《2話:無表情王子の天然彼氏感(出してこないでくれ)》

◯2年3組・(みどり)の教室前・廊下【昼休み・翌日(木曜日)】

 トイレを済ませて、ハンカチで手を拭きながら昼休みの教室に戻ろうとする翠。教室前の廊下に他クラスの女子が数名、群がっている。

 女子1「かっこい〜」
 女子2「何を食べたら、あんな風に育つの⁉︎」
 女子3「見てよ、あの笑顔。心が浄化される〜」

 翠(なんだ? まさか転校生でも来たのか?)

 教室を覗いた瞬間、翠は固まる。翠の席(真ん中の列の席の前から3番目)に座るのは、凪智(なち)
 凪智の周りには同じクラスの女子の群れ。凪智はきらきら笑顔全開。楽しそうに溶け込んでいる。

 翠(お前かよ! てか、今日は爽やか王子モードか。俺の前では無表情のくせに、なんなんだ)

◯2年3組・教室内【続・昼休み】
 
 翠はずかずか教室内を歩いて、自分の席に向かう。
 凪智は皆と楽しそうに話をしていて、翠には気づいていない。

 翠「おい、潮田(しおた)。お前、なんでここにいんだよ!」

 声をかけるなり、凪智は満面の笑みを翠に向ける。キラキラしすぎの凪智。

 凪智「おかえりなさい、ミド先輩」

 今までとは全く違う反応に、翠は戸惑って固まる。目をぱちくりさせる。

 翠(昨日まで、俺の前では無表情だったろ? え? どういうこと? これ夢? 俺、寝ぼけてる?)

 翠は頬をつねるも、痛くない。
 その矢先、桐野(きりの)が「ミド、潮田と仲良くなったんだな?」と、翠の肩をぽんと叩いてくる。

 桐野「潮田、弁当持参してんぞ」
 
 翠は凪智の手元に視線を落とす。やたら可愛い鳥(カワセミ)が大きくプリントされた包みを手に持っている。きゅっとそれを持つ手に力を込める凪智。

 凪智「ミド先輩とお昼食べたくて」※きらきらスマイル

 翠「いやいや、俺たちそんな仲じゃなくね?」

 慌てて否定すると、凪智はきょとんとした顔で首を傾げる。

 凪智「え? でも昨日、俺と付きあ──」
 翠「っ!」

 焦りから、翠は勢いよく凪智の口を手で塞ぐ。口をもごもごさせる凪智。翠はそれを無視。

 翠「そうだったなー! 俺たち、話すことあったよなー!」

 顔を引き攣らせる翠。これ以上何も言うなと言わんばかりに、目で訴える。

 翠「さぁ、行くぞー?」
 凪智「え?」
 翠「ほーら、どこがゆっくり話せるかなぁ~あははははは」

 翠は自分の机に出していた弁当も手にして、凪智の腕をガッツリ掴む。引っ張るように教室からずるずると、凪智を連行。
 背後から女子たちの「えー!」「ミド、爽やか王子と仲良しじゃんー!」「ずるいー!」という声。
 ※ 翠はおかん属性&フランクな性格なので、同じ学年の女子(同じクラスになった子)からはイケメン扱いされていない。

 桐野「あいつ、何してんだ」

 一人取り残される桐野は苦笑。

 翠(……なんなんだよ、ほんと)

 イライラして歩く、翠。
 隣を歩く凪智はドキドキしていて、耳は真っ赤。内心はミド先輩かわいいと思っている。

◯少人数用の机が置かれる選択教室【昼休み継続】
 
 誰もいない教室に入り、翠はガラリと扉を閉める。くるっと振り返って二人きりになった途端、無表情になった凪智をむっとした表情で見上げる。

 翠「なぁ……昨日の付き合うって話、あれって冗談の可能性はねぇのかよ」
 凪智「ゼロです。ありません」

 凪智はばっさり切り捨てる。まっすぐな目で見つめられて、変な雰囲気。翠はうぐっと言葉を詰まらせる。目を逸らして「即答かよ」と呟き、唇を噛む。

 凪智「ミド先輩が好きなので」

 そう言われて凪智を見る翠。凪智の表情は相変わらず無だが、耳が赤い。

 翠(……1日経って、やっぱ嘘でしたって言われるかもって期待してたけど。マジか。ほんとに冗談じゃねぇのか)

