中間考査の結果が出るこの日、ランキングの掲示板を見るためだけに、瀬川は登校してきた。
結果が出る日付は、手元にある年間行事予定表に記載されているので、不登校児の瀬川でも情報を得られる。だが、またも無理をして出てきたため非常に目つきが悪い。
単に具合が悪いだけなのだが、大多数は睨まれていると勘違いするだろう。瀬川が廊下を進む度、海割りのごとく生徒は捌けていく。変に絡まれるより面倒ではないため、瀬川にとって大した問題ではなかったが。
二年の階へ向かうと、ちょうど廊下の真ん中に人だかりができていた。ガヤガヤと盛り上がっている。そこに掲示されているのが分かって向かう。
不意に一人の生徒と目が合った。その生徒が隣の生徒に声をかけ、次々とそれが連鎖していく。瀬川が掲示板へ着く頃には、皆、教室や廊下の端などに避難していた。
ランキングを確認しようと目をやると、周囲からひそひそ声が聞こえてくる。いつまでも鬱陶しい。おい、と彼は声を上げた。
「言いたいことあんならハッキリ言えよ」
その言葉に息を呑み、黙る生徒たちを他所に掲示板を見る。
真ん中から目線を上げていく。TOP10を過ぎて、5、3──。
【1位 瀬川凪】
次に氏名の隣を見る。
彩都はランキング表に教科ごと、総合点数も記載する方式であり、やはり彼は1点たりとも落としていない。
それをしっかり目に焼き付ける。生徒たちに背を向けたまま、瀬川は言う。
「馬鹿な噂流してる暇あんなら、もっと勉強すれば?」
誰も反論出来なかった。実際、今まで瀬川に勝てた人間は一人もいないからだ。
「その時間が勿体ない。文句あんならおれの点数超えてからにしろよ。それともなにか?噂流せばセンコー共も言うこと聞いておれの点数無理やり引き下げるとでも思った?いや、待てよ。その線あり得なくもないか。おれはあんたらにもセンコーにも嫌われてるんだし、オトナ皆引っさげてかかってくりゃおれ一人くらいなんともないもんな。それに」
「はーい、ストップストップ」
瀬川とは対照的な、のんびりした声が廊下に響く。それを聞いた一部の生徒が、ひよしん!とか言いながら、その人物に駆け寄っていく。
瀬川がキッと睨みつけた先には、ひよしんと呼ばれるその人、日吉がいた。
徐々に生徒は日吉側に寄っていく。対して瀬川の近くには誰もおらず、どんどん一人になっていく。
日吉はバインダーで自らの肩をトントン叩いた。
「あのねえ、君の声廊下中に響き渡ってますよ、瀬川君?」
「うざ。あのさあ、いっつもどこからわいてきてんのアンタ」
「虫みたいに言わないでよ。まあ、ちょうどいいや。今回の成績表渡すのと、個人面談したいから俺の準備室来てくれる?」
にこにこにこにことまあ、何が楽しくてここまで表情が崩れないのだろうか。よっぽどこの職業が気に入っているに違いない。天職、とでも思っているのだろうか。
仕方なく付いていくと、同じ階の端っこに日吉の教科準備室があった。中はそこそこ広い。机と椅子が対面に置かれていて、片側に座るよう指示される。渋りながらも座ったが、横向きだった。どうしても日吉と目線を合わせたくない。
その行為を見てか、ため息をつかれながら成績表が机に置かれる。長方形のリボンのようなそれをちら、と見てみると、全ての教科は満点であり、掲示されていたものと違いが無いことが証明された。「じゃあ」とのんびりした口調で事が始まる。
「やっていきましょうか、個人面談」
「……」
「これは、君を槍玉に挙げようとしてるわけじゃなくて、皆やってることだから。成績についてとか、個人の悩みとかね。とりあえず、満点おめでとう」
「そういうおべっかいらねえから」
「まあ、そう言わずに。めでたいことはちゃんと祝おう」
何が祝うだ。そんな気一つもないくせに。ヘラヘラ笑っている腹の中に一物あるはずだ、必ず。
既に腹立たしく思っている瀬川は、何を質問されても絶対答えないよう決めた。
