瀬川のことを任されてから数日間、それとなく生徒らに彼のことを聞いてみた。
そうすると皆、不安がったり、浮かない顔をするので、絶対に口を割らないことを条件に色々と教えて貰った。
そのうちの一つに、香吹(かぶき)町でよく見かけるとの情報があった。
それを頼りに足を運んでみた日吉が最初に思ったことはというと。

(学生がここに遊びに来る時代になったのか……。そうだよな、令和だもんな)

 とはいえ、学生たちとはそこまで年齢が離れてはいないのだけど、香吹町と聞いた時に唖然とした日吉へ、「先生は行かないの?」と言われてしまった時少しショックを受けた。現代の高校生って、香吹町行くの?
話のついでに、そういえば、と自分らが行きつけの遊び場まで教えてくれた。
 現在の若者は常に流行りの最先端にいる。
遊び先が波良宿(はらじゅく)なのはもちろん、森大窪(しんおおくぼ)で食べ歩きもし、池福路(いけぶくろ)サンシャインシティにも行く。

詩武屋(しぶや)スクランブルスクエアっていつできたんだっけか)

 楽しそうに語る生徒たちは大変可愛らしかったけれど、話の内容は日吉にとってちんぷんかんぷんだった。
 こうやって、流行ものやカルチャーなどの移り行く速度に付いていけなくなったのはいつ頃からだろうか。
自分が学生時代だったときは、なんて思い返しながら日吉はコーヒーを啜る。
 現在、“第一回瀬川凪説得作戦”が実行されていた。
まずは繁華街への入り口にあるカフェ内部から、外を観察することにした。付近の駅へはここからしか向かえない。そのため、時間は掛かるだろうが人の往来から発見できる可能性は大きい。
 ちなみに今回の日吉の服装は、無難な白ワイシャツと黒のスラックス。これならトラブルが起きても他の職業を名乗りやすいと考えた。ただ、これらは全くもって良策とは言い難く、我ながらアイディアの無さに情けなさを感じていた。
 
(初陣がこんなんなのに、説得なんてまた夢の夢のような気がしてきた……)

 練ったとはいえ勢いで決めた箇所ばかりだ。はてさてどうしたことやら、と頭を悩ませ煙草を吸っていた日吉は、数秒後目を剥いた。
 窓ガラス越しに見えた容貌は、明らかに写真で見た通りだった。違ったのは、襟足の長さくらいだったが顔やいくらかの特徴は明らかに“瀬川凪”だった。
 日吉は急いで店を飛び出し、その人物を追うことにした。走りかけたその瞬間、日吉は深呼吸をしながら歩行速度を徒歩へと変える。
 走って突っ込んでいって怪しまれ、逃げられては元も子もない。何のために作戦を立てたのだ、と嘆く未来しか見えない。
 私はただの通行人ですよ。あなたとは偶然進む方向が同じなのです。というような素振りで、後を付けていくことにした。通りを付いていきしばらく歩いて、三本目の角を左に曲がったところ、コンビニエンスストアの前で瀬川が急に足を止めた。まさかの事態に内心焦ったが、咄嗟にスマートフォンを手に取って、道を調べるフリをした。もしやここに用事があるのかも、と自分を落ち着かせる。
 調べながらチラリといるはずの方向へ目をやってみると、彼の姿がないではないか。

(あちゃー、しくったか)

 逃した魚は大きいが、仕方がない。カフェに戻って作戦を立て直そう。頭をかきながら再び歩こうとした時、「ねえ」とすぐ側から声が聞こえてきた。ぎょっとして声のする方向へ顔を向けてみると、日吉の目の前には無表情の瀬川が立っていた。眠たそうな瞳でじっとこちらを見上げている。急なことに色んな感情が渦巻いて、どうしていいものかと固まる日吉に、彼は続ける。
 
「お兄さん、迷ってるの?」
「え」
「キョロキョロしながらスマホ弄ってたから」
「あ、えっと……」

 一瞬、言葉が詰まって上手く返答が出来なかったが、思ってもみない好機に日吉は心の中でガッツポーズする。まさか目標があっちから寄ってきてくれるなんて、夢にも思わなかった。日吉はすぐに、初めての香吹町で道に迷った男へと役を変えた。