 翠はごくっと唾を飲む。心臓が少しだけ、うるさくなる。

 翠「だっ……だからって、俺のクラスには来るなよ」
 凪智「えっ」
 翠「付き合ってるとかも、ほかの奴らには絶対言うな。俺たち別に、本当の恋人っつーわけじゃねぇんだし」

 翠の言葉に、凪智はぴくっと反応。ほんの少し、唇を尖らす。

 翠「納得してねぇな、その顔」
 凪智「さすがに教室、行くくらい許してほしいです」
 翠「なんでだよ。お前、きらきらしてんだから目立つだろうが」

 今日もイケメン全開の凪智。直視し続けると目が痛くなる気がして、目を細める翠。凪智の背景にはキラキラ後光が見える。

 翠(くそう、ほんとこいつ、顔だけはやたらといいな、おい)
 
 凪智「……協力するなら、ミド先輩の近くにいたいです」

 表情は変わらないが、凪智の目は期待しているように翠をじっと捉える。また犬の耳としっぽが見える。うるうるした目。
 翠はうっ……となる。しばし、続く無言の攻防。

 翠(蒼もそうだけどさぁ……俺、年下からのおねだりに弱いんだよ。くそぅ)
 
 翠が根負けし、額に手を当てて「はぁー」とため息。
 
 翠「……わかったよ。わかった。じゃあ、たまに飯食おう」
 凪智「っ!」

 相変わらず無表情でも、ぴくっと反応して、嬉しそうな凪智。

 翠「週2でお前のクラスに行くから。それならいいか?」

 凪智は全力で首を縦に振る。

 翠「お前な……真顔でそれは怖えわ」

 そう言いながらも、そんなふうに嬉しそうにされるとは思わなくて、翠はくすっと笑う。

 凪智「?」
 翠「ほら、早く飯食って、作戦練るぞ」
 凪智「はい」

 二人して近くの机に弁当を置き、椅子に座る。※翠が後ろの席、凪智が前。翠の方を向くように、凪智が椅子を動かして座る。
 二人とも弁当を開く。凪智の弁当は妙にファンシーな犬のキャラ弁。翠は自作の凝った弁当。

 翠「潮田。お前……それ自分で作ってんの?」
 凪智「いえ、父が」
 翠「潮田さんが?」

 翠は驚いて目を見開く。

 翠(高校生男子にキャラ弁とはなかなかだけどさ……、蒼の遠足のお弁当のために、コツを聞きてぇかも)

 そう思うも、翠はいかんいかんと頭を振る。

 翠(潮田の父さんは、作戦のターゲットだ。仲良くなんか出来ねぇ)

 凪智「父は男手一つで育ててくれたんですけど……やたらと手先が器用で。弁当はもうずっとこんな感じです」
 翠「へぇ」
 凪智「前に、ミド先輩のお父さんにもお弁当作ったら喜ばれたって、すごく嬉しそうに言ってました」

 凪智は大切そうに弁当箱を持つ。

 翠(潮田さん、うちの父さんのこと本気で好きなんだな……)

 翠は少しちくっと胸が痛む。潮田父に申し訳なさを感じながら、翠は卵焼きをぱくっと食べた。

◯同場所(選択教室)・窓際へ移動【昼休み・食後・作戦会議モード】

 翠は窓を開けて「あー、もうだいぶ暑くなってきたな」とぼやく。凪智が外を見ながら「ですね」と相槌。翠は背伸びをしながら、凪智を見る。

 翠「……それで、作戦のことだけど、練るには圧倒的に情報量が足りねぇんだよ」
 凪智「たしかに」
 翠「そ。だから、まずは二人の様子見ておきたいんだわ。なんか目撃情報とかねぇ?」

 しばし黙り込む凪智。

 凪智「……夕方、漁港で会ってるのは知ってます」
 翠「知ってんの? あぁ……お前は前々から父さんたちのこと知ってたってことかよ」

 ぷいっとまた窓の外を見やる翠。

 凪智「まぁ、そうですね」
 翠「……むかつく」
 凪智「すみません」
 翠「まぁいいけど。……父さんたち別れさせるためには情報共有大事だからな? そこ覚えておけよ?」

