「うひゃー、今日も疲れましたねぇ……」

 疲弊してへにゃへにゃの声を出したのは悠木だった。スクールバッグを重たそうに持って、左へ右へと足が絡まりそうになりながら歩いていた。

「お疲れ様」
「お疲れ様ですぅ……」

 隣で返事をしたのは瀬川だ。足が重そうな悠木に歩調を合わせている。
 悠木がGerberaで働き始めてから、早くも半月が経った。まだ研修期間中ではあるが、接客経験があり、失敗しても明るく振る舞う彼女に客は好印象を抱いたようだ。
 常連客たちは、悠木が注文をハンディ登録したり、復唱するのをゆっくり待ってくれたりと優しい対応が多い。現在、先輩スタッフを付けているが、独り立ちするのもそう遠くない。瀬川もそう考えているうちの一人だ。そう褒めると「えへへ!」と照れた笑い声がした。
──兼村から、二人で帰宅することを提案されたのは、ごく最近のことだ。ひとつに、主要な駅が同じであること、ふたつに、上がり時間が同じことからである。
また、悠木は男にビンタを張れる強い子ではあるが、それでも未成年の女子高校生である。同様ではあるが、喧嘩上等口論上等の瀬川を付けておけば多少安全だろうと考えたらしい。だが、深夜ではないといえ酔っ払いが多く危険な街だ。後々、送迎プランを立てようと大人たちは画策している。
 悠木は時たまちらりと瀬川を見ているが、彼は目線を外すようにしてどこか遠くを見ていた。
思い切って会話を試みようと決めた細い指に少し力が入って、バッグの持ち手が食い込んだ。
先輩、と声をかけてみるとドライな返答が戻ってくる。

「それだりぃ」
「へ」
「タメでいいし凪でいい。……悠木さんのことも呼び捨てでいい?」
「うんっ!よかったぁ……あたし、なんか息が詰まっちゃってー」
「おれと話すときだけ変だった」
「そりゃそうだよぉ!同い年でも先輩だし、職場ではちゃんとしたいもん!」

 あっそ、と言って瀬川は大きなあくびをする。常に眠たそうな瞳をしている彼だが、最近は特に疲れて見える。まだ出会って日の浅い悠木でさえそう思った。
 交差点で信号が変わるのを待つ間、ぽつりと瀬川が呟く。

「……七海は、ドッペルゲンガーじゃないんだ」
「?」
「二回見ても死ななかったから」
「えっ、何、死……?悪口〜!?」
「違ぇよ」

 瀬川は兼村へ話したように、ドッペルゲンガーについてを語る。聞いたあと、訝しげな表情をした悠木は言った。ならば何故、瞳同士を合わせただけであんなにもお互いの情報が入ってきたのかを。知らねえ、と一蹴してからそれきり、彼は話さなくなった。
 正直、下着の色まで当てられたのは驚いた。そもそもセクシャルハラスメントをされて退職した女がする質問じゃないし、思い付いた時は我ながら馬鹿馬鹿しいなとも思った。だが、それさえ涼しい顔で答えた瀬川に「ああ、やっぱり」と腑に落ちる自分がいた。
 この人は、絶対自分を知っている。そうして、“女”として見ていないと。それは性対象としてではなく、もっと違う何かだった。明確な理由はまだないけれど。
 信号が青へと変わり、流れ出す波に二人は乗った。先程までとは違い、なんとなく居心地の悪さを感じる。
 駅構内へ入り、雑踏を抜けてホームへと降りた。ふと電光掲示板を見れば、あと数分で互いの乗車する電車が来るようだった。何も言わず二人は備え付けの椅子へと体を預ける。
 しばらくして、電車入線のため注意喚起のアナウンスが流れた。同時にベルが鳴り、先に立ち上がった瀬川は悠木を見て問いかける。

「じゃあおれたちって、なんなんだろうね」

 電車のライトに照らされた紫の瞳が、妖しく光った。

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