「麗蘭さま、早う、早う!」

 麗蘭さまはやはりうぐいす色の着物をお召しの呉竹さまに手招きされていました。

 「はい、ただいまぁ。」

 皐月(5月)から水無月(6月)を迎えるにあたり、女御総出で紫陽花(あじさい)のお花植えをしています。麗蘭さまの役割は、縁側に置いてある女官が作った花の苗を、花壇にいらっしゃる呉竹さまに届けることでした。
 花の苗はさほど重たくないはずなのに、麗蘭さまの足取りは非常に重いのです。なぜか息も上がっています。

 「呉竹さま、なにゆえ花壇はかように遠いのでありますか?」

 「は? そんなに遠くないし。早う持ってきておくれ。」

 「はぁ、はぁい。」

 やはり麗蘭さまの息は上がっています。はぁはぁと口から息を漏らしながら苗を持って運んでいます。

 「キャー!」

 麗蘭さまの行く手に紫乃さまの着物の裾が舞い込んで来ました。紫乃さまは声をあげてその場にしゃがみこまれ、麗蘭さまもその場に尻餅をついておられます。

 「紫乃さま! 大丈夫でごさいますか!?」

 その場にたまたま居合わせていた松子が紫乃さまに駆け寄ります。

 「ちょっと、なんのつもり!? 転ばないよう気をつけていたのに。あんたのせいで転んじゃったじゃない!」

 紫乃さまが顔を覆っていた袖を振り払われました。いくつかの紫色で紫陽花を描いたお召し物でした。その鋭い睨みが向いている麗蘭さまはといいますと、持っていた苗をかぶり、白い蘭の面影などない、土まみれになっていらっしゃいます。

 「すみません…。」

 麗蘭さまは草履を見つめながら形だけの謝罪をしました。

 「もぅ、こっちは『ご懐妊』してるの。しかも皇子さま初の御子さまをね! 気をつけてちょうだい! あんた。御子に問題がないか、みなさい!」

 紫乃さまは麗蘭さまに激しくおっしゃると、今度は松子を呼びつけて、上の間に帰られました。

 「さ、植えますぞい!」

 「は、はい!」

 息も上がって土まみれ、おまけに心も少し傷ついてたどり着いた麗蘭さまは、休む間もなく呉竹さまのお花植え稽古を受けることになりました。

 「さ、ざっとこんな感じにございますが、よろしくて? ってか、何を座っておられるのだ!」

 「すみませぬ。先ほどから頭がクラクラと…。」

 「そなたは泣き言が多いのぉ。さ、やったやった!」

 麗蘭さまは立ち上がると目をギュッとつぶり、白くなった視界が元に戻るのを待って花壇に向かわれました。

 「そなた、筋がありますのぉ。」

 「ありがとうございます。亡くなった母に仕込まれましたので、多少は。」

 麗蘭さまが植えた紫陽花は花が宮殿を向くようにうまく調整されている上、トゲがあるのに麗蘭さまの手は無傷でした。

 「『それはお母さまのおかげ』とでも言って欲しいかい。」

 「え?」

 「良いことも悪いことも、親のせいにするのはよしなさい。宮中に居るのは麗蘭さまご自身なのだから。」

 呉竹さまにそう言われると、麗蘭さまは手に痛みを覚えました。気をつけていたトゲに親指を刺されたようでした。