予想が当たってしまった。
少しの沈黙のあと、瀬川が続きを話してくれる。
「平等に見せかけるために仕方なくやってたんだとさ。他の奴等も労ってた。あと学歴のことでも目の敵にされたっぽい」
日吉の知らない情報が、ぽんぽんと飛び出してくる。
実は、教師陣の中にもカーストが存在して、内容は学歴であること。柳緑のOBでトップである春川は、学年主任を押しのけて、教師たちを牛耳っていること。少し、鐘森学園を彷彿とさせる。
ここからは憶測も交じるが、自分より成績の良い人間を自分の手で育てたくなかったのではないか。だから、噂を流し、瀬川をクラスから離れさせ、孤立させた。ショックで点が落ちるかと思いきや、結果は芳しくないし、虚偽をして露呈してしまえば自分の立ち位置も危ういと考えた。
そんな折に、浅川から日吉が来ると聞いて、押し付けようと決めたのでは?それは不良っ子との接し方が上手いはず、というあちら側の推測ではなく──。
「もしかして、俺って初っ端からナメられてたってこと?」
「……可能性がある、とだけ。……なーにが平等だよ」
「……じゃあ、お前が最初から俺のことめちゃくちゃ警戒してたのは……」
「どうせ同じだと思ったから」
「……疲れてるとか気にしてくれてたのも」
「……もう、おれのことで誰も疲れさせたくなかったから」
指はころっと倒れた後、静かに布団へと帰っていく。
自分とは相性が良くない。単なる人間の好き嫌い。もしかしたらそのうち怒りも鎮火するのではないか。ようやく、そういった我儘だけではない理由ができた。
日吉は立ち上がりながら手のひらに拳をぶつける。その瞳は怒りに燃えていた。雰囲気が変わったのを察したのか、瀬川は怪訝そうな顔をした。布団から完全に出てきている。
「一発入れに行こ、グーパン」
「……は?」
「ん?」
「アンタ今、グーパン一発入れに、って」
目を丸くする瀬川に、日吉は精一杯の言い訳をした。
「……!あっ、いや、差し入れ差し入れ!今、職員室でハンバーグ入りのパンをグーパンって略したり差し入れ一発入れるとか変なワード流行ってんのよ!パンは購買に売ってて!ほら、あと七海ちゃんの言ってた漫画の影響でさあ!」
「へー……」
自分の本当の素性を教えていないことを思い出して、背中には冷や汗がダラダラと垂れる。もうバレているような気もしているが一応まだ口にしないでおく。
瀬川はもう“グーパン”には興味がなさそうだ。布団へ座り直し水分を摂りながら、日吉の言い訳の続きを聞いている。
「そうそう、学食もメニューが増えてさ、ロコモコ丼とか」
「ロコモコ丼ってハンバーグと目玉焼きがのってるアレ?」
「そうそう!」
「……!……あっそ」
瀬川と少しずつ親交を深めてきて、一つ分かったことがある。
彼が勉強以外に強く関心を持っているのは食らしい。考えてみると片鱗はあった。普段は攻撃的でぶっきらぼうな言葉を使うけれど、“飯”ではなく“ご飯”と言うし、しっかりと「いただきます」「ごちそうさま」と言い、手を合わせている。そして、食べるのが極端にゆっくりだ。見る限り、味わって噛み締めて食べているのだと思う。
「……七海ちゃんも言ってたけど、瀬川ってハンバーグ好きなの?」
この間のように猫パンチも飛んでこず、無言で頷くのがなんだか可愛らしい。少し頬を赤らめている。
大泣きしたあの日から、なんだか年相応に見えてきた。無理をして“16歳”のフリをし続ける、という心境を深く理解してやれないのが心苦しい。鼻がつんとしてきたけれどそれをぐっと堪えて、食事の話を続けた。
日吉はラーメンが好物である。特にチャーシュー麺。分厚い肉が乗っているのが嬉しい、と伝えると食べていたのを覚えていると返された。瀬川は、ラーメン自体あまり食べたことがないと言うので、今度連れていく約束をした。
瀬川はデミグラスソースのかかったハンバーグが特に好みだそうだ。甘味も好物で、外食をする時は必ず注文するらしい。確かに、先程ファミレスではクリームソーダを注文していたな、と日吉は思い返す。
「……で、帰るんじゃねえの?」
「あ……そ、そうね、グーパン……ハンバーグパンを布教しに参らねば」
「……その」
「うん?」
「話しすぎた。……疲れた?」
「んなことないよ、バッチリ元気!話足りないくらいだよ」
心配そうにする瀬川に、笑顔で応える。
微かにだが、どこかホッとした表情を見せた瀬川に見送られ、アパートを後にする。
愛車に乗り込んだ日吉は、煙草に火を点ける。あの媚び諂った顔を思い浮かべながら宣言した。
「っしゃ!殺る気で行くぞ!懲戒免職上等その2!」
愛車のエンジン音も同意している。
彼と共に、日吉は彩都へと突っ走っていくのだった。
──部屋に残された瀬川は布団を畳んで、そこにテーブルを持ってきた。ルーズリーフと文房具を取り出して、VS電車の対処法を書いていく。
皆、優しすぎる。
頼る、ということを覚えてから日吉を頼ったけれど、結局トラウマと向き合えるのは自分しかいない。
たった16歳の考えるトラウマ払拭方法なんて、相当稚拙になると思う。それに加えて、皆が持っているはずの物が足りない。そんなハンディキャップをも抱えている。でも、それを得意な勉強と結びつけられたらいい方向へ行けるかもしれない。
(バッチリ元気……?そんなわけない)
日吉が自分のせいで疲れているのは目に見えている。分かっているのならば、少しでも彼が楽になる環境を作らなければ。
まずは自分の頭の引き出しを全部開ける。知っていることをありったけルーズリーフに書き込んでいく。
(……信じてみよう。今度こそ、今度こそは、きっと大丈夫)
いつもより、ペンを持つ手に力が入った。

