Gerberaでの大騒動から、半月程経とうとしていた。
自分はこれから、何をどうすればいいのだろうか。と、色んなところを巡りながら考えていた。
そんなの、実に簡単な話だ。Gerberaへの謝罪だって復学だって、少し脱線した車輪をレールへ戻すだけ。たったそれだけでいい。
けれど、出来ない。相談したからといって何か解決するんだろうか、好転していくんだろうかと疑ってしまう。こうなってしまった理由を話すこと自体、意味がないと感じる。
だからこそ、あの日はトラブルを起こした。話したくないというのに無理強いしたから。けれど、後悔はしていた。そのまま流せばよかっただけの話だ。そうして、ありとあらゆる人たちからの連絡を無視したまま、今日に至る。
だが、そんな状況でも頭は情報を欲している。何があってもこればかりは止められなかった。もう中毒か何かの一種だと思った。この間は家か図書館で勉強に一日費やすか、なんとなく街を散策するなどして過ごしていた。
現在、池福路をぼうっと歩いている。ここなら人も路地裏も多いし顔見知りには見つかりにくいだろうと選んだ。
そろそろ帰って勉強し直そう、と駅に向かっているところだった。すれ違いざまに学生四人が歩いていく。
(……ん?)
一人だけ様子がおかしい気がして、彼は振り返る。
端から見れば、肩を組んで仲良さげだが、真ん中に挟まれた一人は縮こまり、怖がっているように見えた。
無視しようと思ったが、なんだか少し気になる。間違いならばそれでいい、と学生らの追跡を始めた。
案の定暗い路地裏へと入っていく。たぶん8割、否、10割クロだ。足音を立てず入り込み、角からそっと覗いてみる。
三人が一人を壁側へ追い込んでいた。話を聞くに、震える一人がカツアゲに遭っているようだ。
加害者側はそれぞれ財布をよこせとまくし立てている。被害者は小さな声で何かを言い返したようだが、凄まれて体をますます縮こまらせた。加害者側があーだこーだと喚いている。
とうとうバッグごと奪われそうになった所で、瀬川は出ていくことにした。
「あー、お取り込み中すんません」
「? なんだお前」
「いや、ちょっと疑問に思いましてね」
「……は?」
「さっき、その子連れてここ入ってくの見えたんだけどさー。そんときになーんか仲良くなさそうだな、って思って」
「だ、だからなんだよ」
「悔しいけど、鼻が利いちゃうんだよね。これから悪い事するなーってのがわかんの。もしかして……あんたらさ、人の財布奪うくらい金ねーの?」
言っている間に彼は相手を観察していた。制服の型を見るに、鐘森学園の物だ。主に金持ちが通う学校で、彩都とは同じくらい有名である。
彼がそこをつつくと、加害者側が呻く。
「そんな箱入り息子たちが一人に対して三人がかり?だっせぇなあ。金なら親にねだるなりバイトとかすれば?あ、アルバイトって言葉知らねえか。お坊ちゃまですものねー」
「お前……!なんなんだよ!」
「何なんだ、ってところはおれも知りたいところなんだけど」
「はあ……?」
つい呟いてしまった。
いざ自分はなんなのかと問われると答えに困る。今まで何年も、毎日考えてきたことだ。今のところ、社会不適合者、という言葉が一番無難だろうか。勉学と違って感情的なことは明確な答えが出せないので嫌いだ。
まあそれは置いておいて、と言いながら近付くと、唐突に拳が飛んでくる。へなへなのそれをひょいと避けて、横っ腹へ蹴りを入れた。
這いつくばる様を見下ろしながら、彼はべらべらと喋りだす。
「刑法第36条第1項、正当防衛って知ってる?急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は罰しない。頭の悪いお坊ちゃまにわざわざ説明して差し上げますと、要するに相手から突然攻撃された場合こっちが手を出しても自分を守る行為だったと証言出来るわけ。ということでおれもこうやって手を出す」