「まず……君がなぜ学校に来ないのか。その原因をピックアップしたい。この間の質問と重複するかもしれないけど、いいかな?」
「完全黙秘」
「……考査を保健室で受け続けてるのは、カンニングの件を気にしてるのかな。だから教室へ来てくれない、ってことで合ってる?」
「……」
「先生方と合わないとか?」
黙秘を続ける彼に、日吉はわざとトーンを上げて質問をした。
「……クラスの子たちも待ってるからさ、戻っておいでよ!」
「!」
つい、拳で机を叩いてしまった。まずい、と思ったが日吉は何か悟ったようだ。なるほど、と用紙へ何やらメモを取っている。
「じゃあ……ベクトルを変えようか。……お母さんと連絡が取れないのはどうして?」
「……っ」
息が詰まった。忙しい?とかあんまり会わない?とか何とか言っていたような気がするが、全く頭に入ってこない。でも、と日吉は続ける。
「一緒に暮らしてるなら、少し話す時間とか」
「!」
気が付くと机を蹴飛ばしていた。近くにあった段ボール箱へぶつかって少し跳ね返る。それも気にせず、日吉は次々と瀬川を詰めていく。
「やっぱりこれもか。あの時の反応見て思ってたんだよね。分かりやすいなあ」
「何がだよ……!」
「感情の起伏が激しい。1か10しかないね」
「専門家でもねえくせに分かったような口利くんじゃねえよ……!」
「机、戻して」
「はあ!?今そんなの」
「戻せよ、瀬川」
「っ……」
初めて聞く冷たい言い方だった。ギラ、と光る目に諭されて、渋々机を戻す。
元の状態に戻るのを見た日吉は、いつもの調子に戻る。
「全く、根は素直なのに」
「……っせえよ」
日吉は次に、この彩都について語った。
ここは進学率が高く、就職率はとても低い。それはやはり、より勉学に励みたいと思う者、将来のため高学歴が欲しい者。目的は千差万別だが、基本的に前者を希望する生徒が圧倒的に多い。
だが、瀬川の現状を考えると、進級や卒業は出来ても、内申点が足りないため進学が出来なくなる。ましてや、就職すらも危うい。
それを聞いた瀬川はまた息苦しくなる。そんなこと、とうの昔から分かっている。
「ここはそういう子たちが集まる場所。特に君みたいな天才……且つあんな楽しそうに問題解く子が高校でそれを断念するとは思えない。もっと高い所で学びたいはずだ。だからここを選んだ。違う?」
「……」
「フリーターなんかが悪いとは思わない。けど、俺としては君の才能を棒に振りたくない。出来るなら進学して欲しいな」
「……それ、どうせ校長の入れ知恵だろ?知ってるよ、おれを柳縁に入れたがってるって」
「違う。これは俺の意思。単純にもったいないって感じる」
その言葉に嘘は感じられなかった。けれど、やはり日吉の進む道はこっちじゃないと思う。自分に関わるメリットなんて一切ない。
わざと挑発するように瀬川は言う。
「もう忘れてんの?“そっち”と仲良くしておいたほうがいいって、セーンセ」
「そう、それも気になってたんだ。そっちってなに?若い子の隠語かなんか?」
「そっちはそっち」
「答えになってない。言い出したの自分からだよ。ちゃんと答えて」
「……」
瀬川は黙る。とにかく、このまま黙り続けてやり過ごそう。堪えきれるか怪しいところだが、バイトの時間までには帰してくれるだろう。
そう思っていた矢先、日吉はもっと深くまで踏み込んできた。
「……これは、勘に近いけど……“来たく”ないんじゃなくて、“来られ”ないんじゃない?」
「……!」
息を、呑んだ。
「住所見たけど、あそこからだと電車通学だよね?何か理由があって……いつも降りられないんじゃない?」
「……っ」
「でも、勉強が好きで、テスト受けるの楽しいから……この間みたいに、考査の時だけ具合悪くたって這ってでも来るしこうやって結果も見に来る」
「……るさい」
「だけど、普段はその楽しいことがないのと……何らかの理由で降りられないから別の駅まで行く。だから香吹だったり詩武屋で」
「うるさい!」