 ちらっと凪智の方を見る翠。
 凪智はこくっと頷く。そして夏服のシャツの胸ポケットから、小さいノートとペンを取り出す。※ ノートの表紙に黒く文字が塗り潰された跡がある。その下に新たに『ミド先輩と潮田家の未来』と記載されている。だが、翠には見えていない。
 翠の言葉をメモしていくが、凪智は何か思い出したように「あ……」と言う。

 翠「なんだよ」
 凪智「夕方の漁港は人が少ないので、会話がよく聞こえます」
 翠「……だからなんだよ。まさか……盗聴する気か?」

 眉を大きく動かす翠。信じられないとでも言う顔をする。

 凪智「いえ、聞き耳を立てるだけです」
 翠「それ、他の言い方にしただけじゃねぇか!」
 凪智「……情報収集です。だから、まずは接触回数を増やしましょう」
 翠「接触回数増やすって……一回じゃダメなのかよ」
 凪智「ダメです」
 翠「俺と行動してぇから言ってるわけじゃねぇよな?」

 翠が怪訝な目を向けると、凪智はすすーっと明後日の方向に目を逸らす。
 
 凪智「……」
 翠「お前な……」
 凪智「でも……ミド先輩と一緒に過ごす回数が多いと、俺が父の尾行、頑張れます」
 翠「は?」
 凪智「デートと思ったら、やる気が100倍」

 凪智は翠の方を向いて、ノートとペンを持ったまま、胸の前で小さく両手で拳を作る。

 翠「それ、作戦じゃなくてお前の願望だろ。あとデートじゃねぇ」
 凪智「……でも、やる気がある方が先輩も助かりますよね?」
 翠「まぁ、そうだけどさ」
 凪智「今日は俺が部活なので、明日から実行しましょう」

 凪智は握り拳を作ったまま、じっと翠を見ている。

 翠(……あぁ、もう。どうにでもなれ──)

 翠は諦めの胸中から、天を仰いだ。


◯漁港にある建物の前(翠・凪智)・波止場(翠父+蒼・凪智父)【夕方・翌日(金曜日)】

 翠と凪智は建物で隠れるようにしながら、翠父(以下:(すみれ))と凪智父(以下:(うみ))を覗き見。
 ※菫の隣には、弟の(あお)がぴったりと張り付いている。父二人+蒼は背中を向けているので、顔はよく分からない。
 凪智は体が大きいので、見つからないように建物の物陰で、翠の前でしゃがむ。手には昨日と同じノートとペン。翠との距離が近く、凪智はドキドキ。凪智は『ミド先輩が近い』と心の声。照れている。

 翠「いいか? 俺たちは父さんたちを別れさせるために動いてんだ。これは、恋愛ごっこじゃねぇぞ」
 凪智「はい。真剣にやります」
 翠「じゃあ、次の作戦の確認だ。漁港での会話を録音──」
 凪智「それは盗聴では?」

 凪智が振り向いて、翠を見上げる。翠は眉間にしわを寄せる。
 
 翠「おっ、お前が言い出したんだろ!」
 凪智「しっ。静かにしないとバレます」

 凪智が口元に指を当てる。

 翠(こ、この野郎……! マイペースすぎるだろ)
 
 翠は拳を握る。イラっとして、ぷるぷると震える手。
 
 凪智「じゃあ、俺が『漁港のベンチに座ってるだけの高校生』を演じます」
 翠「それ、演技いるか? お前は潮田さんの息子だ」
 凪智「それを逆手に取ります」
 翠「ん?」
 凪智「彼氏と喧嘩したと萎れてたら、父が気にして話しかけきます。たぶん、ミド先輩のお父さんも」
 翠「……お前、俺との関係を使って父さんたち釣る気かよ?」
 凪智「はい」

 凪智はこくりと頷く。

 翠「即答すんな!」
 凪智「でも、俺が『男と付き合ってる』と言えば、自分たちのことを話してくれる気がします」

 真面目な顔で言う凪智。その手に持つノートのページ左には昨夜の日付+『作戦案:喧嘩中の彼氏(演技)※ミド先輩との関係は本物』とメモがある。翠には見えていない。

 翠(たしかに……)
 
