戸隠を連行し、凍鶴への報告を済ませた時には、既に深夜となっていた。虫の音も消え、星明かりだけが降り注ぐ道を、凜は一人歩んでいく。
蒼雪の屋敷の前には、ぼうと青い狐火が浮かんでいた。凜の胸がきゅうと締め付けられる。嬉しいような、苦しいような、恥ずかしいような。形容しがたい感情を抱きながらも、凜は狐火の前まで歩いていった。
狐火に照らされながら塀に寄り掛かっていた人物は、凜に気付いて顔を上げる。
「お疲れ様、凜」
「……本当に待っていたのね、蒼雪」
「うん。言っただろう、いつまでも待つと」
蒼雪は塀から離れ、凜の傍へと歩み寄る。狐火の蒼が、彼の姿を照らしていた。妖しく美しいその姿に、胸の鼓動が早くなっていく。
「覚えているかい? 事件が終わったら覚悟しておいてと言ったこと」
「……ええ、もちろん」
「なら、単刀直入に言おう」
蒼雪はそっと凜の手を取って、その手から手袋を外していった。凜の手の甲に己の口を近づけ、軽く口付けを落とす。やがて顔を上げた蒼雪の青い瞳には、真摯な光と甘やかな熱が込められていた。
「僕は、君のことが好きだ。宵鴉としての君も、それ以外の君も、全てを愛おしく思っている。だから夜会の日に言った『僕を好きにならないでいい』という言葉は忘れてほしい。君にも、僕を好きになってほしいんだ」
囁くように、しかしはっきりと、蒼雪は凜への言葉を紡いでいく。
「今後も宵鴉の仕事を続けていい。家族への支援だっていくらでもしよう。だから契約上の関係から、本物の夫婦になる努力をしてみない?」
蒼雪は一度言葉を切り、いつもの飄々とした笑みに戻って告げた。
「ほら。鳴神の鴉と、妖怪頭の狐。僕らならきっと帝都の最強夫婦になれるよ」
蒼雪の求婚の言葉を聞きながら、凜は蒼雪に触れられている自分の手を見つめていた。深呼吸で早鐘を打つ心臓を落ち着けた後、口を開く。
「……私は最初、あなたのことが嫌いだったの。今みたいな笑みが特に」
凜の言葉に、蒼雪は目を瞬かせる。しかし何も言わずに、凜の次の言葉を待った。
「あなたはいつも私をからかうし、こっちが必死なのに余裕そうな顔をして。会うたびに何度も苛々したし、面倒だとも思っていたわ」
そう、凜は蒼雪のことが嫌いだったし、自分も彼に嫌われていると思っていた。上司に言われて夜会に参加し、彼の屋敷に移り住み、毎日顔を合わせるようになるまでは。
「潜入捜査ではあったけど……表面上はただの凜として、この家であなたと接するようになった。そのうちに、あなたの知らなかった部分が見えてきたわ」
例えば、大勢の妖怪たちに慕われている頼りがいとか。惜しげもなく凜の家族に金銭の支援をするような優しさとか。大妖怪故に持つ霊力過多の苦しみとか。任務の傍ら、それまでとは違う彼を知った。気付かないうちに惹かれていた。
「二つ目の異能がばれた時、あなたは私が運命なんて言っていたけど……私にとってもあなたは唯一だったのよ」
誰かと触れあったり、男性から想いを告げられることは、生涯ないと諦めていた。それを蒼雪はすべて与えてくれたのだ。そんな相手に心を許したくなるのも仕方がない。
幾つも凜の中に生まれていた、名もなき想いたち。それらが戸隠の屋敷で蒼雪に助けられた時、ようやく一つにまとまり名がついたのだ。
「どうやら私も、あなたのことが好きになっていたみたい」
頬を赤らめながら告げる凜に、蒼雪が目を皿のように丸くした。いつも余裕の彼をここまで驚かせられたと思うと、なんだか嬉しくなってくる。
「本当? 今まで嫌っていた分の嫌がらせではなく?」
「当たり前でしょう。今は任務も関係ないのに、こんなところで嘘ついてどうするの」
半ば焦っているような声で問うてくる蒼雪に、凜はくすりと微笑んだ。
「私も蒼雪が好きよ。妖怪頭として頼りがいがあるところも、影で私を守ってくれたことも全部好きになったわ」
以前は嫌いだったはずの飄々とした笑みでさえも、今では悪くないと思えている。恋をするとは不思議な感覚なのだと、凜は蒼雪のお陰で初めて知った。
「だから私は、あなたの本物の妻になるわ。あなたが望んでくれる限りね」
「望まなくなるなんて、あり得ないよ」
蒼雪が凜の体を抱き寄せた。軍服の外套がふわりと夜風になびいていく。軍帽が地面に落ち、ぱさりと軽い音を立てた。
蒼雪の顔が近づいて、そのまま口付けを落とされる。彼の薄い唇は、柔らかくも温かく、ふわふわとした心地になった。
「ずっと大事にするよ。魂まで、君の全部を愛してあげる」
「魂なんて大げさよ。でも嬉しいわ」
熱に侵されたように囁く蒼雪に、凜は小さく微笑んだ。
