輩女子「あ、はい」
 翠「他の子も怪我したらあぶねぇから、俺が片付けるわ」

 掃き出し窓を開けてもらい、翠は靴を脱いで中に入る。すぐに箒と塵取りを持ってこようとしていた子から「さんきゅ」と、受け取る。
 凪智は「俺も……」と来るけど、指先から血が出ている。

 翠「馬鹿。早く止血しろ。大丈夫だから。気にすんな」
 
 凪智は女子から渡されたティッシュで止血する。

 翠(……だめだ、もう。名前も呼んじまうし、こいつの世話、焼きたくてたまんねぇ感じになってるわ、俺)

 自分の気持ちに戸惑いながら、翠は片付けを始めた。

 翠(たぶん……このままだと、もう後戻りできねぇ気がする)


◯翠の教室【同日・昼休み】

 自分の席でスマホで特売チラシを眺めていた翠。

 桐野「ミド、彼氏来たぞ」

 急に桐野から言われて、翠は「はぁ?」と動揺。声が大きくなる。
 
 桐野「嘘、嘘、ごめんって~。怒んなよ」
 翠「うぜぇ」
 桐野「ほら、四限の前のミドかっこよかったからさぁ~。あれで、あの場にいた1年女子は何人か、ミドに惚れたよな」
 翠「なわけねぇだろ」
 桐野「いや、ある。ってか、彼氏じゃなくてさ、潮田来てるぞ」

 廊下を見ると、凪智が指にばんそうこうをして立っていた。手には売店で何か買ってきたであろう、ビニール袋もある。
 翠は凪智の方に向かう。

 翠「お前……俺の教室には来るなってあれほど──」
 凪智「嬉しかったから、お礼を持ってきました」
 翠「んなの……放課後でもいいだろ」
 凪智「今日は部活なので」
 翠「あ、そうだったな」

 翠(毎日一緒にいたわけでもないし、昼休みに一緒に食べるのは作戦実行日だけ。……そうなんだけどな。なんかいつも一緒にいたような気がして……変な感じがする)

 翠は凪智から袋を受け取る。中を見ると、翠の好きなお菓子だらけ。

 翠「……お前、なんでこれ」
 凪智「蒼くんがこの前、ミド先輩の好きなものも教えてくれたんで」
 翠「……蒼、余計なこと言いやがって」
 凪智「迷惑でしたか?」
 翠「いや……まぁ、ありがとな」
 凪智「はい」

 嬉しそうに目を細める凪智。少し前まで無表情だった凪智の本当に嬉しそうな顔に、翠の心臓が跳ねる。

 翠(うわ、ダメだ。やっぱり……こいつ、かわいくねぇか? まじで……俺、こいつの笑顔にもう勝てる気しねぇ)

 自然と顔を赤く染めてしまう翠。


○翠の自宅・台所【同日・夜七時前】

 夕飯のアジの甘酢あんかけと豆腐とわかめの味噌汁、切り干し大根の煮物などあれこれ食事を用意していると、蒼が「兄ちゃん」とやってくる。

 翠「ん? どした?」
 蒼「凪智くんから電話」
 翠「え?」

 蒼から差し出されたのは翠のスマホ。画面には《潮田凪智》と表示されている。スマホを受け取る翠。

 翠「ありがとな。ちょっと電話出てくるから、夕飯もう少ししてからでもいいか?」
 蒼「うん、大丈夫」
 翠「分かった、ちょっと待っててな」

 翠は蒼の頭をひと撫でして、廊下に行く。

 翠「もしもし、どした?」
 凪智『ミド先輩。部活終わったんですけど、家の前まで行ってもいいですか?』
 ※凪智は自分の家の前。
 翠「ん? いいけど、どうしたんだよ」
 凪智『家の鍵……忘れました』
 翠「え?」
 凪智『今日……父さん、会合で家あけてるの忘れてて……。帰り遅いんです』
 翠「お前な……。あー、いま飯作ってるところだから、もう一つ用意しておく。お前もうちで食べろ」
 凪智『いいんですか?』
 翠「いいんですかって、うちに来たくて連絡したんじゃねーの?」
 凪智『そ……うです』
 翠「気を付けて来いよ」

 翠(うわ。俺ってこんな声、出るのかよ)

 翠は自分で思っていたよりも柔らかな声が出て、自分のことなのに動揺。凪智も電話の向こうで息を呑む。でもすぐに。

 凪智『はい! ありがとうございます』

 元気な声に、思わず翠は笑みを浮かべた。

 翠(ほんと……かわいいやつ。追加で他にもなんか用意してやろ。腹空かせてるだろ)


◯翠の自宅・玄関【同日・夜7時過ぎ】
 
 家族総出で凪智を出迎える。
 上がり框に立つ菫と蒼。翠は土間に降りて、引き戸を開けている。
 
 翠「ほら、入れよ」
 凪智「すみません」
 蒼「わーい、なちくんだ~」
 菫「いらっしゃい」


◯翠の自宅・居間【同日・続き】

 居間に向かうと、凪智はすぐに翠の母・藍の小さな仏壇に気づく。

 凪智「ミド先輩のお母さんに、ご挨拶しても良いですか」
 翠「あ、あぁ。……うん」

 翠は凪智がすぐにそう言うとは思わず、瞠目。
 荷物を置いて、凪智は仏壇前で手を合わす。

 翠(……なんだよ、それ。ちゃんと、母さんに挨拶してくれるなんて。……なんか、すげぇ、嬉しい)

