日吉たちが全力疾走していた頃、話し合いは着々と進行していた。
 相手方が作ってきたらしい資料を瀬川へ提示し、すぐ読むように指示をしてきた。
 舌打ちしながら開いた資料には、今回の騒動の内容、それにおける被害者側からの措置や要求などが詳細に書かれていた。応じない場合、民事裁判に持ち込むとのことだった。一応和解の余地はあるらしいことも記載されている。
 事前に調べていた情報と、考え得る状況とが合致する。変わらず崖っぷちに立たされているのに、なんだか面白くなってきた。
 たぶん弁護士やら専門の人間に書いて貰ったのだろうと考え、後学のためにじっくり読んでいると、大人たちは返事を急かしてくる。
 それをハイハイ、と手であしらった。目は資料から離れない。
 
「わぁってるっつーの。考える時間くらい貰えねえのかよ。金持ちはもっとゆったり優雅な奴らだと思ってたけど意外とせっかちなんだな。どっちにしてもそっちは金もらえるんだからさあ、そちらさんはゆっくり世間話でもしてたら?おれもゆっくり読ませて貰うわ。こういうのってさ、隅っことかに小さい文字で大事なこと書いてあったりするし」

 大人たちは各々非難を口にしたが、すぐに自分の子どもたちも交え世間話を始めた。
 ポーカーフェイスを装いながらも、頭の中はぐしゃぐしゃだった。考えても考えても良い案は浮かばない。
 ふっかけた時から分かっているし、逃げている間だって良い案は浮かばなかった。
 というか、自分を手助けするようなものはこの世に存在しない。
 それでも、何か抜け道があるんじゃないかと、浅ましくも希望を求めてしまう。

(落ち着け。考えろ、考えろ。時間稼ぎしたって意味ないことくらい知ってる。払えるわけないんだって。でも……どうする、どうする、一人で何とかする方法。たくさん調べたろ?何かあるはず……考えろ考えろ考えろ……っ)

 ポケットの中で握っている拳に強く強く爪が食い込んだ。血が滲んでいる気がしてくる。吐血までしそうな思いだ。
 もう、苦しい。それでも、意地でも表情は崩さない。
 意外と時間が経っていたらしい。大人たちは、どうするのかと再度問うてくる。
 瀬川のこころは緩やかに諦めへと向かっていく。

(……ま、やっぱ敗訴決定、中退返済ルートしか……)

 瀬川は思う。
 このこころは、何回ため息を付いただろう。何回粉々になるのだろう。ここまで叩き潰しているそれを、今度は容赦なく轢き殺す。
 でも、それは全部自分が悪いから、とまた諦めが来る。
 はいはい負けました、と瀬川が言いかけたとき、扉が勢いよく開いた。
 全員が驚いて見ると、そこには一人の生徒が立っていた。

「瀬川君!助けに来たよ!」
「っ……!?君……!」

 あの日、瀬川がカツアゲから助けた生徒、高橋が立っていた。
 高橋はキッと大人たちの方を見てから、唖然とする瀬川の左隣に座った。

「な、なんで」
「後で話すよっ。先生ー!」
「はいはーい」
「……!」

 高橋が呼んだその人は、間延びした返事をした。
 精悍な顔付きをしたその人は黒のスーツに身を包んでいて、より高身長が際立っている。髪はしっかりセットされていて、清潔感もある。

「失礼しますー。あのう、俺も同席していいですかね?」
「あ、アンタ……」
「うちの校長が時間を間違えて、この子を一人で寄越したらしくて。代わりに保護者として同席させてもらいます」
「いや、それはおれが」
「お子さんはともかく、大人数人で寄ってたかってこの子一人追い詰めるのはどうかな、と思いましてね」

 そうやって朗らかに右隣に腰掛けてきたのは日吉だ。だけれど、いつものゆるっとした雰囲気は微量も感じられない。
 ぽかん、としながら左へ右へと視線を動かしていると両側から「大丈夫」と言われた。

(は?えっ……なにが……夢?)

 同じ状態だった大人たちも我に返り、突然なんだ!と喚き立てる。
 それにも負けず、高橋は大きく息を吸い込んだ。立ち上がり、机を叩いてハッキリと言い切った。

「僕は!この三人に!カツアゲされかけました!それを助けてくれたのが瀬川君なんです!彼は悪くありません!」

 しん、と静まり返る室内。座り直した高橋が、瀬川へ手渡す。
 彩都の校章の入った手帳だった。

「これ……」
「うん。あの日、落としてっちゃったんだよ」

 返却が遅くなったことを謝る高橋に、瀬川の顔は曇る。

「……喋んなって言ったじゃん」
「うん。でも、僕が嫌だったんだ。ずっと隠して君のせいにして、あとから後悔するのが嫌だった」
「でも……」
「それとね、今日来たの僕だけじゃないんだ。みんな!入ってきて!」

 高橋が呼びかけると、ぞろぞろと他の生徒たちが入室してきた。男女問わず20人近くいる。高橋と徒党を組んだ例の彼らである。
 どさっと大量の紙束が相手方へ落とされた。大人たちがそれを凝視する間に、高橋は説明を始める。
 それを見た瀬川の顔はますます曇った。 

「瀬川君の件とも関係あります。僕を初め、みんなこの子ら……ううん、こいつらお金持ち組にいじめられてました。これ、こっちから訴えるための署名です」

 顔を見合わせながらも証拠を出せ!と大声を出す大人たちにも怯まず、高橋は続ける。

「はい、みんな何かしら持ってます。写真とか、録音とか色んな方法で。出そうと思えば今出せます」

 すると控えていた他の生徒達が色々と取り出す。
 現場を撮った写真の引き伸ばしや、ボイスレコーダー等。
 流した音声や見せた写真に我が子たちの面影があることが分かり、そんな話聞いてない!と、今度は自身の子を問い詰め始めた。
 だんだんと焦ってくる相手方を見て、瀬川が口を挟んだ。

「とまあ、こういう三文芝居を付ければ許してもらえるかなー、とか思ったりして。抜け道探してたんだよねー。ちょうどいいタイミングで入ってきてくれて助かったよ。あー、端金払ってよかった」
「瀬川、嘘つかなくていい」
「っ……!」
「そうだよ。これ、本当の話なんだもん。僕たちも我慢できなくて来たんだから、ゆっくり休んでて」

 日吉、高橋が話を進める中、イレギュラーが発生した瀬川の頭の中はパニックを起こしていた。考えていたシナリオからずれてしまって、どうしたらいいのか分からない。
 自分一人、舞台で踊り、フィナーレを迎えようとしたところに、新たなキャストが入ってくるなんて思っても見なかった。
 もうアドリブが利かない。

(な、なんで、どうして……他人が介入するのは、絶対にだめで……)

 巻き込んでしまったことへの自責で、瀬川の顔はどんどん青ざめていく。高橋を初め、生徒たちのフォローをしながら、日吉はそれを見る。
 たぶん、今日吉たちが入ってこなければ、瀬川は自分の罪として何もかもを受け入れて、言う通りにし、また黙って姿を消すだろう。
 そうやって、自分に罪をなすりつけてでも他人を助けようとするのに、自分に対してはどこか他人事のような振る舞いを見せる。
 どうして“そう”なるのかが知りたい。
 考えているうちに、問い詰められていた鐘森の生徒が大声で謝り始めた。
 カツアゲもしかけたし、他の生徒が言っていることも本当だと白状した。自らの子どもと供に平謝りする大人たちへ冷ややかな目を向けながら、今後の方針を決めるべく、話し合いは続けられた。