「そうなんだよ~。初めて来たもんだからさ、そこのコンビニで道でも聞こうと思ってたんだ」
「へえ……良かったらおれが案内しようか」
「いいの?」
「うん。暇だし」
「じゃあ……お願いしようかな」

 とりあえず香吹町のマップを出してみる。瀬川に画面を見せると、今はここと説明を受けた。次にどこへ行きたいのか問われたので、適当に人気(ひとけ)のなさそうな場所を設定し案内を受けることにした。正直、騙したようで心が痛む。
 トラブル時、この方法を使うよう定めたのは自分なのに。本来ならば正攻法で挑みたいところだった。だが、好機は逃したくない。案内先へ着いたら素直に事情を説明しようと決めた。
 道中は当たり障りのない会話をした。日吉はサラリーマンの体で、営業中に先方の会社の場所が分からなくなり、迷子になったことにして話を進める。
 瀬川は、表情こそ変わらないものの言われているよりもずっと大人しかった。遊びに来た時のため、と言って、道や店も事細かに教えてくれる。誰彼構わず突っかかるようには見えなかった。学校や親にだけ反抗的なだけで、自分を知らない人間には優しい。そんな一面があるのかもしれない。
 
 (なんだ。普通の高校生じゃん)

 日吉がやっと安心したところで、瀬川が再び足を止めた。

「お兄さんが言ってたとこ、ここじゃない?」
「あ……ああ、ここかも!ありがとうね、案内」
「お兄さんの営業先って……高架下にあるんだ」
「……あー、っと」
「入り口から付けてんの、知ってたよ」
「……あのう、実は俺、うおっ!?」

 早速、行動がバレていたことを知らされた日吉が慌てて、弁解しようとしたその時だった。
 眼前に拳が飛んできて、反射的にそれを避ける。ちっ、と舌打ちが聞こえてから、瀬川が一気に豹変した。
 眠たそうだった瞳は燃えるように鋭さを増す。
 
「あんた、誰だよ。おれに何の用」
「え、ええっとですね」
「リーマンなんて嘘だ。多分……センコー、とか」
「うっ……」
「この時期ここに来るリーマンみたいなやつって、白シャツだけで来ない。大体ジャケット持ってる。クールビズにしてはおかしい。四月だし企業的にもまだ開始する時期じゃねえ」
「……仰る通りで」
「どうせ……春川辺りにおれを連れ戻して来いとか言われたんだろ」
「それまた仰る通りで……」

 瀬川は明後日の方向を見ながらこれでもかというくらい鬱陶しそうに言った。

「失せろよ」
「……騙すような形になったのは謝るよ、ごめんね。けどさ、初対面の相手、しかも目上の人間にその言い草はないんじゃないのかな。瀬川凪君?」
「うるせえ、どいつもこいつも鬱陶しいんだよ」
「……第一に、先生方のお節介は、君が学校へ戻ってくれば済む問題。第二に、その恰好をどうにかすること。これで諸々解消できると思う。……君、学校の規則知ってて願書出したんだよね?定時や通信、夜間なら許されても、全日制でその恰好は慎むべきだと思うよ」
「……そんだけ?」
「え?」
「そんだけのために、おれのこと探しに来たのかって聞いてんだよ」

 目線を合わせないままそう聞いてきた瀬川に、日吉は本心をぶつけた。
 
「いや、強制的に連れ戻しに来たんだ。今日は平日だしまだ昼過ぎだ。午後の授業には間に合う。今からでも学校来なよ」
「……」
「このままじゃいけないって良く分かってるはずだ。君は勉強ができるんだし、あの環境で学ばないのは勿体ないよ。もし大学に行きたいなら柳緑も圏内だ。そういうところを親御さんと話を」

 してみないか、と言いかけた時、やっと目線が合った。二人の間にチリチリとした緊張が走る。溢れた怒りが伝わってきて、歯ぎしりまで聞こえてくるようだった。日吉はこれから何が起こっても良いように身構える。
 
「失せろつってんだろうがよ」
「……ちゃんと話がしたいんだ。親御さんとも連絡が取れないって聞いてる。何かトラブルでも」
「っせえ……」
「あるなら聞くよ。学校じゃなくたっていい、ここでも。高架下だし、誰かがいても聞こえにくいし」
「黙れ!うるせえんだよ!」
「……」

