“カフェダイニングGerbera”は老若男女問わず人気の店だ。
ランチタイムが終わる14時まではフレッシュな喫茶店、18時からはディナーや酒類を楽しめる、ムードあるダイニングへと変化を遂げる。特に料理が美味しいと評判で、口コミ評価も高い。
本日もダイニング開店からわんさか客がやってきて、店内はすぐに満員になった。もちろん一気に注文が届く。乾杯のコールや楽しむ客の声にかき消されていたが、スタッフ側はてんやわんやだった。
厨房入り口の縁にある大量のオーダー用紙を見て、九条淳は「帰ろうかな」と思い始めていた。
彼はこの店のバーテンダーで、今は大量の酒類をわんさか作っていた。持ち前の甘い顔立ちから出るいつもの笑顔とは裏腹に、眉間にしわを寄せて必至の形相でオーダーを捌いていく。それをホールメンバーが受け取り提供しては、オーダーを持って帰って来るのを見て流石にため息をついた。
「オーダー止まらないんだけどー。どうすんのこれー」
「口動かす前に手動かせ」
「分かってるってー!動いてますっ!いやあ、今日一段とオーダー多くね?」
「華金だからだろ」
「あーね……俺も飲みてぇーっ!」
彼を叱咤したのはここGerberaの店長、兼村徹平だった。彼もまた、冷静な顔とは裏腹に捌くのに精一杯であった。主にパスタ、ピザ、リゾットなど、時間のかかるメニューをこなしていた。
だんだんと大きくなっていく九条のため息を耳にして、自分にも移ってきたような思いで作業を進める。
「モスコ、カシオレ、ハイボールおねがーい」
九条がインカムを通してそう伝えると、ホールメンバーがやってきて提供しに走る。また戻ってくるんだろうな……と思いながらも作る手は止めない。
そんな中、インカムへ青年の声が入ってきた。少し高めで、冷静さが感じられる。
《1卓、3卓バッシング終わり。5卓レジ応援行って。そのまま3卓新規四人、クラフトとハイボール勧めといた。どうせ淳死んでるからカクテル落ち着くまでそれ勧めて。新規はおれがオーダー捌くんで、落ち着いたら代わって。その後厨房入るから》
テキパキとした口調で指示を出していくその青年に、九条は徹平に言った。
「うちの息子ったら頼りになるわねダーリン☆」
「……」
「黙んないでよお!淳だってこんなに頑張ってるのにぃ!」
これが少女であれば可愛いであろうぶりっ子ポーズを完全に無視された九条は、頬を膨らませながらまたカクテル作りへ戻る。再びインカムへに他のスタッフの声で、新規客を二名入れたこと、先程の青年へ託す旨を伝えると一旦静寂が訪れた。厨房内ではあーでもないこーでもないと九条の声が響き続けているが。
一方、無事着席できた日吉と酒井はメニューを見ていた。食事はイタリアンがメインのようだが、唐揚げやフライドポテトなどの一般的なつまみも用意してあった。
どれにしようか悩んでいると、すぐにホールスタッフがやってきた。
「ご来店ありがとうございます。お先にお飲み物のご注文お伺いします。当店、クラフトビールが人気でして、三種類ございます。よろしければお味見いかがでしょうか」
「そうなんすね〜。うーん、じゃ試してみようかな〜。えーと……このクラフト二つで!」
日吉は先程からメニューに釘付けである。体制が早弁を隠すそれで、昔を思い出した酒井は笑う。
「そんなに腹減ってんの?」
「ペコペコのペコよ。昼飯菓子パン一個だったし」
「聞いた通り忙しそ」
「だろ?」
ホールスタッフが去っていってから、食べたいものを各々決めて、また会話に花を咲かせながら飲み物が来るのを待った。いい頃合いで酒とお通しが日吉の前へやってきて、エネルギー切れの身体は無意識に喉を鳴らした。脳みそが食べ物の注文へと切り替わり、よし!とメニューから目を離した日吉は唖然とした。
「お食事お決まりでしょうか」
「えっとー、軟骨揚げとポテト一つ!それと〜」
「瀬川!?」