構わず突っ込んできた二人目に対し、「こわーい」なんて思ってもないことを口にした。今度は頬目掛けて拳をお見舞いする。三人目はただ呆けて突っ立っている。 次はお前だとばかりにじっと見つめれば、何もしていないのに膝から崩れ落ちる。
加害者たちは途端におろおろし始めた。
「ハッ、つまんな。遊びにもなりゃしねえ。バッグ置いてさっさと失せろ馬鹿共が」
「お、お前!名前っ!」
「先生トイレ、と一緒だな。おれは名前って名前じゃないけど」
「〜〜〜っ!言えよ!お前の!名前!」
「パパとママに言いつけてやる〜ってか?」
「……!」
「どーぞどーぞご勝手に。おれは瀬川凪、高校二年でそこら辺の不良でーす」
「……っ!覚えたからな!」
「ハイハイ、ばいばーい」
完全に姿が見えなくなったのを確認してから、被害者へと近付いた。
ヒッ、と小さく声を上げたのを見て、両手を上に上げる。まだ震えていて呼吸も荒い。
瀬川はそのまま適切な距離を取り黙る。自身は相手に何もしないことを示した。
しばらくすると、相手も信用したのか少し落ち着いたようだ。
そっと近付いて穏やかに話しかける。
「ごめんね、怖がらせて。あれくらいやんねえと逃げなさそうだったから。大丈夫?怪我とか無い?」
「えっ……あ、うん……」
「一応、色々見てみ?中身無事そ?」
相手は、思い出したかのように慌ててバッグを漁りはじめる。ほっとした顔で頷いた。
財布には参考書を買うための小遣いが入っていて、その財布自体も、大学受験祈願にとプレゼントされた高価なものだそうだ。だから必死に守ろうとしていたらしい。
瀬川は口元に人差し指を添えてこそりと言う。
「今のさ、黙っときなよ。変な不良が勝手に来て勝手に殴って帰ってったってことにするから」
もし、これから先何を聞かれようが、自身は関わりないと主張するべきだと言った。現時点で、奴らの標的は瀬川へとすり替わったはずだからと。
相手は首を傾げている。どうして出会ったばかりの、しかも自分を助けてくれた瀬川を悪者にするのか?と聞いてきた。
当たり前の反応だ。ここに証人がいるのだから、ハッキリ弁明すればいい。だけれど、それだけでは突破できないと瀬川は判断した。
不安がる相手へ心配するなと伝える。慣れてるから、とも言われた被害者の頭はハテナでいっぱいだろう。
「……おれさあ、彩都の生徒なんだ」
「え?……えぇ!?」
被害者の彼は、瀬川の爪先から頭のてっぺんまで見た。私服はともかく、今の髪色は橙に近い。彩都の規律の厳しさはこの県民全域に知れ渡っている。
相当驚いたのか凝視している彼に、瀬川は続けた。
「変だよな。あそここんなんじゃ怒られるから」
「え……いや……その……」
「見た目通り相当問題児だから、確実におれが狙われるから気にしなくていいよ。じゃ、君はこれからお口チャックね。分かった?」
立ち去りそうになる瀬川を被害者の彼は呼び止めた。急いでスマートフォンを取り出した。
「えっと……瀬川くん、だったよね?お礼だけでもしたいからさ!あの、電話番号とか……!」
「こんな不良のことなんて覚えんでよろしい」
「でも……!」
「その代わり、忘れず参考書買いな。それ使って勉強してくれたらお礼になるよ。じゃーねー」
「ちょ、ちょっと……!あっ、ありがとーっ!」
その言葉に瀬川は背を向けたままひらひらと手を振った。
この時、瀬川は尻ポケットに入れていた生徒手帳を落としていた。それに気が付かないまま去っていく。
被害者の彼は、路地裏から出ようとした時それを見つけ、拾って走った。追いかけたが、もう人混みの中に紛れてしまって、瀬川の姿は見当たらなかった。
「あの子みたいに強くなりたいなあ……」
彼はぽつり呟いて、ぎゅ、と財布を握りしめた。
瀬川の生徒手帳をバッグに入れると、彼は目的の本屋へと向かうのだった。
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