 電車の行き交う音が耳に入ってこなくなるくらい、彼から目が離せなかった。激昂している瀬川を見て日吉は思う。どうやら、浅川高校の生徒とは違い、何か根本に大きなものがあるような気がする。

(やれやれ、困ったなあ。本当に一筋縄じゃあいかないか)
 
 だが、状況的に不利なのは瀬川の方だ。あちらは行きどまりでこちらは道路側。攻撃されても殴り飛ばして行き止まりに戻してやればいい。実際そうなったと仮定すれば、教師としていかがなものかと考えたが、正当防衛だったとも言える。
 ……いや、正直、子供相手にこんな手段は使いたくない。とにかく、今日は懐柔へシフトさせたほうがいいな。そう思った日吉は構えを解き、両手を挙げて降参のポーズを取った。

「分かった分かった。そんなに怒らないでくれよ。ほら、どくから逃げな」
「……は?」
「俺は何も見なかったことにする。君はただ道案内をしてくれた優しい高校生。あーあ、明日にはどこの制服着てたかも忘れちゃうんだろうなあ」
「……」
「睨むなよ。裏はないし、馬鹿にしてるつもりもない。ただ……えーと、ちょっと待ってな」

 訝しむ瀬川をよそに、日吉は持っていたメモ帳へなにか走り書きをした。書いたその一枚を彼へとひらひらさせる。

「これ、俺の名前と電話番号。俺直通だから安心して。困ったことあったら連絡してよ」
「……」
「だーいじょーぶだって!ほら」

 そう声をかけると、警戒しながら少しずつ近付いてきて、日吉がそれ以上何もしないことが本当だと分かると、ようやくメモを受け取った。
 それをじっと見つめてから、瀬川がぽつりと零す。

「なんで……」
「うん?」
「……」
「……ありがとね、いい喫煙所見つけてくれて」

 真っ直ぐ逃がせるよう、壁へもたれかかりながら言う。煙草へ火を点けると、大きく肺へ煙を送り込み、吐いた。少し眉を曇らせた瀬川だったが、「馬鹿じゃねーの!」と叫んですぐに走り抜けていった。
 
 春ってもっとこう……爽やかなもんじゃなかったっけ?
 爽やかどころかなんだか梅雨のような鬱々しさが残るばかりだ。日吉はしばらくそこで煙草をのんでから、香吹町を後にした。 
──それから学校へ帰ってきた日吉は、そういえば昼食を摂っている暇もなかったな、と思って自分のデスクに戻るなり鞄から菓子パンを取り出す。それをかじりながら作戦を練り直していた。
 
「日吉先生~」

 そんな日吉のもとへやってきたのは、春川だった。
教師陣に依頼されたあの日から、日吉が瀬川を捜索するために、学校を抜け出すことを教頭や校長は容認していた。教師陣からもその都度、本来日吉がやるべき仕事を肩代わりしてくれるというので、それはありがたいことだった。半ば押し付ける形で依頼されていることは腑に落ちていないが。
 今も興味津々といった様子でこちらを見ているが、これも本来は全員の仕事なのでは?と内心舌打ちをする。
 
「瀬川、どんな感じでした?」
「あー……まあ、普通の高校生ですよ、ちょっと口が悪いくらいの」
「さっすが日吉先生!ちなみに……デカい怖い人には会いました?」
「え?いいえ」
「あ、ならいいんです!」

 そういえば、春川は去年瀬川の担任をしている。学校へ来なくなってから、接触したことはないのだろうか。
そんな疑問がふと頭を過ぎり、日吉はそのまま投げかけてみた。
 
「春川先生は、最後に瀬川と会ったのはいつ頃ですか?」
「えーと……」
「会ってないんですか?」
「はあ、まあ……お恥ずかしい限りで……」

 ということは、三ヶ月ぽっちで諦めてしまったということになる。確かに春川は、喧嘩の類には疎そうだし敵わなさそうだ。本気で暴れられたら逃げ帰ってくるに違いない。試しに浅川高校で修行してはどうでしょう、と口にしかけたところで春川が苦笑いして言った。

「だって……正直面倒じゃないですか」

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