「ご懐妊にございます。」

 「きゃー」

 「御子の誕生予定は11月29日にございます。」

 医官はガサゴソと荷物をしまい、最後にご挨拶をして廊下に出ました。

 「この度は誠におめでとうございます。」

 「ほらね。やっぱ『参』の間効果じゃない? あっはっはぁ!」

 参の間から高笑いを響かせている紫乃さまでありました。寝殿仕えの女御さまにはこのように、毎月「お調べ」がございます。もちろんご懐妊のお調べです。

 「麗蘭、じゃないわね。麗蘭さま、お小水のお時間です。」

 「はい。」

 お調べに先立って、医官付きの松子が検査のお小水を取りにきました。

 ご懐妊になられると、上の間に御移動となり、そこでお腹の御子と緩やかな時をお過ごしになります。紫乃さまも例外ではありません。

 「じゃ、せいぜい頑張ってねー!」

 ニンマリと笑って、紫乃さまはわざわざ麗蘭さまのお部屋にご挨拶なさって、上の間に移られました。

 「そんなぁ。本当ですか?」

 「はい。残念ながら…。」

 壱の間からそのような会話が聞こえると、医者の足音は遠のき、李莉さまのすすり泣きが聞こえてきました。

 「いやです。」

 よくは聞こえぬ女官の声に、李莉さまはそう何度もおっしゃります。ついには皇子さままでお出ましになられます。

 「李莉さま、必ず、もう一度お呼びなさるので、どうか、今日は…。」

 「うわぁーん! うわぁーん!」

 李莉さまは両脇を女官と侍従に抱えられ、壱の間から廊下に出され、どこかへ連れて行かれました。

 「麗蘭、さま。お調べが…。」

 「李莉さまはどうなさったの?」

 麗蘭さまのお部屋にお調べの支度に来た、吉良に畳みかけて聞きます。

 「もう3か月経ったからね。奥の間行きになったの。新しい女御さまと交代。」

 吉良はずっと寝殿仕えの女御付きで、麗蘭さまは何かわからない慣習があると、いつも吉良に聞いていらっしゃいました。

 「麗蘭、じゃなかった、麗蘭さま(・・)は初めてのお調べだよね?」

 「はい。」

 「百合さまも女官のみんなも、麗蘭にすっごく期待してるけど、期待が厚い人のほうがプレッシャーで奥の間行きになるみたいだから。結果がどっちでもあんまり気にしないでね。」

 入内した娘が御子を授かれるかというのは、家の男衆の出世にも関わる関心事でありました。家の男衆が高貴なお方でなければ女御としての地位も危うく、女御が御子を産めなければ男衆の出世が危ういという、ニワトリと卵の関係なのです。

 「私の経験上、いい人には何回もチャンス来てちゃんと授かってるから。麗蘭なら大丈夫!」

 吉良がそう背中を叩いたところで医官がやってきました。

 「ふむ、ふむ、ふむ。」

 医官は麗蘭さまのお腹を触り、臍の下をきゅーっと押しながら御子がいらっしゃるのかを確かめます。

 「そーですのぉ。」

 カバンの中から黄色のそろばんと赤色のそろばんを出して弾いています。そこに松子が検査に使った試験紙を持ってきました。

 「ほう、そうか。」

 医官は試験紙を一目見ると、2つのそろばんを置いて、麗蘭さまのほうに向き直りました。

 「麗蘭さま、今日のところは、まだ御子は宿っていないようにございます。」

 麗蘭さまは唇を噛みしめて、瞳を潤ませておられます。

 「いまはまだ寝殿に上がられたばかり。もう少しあとの方がきっと良いのでしょう。お気持ちをごゆるりとお過ごしくださいませ。」

 医官はそのままそろばんをしまって帰りました。

 「麗蘭!」

 そばに控えていた松子が麗蘭さまに抱きつきました。麗蘭さまはただただ涙を流しておられます。

 「麗蘭さま。」

 「皇子さま。」

 事態を聞きつけた皇子さまも弐の間においでになりました。

 「我は麗蘭さまが健康で幸せならそれでよいのだ。それが一番なのだ。御子は、来ていただけるまで待とうではないか。」

 「はい…、はい…。」

 「皇子さま、紫乃さまがお腹が痛いと…。」

 「…わかった。」

 紫乃さまに付いて行っていた吉良が皇子さまをお呼びに参りました。この場合、御子を宿せず泣いていらっしゃる麗蘭さまより、御子を宿している紫乃さまのほうが優先なのです。

 「必ずまた、何度でもいらっしゃるからな。」

 皇子さまは最後にきつく麗蘭さまを抱きしめて、紫乃さまの待つ上の間に向かわれました。

 「麗蘭!」

 皇子さまを見送ると吉良が麗蘭さまに駆け寄ってきました。

 「まだチャンスはあるわ。ストレスが一番良くないって言うから、あまり気に病まないでね。あ。」

 吉良は着物の袖から小さな茶色い巾着を出しました。

 「これ、ストレスに良いって帝の女御さまたちで有名なお茶なの。良かったら飲んで。」

 吉良は両手で麗蘭さまの手のひらに巾着をのせると、皇子さまに付いて行ってしまいました。