❴ Peeved :'( ~ムカつく!~❵
午後の授業は楽しくなかった。生徒へ学びを与える素晴らしさを全く忘れてしまっていた。
ロボットのように淡々と授業内容を黒板へ書き写し、時たま注釈を入れる。後はただ、問題を解かせたりノートを取らせて終わり。その繰り返しだった。
自分の意思でやったといえば、にこやかでいる、くらいだろうか。
この怒りのような悲しみのような気持ちを持ったのは瀬川を逃がしてしまったことが原因ではない。春川の一言が原因だ。
『──だって、面倒じゃないですか』
そんな一言で、簡単に生徒を見捨てられるなんて信じられなかった。その場はなんとかやり過ごしたが、もう一度言われたら今度こそ手が出ると思う。
気持ちを制御するため、下校時間後からは事務作業に没頭していた日吉がふと顔を上げると、職員室にはもう誰もいない。外は暗く、時計を見ると19時を過ぎていた。体の凝りをほぐすように伸びをして、椅子にもたれかかった。大きなあくびまで出てくる。
……春川の言うことも一理ある。仕事柄、他クラスの面倒も見なくてはならない。絶対的に負担は増える。今は上手くいっていても、自分にだって大きな壁が立ちはだかるはず。毎度楽しいことばかりではないのは知っている。もし、自分のクラスに瀬川が戻ってきたとしたら余計にそう感じるだろう。
ぎいぎい、と寄りかかった椅子で遊んでいると、机の上に置いてあるスマートフォンが振動した。画面を見てみればメッセージアプリ“Lite”に通知が来ていた。そこには親友の名前が表示されている。内容を確認すると、久しぶりに酒を飲まないか?という誘いだった。ちょうどいい、このモヤモヤを晴らしてもらおう。
日吉は承諾の旨を伝え、さっさと学校を出ていった。
「ごめんごめん、遅れたー!」
待ち合わせ場所に指定された銅像前には、親友である酒井太一が立っていた。ぜいぜいと息を切らしている日吉を笑っている。
誘われた先はあろうことか香吹町だった。
駅から既にすごい人込みで、推察するに繁華街の中はもっと賑わっているに違いない。
思い返せば今日は金曜の夜、俗に言う華金だ。そのせいか、と一人納得をする。
歩きながらお互いの近況を伝え合う。
酒井は介護士をやっている。土・日と連休が取れたので誘ったとのことだった。この男は酒が好きでよく酔い潰れる。それを踏まえて連休でよかったなと言えばバカにするな!と返ってくる。それらのやりとりが楽しくて、二人は笑いながら繁華街へと入っていった。
日吉にとっては本日二回目の香吹町だったが、やはり夜の雰囲気は違う。どの店もネオンが光り、昼間よりも華やかさを増した町へと変貌を遂げている。
仕事終わりのサラリーマンやOL、その他大学生のような男女グループなど、皆楽しそうに闊歩している。既にベロンベロンに酔った人を介抱しながら駅の方向へ戻っていく人もよく見る。
今の日吉は腹ペコだ。居酒屋やレストランなどの店を見るたびに腹が鳴る。話しながらLiteに届いていたメッセージを思い出して酒井に問う。
「で、おすすめの店って?」
「もーちょっとだけ歩いたら着くぜ。えーっと……あ、ここ」
周りのギラギラした店とは違い、シックな煉瓦仕立ての店で、看板には“カフェダイニングGerbera”と書いてある。
扉を開けるとカランコロンと鈴が鳴る。店内はほぼ席が埋まっていて、酒井は「ありゃ」と呟く。
すぐにホールスタッフがやってきて、名前を書いて待つよう指示された。それでも記入欄は上の方で、近い内に声がかかるだろう。ちら、と見えた店内は活気に溢れている。二人は待機用の椅子に座って、一息ついた。
「いやーセンセ、元気だったかよ」
「おい、その呼び方やめろって何回言ったら分かるんだよ」
「だはは!ごめんごめん!いやあ、お前と飲みなんて、んーと……去年ぶりだっけか」
「たぶんな―。太一は仕事どうよ?」
「じっちゃんばっちゃんと仲良くやってる!」
「そりゃよかった」
酒井は昔から高齢者から好かれる傾向にあり、本人も頼られるのを喜んでいた。現在は訪問介護をやっていて、髪色や髪形の融通が利くと聞いて少し驚いた。ドレッドヘアの同僚もいるのだとか。自分の緑色の髪の毛を見せてやりながらそう語る。
「へえ、いいんだそういうの」
「ああ。むしろそういう話で盛り上がったりもする。若い頃やっとけば〜とか。まだまだ間に合うしぜってー似合うって!とかいうと喜ぶんだ~」
「なんかいいな。ほんわかしてて」
「それにしても……惣次郎、お前なんかやつれてね?介護しようか?」
「いや、マジでお願いしたい」
「……お前、こういう冗談フキンシンとか言って避けてなかったっけ」
「いやあ、それがさ──」
斯々然々、とここ最近の出来事を語る。うんうん、と相槌を打ちながら聞き終えた酒井は、パーにした左手を右の拳で軽く叩いた。
「そのハルカワってやつ、センセ辞めたほうが良くね?」
「お前がいうならやっぱそうだよな。久々に“こう”なるかと」
日吉も拳を握りしめた。傍から見ればただガッツポーズを取っているように見えるが、酒井にはそう思えなかったらしく、恐怖に震える真似をしてみせた。
「ひえぇ、さっすが〜」
「何がだよ!」
「べっつにー」
「ったく」
「サカイ様ー!お席ご案内致しまーす!」
「あ、はーい!」
客の回転が早かったようで、先程のホールスタッフが自分たちの名前を呼んだ。話もそこそこに、日吉たちは席へと案内されたのだった。
🍻Welcome to Gerbera!🥂

