──結果的に、今回は和解と近い形で終結した。
 条件として、出来るだけお互い干渉はしないこと。
 今後、カツアゲなどいじめ行為をした場合、今度こそ証拠等を使って徹底的に追い詰めること。この点については少々非難を受けたが、被害者側にも弁護士がいることを伝えると黙った。
 すごすご帰っていく加害者側を見送ったあと、生徒たちは歓声を上げた。
 そうして、彼らは今、帰宅すべく廊下を歩いている。嬉々とした表情を見て、日吉はほっとする。生徒たちと別れ、駐車場まで見送りに来た高橋が大きく頭を下げた。

「日吉先生、ありがとうございました!」
「いいえ、こちらこそ。助けてくれてありがとう。俺だけ来たって、証拠がないんじゃ信憑性に欠けてたしさ」
「僕たちも誰か大人がいないとって考えてたので……どっちも解決できてよかったですっ」

 遠くでこちらを見ている瀬川に気が付いた高橋は、彼へ走り寄って行く。
 すぐに両手を握られて驚いた瀬川は少し後退りした。

「なっ、なに」
「ほんとにありがとう」
「……」
「瀬川君のおかげで、僕はあそこまで勇気を出せたんだよ」
「……それは、君が元々そういう力を持ってただけじゃない?」
「ううん。持ってたとしてもさ、発揮できなかったら宝の持ち腐れ、だよね」
「……」
「きっかけをくれたのが瀬川君だから、改めてお礼が言いたいんだ。ありがとね」
「……」
「僕、頑張るよ!もしまた何かされてもやっつけてやるんだ!そうだ、Lite交換しない?喧嘩教えてよ!」
「い、いや、教えるレベルじゃ……」
「QRコード出すね!えーと……」

 愛車に近付きながらそのやり取りを見て、少し安心した。もしかしたら、瀬川にも気の許せる相手が増えるかもしれない。
 お互いにスマートフォンをしまって、二人へ元気にお礼をしてから高橋も帰宅していった。駐車場に残されたのは、日吉と瀬川だけだ。
 しばらく沈黙が続いたあと、じゃあ、と瀬川も去ろうとする。

「いやいや待ちなさいよ。こっからじゃ遠いでしょ」
「電車乗る」
「ここ定期区外じゃない?電車賃浮くよ?」

 車の扉を開けながら手招きすると、舌打ちが飛んでくる。もうこれにも慣れっこになってしまった。
 渋々乗り込む瀬川は言わずともシートベルトを付けた。こういうところは本当にしっかりしているな、と日吉は改めて感心する。
 鐘森を出てから少しして、日吉から話しかけた。

「ったく、アレ相手に一人で何とかしようなんて、天才瀬川君にしては無策過ぎない?」

 説教ついでに皮肉も付けてみたが無反応だ。怒りもしないし当然笑いもしない。
 予想していた態度だ。気にせず話を続けた。

「先に言っとく。愛車なんで暴れないで欲しいんだけど。……お母さんを頼ろうとはしなかったの?」

 その言葉に瀬川は大きくため息をつく。窓の開け方を聞かれたので運転席から開けてやった。
 風を受けながら遠くを見る瀬川は言った。

「っていうかさ、皆なんで母親ありきで話を進めるのかが理解できないんだけど」
「……え?」
「記載番号に何回かけても繋がらない?んなの当たり前だろ、いないんだから。ずーっと前に男と出てったきり」
「……!」

 思わず赤信号を通り過ぎそうになった。車はしっかりと停止線内で止まっている。
 ルームミラー越しに見る瀬川は、変わらず窓の外を眺めていた。
 普段と同じ澄ました顔のままで。

「あれから変えたんだろ、どうせ」
「……変えた番号、瀬川は知らないの」
「知らねえ。会ってねえから」

 信号が青に変わる。
 一旦運転に集中しようとするが、すぐに脳はあのアパートを映し出した。
 人の行き交いから外れた、老朽化が進むあの場所。
 廃墟とまではいかないけれど、人が住むには少しさみしいあの場所。
 しばらく車を走らせると、彩都が見えてくる。左折ランプの音がやけに大きく聞こえる。
 駐車場に車を停めて、一呼吸おいてから日吉は瀬川に向き直った。