 翠は顎に手を当てて「ふむ」と頷く。

 翠「まぁ……やってみるだけ、やってみるか」
 凪智「はい」
 翠「でも、俺の名前は出すな。父さんたち反対してるのに、お前と付き合ってるとか自己中すぎる」
 
 翠の言葉で、凪智の眉毛がぴくっと動く。
 
 凪智「……了解です」


 ※以下、ミッション中は、できればデフォルメ絵で回想のようにテンポよく
◯翠は物陰で、凪智は漁港の建物近くにあるベンチでスタンバイ【作戦1日目(同日・金曜日)・夕方】
 
 凪智が「喧嘩中の彼氏」作戦を実行。
 菫と海が凪智に話しかけ、仲直りの仕方など二人の情報ゲット。
 
◯漁港・朝市の通路【作戦2日目(翌日・土曜日)・朝】

 凪智が偶然を装って、菫と蒼に接触。菫の好きな花、蒼の夢などを聞き出す。

◯凪の自宅前・翠は外で張り込み【作戦3日目(また翌日・日曜日)・昼】

 凪智が家の前で長靴を洗う海に、恋愛相談風に話しかける。
 映画の好み、デートのきっかけ、おすすめの穴場デートスポットなどをゲット。

◯漁港・漁師の作業場近く【作戦4日目(翌週水曜日)・夕方・放課後】

 凪智が海の仕事仲間に話しかける。
 海がそわそわしていた様子と、次のデート予定と思わしき日にちを聞き出す。

 ※デフォルメ絵終了

◯学校・1年の昇降口【作戦5日目(作戦4日目から2日後の金曜日)・夕方・放課後】

 自転車を押して昇降口前に行くと、凪智が翠の元にトテトテと小走りでくる。

 凪智「ミド先輩、家でも情報集めてきました。今日はどうしますか」

 凪智はいつも通り無表情だが、翠に会えて嬉しそうに目をキラキラしている。
 自転車をその場で停める翠。
 
 翠「おい、ちょっとしゃがめ」
 凪智「……?」

 素直に応じて頭を下げる凪智。翠は柔らかそうな茶髪に手を伸ばして、わしゃわしゃと頭を撫でてやる。凪智は「……っ!」と言葉にならない感じ。犬のしっぽがぶんぶんする描写。
 
 翠「情報収集お疲れ。よくやったな。ここじゃアレだから、どっか他の場所に移るぞ」

 さっと手を離して、翠は自転車のハンドルを持つ。スタンドを上げて、翠は歩き出す。凪智は耳どころか、顔が真っ赤になりながら、後ろをついていく。
 翠は数歩進んでから、ちらりと後ろを振り返る。凪智が顔を真っ赤にして、『嬉しい嬉しい』という心の声が溢れている。トテトテと後を追ってくるのを見て、翠は息を呑む。

 翠(……お前、俺に撫でられただけで、そんななんのかよ。……なんか、反則だろ、それ)

 と考えて、翠はハッとする。

 翠(いや、今のなし! 何を考えたんだよ、俺)

 口元を片手で押さえて、翠は眉間にしわを寄せながら前を向く。
 ※まだ翠は恋には落ちていないが、動揺が隠せない表情。凪智の無自覚な可愛さにやられつつある。

◯静かな浜辺【同日・金曜・夕方】

 前回(1話)同様に、二人とも自転車は海岸沿いの道路。階段に腰を下ろす凪智と翠。

 翠「それじゃあ、情報をまとめるぞ。いいな?」
 凪智「はい」

 凪智は例のノートを取り出す。
 翠は凪智の方に近づく。ようやくノートの表紙※『ミド先輩と潮田家の未来』に気づく。

 翠「は? なんだよ、これ」

 翠はノートを奪うように手に取る。ペラペラページをめくるにつれ、眉間のしわが深まる。
 
 以下、一覧のようにまとめて描写。

 『5月◯日土曜 ミド先輩、くしゃみ→かわいい』
 『4月◯日土曜 ミド先輩、蒼くんの靴ひも結ぶ→尊い』
 『3月◯日土曜 ミド先輩、まだ寒いのにアイス選ぶ→きゅん』
 『2月◯日土曜 ミド先輩、漁港の猫に手を振る→天使』

