母親から受けた凄惨な行為、勉強を好きになったきっかけ。今まで友達と呼べる存在はおらず、酷いイジメを受けた。
結果、最終手段として、弱い自分を変えるために容貌や素行までを変えた。
それが原因で不登校など様々なトラブルを起こしていることに気が付いてはいた。
けれど、他人に迷惑をかけるのが怖くて頼れなかった。だから一人空回って、理解されない行動を取っていたのだと。
それら全てひっくるめて、今の自分が出来上がったのだということを伝えた。
「──とまあ、こんな感じ。ご清聴ありがとうございました」
静まり返るなか、瀬川はバッグから大袋の菓子類やら人数分の清涼飲料水等々を取り出した。曰く、お詫びとお礼を兼ねて持参したらしい。
長いこと話した瀬川は、少し咳き込んでいる。飲物を口に含んだあと、再び壁にもたれかかる。だいぶ疲れている様子で、今にも眠ってしまいそうだ。
一気にトラウマを話したのだから当然である。チョコレート菓子を手渡したが、受け取ったままぼんやりしている。
苦しい環境にいたことを知った他三人は言葉を失っている。先に聞いていた日吉でさえ、まだ気分が悪くなる話だ。
「……ん、そうだ。メインはそこじゃなくて」
思い出したように、瀬川は身支度を整えてから、勢いよく頭を下げた。額がテーブルに当たる。
「店長、副店長、先日の件、大変申し訳ありませんでした」
そう、彼が今日皆をここに呼んだのは、今までの経緯を説明したうえで、彼らに謝罪をしたかったからだ。
二人が顔を見合わせたのを知らないまま、頭を下げ続ける。
トラブルを起こした日、質問され続けて腹が立ってしまったこと。
あのまま受け流し続けることも出来たし、後日、大喧嘩なり話し合いなりをすれば良かった。
最近起きた件を含め、隠さず早めに相談していれば、あんな事態にはならなかったこと。
「……全部、おれのせいです。あんなに甘やかして頂いていたのに、裏切るような行為をしました。解雇してもらって構いません。本当に申し訳ありませんでした」
少しの間、沈黙が流れる。瀬川はその間ずっと頭を下げ続けている。
沈黙に耐えられなくなった日吉が助け舟を出そうとした時、兼村が口を開いた。
「……瀬川凪」
「……はい」
「……おかえり」
「……えっ」
顔を上げれば、そこにはいつもの二人がいた。少し微笑む兼村と、ニカッと笑っている九条だ。
二人は言う。
「解雇なんてするわけないじゃん。うちの息子ありきなんですよ、ここは」
「そうだ。お前が何度暴れようと、嫌われようと俺は父親ヅラし続ける」
「俺も兄貴ぶっちゃうもんねーだ」
「大体、後釜はどうする。せめて何人か育ててからにしろ」
「そうだよー。オレ絶対やりたくないし」
「いや、お前はやれ。なんのための副店長だ」
「あの頃人いなかったからなっちゃっただけじゃん!ふんっ、なによ!副店長の座なんていつでも凪にくれてやるわ!」
呆気に取られて瀬川は目が泳ぎ出す。想像していたものと違ったのだろう。たぶん軽いパニックを起こしている。
日吉が指で視線誘導する。パッと目が合ったとき、OKサインを送った。日吉の「大丈夫」という言葉が本当だったことと、あたたかい対応に落ち着いたのか、また壁へもたれかかった。ふーっと長いため息が出た。
「……よかった」
「な、言ったろ?大丈夫だって」
「そうそう。悪いけどさ、どうでもよかったら朝昼晩色んなとこ駆けずり回って……」
「ここは、“居場所”って考えていいんだ」
「凪……」
緊張の糸がほぐれたのか、言葉がいつもより柔らかい。ふにゃふにゃとしている。本当に力尽きたらしい。
一つ席を空けて座っていた七海が動いた。すすす、と瀬川の方に寄っていってその右肩に頭を乗せた。
「心配したんだよ」
「うん」
「いっぱい、いっぱいだよ。いっぱい凪のこと考えたよ」
「おれも、いっぱい七海のこと考えたよ」
「……おかえり、凪」
「……ただいま、七海」
そう言うと、双子はくたりと互いに身を預けたまま黙ってしまった。
その様子を見た兼村は、言葉もなく厨房へ向かっていく。ふと備え付けの時計を見てみれば、14時を過ぎていた。と、同時に日吉の腹が鳴る。自分の緊張もほぐれたらしい。
「あはは、腹空くよねえ」
「そうですね。朝、しっかり食ったんだけどなあ」
「さて、オレも手伝いに入るかな。先生は双子ちゃん見てて」
「あ、はい。すみません」
「いえいえー」
気にしないでーと付け加えて九条も厨房へ歩いていった。
さて、二人へ話しかけてみるかと向き直ると、微笑ましい光景が映ってそのままにしておく。
双子は既に寝息を立てていた。それぞれの理由で気を張って、各々満足に眠れていなかったのだろう。
日吉は菓子をつまみながら、それを見守り続けた。
「──?」
料理を持って戻ってきた兼村、九条を見て、日吉は二人を起こしていた。
七海はすぐに起きたが瀬川は全く起きる気配がない。声をかけたり、柔く肩を叩いてみたりしたが、微動だにしない。
「あー、いつものやつだね」
九条はどこからともなくアナログ式目覚まし時計を持ってきた。
それをセットし、瀬川の近くへ置いた。一分ほど待つと、けたたましい音が鳴る。すると素早く激しい平手打ちが時計を止めた。
このとき、日吉の脳裏にはとある生き物が浮かんでいた。
愛らしい姿形、仕草をする人気の生き物。彼らも感情があり不快だと思われたが最後、激しいパンチが飛んでくることもある。
その後、何でもないような顔をして甘えてきたりする憎めない生き物、猫。
そんな彼らの必殺技。その名も──。
(猫パンチか?)