オーダーを登録する機械、ハンディに気を取られていた青年がハッとこちらへ顔を向けた。明らかに昼間出会った瀬川凪だった。一瞬驚いた顔をしたが、再びホールスタッフへと態度を戻した。日吉はテーブルから身を乗り出して叫ぶ。
「おま……!ここでバイトしてんの!?」
「軟骨揚げと、ポテトフライですね。他にご注文はございますか?」
「いや!ちょっと!話……!いって!」
事態を察した酒井が急いで日吉の顔をテーブルに押し付ける。
「えっと、あとチョレギサラダにマルゲリータで!」
「承知しました。ご確認お願い致します。軟骨揚げ、ポテトフライ、チョレギサラダ、マルゲリータお一つずつでお間違いないでしょうか」
「合ってます!あとこの馬鹿、人違いしてるみたいなんで、気にしないでくださいすみませ〜ん!」
瀬川であろう青年は「いえ」と一言添え、気にせず涼しい顔をしたままメニューについての説明を続ける。
「マルゲリータは準備に少々お時間頂いておりまして、お伺いしたご注文の最後にご提供する場合がございます。予めご了承頂けますと幸いです。少々お待ちくださいませ」
「は〜い!お願いしま〜す!」
「むが……!ぐえっ……!」
「お前ね~騒ぎすぎ。……あれが話してた不良っ子?」
「そう!くっそー!」
「まあまあ、まず飲むべ」
「……そうだな」
ひとまず気を取り直して乾杯の音頭を取る。ジョッキ同士が重なる音を聞くだけで、日吉の口の中には唾液が広がる。口をつけて一度ぐびりと飲み込むと、止まらない。喉越しの良いクラフトビールだ。乾いた身体に一瞬で染み渡っていった。まるで砂漠の中のオアシスだな、と思った。
「っぷはー!これこれ!」
「オヤジくさ」
「お前もだろ!……まあ、さっき言った通り順風満帆ではないわ。で、話の続きなんだけど、どう思う?」
「無理じゃね?」
「直球過ぎ。でもなあ、なーんか諦めたくないんだよなあ」
「いやさ、お前が浅川で五年やってるってジッセキ?はあってもよお。全部お前に任せてコーチョーセンセはふんぞり返ってるわけっしょ?損してね?」
「まあ……言いえて妙」
酒井はちょっと考えてから、数秒首を傾げて、傾げて、梟になる前にやっと返答した。
「いーえて?俺が馬鹿だっての忘れてない?」
「お前の言うこと合ってるよって意味。まあ馬鹿だったのは俺もそうだけど」
「俺らの中ではマシな方だったじゃん」
「まあ……じゃなくてだな。なんつーか……あいつは今までのと違う気がするというか、なんというか」
「でもさ~、聞いてる限りだとイキってるガキじゃん。おベンキョーできんのはすげーけど」
1位なんて取ったことないわ〜、と言いながら酒井は日吉のお通しに箸を伸ばす。それを皿ごと避けながら続けた。
「入学してから校則破ろうとか考えてる奴が彩都希望するか?」
「それはそう。馬鹿な俺でも彩都の噂知ってるし、やろうとは思わんわ」
「とにかく、本人とはほぼ話せてねえから……どうすっかな、作戦が思いつかなくてさ」
「ボコボコにして引きずってけば?」
「出来るならそうしてるよ」
「もう“大将”の面影ねえな〜」
「その呼び方もうやめろ」
「だはは!」
やはり、友人とは定期的に会っておくべきだな、と日吉は思う。大笑いしながら色々話していると、昔のことが頭に過る。
あの頃の自分は恵まれていたと思う。家を飛び出して夜遅くまで遊んだ友人たち、それを叱ってくれる優しい家族、恩師がいた。だからこそ同じ道を目指したし、家族のように生徒の助けになってやりたいと強く思っている。
以降、何度注文しても瀬川が対応しに来ることはなかった。偶然もあるだろうが、なんとなく会いたくないんだろうなと感じた。
こうやって夜間にアルバイトをする高校生は珍しくない世の中だ。それが原因で寝坊し、遅刻する程度なら健全にすら思う。
だが、日吉には、それらを含めた諸原因で登校拒否をしているように思えない。何故か、と問われても答えは出ない。だけれど、どうしても違うような気がしてならなかった。

