日吉が職員室で事務仕事をしてるところへ、ひよしーんと女子生徒がやってきた。呼び方は公にするなとそっと注意しながら耳を傾ける。
 どうやら、鐘森学園の生徒が瀬川を探しているらしい。いないことを伝えてから、代わりに担任である日吉を呼んでくると約束したそうだ。
 随分とタイムリーである。彼女曰く、門の前にいるとのことで、お礼を言ってから向かった。
 外へ出て近くまで歩いていくと、明らかに彩都とは違う制服の男の子が立っている。あの子か、と日吉はそのまま近付いていった。
 彼はそわそわして辺りを見渡していたが、偶然ぱっと目が合った。少し遠くからお辞儀をしている。遠目でもだいぶ緊張している様子が見て取れる。出来るだけ柔和に声をかけた。

「あのう、君が俺を呼んでた子かな?」
「あっ……は、はいっ。あのっ、僕、鐘森高校の高橋と言います!よろしくお願いしますっ」
「あ、日吉ですー。よろしくお願いします」

 お互いにペコペコ頭を下げてから、高橋はハッとしてポケットをまさぐった。
 そこから出てきたのは手帳だった。印字されている校章からここ、彩都の物だと分かる。
 誰かの落とし物だろうか。高橋はそれを見ながら続けた。

「瀬川君いないって聞いて……風邪とかですか?」
「えーと……」
「あ、もう帰っちゃったとか?教えてくれた子からも、いないってだけしか聞いてなくって」
「帰ったというか……帰ってこないというか……」
「?」

 首を傾げる高橋へ、あくまで彩都内での瀬川の状況を説明した。
 そっかあ、と少し残念そうにする高橋の次の発言に日吉は目を剥いた。

「実はこれ、瀬川君ので、お礼も兼ねて直接渡しくてお邪魔したんです。先生から渡してもらえますか?僕の番号もメモして挟んで……」
「……なんて言った?」
「え?」

 日吉は霧の中に一筋の光を感じた。
 もしかすると、もしかするかもしれない。

「今、瀬川にお礼、って言った……?」
「は、はいっ!助けてもらったんです。僕カツアゲされて」
「……それってもしかして、3人組じゃなかった?」
「え?どうして知ってるんですか?」
「……高橋君、だっけ。時間ある?それも含めて詳しく話を聞きたい」
「え、ええと……?」

 何が何やら、と困っている高橋の肩を掴んで、日吉は救いを求めた。

「瀬川が危ないんだ。助けて欲しい」

――――――――――――

「──じゃあ、そういうことで、先方にもお伝え下さいな。ばいばい」

 誰かとの通話を終わらせた瀬川は個室から出て、シャワー室へ向かった。
 何室かあるため、比較的ゆっくり出来るのがありがたい。コンタクトを外そうと洗面台に向かう。
 ふと鏡を見ると、目の下のクマがくっきりしている。いつもより目つきが悪く思える。化粧ポーチの中身を探った。

(……よかった。コンシーラー持ってきてた。あとで付けるか……)

 バイト先で一度クマのことで心配されてからというもの、程度が酷い場合は度々コンシーラーを使うようになった。現在はメンズメイクも嗜んでいるため、より一層使う頻度は高い。そろそろ中身が無くなりそうだった。

(うわあ……毎日保湿してるのに肌荒れてるな……。ファンデ上手く乗るかな……)

 元々不健康な生活をしているのに、二週間も路上生活を続けていれば、そうなってしまう。少し後悔したが、そのうち治るだろうとコンタクトを外して個室に入った。
 素肌を滑り落ちてくるのは温かい湯のはずなのになぜか雨のように感じる。土砂降りのなか、一人立っているような思いだ。
──今日は、件の話し合い当日である。
 諸々の準備を終えた彼は、カフェを後にして駅へと向かった。電車に乗り席から窓の外を見ながら思う。
 気持ちとは裏腹に天気は良好。時折見える生い茂った緑を太陽が照らして、キラキラ輝いている。そんな瑞々しい景色をぼんやりと見送る。

(負けるだろうな。複数大金持ちVS一人ドン底貧乏野郎。どうやったって、抜け道も勝ち目もない) 

 これから数時間後には自分の人生が大きく変わる。
 不思議なものでその時の自分がその状況をどう受け止めるのか、少し興味が湧いてきた。
 中退をして、毎日働いて、お金を返して、働いて、返して、働いて、返して、返して、返して──。
 日吉に、もっと上を目指さないのかと問われたとき、ハッキリと答えなかったが、彼は進学を強く希望していた。
 柳緑へ進学し、また、100点をたくさん取って、1番になって、その先もずっとずっと、勉強と暮らしていきたかった。
 高卒認定を取得すれば受験することは可能だ。しかし、多額の返済に追われ、学費を稼ぎ、認定取得のため勉学に励む。そんな生活を繰り返しては、まず体がもたない。現在でさえ、ほとんど食事もせず、寝る間も惜しんで、いのちの全てを勉学に費やしている。
 彼自身も、きっと体内はボロボロで、生きているのが不思議なくらいなんだろう、と薄々自覚はしていた。
 車内アナウンスが、開幕を宣言する。緞帳が開いて、瀬川は舞台に立った。
 シーンはすぐ、鐘森学園へと変わる。着崩した制服を身に纏い、警備員役に事情を話した。
 “悪役”は、とある部屋へ辿り着く。スポットライトが当たり、一度、深呼吸をする素振りが見える。

(……決められた運命は、覆せない)

 モノローグと共に、“悪役”は重厚な監獄の門を開く。
 ぎいと音を立てたあと、彼を暗闇へ引き込むようにして、静かに閉じた。

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