(……ドタキャンされたりとか無いよな……?)

 日吉は腕時計を見た。針は、待ち合わせ時間のちょうど10分前を指している。
 香吹駅前には、噴水をぐるりと囲うように設置されたベンチがある。ちょうど駅の入り口も見えるため行き違いのない場所だ。それを理由に、日吉と相手はそこで会う予定を立てた。
 少しそわそわし始めて、目立たない程度に立ったり座ったりしてやり過ごしてみる。
 都心の休日は、やはり人の往来が激しい。様々な人間が交錯していくのを眺めて時間を潰した。
 ちら、とまた腕時計を確認すればもう待ち合わせ5分前だ。待ち人がどこにいるか探していると、スマートフォンが振動する。
 待ち人、瀬川からのメッセージだった。送られてきたのは【着いた】とだけのそっけないもので、それを頼りに周囲を見渡す。
 瀬川らしき人物はおらず、日吉はメッセージへ返事をする。

【噴水んとこのベンチでいいんだよね?】
【そう】
【じゃあ反対側かも。待ってて】

 向かったものの、日吉のいた側と変わらず、老若男女問わず腰を掛けているだけで、彼はいない。
 一周したり、そこらへ立つ人々もざっと見たが、どこにも瀬川は見当たらない。
 少し離れた場所で日吉はLiteの通話機能を使った。
 三回目のコールで瀬川に繋がる。

「もしもし?どこ?見つからないんだけど」
《それはそう。見つけられたらすげえと思うわ》
「いや、あのね……からかわないでくれる?」
《からかってない。……緊張してんだよ》

──あの一件を乗り越えたあと、瀬川から相談があった。
 諸々の謝罪と、なぜ今の自分になったのかを全員に説明したい。けれど、一人だと逃げ癖が出るかもしれないので付いてきて欲しい。との事だった。
 日吉は即了承をし、これから二人、Gerberaへ向かうのだ。
 緊張という言葉にあの一件を思い出した日吉は、うんうんと頷く。

「まあ、謝るの緊張するよな。大丈夫大丈夫、俺がいるから」
《はあ……そういう意味じゃねえんだけど》
「はい?」
《まあいいや。アンタの立ってるところから学生見えない?目印、そこ》
「え?んーと……」

 他人をそこ、というのもどうなんだ、と思いつつも日吉はまた周囲を見渡す。
 すると、確かに制服を男子高校生がいる。スマートフォンを弄っているようだ。
 だが、近くに瀬川らしき人物はいない。日吉は少しムッとした。

「なあ、いい加減かくれんぼやめなって」
《隠れてない。言ったろ、学生が目印だって》
「だからさ……!」
《そいつの隣空いてるから座っといて。ばいばーい》
「は?お、おい瀬川!」

 そこでぷつり、と通話が途切れた。確かに隣は空いている。座っといて、とはどういう意図で発言したのだろうか。何かしらの理由があって、そこへ近付けないのだろうか。
 訝しみながらも平静を装い、指示通り隣へ座る。生徒は変わらずスマートフォンを眺めている。Yシャツにベスト、ネクタイをきっちりと締めていた。チェック柄のスラックスにしっかり磨かれたローファー。どこにでもいそうな、“The 学生”の姿だ。
 やっぱりからかわれている!と抗議しようとLiteを使った。
 なんと呼び出し音は隣から鳴り、思わず飛び上がった。

「わーっ!?」
「……」
「お、おま、おま、お」
「っせぇな。ちゃんと話すから座れよ。ご近所迷惑」
「あっ、え、う、はい」

 怪訝な顔を向ける人々に平謝りしたあと、腰掛け直した。瀬川は画面から一切目を離さず、こちらを見ていない。
 その隙にそうっと観察してみると、間違いなく彩都の制服だった。ベストとネクタイ共に校章が付いている。お手本とも言えるほどきっちりと着こなし、袖は捲らず、カフスまでしっかり留めていた。髪の色も彩都では問題ないし、パーマもかかっておらず短めに切りそろえられていた。
 そんな彼を見て、もしかして狐に化かされたかと疑ってしまう。

「かっ……替え玉とか……?」
「ばっかじゃねえの。テーマ、真面目」

 そう言うと顔を伏せたままだった彼が日吉へと顔を向けた。
 そこには黒縁の眼鏡をかけた瀬川がいた。レンズ越しでもカラーコンタクトを付けていないのが見て取れる。七海と同じ栗色の瞳だった。
 普段とかけ離れた姿を見て完全に硬直した日吉に、瀬川はため息をついてまた目を合わさなくなった。

