「麗蘭さま、麗蘭さま!」

 明くる日も呉竹さまが麗蘭さまの弐の間にいらっしゃいました。昨日のお着物より何枚か薄い、軽装にございました。

 「はい、呉竹さま。うぅ…。」

 麗蘭さまは、また、昼寝の床から無理矢理身を起こします。

 「今日はそなたに舞の稽古をつけに来たのだ。泣き言を言わず、お支度なされ。」

 麗蘭さまは原因不明の微熱と吐き気と眠気をなんとか振り払い、呉竹さまが待つ梅枝(ばいし)殿に向かわれます。

 「そこ! 手の返しが逆にございます。はい、もう一度!」

 「はい。」

 呉竹さまにお付きの女官が弾く琴に合わせ、何度も舞を踊らされます。

 「呉竹さま、なぜ舞を…。」

 「つべこべ言わない! もう一度!」

 呉竹さまのお稽古は日暮まで休みなく続きました。

 「もう、無理かも知れませぬ…。」

 やっと弐の間に戻ると、麗蘭さまは着替えもせずに布団に倒れこまれました。

 「お母さま、私に、力をくださいませ…。」

 麗蘭さまの枕からは、お母さまが愛した物語の本が見えます。その本たちを見つめながら長い長い瞬きを繰り返していらっしゃいます。

 「麗蘭さま、お疲れでございますか?」

 長い瞬きから目を開くと、皇子さまが布団の中にいらしています。

 「皇子さま、今日は私の日でございましたか?」

 「さよう。我が一番楽しみにしていらっしゃる日でございます。」

 「すみませぬ。気分が優れない中、呉竹さまが舞の稽古をつけてくださって。」

 麗蘭さまは起き上がって外側に着ていた濃い青色の蘭の着物を脱いで、薄い白色の肌着のみになられました。

 「さようにございましたか。呉竹さまは姉女御にございますからな。なにかお考えがあるのでしょう。」

 姉女御とは、その世代で最初に女御として寝殿仕えをした女御さまのことです。呉竹さまには御子はありませんが、蒼の宮さまのよき相談相手として、また皇子さまほかご兄弟のご意見番として一目置かれる存在なのだそうです。

 「お考えがおありかもしれませぬが、このような身にあのような稽古は、毒にございます。」

 「そうであるな。呉竹さまには我からも少しおっしゃっておくぞよ。ご気分優れぬのであれば、今日は共寝するだけにしておきましょうか?」

 「いえ、今は昼より幾分か楽なのです。よくわからぬ風邪をひいてしまいました。」

 白い袖を口元にあて、笑い顔を隠す麗蘭さまを皇子さまが優しく包み込みます。

 「麗蘭さまの健康が何よりも大事にございます。どうかご無理はなさらず。今日はこうしているだけで、我は幸せにございます。」

 「私も。」

 皇子さまの温もりは、脈を打って麗蘭さまの肌着に伝わります。麗蘭さまの心細さを包み込むように皇子さまはまたギュッときつく、麗蘭さまを抱きしめられます。

 コンコン。

 「失礼いたします。」

 吉良が床を叩いて皇子さまの気を引きます。そのまま、顔を床に向けたまま、皇子さまに呼びかけるのでした。

 「紫乃さまがお呼びです。」

 「今日は麗蘭さまの日であろう、紫乃さまのところへは行かぬ。」

 「そうにございますが…。」

 吉良は深くお辞儀をしているのをさらに深く、床に付きそうなくらい頭を下げました。

 「紫乃さまは御子さまが無事に産まれるのか、不安で眠れないのだそうです。どうか、お考えいただけませぬか?」

 麗蘭さまは皇子さまの眉にシワが寄ったのを見逃しませんでした。口づけをしようとしていたくらいの距離にございましたから、見逃すわけがございません。

 「本当(・・)にございますか? さらば行かねばなりませぬの。」

 皇子さまは麗蘭の目が曇るのを見てしまわれたからか、そこに吉良が居るにも関わらず、麗蘭さまに口づけをなさいました。麗蘭さまが優しく手を添えると、肌着の間から皇子さまの手が伸びてきました。

 (この先は、また必ず。)

 皇子さまは麗蘭さまの耳元で、麗蘭さまにしか聞こえぬようなか細い音を伝え、吉良の待つ廊下に出ました。