 遡っていくと、毎週土曜に朝市で会ってきた時のことが書かれている。

 翠「……これ」
 凪智「……あ」
 翠「元は俺の観察日記?」
 凪智「えっと」
 
 凪智、絶体絶命という文字を背後に、ダラダラ汗をかく描写。『終わった、ミド先輩に嫌われる』という心の声。

 翠「何、バレないと思ったんだよ」
 凪智「うっ……嫌でしたか?」

 凪智に犬の垂れた耳と尻尾の描写。
 そんな凪智に対して、すぐに言葉が出てこない翠。しばし固まる。

 翠(……あれ、嫌ではないな。なんでだ?)

 翠はノートを持つ手にきゅっと、力がこもる。ノートにもう一度視線を落とす。凪智の嬉しそうな心の声が書かれていて、翠はくすぐったい気持ちになって、口元が少し緩んでしまう。

 翠「嫌というか……」

 一拍あけて、翠は再び口を開く。

 翠「俺、お前にずっと嫌われてるって思ってたんだよな」

 照れくさそうに凪智の日記の文字をなぞる翠。
 反して凪智はこれまでにないくらい、蒼白な顔をする。

 凪智「どこら辺が……?」
 翠「だってさ……お前、学校じゃ『爽やか王子』って言われてんじゃん。なのに、俺の前で笑うことなくね?」

 翠はちょっと口を尖らせる。

 凪智「……やきもちですか?」
 翠「妬いてねぇわ。でも、なんかむかつく」

 凪智は少し言いにくそうに、頰をぽりぽりとかく。

 凪智「普段の学校は……ミド先輩の真似です」
 翠「俺の真似?」
 凪智「はい。俺、この見た目だからよく話しかけられるんです。でも、ミド先輩の真似して笑うようになったら、話すの苦手だけど、誰とでも自然に話せるようになりました」

 膝の上に手を下ろす、凪智。

 翠「……そうなん?」
 凪智「はい。だけど、ミド先輩の前では……緊張して演技ができません」

 ぐっと手を握りしめる凪智。耳が赤い。
 それを見て、翠は思わず「お前さ……やっぱかわいいよな?」と言う。
 心の声が口にでているとはすぐには気づいていない。だが、凪智が目を見開くことで、あれ? と気づく。やってしまったという顔をする翠。口を押さえる。
 
 凪智「……今、かわいいって言いました?」

 凪智は目をキラキラさせて、翠を見てくる。顔は無表情を貫く。耳と尻尾が出る。

 翠「言ってねぇ! ……いや、言ったけど、忘れろ!」
 凪智「忘れません。俺の一生の宝物です」

 噛みしめるように、翠の手からノートを取って、ペンを走らせていく。
 
 翠「お前な……!」

 翠がノートを取り上げようとする。凪智はとられまいと、体を後ろにそらす。勢いあまって、翠が凪智を押し倒す形になる。翠の腕は地面についているが、距離が近い。
 凪智の手からノートとペンが階段に落ちる。
 しばし、止まる二人。倒れた凪智と目が合う。

 翠(やっべぇ、やっちまった……!)

 翠は焦りで、汗をだらだらかきはじめる。
 凪智がふっと笑う。
 誰にも見せないような、柔らかくて、翠だけに向けられた笑顔。※翠が愛しいという感じの。
 翠の胸が、キュンっと鳴る。背後でキューピットの矢が刺さる描写。

 翠(……え? 今の、何だ……?)

 戸惑う翠は、一瞬、息が止まる。
 凪智はいつも通りの無表情に戻っている。
 だが、翠の心臓の拍動は激しさを増す。凪智の顔がやたらと可愛く見える。

 翠(……まじかよ。やばい。こいつがかわいく見えてしまう。……いや、でもこれは蒼をかわいいと思うのと一緒で──)

 翠は片手で顔を覆う。
 
 凪智「ミド先輩、軽すぎます。ちゃんと食べてますか?」

 凪智の手が翠の腰を抱く。突然のことに、翠の身体は跳ね、固まる。
 
 翠「な……」
 凪智「細すぎて、心配になります。お腹に何が入ってるんですか?」

 本人は自覚ないのか、凪智は翠の腹に触れる。
 
 翠「うっ! うるせぇ、食べても太れねぇんだよ!」

 翠は顔から手を離す。顔を真っ赤にして、凪智から離れる。心臓がドキドキして鳴りやまない。胸を押さえて、小さな声で「いや、駄目だろ、俺……!」と呟く。
 
 翠(てか、なんで男に腹触られてドキドキしてんだ……!)
 