「こういう反応されんの分かってたけど……いやはや、いざ受けるとうっざいもんですね」
「あっ……!いや、まあ、その、いつもと……雰囲気が、ね?」

 動揺してしまい、返答がしどろもどろになる。
  
「雰囲気どころの話じゃねえだろって。ハッキリ言えよ」
「……人は変わるもんだね」
「ちっ、腹立ってきた」
「いや、言えって言うから」
「……あー、首が苦しい。もう無理早く」
「お、おう」

 さっさと歩き出した瀬川に急いで引っ付いて、二人、繁華街へと入る。
 今、隣を歩く彼は本当に普通の、彩都の生徒である。
 このままぽんと彩都に放り込んでも、誰も彼だとは気付かないだろう。
 物珍しさについジロジロ目を動かしてしまい、勘付かれた日吉は横っ腹に軽いジャブを食らった。打った相手は涼しい顔をしている。
 縁の両端を掴んで眼鏡を上げる瀬川はまるで漫画に出てくる理系キャラクターのようだ。呻きながらそう思った。

「まだ驚いてんの?」
「いっ、いやいやぁまさか」
「……驚きもするか。徹平さんと淳は面影あるとか言ってくる気がする」
「あ、そっか。バイト始めたの中学からなんだっけ?」
「そ。……あー、謝罪するのはマストだけどほんと嫌すぎる。この格好見せるの」

 真っ直ぐ前を見据えてはいるが、先程からため息が目立つ。
 自分が同じ立場だとして、丸坊主になって謝罪に行くような気持ちだろうなと考えると、納得がいった。
 繁華街の入り口からGerberaまでは意外と距離がある。何か話題はと考えていたところ、普段と違う部分があることを思い出した。
 
「あのさ、その眼鏡は伊達?」
「いや?おれとんでもなく視力悪ぃんだよね」
「へえ。あ、じゃあカラコンも……」
「そ、度入り。裸眼での視力は……0.1以下だったかな」
「そんなに!?」
「だから外すと下手したら死ぬ。家の中でも何回すっ転んだか」
「ひえ……」
「アザ生産工場だよあの家。狭めえし」
「うわあ……」

 アパートについても聞いてみたところ、あそこにはほとんど人が住んでいないようだ。
 アザ生産工場、などと茶化しているが、万が一打ちどころが悪くて一人見つけてもらえず……なんて考えると怖い。
 ちなみに、と瀬川が付け足す。

「外すと、この距離でもアンタの顔が認識できない。肌色のっぺらぼう」
「えっ」
「周りは……なんか色があるなあ、で終わり。これ、横から見ると……」
「わ……レンズぶ厚い……」
「そ。だから、他人から見るとかけてる時と外した時の目の大きさ、違うんだよね」

 ほら、とかけ外しをして見せてくる。確かに相当違う。
 スラックスの右ポケットから眼鏡拭きを取り出してレンズを磨く瀬川は続けた。

「コンタクトは楽だけど……目が乾くし、結局家じゃ眼鏡生活」
「ふーん……」
「市販の目薬って、逆に目を乾かせるらしい。それ知ってから目薬は眼科で貰ってる」
「へえー」
「……アンタ、目良さそうだよね」
「あぁ、まあ、眼鏡とは無縁の生活送ってるよ」
「あっそ。おれの興味ねえ話すんな」
「いや、じゃあ何で聞いたのよ」
「興味があったから」
「どっちなんだよ!」

 よくもまあ喋るな、と日吉は思う。
 最近まで返答すらなかったのに。黙秘、黙秘、黙秘ばかりの日々を繰り返していたのに。そのくせ、諸々を誤魔化そうとするとこの口は忙しなく動く。
 それを不思議に思っていたが、あの日を境に腑に落ちた。
 それからぽつぽつと本音を話すようになって、現在に至る。Liteでのやり取りでもそうで、何かメッセージを送れば簡単な返事は来るようになった。
 だとしても、今日はやけに口が回っている気がする。

