車内に響き渡る校長の説教に、瀬川はうんざりしていた。車に乗ってからずっと同じ言葉を繰り返している。頭が痛い。
 先方が云々、立場が云々。そして日々の行いの非難。
試しに慣れない相槌を打ってみたが、一言目から飽きた。
 これ以上無駄なエネルギーを使いたくない。窓の外から景色を見る。
 天気は良好で、雲一つない。こんな日は、日だまりの中でゆっくり小説でも読みたい──と、思い立った朝。
 外出する準備をし玄関へ立った時、呼び鈴が鳴った。居留守を決め込むと連打された。不審者かとドアスコープを覗いてみれば、普段椅子にふんぞり返っている男、彩都の校長が怒りの形相で立っている。思わぬ訪問者にハテナが浮かんだが、そういえば思い当たる節があった。
 出てこいとうるさいので、お望み通り出てやった。顔を見るなり、文句のオンパレードを聞かされたが、警察呼ぶぞと言うとすぐに黙った。
車に乗れ!と顎で指示される。車内に入るなりまたすぐやいのやいのと始まり、冒頭へと繋がる。
 見慣れない景色が続く。彩都方面よりかは、高級そうな建物が多くなってきた。静謐な街並みに見える。
 しばらくすると、とある場所へ到着した。鐘森学園である。
 聞いていたよりも規模の大きな学校で、連行場所まで結構歩いた。朝から大声を聞かされるわ、歩かされるわでヘトヘトだった。
 正直もう帰りたいが、自分で撒いた種だ。しっかり育てねば。
 通された室内には三人の生徒と、その親らしき大人たちが待ち構えていた。勝ち誇ったような顔をする生徒たちを横目に用意されていた椅子に腰掛ける。
 長机二台を壁に、彩都側、鐘森側と隔たれている。
 校長は何度も頭を下げた。座ってから数分も経っていないが、20回は下げたのではないか。垂れる汗を拭いながら「この度は本当に申し訳ございませんでした!」とかいう常套句ばかり連ねて謝り続けている。

(……作戦開始)

 突然、瀬川は組んだ足を机に叩きつけた。椅子をゆらゆらさせる姿を見て、校長の汗はますます止まらなくなる。鐘森側は全員唖然としていた。
 ハッとしたように、校長は変わらずの文言を口にする。それに対して相手側も文句を次々にぶつけてくる。
 うちの子は今から大学受験に必死で、とか、万が一のことがあったら責任が取れるのか、打ち所が悪かったらだとか。
 それらを無視するような態度を取りながら、彼の頭はフル回転していた。問題を重ねに重ねた不良がこれからどうするのか。そんなシナリオを考えていた。
 簡単に謝ってしまえば相手の思う壺だ。
 すぐに謝罪すれば、大人は満足するかもしれないが、ラッキーを手に入れた生徒側は、標的を財布のあの子へ変えるかもしれない。そのリスクを回避したい。
 過去の経験から、弱きを助け強きを挫くをモットーにしている瀬川は、あの子のような人を巻き込みたくなかった。だから、全ての罪を自分へ向けることにした。
 そのためには、手に余る不良を抱える彩都、突然攻撃されたと発言する鐘森。この両方から出来るだけたくさんのヘイトを買えばいい。自分は好きでレールを外れているから今更どうなっても構わない。
 次々非難され、口淀む校長は瀬川にも謝罪を要求する。拒否すると面白いくらいに動揺した。
 瀬川はとにかく相手を挑発するような発言ばかりを選択する。

「謝る?おれが?やーだね。だってさあ、金持ちってムカつくじゃん。だから連れ込んでボコってやっただけ。大人しく金くれりゃさっさと退散したのに」

 不貞腐れたように言うと大人たちはますます激昂する。
 その中の一人が、瀬川の親が同席していないことを指摘した。連絡がつかないことを説明すると、わざとらしいため息をついて、「だからこんな人間に育つんだ」「そんな態度の人間見たことがない」と瀬川を見下した。
 ポケットに突っ込んだ手をこっそり握りしめる。手のひらに強く爪が食い込む。
 それでも、何を言われても耐える。そう決めてここにやってきたのだから。
 いつも通りポーカーフェイスを決め込んで、思ってもない台詞を吐き続けた。校長が瀬川に頭を下げさせようと頭を掴んでこようとしたが大声で拒否をする。

「触んな!ぶっ飛ばされてえのか!」

 金持ちが普段聞かないであろう汚い言葉、乱暴な振る舞いを延々と披露する。ヒッ、と悲鳴が上がったり少し後ずさりされると手応えを感じた。
 何度もそれを繰り返したあと、とうとう“訴訟”という言葉を持ち出してきた。
 勝った、と瀬川は思った。
 校長は「それだけは……!」と土下座をしそうだったが、相手は学校同士ではなく、瀬川個人とのやりとりを望んだ。校長は矛先が自分ではないと分かって、なんだかホッとしている。
 瀬川はツン、と明後日の方向を見ながら考える。