「じゃあ、あそこに一人で住んでるってこと……?」
「そうだけど何か問題ある?」
「家賃とかは?振り込んでくれたりとか」 
「するわけねえじゃん。出てくときに通帳だけは死守したけど、いざ開けてみたら雀の涙だった。だからそこからはバイトバイトバイトの日々ってわけ。家賃、学費の差額、通信費、光熱費やらなんやら……首が回らないとはまさにこの事」
「……」
「あーあ、そろそろ次のとこ決めないと。切り崩すものもないし」
「……Gerberaに戻る気はないの?」
「こんな問題児、また雇う気になる?おれが経営者だったらなりませんって」

 呆れたような、諦めたような声音でそう言う。皆心配していることと、いつでも戻ってきて欲しいと思っている旨を伝えても態度は変わらなかった。
 日吉が黙っているとだんだんとイライラしてきたのかお得意の貧乏揺すりが始まった。

「早くこっから出してくんない?帰りたい」
「……家まで送ってく」
「は?んなの必要ねえよ」
「ここ二週間ちょっと疲れたでしょ。少しは休みな」
「おい、開けろったら……!」

 瀬川はすぐに、運転席側に各扉のロック機能があることに気が付いたらしい。日吉は聞かないふりをして構わず発車させた。

「聞いてんのかよ!出せって!」
「事故りたくなかったら暴れんな」
「……!ちっ!」

 もうルームミラーは見なかった。これから先、目が合わないことを知っていたから。
 商店街近くのタイムパーキングへ車を止める。扉のロックを解除すると同時に、瀬川は何も言わず去っていった。日吉はその後を追う。
 平日の昼でも商店街は賑わっている。不思議と、人混みの中でも瀬川の背中を見失うことはなかった。
 商店街を抜けると、少しの間静寂が訪れる。一人の高校生と、スーツを着た成人男性。他に歩行者はいるし、特別二人が目立つわけでもない。
 前を行く瀬川の背中はいつもより小さく見える。小石を蹴りながら歩いているらしい。
 案の定アパートは通り過ぎた。やはり、帰宅したかを確認しに追跡したのは間違いではなかった。近くのT字路を右へ曲がる。
 遠くから子供の声が聞こえてきた。すると、すぐ公園が目に入る。楽しそうな声が響いていた。
 近くの保育園、幼稚園から散歩へ来たらしい子供達や、母親父親と遊ぶ子供達がたくさんいる。
 瀬川はそこへ入ると、自販機で飲み物を買って、ベンチへと座った。
 きゃっきゃとはしゃぐ子供達はきらきらと輝いて見える。その光景を目にしながら、彼は何を思うのか。しばらくすると立ち上がって公園を後にした。
 来た道を戻ってアパートの入口まで戻ってくる。瀬川は、そこでぴたりと足を止めた。日吉もその後ろで同じく足を止める。
 瀬川は振り向かずに言った。

「入口から付けてるの、知ってたよ」
「……」
「もしかして、センコーとか?」
「……不思議だなあ。ごく最近の話なのに、そのセリフがなんだか懐かしく感じるよ」
「……なんで付いてくんだよ」
「ちゃんと家に帰るかが心配だった」
「……確認したって、アンタが帰ったあと、どっか消えるかも」
「そしたらまた探すよ」
「……疲れ切った顔で言うんじゃねえよ」

振り返りざまにぽい、と投げられたのは缶コーヒーだった。先程買っていたのはこれだったらしい。
 微糖の文字が目に入って、口元が緩んだ。

「もしかして心配してくれてる?」
「な……っ!?ちがっ……ぅし」

 近所迷惑になると思ったのか瀬川は少し声を潜めた。そのあと、少し迷ったような素振りをしてから、アパートを指した。

「ん?」
「……。……話が、ある」
「おお。聞きましょう聞きましょう」

 少しおどけたように言ったが、以前のように拳だったり口撃は飛んでこなかった。というか、いつもよりだいぶ大人しい気がした。いつ崩れるかもわからない階段を登って、瀬川の部屋へ。
 先に彼が入っていった。お邪魔します、と一声かけてから後に続く。
 フローリングの廊下にミニキッチン。その先は扉で区切られている造りのようだ。
 廊下の真ん中付近で瀬川が立ち止まった。どさり、とバッグが落ちる。

「今から問題を出す」

 瀬川は日吉を指して、そう言った。