「あのさ」
「うん?」
「今日コイツよく喋るなって思ってる?」
「ぅえ!?」

 日吉はまた驚く。やはり、双子のシンパシーだけではなく、本物の超能力者なのかと慄いた。彼の頭ならあり得ないこともない。
 そう考えていると、瀬川は少し下を向いた。

「おれは、緊張したり警戒するとよく喋る」
「えぇ?またからかってんじゃないだろうね」
「見たろ、考査の結果見に行った時」
「……あ」

 中間考査の結果を見に来ていたあの日。教科準備室から出てくると、彼が他生徒達に対して早口、且つ、大声で捲し立てているのが見えた。今思えば、あの声音は威嚇とも捉えられる。
 そして、共にここを歩いた春。
 日吉が聞いてもいないのに、ここの店が良い、だとかこの道が近道で、だとか色々説明をしてきた。そういえば、あの会話の中で相槌を打つ間はほぼなかった。
 彼のこれまでの言動は、緊張や警戒によって引き起こされたものであると、今しっかり理解した。
 そのまま下を向いて歩き続ける瀬川の顔を覗き込んで、日吉はニッコリ笑う。

「でもさ、俺のことはもう怖くないでしょ?」
「……」
(……うん、目が合わない時もだよな)

 こうして、面と向かって会話出来るようになったものの、視線が交わらない時のほうが圧倒的に多い。
 それもまた、不安や緊張、警戒心から来るものなのだろう。今の時点では、まだ深くまで入りこまないようにしたほうが良さそうだ。
 そのまま会話を続けていると、Gerberaまで辿り着いた。
 ゆっくり話せるよう、店は一日閉めると兼村が言っていた通り、Closedの看板が立てられている。ガラス戸も中が見えないようブラインドが下ろされていた。
 それらをじっと眺めた後、瀬川はバッグからブレザーを取り出して羽織り、扉の取っ手を掴んだ。
 ……掴んだまま、手は止まっている。はて?と日吉は疑問を抱く。
 
「入らないの?」
「……手が動かない」

 取っ手を掴んでいる左手は、微かに震えている。疑っているわけではなかったが、緊張、という言葉、冗談ではないようだ。
 日吉はそんな彼の手の甲を包むようにして握った。ハッとこちらを見た瞳と、ようやく視線が重なった。
 表情こそ変わらないものの、瞳は心配そうに揺れている。

「大丈夫だって」
「……」
「何があったって俺がいるよ。ね?」

 少しだけ間を空けてから、瀬川は頷いた。二人で取っ手を押す。
 カロンコロン、と聞き慣れたベルが鳴り、ブラインドを潜ると、兼村と九条がすぐ目に入った。七海の姿が見えないが、まだ来ていないのかもしれない。真っ先に先生ー!と手を振った九条だったが、日吉の隣にいる顔を伏せた“誰か”を見てすぐ顎に手をやった。

「先生、そちらは……?」
「えーと……」
「凪は?あっ、逃げた?」
「うーんと……それは諸々本人から」
「本人、と言われても……?」

 日吉は苦笑いをする。“誰か”は咳払いをすると、顔を上げた。

「……久しぶり、“淳兄ちゃん”」
「……?……んなッ!?凪ィ!?」

 どたばたと近距離まで詰めてきた九条は、四方八方から彼を見て騒ぐ。完全に興奮しきっている。
 それを見た瀬川は、だから嫌だったんだ、と言ってそっぽを向いた。

「うおー!凪だ!よく見たらあの頃の凪だ!てっちゃん!早く!ほら!」
「喧しい。少し静かにしろ。……ん、そうだな。……なんだか懐かしい」
「あの、さ。とりあえず、先に全部話す、わ」

 途切れ途切れに言うと、瀬川の足はとあるソファーへと向かっていった。
 その足音にひょこ、と顔を上げたのは七海だ。隠れていたようで、日吉は気付けなかった。瀬川は迷いなく歩いていく。そんな彼から、七海はずっと目を離さずにいた。喜怒哀楽のない、かといって無表情でもない、何とも言えない顔でじっと見つめている。
 瀬川は、成人三人を見てポンポンとソファを叩いた。来いという意味らしい。三人ソファへと向かう。
 六人掛けのそれ、壁側にもたれかかる瀬川、一つ空けて座る七海、それを気まずそうに見つめる成人男性三人全員が腰掛ける。
 数分空白があってから、瀬川が口を開いた。

「最初から最後まで話すの、結構体力いるんで……途切れ途切れになるけど、許して」

 そう言うと、彼は今まで自分の過ごしてきた時間を語り始めた──。