足先につっかけた下駄が、からころと神社の境内の石畳に響く。俺は手を引かれながら、甚平を着た幼馴染の背中を追いかけて歩く。履き慣れない下駄の鼻緒が、足の指から解けそうで、でもいつも通りのスニーカーを履いた幼馴染は、そんな俺にも全く気付かなくて。
「焼きそばひとつー」
「金魚すくいしたーい」
自分よりも背の高い大人足しの声が、祭囃子の中、聞こえてくる。顔を上げれば、連なる提灯の明かりで、空は薄い灰色に染まり、辺りは赤やオレンジ色の光に包まれていた。
「ねえ、早いって」
石畳の細い溝に下駄を取られながら、何とか引っ張られるままに付ていくのに限界を感じ、そう声を掛けると、
「下駄なんか履いてくる、蛍が悪いだろ」
ちらりと振り返った幼馴染――景は面倒くさそうに形の良い眉毛を下げて、こちらに視線を投げてくる。
「お母さんが、浴衣なら下駄だって……」
「そんなの無視すりゃいいじゃん」
景はそう言い捨てると、また前を向いて人波を上手く避けながら、俺の手をぐいぐいとひっぱり歩く。
俺は景の背中を睨みつけながら、俺だって下駄なんて履きたくなかったよ、と口を尖らせる。
でも、言われたら言う事聞かないと、母は景みたいに頑固だから譲らないのだ。
俺は強く景の手を握りしめる。指の関節に、わざと指を食い込ませて力を入れると、
「いって、おい蛍」
苛立たし気に振り返った景が文句を言おうとしたその時――不意に心臓を裏側から打ち付けるような、軽い衝撃と、ドン! という低音が夜空に響いた。その瞬間、彼の背後に赤い大輪の火花が花開き、歓声が沸き上がった。
「花火だ!」
「うわ、始まった!」
身体の中心からぞわぞわ、と興奮みたいなものが波打ち、肌を粟立たせる。視界一杯に広がりゆっくりと消えていく火花は、次々に色を変えながら咲き乱れる。
花火が揚がる度に歓声が沸き上がり、俺は空を見上げながら、景に手を引かれるままに走る。
「景、花火! すっげー!」
「急げ、蛍! いい場所見つけてあるんだよ!」
夏祭りの境内の騒がしさが、遠くに聞こえる。神社の奥にある獣道を抜けた先に、長年住む街を一望できる特等席があると知ったのは、小学校二年生の時だった。
その日は初めて母親に浴衣を着せられ、浴衣なら下駄も履いていけと、半ば強引に着せ替え人形されたので、よく覚えている。そのせいで歩くのもままならなく、幼馴染に引っ張られながら、この場所まで連れて来られた。
待ってと言っても聞いてくれなくて、鼻緒が指の間に擦れて、少しだけ痛かったっけ。
「蛍」
呼ばれて振り返ると、ひやりと冷たいものが頬に押し当てられた。
「冷たい」
「苺味だよな」
俺の文句を聞き流して、隣に並んだ景から、買ってきてもらったかき氷を受け取る。
「そろそろ時間か?」
「うん、あと五分くらい」
さくりとかき氷をひと口掬い上げて、口の中に入れると、すっと氷が溶けて、ほのかな苺の香りが鼻を抜ける。しっとりと幼い甘さが、ひやりと舌に広がった。
不意に背後から境内に響く、町内会の盆踊りの曲が流れてくる。リズミカルな太鼓と渋いメロディーの少しがさついた昔っぽい音響が、木々の奥から人の騒めきとともに響く。
「午後七時より、花火大会が始まります」
境内のアナウンスが流れると、一瞬ざわめきが大きくなり、どん、と号砲が街のあかりに照らされた夜空に轟いた。
俺は境内に背を向けると、小さな宝石を散りばめたような民家の明かりが眼下と、広い空に振り返った。街の民家をすり抜けるように、電車が滑らかな湾曲を描いて、通り過ぎていく。そして、その線路の先には大きな川があり、橋が長くかかっていた。花火会場はその河川敷だ。
「もう一緒に見るの何年目だろうね」
ふと柔らかな南風が温く頬を通り過ぎていく。俺はまた舌に氷を乗せて、じわりと溶けていく感触を追いかけた。
「わかんね。十年くらいじゃね?」
「十年かぁ……、毎年俺と一緒で飽きたりしない?」
「はァ? 面倒クセェこと考えてんじゃねえだろうな」
じろりと睨まれて、何だかその慣れた鋭い眼差しにかちん、と神経を打たれる。ちょっとでも気に食わないと、言葉を尖らせてくるのは、いつもの事だけど、毎回律儀に腹が立つ。
「あのさあ、景ってホント感じ悪いし口悪い。そんなんだから女子に怖がられるんだよ」
「どうでもいいだろ、女子なんて」
吐き捨てるように言うと、景は手に持っていたコーラのペットボトルのキャップを捻った。空気が勢いよく噴き出すような音が鳴る。
不意に、また号砲が夜空に前触れなく響き、花火開始の合図を轟かせる。
「……景、ビジュは良いのに」
「どうでも良いだろ、ビジュなんて」
つっけんどんな物言いは、本当に昔から変わらない。ぶっきらぼうで口が悪くて、乱暴で……。
「お前以外メンドくせえんだよ」
そうさらりと言いながら、ひと口コーラを咽喉に流し込むと、景はちらりとこちらに視線を投げてくる。街の明かりは此処まではっきりとは届かないけれど、分ってんだろ、と訴えてくる眼差しの告げる意味だけは、見て取れた。
ずるい。
心臓が無意識に走り出す。
さらりとした景の髪が、夜風に吹かれて、さらりと彼のきれいな肌を撫でた。
「余計な事考えンなよ。お前は馬鹿でアホなんだから」
「オイ、悪口言うな!」
「じゃあ黙れ」
そう言って、景の腕が伸びてくると、そのまま腰を引き寄せられる。乱暴な力で引き寄せられ、躓くよう彼の身体にぶつかった。
「危ないだろ」
「お前がうるせーからだろ」
顔を上げると、間近な距離で言われ、それに反論しようと口を開くと、そのまま唇を塞がれた。柔らかい唇が遠慮なく触れ、でも大人しく俺の唇に寄り添うみたいに重なってくる。
こういう時ばかり、乱暴だけど、乱暴じゃないのが困る。
ドン! とひと際大きな音が空白の夜空に響くと、背後の神社から、わっと歓声が上がった。閉じた瞼の裏が、少しだけ明るい。
「景、花火……」
唇が少し離れた隙間で呟くと、
「もう少し」
そう身勝手な唇が、我が儘に言い退ける。
俺はそんな言葉にも、彼の行動にも、どうしても逆らえなくて、また触れてくる唇を受け入れた。柔らかくて、温かい景の唇が、想像の何倍も優しく俺に触れる。
花火が胸を掴み、景が俺の心を揺らす。
瞼の裏で、色とりどりの花火が生まれては夜空に溶けて消えていくのを感じながら、俺は景の背中に手を回した。