瀬川のそれも必殺猫パンチに見えた自分は疲れているのだろうか。あまりの素早さに呆けているうちにも、兼村と九条が次々料理をサーブしてくれる。
パスタに、オムライス、シチューなどが大量にやってくる。美味しそうな香りに、また腹が鳴った。同時に鳴った七海は少し恥ずかしそうにしている。
「お客さん、この凪見るのハ・ジ・メ・テ?」
まるでBARのママのようにしなだれかかってきた九条に、反射的に答えるとケラケラ笑わられる。
「凪はね、一回寝ると起きないんだよ。たぶん天変地異が起こっても。だけど、この魔法の時計、名付けて“助けてジリリンマン!”だと起きるのよ。はい、撤収〜」
「へえー……」
「家でも同じようなの使ってるって。スマホでもデフォルトでこの音あるじゃん?それを大音量でセットしとかないと起きられないんだって」
「なるほど……」
ジリリンマン、に起こされた瀬川だが、見たところまだ半分夢の中にいるようで、七海に揺さぶられている。
ここで食事の香りに気が付いたようで、口だけごはん、と動いた。
「そうだよ凪ー、ご飯だからおーきーてー」
「……」
「凪ったらぁ!ご!は!ん!」
「ごはん……きのう……たべた……」
「今日も!明日も明後日も食べなさーい!」
双子コントが繰り広げられるなか、兼村が戻ってきたところで、瀬川のルーティンを知っている父親と兄貴は日吉へ情報を渡す。
「定時は22時だが、少し前に帰るよう準備させて、家に着いたら連絡しろと伝えてる。遅くても23時前には家にいるみたいだ」
「んでー、0時から5時辺りまで勉強して、7時に起きる。そっからうちくるまでどっかぶらぶらしてるみたいよ。たぶん勉強、かな」「だが、これも世間話から少しずつ拾った情報だからな」
「うん、俺たちも深くまでは知らんのよ
もう少しで完全に覚醒しそうな瀬川を見ながら、“父親”は言う。
「だからこそ……機嫌も悪けりゃ食も細い。隠してるだけで、具合が悪い日も多いはずだ」
「昼寝もしないってよ。だからたまにエネルギー切れ起こして、退勤したはずが休憩室でぶっ倒れてる日もあって、ジリリンマンを導入したってわけ」
考査二日目を思い出す。
顔面蒼白で登校してきて、気絶しそうになった彼を抱えたが、今思えばあまりにも軽すぎたような気がする。
平均的な男子高校生の体、それも自身で支えられない場合なら相当重量があってもおかしくない。
「凪自身の“全部”を勉強に捧げてるんだろうな」
「熱心なのは良いことだけど、体優先で過ごしてほしいもんよお」
「……長いこと近くで見守ってきたお二人からしたら、余計に心配ですよね」
「ああ。だから、先生の力が必要だ。去年のあの萎びた奴とは違う。凪もそろそろ理解してるはずだ」
「うんうん。学校以外のことはオレたちでなんとかするから。大変だと思うけど、改めてよろしく」
「もちろんです。俺も放っておけないので」
「──もうっ、やっと起きたー!ご飯冷めちゃうよ!」
七海の言葉で大人たちは会話を辞めた。やっと起きた瀬川は大きなあくびと伸びをする。
いつの間にか目の前にたくさんの食べ物があることに気が付いた途端、瞳をキラキラさせる。
既視感を抱いたが、それよりも腹の音のほうが大きい。
「まあ、とにかく食え」
それが昼食会の音頭となり、楽しく穏やかな時間が過ぎていった。