(コイツ、やっぱり保身に走った。というわけで、現時点で全員のヘイトがこっちに向けられたわけですが……。ううん、なんて言ってフィニッシュかますかな。もっとなんかこう……すげえ悪役の……)

 漫画を嗜んでおけばよかったと瀬川は思う。彼は本なら何でもいいわけではなく、子供向けの漫画や青年誌には興味がなかった。読んだこともない。読者が言うポジティブな感想にも惹かれないし、あり得ない事象を楽しんで何になるのか分からなかった。だが、嗜んでいたらこういうときに役立つ言葉を覚えられたかもしれない。
──安い手だが、思い付いた。

「いいよ、かかってこいよ。訴訟でも何でもご勝手にどーぞ。こちとら守るものもなんにもねえし、豚箱は入って前科付こうが構わねえよ。あんたら金持ちと違って、どうせそういう人生なんだから。あ、これを機に街中に金ばら撒いてみたら?知名度とか上がりそうじゃない?不良とかの信者増えそう」

 結局、参考にしたのは主に母親のツレたちだったのであまり語彙の無い仕上がりになってしまった。なんだか少しもったいない気がした。
 とはいえ、相手はこんなものでも怒り心頭で、訴えてやる!と意気込んでいる。どうやら見事地雷を踏み抜いたらしい。
 結果、訴訟問題に発展したが、訴える側には諸々の準備がある。後日、再び話し合いの場を設け、そこで再決定とする手はずになった。
 彩都は瀬川へ停学処分を下した。家まで送り届けられる。校長の車が護送車に思えた。まるで犯罪者にでもなった気分だ。いや、これからなる可能性が9割9分9厘なのだけれど。
 玄関へ入るなり、ドアを背にしてずるずると座り込んだ。

(……ちょっと、日和ったな)

 少しだけ体が震えている。でも、ふっかけてしまったからにはもう手遅れだ。
 立地のこともあり、鐘森学園のほとんどの生徒は富裕層だが、一般家庭の生徒もいる。そのため、一部でカーストが出来ていると耳にしたことがあった。親の身なりからしてあの加害者三人は前者で、もしかしたら財布のあの子は後者?
 そこまで考えてから、彼は苦々しい顔をする。金の有り無しだとか身分の得方で上下を決めるだなんて馬鹿みたいな話だと思う。じゃあ自分は下の下の下だが?なんていつもの卑下が始まった。
 ああいう我儘坊主にも、つるむ相手や親がいて、金まである。自身にない物すべてを持っている彼らは、瀬川にとって社会的強者だ。とはいえ、現状に至るまで自身が原因の軸のため、世の中不公平だとまでは言えない。
 瀬川はこれから起こることへ思考を巡らせる。訴訟に発展しつつあるが、この場合民事か刑事か?それとも半々ずつ?と考えていく。少年院送りも視野に入れたがそこはさして問題ではない。
 けれど、後々、様々な金を払うことは必至。家賃、光熱費、通信代、学費の差額の支払いで毎度首が回らないのに、そこへプラスされたらと思うとお先真っ暗だ。
 正直、Gerberaの給料だけでは苦しい月もある。昇給させてもらえたり、土日は給与UPなどだいぶ条件はいい。けれど、あんな別れ方をしたのだからもう通えない。そうなるとますます生活が厳しい。貯金を崩そうにも雀の涙だ。
 今から就職したとて、返済に何百年かかるのか。だとすると次に浮かぶのは一気に稼ぐ方法だ。

(……体売るのが手っ取り早いかな。売るっても、具体的に何をするかわかんないけど)

 彼は、相当昔から自分のことなんてどうでもいいと考えている。散々おもちゃにされてきたこの命に、これ以上何かあっても大した問題じゃない。
 ただ、勉強が出来なくなることに対して後ろ髪引かれる思いはある。
──児童養護施設へ行ったとき、七海が失神するかと思って言わなかったことがある。
 七海を預ける英断はできたくせに、なぜ自分を殺さなかったのか。今までずっとそうやって考えてきた、と。
 そうしたら、この世界を知る前に去ることができたのに。
 生かしたとて、学校へ行かせなければ勉強にも出会わなかったのに。知識さえ得なければ。
もう少しだけこの世界で生きてみたいな。
誰かに褒められるかもしれない。
大人になったらカゾクとか出来るかな。
 とか、そういう身の丈に合わない夢を持ったりしなかったのに。
 膝を抱えぎゅっと目を閉じた。朧気な母親の顔を思い浮かべる。
 ぼんやりする視界の中、唯一笑いかけてくれたのは、自分が暴力に苦しんでいる時だけだった。

(今でもどっかで嘲笑(わら)ってんだろ。……みんなそうだ。みんな、みんなみんなみんな……っ)

 どうしたって、いつだって胸が痛む、こころはずっと砕けたままだ。
 けれど、これをどう治したらいいのか、今の彼には分からない。

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