 凪智「……ミド先輩、顔赤いです。もしかして、風邪ひきましたか?」
 
 本気で心配するように、起き上がりながら凪智が話しかけてくる。
 
 翠「うるせぇ、黙れ」
 凪智「でも、顔が」
 翠「黙れって言ってんだろ!」

 翠(あぁ、どうしたらいいんだよ。心臓がうるせぇ!)

 翠「やっぱり風邪かもしれねぇから帰る──」

 立ち上がろうとするが、凪智が腕をガシッと掴んでくる。また激しくドクンッと心臓が強く拍動する。

 凪智「ミド先輩、作戦会議途中です。情報、整理できてません」
 翠「うっ……うるせぇ、離せ」
 凪智「じゃあ、連絡先教えてください。今夜、情報をまとめてミド先輩に送ります」

 じっと見つめてくる凪智。ドキドキが止まらない翠は渋々、ポケットからスマホを取り出す。

 翠(駄目だ、駄目だ。こいつが可愛く見える。どうしようもなく……)

 メッセージアプリの連絡先を交換。満足げな凪智。
 口元を手で覆う翠。

 翠(ドキドキするし! 俺……父さんのこと反対してるくせに、何してんだよ!)


◯翠の自宅・居間、荷物を持って帰宅【金曜・夜】

 蒼が畳の上でごろごろしている。菫が大皿に乗った刺身をテーブルに置いている。
 翠の帰宅に気づいた二人が「おかえり」と言ってくる。

 翠「ただいま」

 鞄を畳に置いて、テーブルの上の大皿を見る翠。

 翠「それ、どうしたんだよ?」
 菫「あぁ、潮田さんがね、お造り作ってくれた」
 翠「へぇ……」

 夕方の父たちの姿を思い浮かべる、翠。でも、凪智のせいでうまく反応ができない。

 蒼「にいちゃん、顔赤いけど熱ある?」
 菫「ほんとだ、翠! 熱あるかも」

 二人が慌てる。

 翠「ち、違うから! 熱はねぇ!」
 蒼「ほんと?」
 翠「ほんとほんと。ちょっと着替えてくる」

 翠は部屋に移動する。

◯翠の部屋【金曜・夜】

 扉を開けて中に入ると、ポケットの中のスマホがブブっと立て続けに震える。取り出してみれば、凪智からのメッセージ。タップしてメッセージアプリを開く。

 凪智〈ミド先輩、作戦は帰宅後も継続中。順調です〉
 凪智〈情報はPDFでまとめたので、チェックお願いします〉
 凪智〈ミド先輩は今日もかわいかったです〉
 凪智〈明日の朝、バイト頑張れそうです〉

 翠は「あぁぁぁ……明日、土曜じゃん!」と大きな声を上げる。

 翠(……朝からあいつに彼氏感出されたら、俺の身がもたねぇ! 父さんの恋止めるどころか、このままでは俺が、落ちちまう……!)

 翠はスマホを放り投げたくなる衝動に駆られる。

 翠(俺は……絶対、んなチョロい男じゃねぇ……!)
 
 スマホを持つ手をぷるぷると震わせる翠。必死に自分の感情から目を背けるように、「よし、着替えて、飯にしよう。飯」と言う。
 ベッドにスマホを置き、箪笥から中学の体操服を取り出す。
 ズボンを下ろして、下着姿。体操服のズボンをはこうとした時、スマホの画面がちらっと光る。
 凪智からの「おやすみなさい」通知。

 翠「……うるせぇよ……! 人の気も知らないで……!」

 翠は体操服のズボンをポンッと投げて、スマホにかぶせた。

 翠(……明日の朝市、行きたくねぇ!!!)