 菫「凪智くん、いい子だね」

 翠の隣で、凪智を見ながら目を細める菫。蒼は「僕もママに挨拶する」と凪智の隣で手を合わす。
 翠の胸はじんとして、凪智から目が離せない。


◯同場所・翠の自宅・居間【同日・続き】

 居間には客用の食器類も出して、4人分の食事が並ぶ。凪智は翠の隣に座る。

 蒼「なちくん、好き嫌いある?」
 凪智「ないよ。ミド先輩が作ったものなら、何でも食べられる自信ある」
 蒼「だってー。にいちゃん、モテモテだぁ」
 翠「うるせぇ。早よ、食べろ。冷めんぞ」

 食事を皆で始める。和気あいあいとした、家族の団欒。凪智は何度も「美味しいです」と言う。
 しばらくして、食事も終わりに近づいた時、蒼が「ねぇねぇ」と凪智に声をかける。

 蒼「なちくん、おとまりしてけば?」
 凪智「えっ」
 翠「蒼、お前、勝手に決めんな」
 蒼「だって、にいちゃんうれしそうだし」
 菫「ほんとね、翠がこんなに嬉しそうなの、久々に見た。……凪智くんさえよければ、どう? お布団はあるし、海には僕から連絡入れるから」

 菫がお茶を手に持って、にっこり笑う。

 凪智「それじゃあ……よろしくお願いします」

 礼儀正しく、凪智は深々と頭を下げた。

◯翠の部屋【同日・就寝前・11時過ぎ】
 
 翠が部屋で翌日の予習をしていると、コンコンと扉がノックされる。現れたのは湯上りの凪智。※凪智は部活終わりなので汚れや臭いを気にして、1番最後にお風呂。
 
 凪智「……お風呂、ありがとうございました」
 翠「別にいいよ。てか、お前さ……やべぇな。ほんとガタイ良すぎだろ」

 凪智は翠の服ではつんつるてん状態で、翠はくくっと笑ってしまう。
 
 凪智「……ミド先輩の匂いがして、俺はいまそれどころじゃないです」
 翠「お前な……そういうこと言うな」
 凪智「すみません」
 翠「てか……寝るの、そこに布団敷いたけど、ここでいいか?」

 部屋の真ん中に、来客用の布団を敷いてある。

 凪智「……同じ部屋でいいんですか?」

 凪智は目をぱちくり。

 翠「他の部屋でもいいけど、掃除行き届いてねーんだわ。だめか?」
 凪智「いや……ミド先輩がいいなら、俺は」
 翠「いいよ、寝るだけだろ」
 凪智「そう……ですね」

 翠(何をそんな歯切れ悪く……。って、待て。これって朝まで二人っきりってことか? ……寝るだけって言ったの、俺だよな。俺が言ったんだよな⁉︎)

 翠は今更、現状把握してあたふたし始める。
 
 翠(そもそも、コイツは俺のことが好きなんだよな⁉︎ だからあんな反応を……!)
 
 そんな翠を見て、凪智が「あ」と何かを察知。落ち着かせようと、口を開く。
 
 凪智「ミド先輩の部屋、落ち着きます」
 翠「いや、お前、まだ来て数分だろ」
 凪智「でも……匂いが好きです。よく寝られそうです」
 翠「お前……犬かよ」
 凪智「わん」

 真顔で言う凪智。でも、それすらもがもうあまりに可愛く見えてしまって、翠は悶絶。口を押さえる。
 
 翠「……だめだ、死ぬ」
 凪智「え? ミド先輩、何がありましたか」

 不安そうに見つめてくる凪智。翠は「あははっ」と笑ってしまう。

 翠(あー、もう……認めるしかないよな。これは。……理屈じゃねぇってことか。そっか)

 凪智「大丈夫ですか?」
 翠「大丈夫じゃねぇ。でも、お前が寝たら大丈夫になる」
 凪智「じゃあ寝ます」

 凪智はいそいそと布団に入り始める。
 そんなところも可愛いと思いながら、翠も机の上を片づけて、ベッドに移動。
 布団の中に入って、シーリングライトを消す。
 
 翠(父さんたちに申し訳ねぇな。反対してるってのにさ)

 常夜灯をじっと眺める翠。

 翠(……コイツのこと、好きになっちゃダメだって思うのに)

 翠は寝返りを打つ。
 その気配に気づいた凪智は、おずおずと口を開く。

 凪智「あの、ミド先輩」
 翠「明日も学校だろ、早く寝ろ」
 凪智「ひとつだけ」
 翠「何だよ」
 凪智「……今日、名前呼んでくれたの、嬉しかったです。ありがとうございました」
 翠「は? あれか? 理科室の」
 凪智「はい。それと、怪我も、すぐ気づいてくれて……ミド先輩のこと、もっと好きになりました」
 翠「……そうかよ」

 胸がキュッとして、翠は胸元を押さえる。
 
 翠(あーもう、ほんと無理だ。俺もこいつが好きだわ、もう)

 凪智「当たり前みたいに俺のこと気にかけてくれたの……嬉しかったです」
 翠「分かったから……もう寝ろ」
 凪智「はい」
 
 翠(凪智……って、俺が呼び始めたら、こいつはどんな反応すんのかな。その都度、目をキラキラさせてきそうだな)

 そう思いながら、もう後には退けないところにいるのだと、しっかり理解し、腹を括る翠。

 翠(……いくらでも、呼んでやりてぇな。喜ばせて、やりてぇ)

 翠は目を閉じる。
 今度からちゃんと凪智って呼ぼうと考えながら、翠は静かに眠りについた。
 
 ──水瀬(みなせ) (みどり)、17歳。人生初の恋を、認めた日だった。