絞り出すように瀬川は叫ぶ。その姿を見て、日吉は納得したように頬杖を付いた。また何やら書き込んでいる。
「うん……トリガーになるところが本音か」
「黙れ!」
「違うね。本当は誰かに聞いてほしい、でしょ?」
「……!」
全て見透かされているようで非常に居心地が悪い。視線を逸らしていても感じる。
日吉は自分を“見て”いる。
「言いなよ。全部信じるから」
「……」
「じゃあさ、Gerberaの人たちになら相談できる?」
「……っ」
「誰になら言える?このままじゃ苦しいだけ……」
「少なくともアンタじゃねえよ!」
「あっ、おい瀬川!」
準備室を飛び出て、人っ子ひとりいない廊下を走る。上履きのまま外へ出た。抜け道を使って学校から脱出する。
全力疾走した。人の往来を避けながら駆ける。駅まで辿り着いて、ふと後ろを振り返った。
誰もいない。追いかけてこなくてよかった。とホッとする反面、何故かこころの隅には“なんで”という言葉が膝を抱えて座っている。キュッと胸が痛む。そんなモヤモヤを抱えたまま帰路に着いた。
家へ入ると、そのままの格好で布団に寝転がった。握りしめてくしゃくしゃになった成績表を見た途端、一瞬で彼の心は躍る。
(1位。また1位。全部100点満点で、1位)
日吉の言う通り、久々にやったテストはとても楽しかった。
彼は、諸々の時間を削り、その分全てを勉強に費やしている。だからこそ、今回だって満点トップを取れた。でも、と成績表を手に丸まった。
──純粋に勉強が好きだ。
このまま飛び続ければ認めてもらえるかもしれない、居場所が出来るかもしれないと頑張ってきた。
けれど、いつしか翼は折れ真っ逆さまに落下して、深海に引きずり込まれた。やはり、光に手は届かない。暗闇が自分の居場所らしい。
矛盾が起きていることは、ずっと前から理解していた。自分の挙動が間違っているから人が離れていく。今日だってそうだ。皆、そっち側についてこっちは必ず一人になる。
居場所が欲しいのに、自分から潰して歩いている。だけど、どうしたって過去から逃れられない。走っても走っても結局、袋小路へ迷い込んでしまう。膝を抱えてより一層丸くなる。
世の中は弱肉強食。弱ければ舐められ、簡単に踏み潰されて殺される。今まで散々そんな生活をしてきたのに、これからもそうなるかと思うと怖かった。
だから“奴ら”を真似ただけだ。それの何が悪い。そうじゃないと生き残れないはずではないのか?
(相談、か……)
布団から抜け出して、スマートフォンを手に取る。ポケットから生徒手帳を取り出して、挟んでいた一枚のメモを抜き取る。
そこには電話番号と、“日吉惣次郎”と名前が添えられていた。それは初めて会ったあの日に貰ったメモだった。
彼はLiteを立ち上げて、この番号で検索をかけた。
すると“そーじろー”というユーザー名と、日吉が複数人で写っているアイコンが出てくる。活き活きとしてまるで太陽のようだった。陰鬱な自分とは正反対だ。
だが、気が付くと友達登録のボタンをタップしていた。自分でも驚いて取り消そうとしたが、アプリケーションの仕様上、対象者を友達カテゴリに追加しても相手へその通知は送られない。それを思い出して胸を撫で下ろす。
Liteを閉じて、とにもかくにも勉強だと教科書やら参考書やらを取り出した。
朝早かったせいか、読んでいるうちにうつらうつらとしてくる。アルバイトに遅れないよう、一応目覚ましをセットした。
落ちてくる瞼に抗うが、とうとう負けた。夢の中に落ちる前、頭の中で彼は呟く。
(アンタだって、きっとおんなじだよ)
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・諦める(あきら-める)見込みがないと知って、途中でやめる。断念する。「助からぬものと諦めている」「生きることを諦める」)
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