想いを交わす二人の姿を、星々だけが優しく見下ろしていた。
蒼雪の屋敷の前には、ぼうと青い狐火が浮かんでいた。凜の胸がきゅうと締め付けられる。嬉しいような、苦しいような、恥ずかしいような。形容しがたい感情を抱きながらも、凜は狐火の前まで歩いていった。
狐火に照らされながら塀に寄り掛かっていた人物は、凜に気付いて顔を上げる。
「お疲れ様、凜」
「……本当に待っていたのね、蒼雪」
「うん。言っただろう、いつまでも待つと」
蒼雪は塀から離れ、凜の傍へと歩み寄る。狐火の蒼が、彼の姿を照らしていた。妖しく美しいその姿に、胸の鼓動が早くなっていく。
「覚えているかい? 事件が終わったら覚悟しておいてと言ったこと」
「……ええ、もちろん」
「なら、単刀直入に言おう」
蒼雪はそっと凜の手を取って、その手から手袋を外していった。凜の手の甲に己の口を近づけ、軽く口付けを落とす。やがて顔を上げた蒼雪の青い瞳には、真摯な光と甘やかな熱が込められていた。
「僕は、君のことが好きだ。宵鴉としての君も、それ以外の君も、全てを愛おしく思っている。だから夜会の日に言った『僕を好きにならないでいい』という言葉は忘れてほしい。君にも、僕を好きになってほしいんだ」
囁くように、しかしはっきりと、蒼雪は凜への言葉を紡いでいく。
「今後も宵鴉の仕事を続けていい。家族への支援だっていくらでもしよう。だから契約上の関係から、本物の夫婦になる努力をしてみない?」
蒼雪は一度言葉を切り、いつもの飄々とした笑みに戻って告げた。
「ほら。鳴神の鴉と、妖怪頭の狐。僕らならきっと帝都の最強夫婦になれるよ」
蒼雪の求婚の言葉を聞きながら、凜は蒼雪に触れられている自分の手を見つめていた。深呼吸で早鐘を打つ心臓を落ち着けた後、口を開く。
「……私は最初、あなたのことが嫌いだったの。今みたいな笑みが特に」
凜の言葉に、蒼雪は目を瞬かせる。しかし何も言わずに、凜の次の言葉を待った。
「あなたはいつも私をからかうし、こっちが必死なのに余裕そうな顔をして。会うたびに何度も苛々したし、面倒だとも思っていたわ」
そう、凜は蒼雪のことが嫌いだったし、自分も彼に嫌われていると思っていた。上司に言われて夜会に参加し、彼の屋敷に移り住み、毎日顔を合わせるようになるまでは。
「潜入捜査ではあったけど……表面上はただの凜として、この家であなたと接するようになった。そのうちに、あなたの知らなかった部分が見えてきたわ」
例えば、大勢の妖怪たちに慕われている頼りがいとか。惜しげもなく凜の家族に金銭の支援をするような優しさとか。大妖怪故に持つ霊力過多の苦しみとか。任務の傍ら、それまでとは違う彼を知った。気付かないうちに惹かれていた。
「二つ目の異能がばれた時、あなたは私が運命なんて言っていたけど……私にとってもあなたは唯一だったのよ」
誰かと触れあったり、男性から想いを告げられることは、生涯ないと諦めていた。それを蒼雪はすべて与えてくれたのだ。そんな相手に心を許したくなるのも仕方がない。
幾つも凜の中に生まれていた、名もなき想いたち。それらが戸隠の屋敷で蒼雪に助けられた時、ようやく一つにまとまり名がついたのだ。
「どうやら私も、あなたのことが好きになっていたみたい」
頬を赤らめながら告げる凜に、蒼雪が目を皿のように丸くした。いつも余裕の彼をここまで驚かせられたと思うと、なんだか嬉しくなってくる。
「本当? 今まで嫌っていた分の嫌がらせではなく?」
「当たり前でしょう。今は任務も関係ないのに、こんなところで嘘ついてどうするの」
半ば焦っているような声で問うてくる蒼雪に、凜はくすりと微笑んだ。
「私も蒼雪が好きよ。妖怪頭として頼りがいがあるところも、影で私を守ってくれたことも全部好きになったわ」
以前は嫌いだったはずの飄々とした笑みでさえも、今では悪くないと思えている。恋をするとは不思議な感覚なのだと、凜は蒼雪のお陰で初めて知った。
「だから私は、あなたの本物の妻になるわ。あなたが望んでくれる限りね」
「望まなくなるなんて、あり得ないよ」
蒼雪が凜の体を抱き寄せた。軍服の外套がふわりと夜風になびいていく。軍帽が地面に落ち、ぱさりと軽い音を立てた。
蒼雪の顔が近づいて、そのまま口付けを落とされる。彼の薄い唇は、柔らかくも温かく、ふわふわとした心地になった。
「ずっと大事にするよ。魂まで、君の全部を愛してあげる」
「魂なんて大げさよ。でも嬉しいわ」
熱に侵されたように囁く蒼雪に、凜は小さく微笑んだ。
想いを交わす二人の姿を、星々だけが優しく見下ろしていた。

